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2014年10月3日金曜日

ラヴ ソングが文学にかわる瞬間 ~ JOY DIVISION


0.8秒と衝撃。で
唄とモデル担当の J.M.
地方のロック フェスティバルで “ 0.8秒と衝撃。 ” の元気いっぱいのライヴに参加し、その後、メンバーと話ができた。ヴォーカルの塔山忠臣が JOY DIVISION のファーストアルバム 『 Unknown Pleasures 』 のジャケット デザインのTシャツを着ており、好きなのかな? と興味がわいたのだ。ライヴの後、彼はすぐに帰京してしまったらしく、物販には 唄とモデル担当の J.M.しかいなかったのだが、それでもいろいろお話ができた。
“ ピーター・フックのバンド ( おそらく REVENGE ) と対バンした ” と、あっけらかんと言ってのける J.M.に平成を感じたが、今の J-Pop の立ち位置みたいなものも伺えて、面白かった。対バンの際、ピーター・フックから直々にバンド T シャツをもらったのだが、別のライヴでその T シャツを着ていた塔山は、ライヴの出来が良すぎて興奮のあまり、その T シャツをフロアに投げてしまったらしい。
あ~ッつ!! って感じでした ( 笑 ) と。  

いわし亭が学生だった頃、結局、国内盤が出る気配がまるでなく、梅田の外れにあった輸入盤屋で高価なイギリス盤を買い求めた 『 CLOSER 』。ジャケットはエンボス加工のふわふわした紙で、意外に豪華な仕上がりだった。歌詞カードは付いておらず ( 歌詞は楽曲を構成する 1/4 でしかなく、ただの音であるというイアン・カーティスの意向だったらしい )、まさに音として聞いていた沈みきったヴォーカルを思い出した。


1976 年 6 月 グレーター マンチェスター サルフォードで結成

イアン・カーティス ( Ian Curtis ) : ヴォーカル、リリック
バーナード・サムナー ( Bernard Albrecht ) : ギター キーボード/アルブレヒトはナチスに因んだ JOY DIVISION でのメンバー名
ピーター・フック ( Peter Hook ) : ベース
スティーヴン・モリス ( Stephen Morris ) : ドラム/ステファンと記載されていることも多い。ここではスティーヴンに統一する

スティフ キトゥンズあるいはワルシャワと名乗っていたデビュー当時の彼らは、いわゆるピストルズ ショックを受けて雨後の筍のように現れたただの演奏の下手なパンク バンドでしかなかった。しかし、THROBBING  GRISTLE のジェネシス・P・オリッジはバンドの黎明期から彼らに注目していた。
また、インダストリアル ミュージックの雄 ジム・フィータスはオーストラリアから渡英直後、彼らのデビューライヴに偶然参加し、歌えば歌うほど異様なまでに落ち込んでゆくイアン・カーティスのヴォーカルを聴いて、一生忘れられない程の印象を持ったという。


1978 年 1月 7インチ デビュー シングル 『 An Ideal For Living 』 を自費プレス  

ファクトリー レコードと契約を結ぶ。
ファクトリー レコードは、洗練されたアート デザインが統一的なレーベル イメージを醸し出して、独自のステータスを確立していた当時、新進のインディペンデント レーベルである。デザインはピーター・サヴィルによるもので、彼はファクトリー レコードの専属デザイナーからそのキャリアをスタートさせたが、手掛けたデザインの全てが印象的で、美的センスの優れたものであった。

JOY DIVISION はレーベル プロデューサー マーティン・ハネットが使いこなしたレコーディング システム A.M.S.( Advanced Music Systems ) によってバンド独自の耽美的な音世界を完成させ、ファクトリー レコードの中心的存在となっていく。
同時期のライヴ盤を聴く限り、この世界観はやはりスタジオ盤に特有のものであることが分かるが、それほどにマーティン・ハネットが JOY DIVISION にもたらした音響プロデュースの効果は絶大であった。凍てつくようなシンセサイザーの音色、リズムセクションにエコーを効かせたダブ処理、イアン・カーティスの沈み込むような陰鬱な声質は、他の凡百のバンドから JOY DIVISION を完全に切り離したのだ。
スタイルとして完成された JOY DIVISION の個性は、その活動期間こそ短かかったものの、’70年代末期のポストパンクを代表するバンドの一つとして、後のオルタナティヴ ロックに多大な影響を及ぼし、世界各地に彼らのエピゴーネンを出現させることになる。

音響効果をベースにしたプロデュースという点で、マーティン・ハネットのスタジオ ワークは、ロキシー ミュージックの 『 アヴァロン 』 で印象的なエコー処理を施したミックス エンジニアのボブ・クリアマウンテン、ベーシスト 盟友バーナード・エドワーズとのコンビで、シャカシャカと切れの良いリズム ギターを得意とし、マドンナの 『 ライク ア ヴァージン 』、デヴィッド・ボウイ 『 レッツ ダンス 』 を皮切りに ’80年代後半を席巻したナイル・ロジャースと並んで、最大級に評価できる。 


1978 年 6 月 JOY DIVISION を名乗る

各方面で物議をかもした JOY DIVISION ~ ジョイ ディヴィジョンというバンド名はナチス・ドイツの強制収容所内に設けられたユダヤ人女性を性奴隷にする “ 快楽区 ” に由来する。
ポーランド出身のイディッシュ語・ヘブライ語作家イェヒエル=デ・ヌールがカ・ツェトニック 135633 の変名で 1953 年、発表した 『 HOUSE OF DOLLS - ダニエラの日記 』 ( または 『痛ましきダニエラ ― ナチに虐げられたユダヤ娘の死の記録 』 ) ( 蕗沢紀志夫 訳 ) の中からバーナード・サムナーが拾い出した。彼に拠れば、“ ひどく悪趣味だけど… パンクだ ” と感じた、とのことで、言わば若気の至りというやつである。
デ・ヌールの最も有名な作品の一つである本作のモデルは、ホロコーストで亡くなった著者自身の妹であり、その変名は虜囚を意味するイディッシュ語に自身の囚人番号を組み合わせたものである。デ・ヌールは、1961 年 6 月、アドルフ・アイヒマンの裁判に証人として出廷したが、質問に答える前に証言台で失神してしまった。デ・ヌールにとってナチスの記憶を語ることは、それほどに精神的負荷が高かったのだ。

『 Unknown Pleasures 』

1.Disorder
2.Day of the Lords
3.Candidate
4.Insight
5.New Dawn Fades
6.She’s Lost Control
7.Shadowplay
8.Wilderness
9.Interzone
10.I Remember Nothing







1979 年 6 月発表。
ピーター・サヴィルのアートワークは、パルサー  ( 超新星の爆発後に残った中性子星が放つ、パルス状の可視光線や電波 ) の波形を用いたものであり、ヴェルヴェット アンダーグラウンドやロキシー ミュージックのデビューアルバム、デヴィッド・ボウイ 『 ダイヤモンドの犬 』 といったロック史に残るジャケットと肩を並べても遜色ない。このジャケット デザインこそ、ピーター・サヴィルの作品の中で最も有名なものの一つであり、多くのオマージュ作品を生んだ傑作と言えよう。オリジナルのアナログ ディスクでは、このパルサーの波形はもっと小さく控えめにセンターやや上方に配置されており、ジャケットの台紙にはエンボス加工が施されて、触った際の質感が凄かった。
1979 年の全英アルバム チャートでは最高 71 位、インディー チャートでは第 1 位を獲得しており、『 ローリング ストーン 』 誌が選んだ  「 オールタイム ベスト デビュー アルバム 100 」 において第 20 位。 

低音がこもってしまいよく聞こえない という理由から、高音弦を用いたメロディアスなフレーズを得意にしていたピーター・フックのベースが、アルバムの一曲目から勢いよく飛び出し、非常に良く鳴っている。
この対位法的なベースとギターのアンサンブルは、イアン・カーティスの発案と言うことだが、JOY DIVISION の楽曲作りに関しては、イアン・カーティスのモニター能力が大いに活躍したとピーター・フックは語っている。“ イアンが全てのリフを見付け出したんだ。バンドが即興演奏をやる、するとイアンが演奏を止めて < 今のは良かった。もう一度やってくれ > と言う。そんな練習の中から 「 シーズ ロスト コントロール 」 などの数々の印象的なフレーズが生まれた。彼がいなければ、彼の耳なくしては、僕らはそれを一度演奏したきりで二度とやらなかっただろう。たいていは、それを演奏したことさえ覚えていなかったに違いない… だけど、彼は気付いていたんだ ”
セックス ピストルズのグレン・マトロック、ザ ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルもそうであったが、パンク バンドのベーシストには意外や意外、作曲もできるテクニシャンがいる。一方で、シド・ヴィシャスやクラッシュのポール・シムノンの様にカリズマ性のみで記憶に残るミュージシャンを輩出したパートでもあるのだが…
加えてバーナード・サムナーの奏でるギターの音色、スティーヴン・モリスのリズム マシンを思わせる無機的なドラミング。マーティン・ハネットが施した音響トリートメントが見事に功を奏している。
ハネットの音響プロデュースを独占出来たこと、デビューアルバムのジャケット デザインの信じられないオリジナリティ、等々を思う時、JOY DIVISION は単にラッキーなだけのバンドだったのか ? といった素朴な疑問は当然、起こる。
しかし、このデビュー アルバムを体験すれば、そうした疑問を払拭して余りある完成度に驚かされるだろう。硬質なドラムの響きで幕を開けるオープニングの 「 Disorder 」 から、ロック的な快感原則にあまりにも忠実な 「 She’s Lost Control 」 「 Shadowplay 」 と、まさに聴くことを止められない脅迫的な 40 数分間が続く。
ところが、当の主役であるピーター・フックとバーナード・サムナーは “ 暗過ぎて、とても楽しめない。こんな暗いアルバム、誰も聴きやしない ” と思っていたというのだから面白い。世界でたった二人だけが、このアルバムを気に入らなかったわけだ。ただ、この暗さはイアン・カーティスの持つ資質に起因するところが大きい。演奏だけを取り出してみると、ちょうどパンクの嵐が沈静化し、ニューウェーヴの萌芽が垣間見られる正にその端境期に現れたバンド ということが良く分かる。
1978 年 1 月、ジョニー・ロットンはセックス ピストルズの空中分解に際して “ ロックは死んだ ” と発言したが、そのマニフェストによって荒涼とした原野に置き去りにされた殉教者たちが、このアルバムに救いを求めたのは当然の帰結だった。


1980 年 5 月 18 日 月曜日 イアン・カーティス 急逝

内省的な歌詞を書きヴォーカルを担当していたイアン・カーティスが、初のアメリカ ツアーに旅立つ前日、栄光の日々を目前にして、わずか 23 歳で急逝。持病の癲癇の悪化や鬱病、大量の投薬による情緒不安定 ( イアンのステージにおける独特なアクションやダンスは明らかにこうした症状の上に成り立っている ) 、イアンと妻のデボラそして彼と交流のあったアニーク・オノレ ( アニック・オノレ との記載もあり )との三角関係、等々が理由とされている。彼の最期の言葉は “ 最初から死んでいればよかったのに。今、この瞬間にも、そう思える。これ以上無理 At this very moment,I wish I were dead.I just can’t cope anymore.”
イアン・カーティスは、Q 誌の選ぶ歴史上最も偉大な 100 人のシンガーにおいて第 88 位。

ヴォーカリストを失ったメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決意。ただし、イアンの生前に全員で結んだ “ JOY DIVISION の名前でのバンド活動は、メンバーが一人でも欠けたら行わない ” という約束に基づき、ナチスの掲げた新体制 New Order をその名に冠した。
残されたメンバーの苦闘の歴史は、そのままエレクトロニクス ポップの歴史でもある。

New Order は 1983年、盟友の死を悼んで、彼の自殺した月曜日をテーマに 「 Blue Monday 」 という作品を発表、改めて追悼の意を表した。フロッピー ディスクを模したジャケット、デジタル ビートを強調したダンサブルなエレクトロと無表情なヴォーカルが特徴的なこの作品は、史上最も売れた 12 インチ シングルとされており、流通のスタイルが激変した今日、この記録が破られることはないだろう とも言われている。当時、いわし亭もジム・フィータスの 「 CALAMITY CRUSH 」 とともにヘヴィローテーションした一枚だ。


渋谷陽一がホストを務めた NHK - FM サウンドストリートの国内未発売洋楽リクエストで、一曲目にオンエアされた『 CLOSER 』 のオープニングタイトル 「 Atorcity Exhibition 」  のインパクトは絶大だった。曲名は J.G.バラッドの著作 『 残虐行為展覧会 』 から取られているが、デ・ヌールの著作にも 『 Atorcity ( 愛と虐殺 ) 』 がある。

輸入レコード店に足繁く通うようになった当時のいわし亭は、愛読していた FOOLS MATE の Special Stock part2 ( Vol.15 1981 年 1 月 25 日号 ) で読んだ森田一義氏の JOY DIVISION と BAUHAUS の記事を想起し、『 CLOSER 』 の購入を決めた。森田氏の原稿で印象的だったのは、イアンの自殺からまだ一年も経ていない時期の記事でありながら、イアンの自殺をことさらセンセーショナルに取り上げなかったことである。

“ イアンの死は、非常に個人的なことだ。故に、その原因を我々が知る必要はない。では、我々はそれをどのように理解すればいいのか。それは娯楽と理解すべきだ。人食いという娯楽に、イアンは肉体を提供しただけだ ”
今日、再度原稿を読み返してみても、その指摘の的確さは見事である。


『 CLOSER 』

1.Atrocity Exhibition
2.ISOLATION
3.Passover
4.Colony
5.A Means To An End
6.Heart And Soul
7.Twenty Four Hours
8.The Eternal
9.Decades








アルバムのオープニングに配置されたあまりにも印象的な 「 Atorcity Exhibition 」は、『 CLOSER 』 のジャケットに描かれたシーンの B.G.M.のように聞こえる。チェーンソウのような唸りをあげるバーナード・サムナーのギター、呪術を思わせるピーター・フックのベース、ノミを打ち込むように鋭いスティーヴン・モリスのドラム。そして、闇の奥をのぞき見るイアン・カーティスのヴォーカル。さらに、全体を貫くのは、プリミティヴな躍動感に満ちた邪教的な気配である。
ロック バンドとしては実にオーソドックスなカルテットでの演奏にもかかわらず、レーベル メイト(The Durutti Column、Happy Mondays、Orchestral Manoeuvres in the Dark、A Certain Ratio、等々 ) や当時ファクトリー レーベルに並ぶもう一方の雄 4AD ( BAUHAUS、Cocteau Twins、Dead Can Dance、等々 ) といったレーベルのバンドとも、何かが決定的に違っていた。


本作においてもレコーディング システム A.M.S.の効果は絶大で、リズムを強調したダブ由来のサウンド処理は、正にこの後、’80年代を席捲するディスコ ≒ ニューウェーヴの先駆けとも言える音色を獲得している。これはイアンがもたらした圧倒的な闇の世界観とは真逆のサウンド メイキングとも言え、この相反する二つの性格がまるで “ 天国と地獄の結婚 ” のように違和感なく成立しているところに JOY DIVISION の特殊な立ち位置がある。
優れた作詞家を失って、残された三人が再スタートを考えた時、このディスコ ≒ ニューウェーヴ路線を拡大する方向性を選択したのは言わば必然であった。

実際、いわし亭もまずこのダンサブルなサウンドに魅了された。大学時代に大阪ミナミのディスコに行った際もすでに New Order にシフトしてかなりの時間が経っていたにもかかわらず、敢えて JOY DIVISION をリクエストした程だ。歌詞カードがなかった関係で、いわし亭がイアンの詩の世界に触れたのはややあってからだった。その意味では、メンバーがイアンの詩についてあまり気にとめていなかった というのと似たような状況だった とも言える。

バーナード・サムナー : “ 僕らは彼の詞に耳を傾けたことはなかった。それはとても奇妙なことだ… 自分たちの演奏に必死だったんだ。理解しようとしたけど、ついていくだけで精一杯だった ” 
スティーブン・モリス : “ そこにはたしかに多くの感性が宿っていたけど、当時は、彼は自分の仕事をしているってことにすぎなかった。彼は作詞家だった。歌詞にはドラムを叩くことより意義があるのも事実だけど、それも仕事の一環だったんだ ” 
ピーター・フック : “ 結局は、僕は自分の仕事にあまりに没頭していたから、彼が日常は言わなかった何かを必死で僕らに伝えようとしていたことに気付かなかった ”

アルバム自体はジャケットのデザインも含めて、イアン・カーティスの急逝より前に完成しており、正に痛恨の遺作となった。“ イアンの自殺を売り物にした ” といった一部のメディアの批判は全くの的外れである。
全英アルバム チャート最高 6 位 。1980 年末にニュー ミュージカル エクスプレス誌の特集で年間最優秀アルバムに選出されている。

「 LOVE WILL TEAR US APART 」

2002 年のニュー ミュージカル エクスプレス誌において、ロック史上最高のシングル曲に選定された JOY DIVISION 最大のヒット である ( 1980 年 5 月 英シングル チャート最高 13 位 )。 

検索してみるとすぐ分かるが、The Swans、THE CURE 、Arcade Fire & U2、David Bowie、等々かなりの数のカヴァー ヴァージョンにヒットする。驚かされるのは、イギー・ポップとバーナード・サムナーのコラボレーションだが、彼らのような大物アーティストですら無視できない何かが、この曲の中には見つかるのだろう。

一聴、すぐさまイアンの自殺と結びつけて解題することは簡単だ。確かにかなり深刻な内容が盛られた問題作ではある。しかし、歌詞はただの音であるというイアンの姿勢から、メンバーでさえ、これを彼の心情吐露とは考えなかったという。

ピーター・フック : “ 「 LOVE WILL TEAR US APART 」 は 3 時間で書き上げた。ある夜、僕らがあのリフを思い付くと、イアンが言ったんだ < 僕にアイディアがあるんだ > って。彼が目の前で歌ってくれた時、僕らはあれがデビーとアニークについてのものだとは思わなかった。ただこう思ったんだ。なんて素晴らしい曲だ。 いいぞ、イアンがまたやってくれた、って ”


イアンの極めて私的な心の葛藤をモチーフとしたこの作品は、“ 愛は、またしても僕たちを引き裂く ” という逆説的なリフレインを繰り返すことで、ラヴ ソングが文学にかわる瞬間を奇跡的に捉えている。
つまり、ここで歌われていることは、極めて個人的な私小説のような内容からスタートしているけれども、結果的に多くの人々の感情を揺さぶる普遍性を持っていた ということに他ならない。“ またしても  again ”  という単語には、このことは何時でも、誰にでも、何度でも 起こりうる という哀しい予感が込められている。< 愛 > ゆえに引き裂かれていく家族や恋人、友情や人間関係、社会関係からの隔絶、あるいは諦め、手離されていく野心や様々にわき起こる感情。そうしたものが、象徴的なキーワードによって、綴られている。

楽曲はバンドの演奏がどこまでも登りつめていく高揚感の中、コーダを迎える。最後のシングル曲を歌い終えたヴォーカリストの魂を残された三人の JOY DIVISION が天上の高みにまで誘うイメージは、正にレクイエムの様でもある。


When routine bites hard          日常がつらくなり
and ambitions are low           野心も消え失せて
And resentment rides high         怒りが高まっても 
But emotions won't grow          感情がついてこない 
And we're changing our ways,       僕たちはやり方を変え
taking different roads          別の道を歩み始める
Then love, love will tear us apart again 愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again    愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Why is the bedroom so cold        なぜ寝室はこんなに寒いのか
You`ve turned away on your side.     君は背を向けて眠る 
Is my timing that flawed?         僕のせいでひびが入り
Our respect run so dry.          尊敬し合う心も乾くけど
Yet there's still this appeal that    まだ惹かれているから
We've kept through our lives       僕たちは共に暮らしている
But love, love will tear us apart again  けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again    愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く 
You cry out in your sleep         君は眠りの中で叫んでいる
All my failings exposed          僕の失敗をことごとく暴露した
And there's a taste in my mouth      口の中に苦味が残る
As desperation takes hold         自暴自棄に陥ると
Just that something so good just     うまくいっていたことが それ以上機能できなくなる 
can't function no more. 
But love, love will tear us apart again  けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く


2012年、ニュー ミュージカル エクスプレス誌の 『 ソング ストーリーズ 』 シリーズで、インタヴューに答えたピーター・フックは、以下のように語った。
“ ( 「 LOVE WILL TEAR US APART 」 の歌詞が ) あまりに刺々しくて、悪意に満ちていることに衝撃を受けた ” “ これは性急に書かれた曲だったんだよね ” “ 正直言って、この内容に踏み込んで分析してみたのは、自分で歌うようになってからなんだけど ” “ この曲が自分に向けて書かれたものだったら本当に嫌だなあと思うよ ”

 

アートワークは例によってピーター・サヴィル。「 LOVE WILL TEAR US APART 」 のジャケットでは、イタリア ジェノヴァのスタリエノ墓地にある彫刻 ( 写真右 ) が使われているが、デザイン自体はイアンが亡くなる前から決まっていたという。

故郷マンチェスター郊外にあるマックルズフィールド セメタリーに埋葬されているイアンの墓石には “ IAN CURTIS ” “ 18-5-80 ” “ LOVE WILL TEAR US APART ” と刻まれている。
この墓碑銘を選んだのは、他ならぬイアンの妻 デボラである。

デボラはイアンのデボラへの愛がイアンに自殺を選択させ、そのことでアニークや JOY DIVISION との関係を断ち、イアンが自分の許にやっと帰ってきたことを実感したのではないだろうか。
あるいは、イアンの自己愛がデボラをも含めたあらゆる関係との決別を意図して、自殺を選ばせた と考えたのかもしれない。しかし、それではあまりにも哀しすぎる。

“ 無理からぬことだが、この歌詞はメディアには、うまく行かなかった恋愛関係についての歌であると解釈された… 
火葬場で、私が墓石に刻むために選んだ語句をロブ・グレットン ( JOY DIVISION のマネージャー ) に伝えた時、彼は茫然としたが、その言葉は変えるところはほとんどなさそうで、私が言いたかったことすべてを要約しているように思われた。
< 愛が私たちを引き裂いていく > という表現は、私たちみんながどのように感じたかをとてもうまく表していた ”
( デボラ・カーティス 『 タッチング フロム ア ディスタンス 』  より )

「 AtomosPHERE 」

葬儀の B.G.M.として非常によく使われるロック ナンバーの一つ。ピーター・フックは、ロビー・ウィリアムズの 「 エンジェルス 」  が結婚式で最も頻繁に使用される一曲であることに触れ、“ 本当に俺たちの方こそ 「 エンジェルス 」 を書きたかったなあ って正直、思ったりするよ ” と言うが、同時に 「 アトモスフィア 」 にもプライドを持っており、“ 自分の葬式でも、かけてもらうつもりだ ” と語った。

『 Substance 』

1.Warsaw
2.Leaders OF Men
3.Digital
4.Autosuggestion
5.Transmission
6.She’s Lost Control ( 12 Inch Version )
7.Incubation
8.Dead Souls
9.AtmosPHERE
10.Love Will Tear Us Apart
11.No Love Lost
12.Failures
13.Glass
14.From Safety To Where
15.Novelty
16.Komakino
17.These Days

JOY DIVISION はディスコを想定したロングヴァージョンの12インチ シングルを数多くリリースしているが、彼らはオリジナル アルバムにシングルを収録しない方針だった。従って、これらの収められたベスト盤は別の意味で重要なアイテムである。
なお、同タイトルで1987年までの New Order の軌跡をたどったものもある。 






JOY DIVISION に関するブログとしては “ 愛語 ” がある。これ以上の分析を施したサイトをいわし亭は寡聞にして知らない。多方面にかつ詳細に、まとめられた素晴らしいサイトであり、この記事のデータはそのほとんどをこのブログとドキュメンタリー映画 『 ジョイ ディヴィジョン 』 、未亡人となったデボラ・カーティスの著した 『 タッチング フロム ア ディスタンス 』 から得ている。感謝と敬意を表したい。


<関連記事>
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今日はイアン・カーティスの 35 回目の命日。ジョイ・ディヴィジョン全曲が披露される!( 2015.5.18 )











2014年4月18日金曜日

灰野敬二 ~ 魂の司祭 サンヘドリン大阪に降臨/インプロヴィゼーション ( 即興音楽 ) とは何か?

インプロヴィゼーション ( 即興音楽 - 灰野敬二は “ インプロヴィゼーション ” という言葉を嫌うことで有名ではあるが、ここでは一般的な記号として普及している呼称を用いることとする。ご容赦いただきたい ) というと、誰にでも出来る出鱈目 と概ね曲解されていて、もちろん世の中にはそういう勘違いも含めて即興の中にカテゴライズされるものは沢山ある。ただし、リアルタイムの即興の中で、鑑賞に値する音楽を生み出すには恐るべき自己鍛錬と強い精神力、継続的な演奏を支える体力や手癖に陥らない技術が必要だ。
それゆえにインプロヴィゼーションの時空間の中で、演奏家にかかる負荷は尋常ではない。
さて、灰野敬二である。


2014.3.20 サンヘドリン @心斎橋CONPASS


インプロヴィゼーションというフィールドにおいて、極北を行くギタリストこそが灰野敬二である。そして彼が恐るべき集中度で放射する音塊に、瞬時に対応できるスキルを達成している吉田達也 ( ドラム )、ナスノミツル ( ベース ) の最強超攻撃的リズム セクション。これがロック トリオ “ サンヘドリン ” である。頭痛薬と間違えそうなこの名は、ローマ帝国支配下のユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織に由来する。そのポテンシャルは、極端な話、灰野敬二のパーマネントなグループ “ 不失者 ” をも上回っているのでは!? と思える瞬間さえある。

インプロヴィゼーションとはしごく簡単に言えば、作曲と演奏を同時に行うことだ。
そのプロセスをもう少し説明すると、意識を集中した即興音楽家に、次に鳴らすべき音が降りてくる。即興音楽家はそのインスピレーションを具体的な音響へ変換するために最適なコードやフィンガリングを瞬時に選択していく。ある意味、これは空間を飛び交う電波を受信し、映像へと変換する TV アンテナとモニターの関係に似ている。アンテナやモニターの能力が不十分であれば、歪んだ見づらい映像しか得られない。勘違いの許に提供されるインプロヴィゼーションのほとんどは、このノイズの多い映像なのだ。
即興演奏家はインスピレーションを正確にトレースするためにテクニックやスキルを磨き上げる。そのレベルが高いほどトレースの精度も上がる。逆に言えば、インプロヴィゼーションは降りてきた音を再現するテクニックやスキルに上限があるほど、つまらないものになる。つまらないとは、要するにどの視点においても評価するに値しない ということだ。誰にでも出来ると思われている出鱈目は、このレベルに留まっているから、つまらないのである。


もちろん灰野敬二は、自分がこれから出そうとしている音について全て分かっているし、同じ演奏を何度でも再現できる。それは、プロ棋士の感想戦において、何手目かの盤面を即座に再現できるプロ棋士の記憶力に驚嘆させられるのと同じレベルの技術である。アマチュアにもプロフェッショナルを凌駕する瞬間がないとは限らない。しかし、アマチュアはその瞬間を再現できないがゆえにアマチュアなのである。
また、音響化のための体力も尋常でない。音に対する感覚を研ぎ澄まし、降りてきた音を正確に再現するためには、想定外の奏法をいくつも要求されるかもしれないし、手癖に堕したメロディなどはお呼びではないからである。
インプロヴィゼーションにリハーサルがあるとも思えない。リハーサルを経た音楽は二度目の演奏と言うことになり、生き生きした感覚を著しく失うだろう。バンドのメンバーはあくまでも個人練習のレベルで、技術を高め、それぞれが演奏の場にやって来て、現場では正に試合をやる様に、その場その場の展開に応じ、臨機応変に音を出していく。

灰野敬二が動機を与える。その時間、その場所に到るまでの、感性・緊張感・体調など一期一会の様々な要因が動機に反映される。それに即応して、ドラム パート ベース パートも動く。いわゆるコード進行を基底において行うジャズのインプロヴィゼーションでもなく、またそうした制約すらも解き放ったフリー ジャズほどアヴァンギャルドでもなく、正にこれはロックのフィールドにおけるインプロヴィゼーションなのだと思わされる。
フリー ジャズの場合、音の一つ一つの凄味がもたらす一瞬のインパクトは素晴らしいのだが、初めてこうした音塊に接した時、どのように聴けばいいのか分からなくて、戸惑わされることがある。サンヘドリンの演奏では、凄まじいギター サウンドにドラムとベースがフレームを与えることにより、ここで鳴らされている音は限りなくロックに近づいていく。画家が描こうとする風景を親指と人差し指で作った窓で決めていく様に、ドラムとベースがギターの音塊からフォーカス ポイントを切り取って、リスナーにガイドラインを提示してゆく。結果として、ここで生まれたインプロヴィゼーションは高い緊張感と耳を奪う音塊の連続で、その場にいる者を終始圧倒し続けた。これは紛うことなくロックの音だ。
単なる手癖の産物ではない、湧き出ずる泉のような創造の連続は、おそらく提示する側にも相当の心理的肉体的軋轢を負荷すると思われ、毎回これを完走してのける灰野敬二と言う人物が常日ごろ、如何にストイックな生活を自らに強いているのかが伺われた。正にインプロヴィゼーションの鉄人である。


灰野敬二は演奏している姿が美しい。痙攣気味に震えながら、ギターの弦をかき鳴らすそのフォルムは、正に音楽の真相、深淵に奥深く分け入ろうとしている学究者のそれであり、立っているものが全て倒れた後も屹立し、恐るべき求心力で我々の耳を捕まえ続けるのだろう。
灰野敬二の演奏を聴くことは、正に即興演奏家が降りてきた音をとらえ、それを音楽として編み上げていくプロセス、音楽が生まれ出る瞬間に立ち会うことである。
原始地球でどのような段階を経て、生命が誕生したのか? その秘密を解き明かすかのように、人間と音楽の原初的な関わりにおいて、音楽が生成されてくる様子をまざまざと見せつけられるこの実験室のような場所は、正に神の司る空間に等しいとさえ思える。





『 IN THE WORLD 』

灰野敬二がDJとして活動すると聴いた時は、にわかに信じられなかった。しかし、灰野敬二の中の埋蔵量の一端が開示されるのであれば、こんなに嬉しいことはないと、その完成を心待ちにしていたのだが、ついに登場の “ experimental mixture ” 初のオフィシャル作品は、なんと3枚組の大作アルバムとしてドロップされた。
それはカントリー、ヒップホップ、クラウトロック、サイケ、プログレ、エレクトロニカ、アフロ、ジプシー、ジャズ、バロック、クラシック、ハードコア、ロック、ポップス、ノイズという全ての音楽ジャンルに加え、ケルト、アイヌ、チベット、ネイティヴ アメリカンなど世界中の民謡、民族音楽さえ含む、トータル5時間に及ぶ音源からカットアップ、パズルのように組合わされた音響万華鏡であった。
これはもはやジャンル、国境を越えて、歴史、宗教、文化、人種… 地球の万物全てを包み込んでしまう超重量級の事件である。

DISC 1: 7 tracks ( 48分 )
DISC 2: 8 tracks ( 60分 )
DISC 3: 5 tracks ( 42分 )


灰野敬二インタヴュー by OTOTOY ~ 灰野敬二がDJ名義として初音源をリリース!?

まぶしい いたずらな祈り~不失者 2DAYS @難波 ベアーズ 2012 年 9 月 20 日







2014年3月21日金曜日

ワイルドサイドを歩け~追悼 ルー・リード 




Photo: Theo Wargo/Getty Images
10月3日 ニューヨークにて撮影
ルー・リード、逝去。享年71歳
2013.10.28 RO69 ( アールオーロック ) 

ルー・リードが10月27日に亡くなった。71歳だった。詳しい死因は明らかにされていないが、リードは長年肝臓の病気を患い、今年5月には肝臓移植手術も受けていた。


また、リードの妻のローリー・アンダーソンは今年6月に 「 The Times 」 誌の取材に対し、リードの健康状態が深刻な状態にあることを明かしていた。


ルー・リードは1964年にザ ヴェルヴェット アンダーグラウンドを結成し、『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド アンド ニコ 』、『 ホワイト ライト/ホワイト ヒート 』、『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド ( Ⅲ ) 』、『 ローデッド 』 の4枚のオリジナル・アルバムをリリース、後のロック シーンに多大なる影響を与えた。


1970年にバンドを脱退した以降はソロ アーティストとして活躍し、1972年のソロ デビュー作 『 ロックの幻想 』 以降20作のスタジオ アルバムをリリースした。2011年にはメタリカとのコラボレーション アルバム 『 ルル 』 も発表した。


ルー・リードが書いた最も有名な曲の中には “ Walk On The Wild Side ” や “ Perfect Day ” といったナンバーがあり、多くのアーティストによって繰り返しカヴァーされている。 



ジョン・ケイル、ルー・リードへの追悼メッセージを発表
モリッシー、ルー・リードへの追悼文をファンサイトに掲載
ジョン・ケイル、デヴィッド・ボウイ、モリッシーら、多数のミュージシャンがルー・リードを追悼
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“ ’70 年代のロックは、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの精神とイギー・ポップの肉体によって出来上がっている ”


かつていわし亭が読んだ最も説得力かつインパクトのあった文章の一つである。まったくもって納得の名言なのだが、今、ネットで検索してもこの言葉は出てこないから、誰かのエッセイか何かで読んだのだろう。

ロック史を紐解く時、良きにつけ悪しきにつけ、必ず登場するバンドがこのヴェルヴェット アンダーグラウンドだ。ヴェルヴェット アンダーグラウンドは、“ ローリング ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な 100組のアーティスト ” において第 19位。ルー・リード自身は “ ローリング ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な 100人のシンガー ” において第 62位。’67年発表のデビュー アルバム 『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド & ニコ 』 は 『 ローリング ストーン 』 誌が選んだ “ オールタイム グレイテスト アルバム500 ” で13位。


同業者であるミュージシャンから最大級のリスペクトを集めるミュージシャンズミュージシャンと言ってもいいルー・リード。
彼はシラキューズ大学でジャーナリズムと詩を専攻し、ビートニク タイプの詩人デルモア・シュワルツのゼミで、T.S.エリオットやジェイムズ・ジョイス、リルケ、イエーツらの詩人に学んでいる。後の内省的な作風のルーツはこの辺りにありそうだ。
’63 年、大学を中退したリードはニューヨークに移り、職業ソング ライターとしてのキャリアをスタートさせたが、それは決して恵まれたものではなかった。翌年、現代音楽の勉強のためにアメリカにやって来た英国ウェールズ出身のジョン・ケイルと出会う。この出会いこそ、ルー・リードが亡くなるまで続く長い愛憎劇の始まりであり、そこから引き起こされた前代未聞の化学反応こそがヴェルヴェット アンダーグラウンドという特殊なロック バンドの母胎となる。

ヴェルヴェット アンダーグラウンドは自身が取り上げたテーマの反社会性に較べ、参加したメンバーが意外にも長命であり、ルー・リード 71歳での逝去はむしろ大往生ではないかと感じる。現在すでに彼岸に旅立っているのは、ギター、ベース、コーラスを担当したスターリング・モリソン ( Sterling Morrison ’42年 8月 28日 - ’95年 8月 30日 非ホジキンリンパ腫により53歳で死去 )。 彼はルー・リード、ジョン・ケイルと共に結成時より参加し、’71年脱退。そしてニコ ( NICO ’38年 10月 16日 - ’88年 7月 18日)。歌手、女優、ファッションモデルであった彼女の本名はクリスタ・ペーフゲン ( Christa Päffgen )。『 Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー 』 において第80位。その歌声は下水管が立てる音を思わせるとの評価がある。

追悼声明を発表したジョン・ケイル ( John Cale ’42年3月9日 - ) は、ヴィオラ、ヴァイオリン、ギター、ベース、ボーカル、作曲を担当した。アヴァンギャルドへの嗜好性はルー・リードよりも顕著で、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの特異な音楽性は彼のイニシアティヴによるものが大きい。’68年リードとの対立から脱退し、以降はソロとして活動する。彼は脱退後、イギー・ポップ アンド ザ ストゥージズのデビュー アルバムをプロデュースすることになるのだから、何とも面白い巡りあわせではある。
モーリン・タッカー ( Maureen Tucker ’44年8月26日 - )  ドラムス、コーラス。メンバー唯一の女性であるが、性差が全く読み取れないそのルックスは、バンドに非常に不可解な印象を与えた。アフリカン ドラムへの興味から、ノーマルなドラム セットやスティック、キック ペダル、さらにシンバルさえもほとんど使用しない独特のドラミング スタイルを確立した。このユニークなドラミングが、ヴェルヴェット アンダーグラウンドに与えたある種、エスニックなあるいは邪教的な印象は、このバンドのイメージに寄り添うものだ。
こうして、見ると実はヴェルヴェット アンダーグラウンドは、ルー・リードに留まらず、意外や意外、相当にユニークなミュージシャンの集合体であったことが理解できる。

アンディ・ウォホールが意図した音楽・映像・ダンス・ハプニング・アヴァンギャルド・電気・照明・聴衆といったノー ボーダーなアートのマルチメディア イベント “ エクスプローディング プラスティック イネヴィタブル ” での演奏をきっかけに、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの周辺には様々なタイプの人間が集まり、このバンドは彼らにとっての実験場のような性格を有していった。
デビュー アルバムが多くの人々の介在を許しながらも、特殊な音楽性と危うい前衛性が抜群のバランスの上でかろうじて留まっていたのは、やはりルー・リードのセンスの賜物だろう。

 

ロックに興味のない人でも、一度は目にしたことがあるはずのもはやアイコンと化したアートワーク。いわし亭がアナログ時代に購入したジャケットでは、バナナがステッカーになっており、←ゆっくりめくって、見ろ と印字され、で、本気にしてこのバナナの皮をめくると、赤紫色の実が出てくるという秀逸なアイディア ( 現在の CDジャケットではどうなっているのだろうか? ) は、正にアンディ・ウォホールそのものだ。実際には、ヴェルヴェット アンダーグラウンドにとって、アンディ・ウォホールという鳴り物入りの惹句こそが後々まで足枷になっていくのだろうけれども…
加えて、道端に落ちていたペーパーバックのSM小説のタイトルから命名されたバンド名通り、「 毛皮のヴィーナス 」 ( レーオポルト・フォン・ザッハー = マゾッホのマゾヒズム小説のタイトル ) であったり、 「 僕は待ち人 」 ( 僕とはドラッグの売人または男娼のこと ) であったり、そのものずばりの 「 ヘロイン 」 など、このデビュー アルバムには麻薬中毒、妄想、性的逸脱行為など、当時タブーとされていたテーマが多数取り上げられていた。
ロックを聴いていく上で、ノーマルなテイストではなく、異常なものに好奇心をそそられるといった下世話な感覚において、ヴェルヴェット アンダーグラウンドという呼称は、十分過ぎる説得力を持っていたと言える。

ヴェルヴェット アンダーグラウンドは商業的な成功には恵まれなかったとされているが、結果として21世紀の今日までに、デビュー アルバムを 40万枚 ( 発表から 20年後の 1988年時点 アメリカ国内に限る ) 売っている。

様々な人々の思惑を反映したデビュー アルバムに対し、ルー・リードとジョン・ケイルのむきだしの軋轢は、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの孤高のスタンスをさらに極めたかのようなノイズ ミュージックの元祖ともいえる騒音に満たされたセカンド アルバム 『 ホワイト ライト ホワイト ヒート 』 に結実した。アルバムのラストに配置された 「 シスター レイ 」 はほとんど何を歌っているのか分らない混沌としたノイズを延々 17分にわたって無反省に放射し続ける。
ジョイ ディヴィジョンは、ライヴでこの曲を定番として演奏おり、イアン・カーティスが亡くなった後、まとめられたアーカイヴ的な二枚組アルバム 『 Still 』 のライヴ盤にも収録されている。またジギー・スターダスト時代のデヴィッド・ボウイも 「 ホワイト ライト ホワイト ヒート 」 をカヴァーした映像を残している。

一般に喧伝されるヴェルヴェット アンダーグラウンドのイメージはこの 二枚に集約されており、ジョン・ケイル脱退後の 『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド 』 (いわゆる 『 Ⅲ 』 )、そして最後のアルバム 『 ローデッド 』 では、ルー・リードの内省的なサウンドがフィーチュアされ、音楽的にもメロディアスで豊饒なものへと変化した。 『 ローデッド 』 に至っては、後のルー・リードのライヴでも定番になっている 「 スウィート ジェーン 」 や 「 ロックンロール 」 などが収録されており、もはや彼のソロ アルバムに近いニュアンスになっている。

ロックの歌詞が、見てはならない精神の暗黒面を炙り出し、矛盾に満ちた社会の裏側を描き、隠花性植物のように地下世界に蠢く住人たちを活写する時、その歌詞は単なるロックの無意味な絶叫をはるかに飛び越えて、高い芸術性を獲得したのだ。これは、米国の文学史的な脈絡の中で語られる詩人としてのボブ・ディランあるいはジム・モリソンに勝るとも劣らない事件であり、それはロックを文学作品として、鑑賞に堪えうるもの、論ずるに足るものへと昇華したのだ。
だからこそ、訳詞にはもう少し配慮すべきなのだが、現在、レコード会社が用意したそれは、あまりにもお粗末である。例えば、村上龍や遠藤ミチロウ、伊藤比呂美、大槻ケンジらがニュアンスとオマージュで試みた新しい表現としてのロックの訳詞はその意味で重要だ。
思潮社からロック オリジナル訳詞集として 『 水晶の扉 ( ドア ) の向こうへ 』 『 魔法の鏡のなかへ 』 『 僕にはこう聴こえる 』 の三冊が上梓されている。ところがこの三冊は、ルー・リード ( あるいはヴェルヴェット アンダーグラウンド ) を扱っていないから、やはり相当手強いのだろう。

ヴェルヴェット アンダーグラウンドの評価は今日に至るまで、高まり続けている。しかしルー・リードにとって、ヴェルヴェット アンダーグラウンドのフロントマンであった5年足らずの期間は、その長いキャリアの一部でしかない。ルー・リードはヴェルヴェット アンダーグラウンドが解散した後も、バンドが対象化したテーマを重視し、その精神はルー・リードの中に受け継がれ、生き続けた。しかしルー・リードはそこからさらに歩みを進め、その表現領域はニューヨークという言葉に収斂される様々なモーメントへと拡大していった。ニューヨークこそ、あらゆる表現芸術のメルティング ポットであり、ロックそのものの具象であったとも言え、それを見据えたルー・リード自身もまた強靭な胃袋で様々な素材を消化していった。

ルー・リードの魅力は、こうしたあらゆるタイプの音楽に柔軟に対応できるキャパシティの大きさにある。その証拠に、ルー・リードの事実上のラスト アルバムは、2011 年に発表されたヘヴィ メタルの雄 (!) メタリカとの共演盤 『 LULU 』 なのだ。
ルー・リードがなぜ、ミュージシャンズミュージシャンなのか。その答の一つがここにある。


いわし亭がルー・リード作品で括目したのは、当時、誰も追いつけなかった、今現在ならノイズ ミュージックの金字塔として容易にカテゴライズされるであろう 『 METAL MACHINE MUSIC 』 である。原題も意味深だが、邦訳タイトル 『 無限大の幻覚 』 もなかなかのセンスである。この作品、後にルー・リード自身 “ 洒落だった ” と弁解するに至って、大きくスカされた感満載なのだが、それにしても彼のギターとの格闘を収めたこのアルバム、意外や意外、面白いのだ。
現在ではシンセサイザーやコンピュータのループで大した労力をかけず、宅録レベルでお手軽スロービングって感じで、正に無限にノイズを垂れ流すことが可能だが、当時、この人智を遙かに越えた重労働をルー・リードは、ギターのフィードバックを駆使することで根気強く行っている。いくら、彼自身が “ 洒落 ” の一言で済まそうとも、音そのものは屹立して、その存在感を主張しているのだから、何とも始末が悪い。
ヴェルヴェット アンダーグラウンド自体、フィードバック ノイズに満たされた作品を量産しており(
セカンド アルバム 『 ホワイト ライト ホワイト ヒート 』 )、これもその派生作品の一つと考えることも可能だ。ところが、こうした前衛的なサウンド デザインは主にジョン・ケイルが担っていたと考えられていたから、ルー・リードのファンにしてみれば相当なショックだったろう。


そもそも、ソング ライターとしてメジャーな位置にいたルー・リードが ’60年代まで米国二大レコード会社の一角であった RCA レコードからこうしたアルバムを発表したこと、それ自体のインパクトが物凄かった。当然のことながら、ギター ノイズに埋め尽くされたアナログ LP 2枚組 片面すべてを使って収録された全4曲の作品は全く理解されなかった。もちろん、リリース即廃盤 ( 笑 ) の憂き目にあい、’75 年当時は逆に相当なプレミアムが付いてしまうという皮肉な扱いがされていたのだ。
いずれにしても、好き × 嫌い といった単純な二元的評価を越えた超問題作である。


いわし亭がルー・リードに対して最も評価しているのはルー・リードの声質とその独特な歌唱法だ。現代であれば、ラッパーとしても通用しそうなその歌唱法は、実にユニークであり、同時にその喉は、ジム・クロウチを思わせる。まるで、カントリー&ウエスタン出身の歌手を思わせる渋さである。
甲斐バンドの 「 新宿 」 が 「 ワイルドサイドを歩け 」 と酷似していることは、誰の耳にも明らかなのだが、これは
むしろパンク ロックやオルタナティヴ ロックの開祖のように言われているアーティストが、実はその音楽性において相当にポップな側面も持っていたという証左に他ならない。

メロディの起伏に乏しくアレンジも極めてシンプルな 「 ワイルドサイドを歩け 」 があれほどに魅力的な楽曲に仕上がっているのは、ルー・リードの声質の魅力によるところが大きい。

いわし亭が唯一、見ることが適ったルー・リードのステージは ’90年 7月 30日 大阪フェスティバルホール。二階から見下ろすように恐ろしく遠いステージを恨めしく眺めたライヴであった ( フェスティバル ホールのこの縦長の構造は相当な問題で、どこから見てもステージが遠い。何とかならんのか ) 。ヴェルヴェット アンダーグラウンドのオリジナル メンバーであったモーリン・タッカーが、パーカッション ~ ドラムというイメージには程遠かった を担当しており、いわゆるヴェルヴェット アンダーグラウンド テイストの垣間見える瞬間が何度もあった。

’90年7月30日 大阪フェスティバルホール  セットリスト

01. Romeo Had Juliette
02. Halloween Parade
03. Dirty Blvd.
04. There Is No Time
05. Last Great American Whale
06. Beginning OF A Great Adventure
07. Busload OF Faith
08. Xmas In February
09. Strawman
10. Dime Store Mystery
11. Doin‘ The Things That We Want To
12. One FOR My Baby, One More FOR The Road
13. I Love You, Suzanne
14. Tell It To Your Heart
15.  Nobody But You
16. Street Hassle
17. Video Violence
18. The Original Wrapper
19. Walk On The Wild Side

-アンコール-
20. Sweet Jane


『 New York 』で 2曲の客演があるとはいえ、’80 年代をほぼ主婦として過ごしていたモーリン・タッカー。しかし、本当に大丈夫なのか ( 笑 ) との不安はあっさりスキップされ、彼女のアフリカン ドラムとルーのギターの絡みに、ヴェルヴェット アンダーグラウンド マジックが現出し、オリジナル メンバーを二人も見れたという精神的な満足感も伴って、それはそれは、幸せな瞬間であった。 7月 27日の NHK ホールでは、“ クソババアー ! ” という心温まる野次 ( 笑 ) が飛んだという。

それにしてもと思うのだ。
ルー・リードの訃報に接する約一週間前、タワーレコードの販促キャンペーンで彼の旧譜が物凄く買いやすい状態になっており、それを見て以来、何故かずっと 「 ワイルドサイドを歩け 」 を鼻歌で口ずさんでいて、いわし亭の中でルー・リードのリピート率は異常に高かったのだ。虫の知らせと言うわけでもないのだろうが、今さらながらとても奇妙な感覚に陥る。

ルー・リードへの追悼の言葉に、“ 日曜日の朝 ” というフレーズが多くみられるのは、当然のことながら彼の亡くなったタイミングが日曜日の朝だったからで、ヴェルヴェット アンダーグラウンドのデビュー アルバムの一曲目に因んだものだ。本来、楽しかりしハズの日曜日の朝を

♪ 日曜日の朝
   すぐ後ろに

   浪費された年月がある ♪

と歌い始める自虐的な歌詞。ところが、そのメロディたるや、おそろしく甘美なのだ。実は、ヴェルヴェット アンダーグラウンドに対して、いわし亭が他の多くのリスナーほど退廃的なにおいをかぎつけていないことには、英語が良く分かっていない という事情が大いにある。メロディと印象的なフレーズだけでこのアルバムを聴いてきたいわし亭の歴史の中では、ヴェルヴェット アンダーグラウンドについて、喧伝されるイメージに程遠い印象が醸し出されて来たのもまた事実なのである。


ヴォーカロイドの初音ミクが、日本が世界に誇るキング オブ ノイズ~非常階段とコラボレーションした初音階段のアルバムで 「 サンデー モーニング 」 「 宿命の女 」を歌っている。ゼロ年代に入ってもはや10年以上が過ぎたにもかかわらず、’67年に発表された楽曲が今風の化粧直しを施されて見事に蘇っている。如何に楽曲の力が強いか ということだろうと思う。
もし、ルー・リードが今も元気に活動していたら、ルー自身が初音ミクとの共演を望んだのではないか と想像すると、また様々な展開が見えてくるようで、残念にもほどがある。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2013.10.28 
ルー・リードの急死にボウイ、ストロークスのジュリアンら多数のミュージシャンが追悼


10 月27 日に他界したルー・リードについて多数のミュージシャンが哀悼の意を表している。ルー・リードの死因などについてはまだ明らかにされていないが、ルーは今年の 5月に肝臓移植手術を受けていたことが伝えられていた。享年 71歳だった。

ミュージシャンからの追悼のコメントは以下の通り。


デヴィッド・ボウイ
R.I.P.( 安らかに眠れ ) ルー・リード。彼は師だった。( ルーとデヴィッド・ボウイのツー・ショット写真 )

ジュリアン・カサブランカス
ぼくのやっていることすべてについて、なぜやっているのか、その理由がルー・リードだ

ジョン・ケイル
世界は優れたソング ライターにして詩人を失った。ぼくは学校時代のダチを失ったよ

ベック
「 日曜の朝 」 ( ベックのザ レコード クラブによる 「 日曜の朝 」 のカヴァーの動画 )

ザ フー
R.I.P.ルー・リード。これからは穏やかなサイドを歩け

カール・バラー
さようならルー・リード。あなたには力をもらい、自分が弱い時の支えになってもらった

ピクシーズ
R.I.P.ルー・リード… 伝説の人

ネイサン・フォロウィル ( キングス オブ レオン )
R.I.P.ルー・リード

ジェラルド・ウェイ
R.I.P.ルー・リード

リー・ラナルド ( ソニック ユース )
R.I.P.ルー・リード。かけがえのない人だった

サブ ポップ レコード
「 日曜の朝 」 の嘆き。あまりにも惜しい。ルー・リード

ナイル・ロジャース
ルー・リード R.I.P.。去年、ジュールズ・ホランドのテレビ番組で共演して大笑いしたのに。病気だったとは知らなかったよ…

ウィーザー
R.I.P. ルー・リード。ヴェルヴェット アンダーグラウンドはウィーザーが結成した頃、大きな影響となって、リック・オケイセックにはその稀有な友情について聞かされたもんだったよ

パトリック・カーニー(ザ ブラック キーズ)
R.I.P. ルー・リード

アーヴィング・ウェルシュ
ルー・リードの訃報が悲しい。あれほどのスターが。R.I.P. ルー、映画 『 トレイン スポッティング 』 に 「 パーフェクト デイ 」 を使わせてくれてありがとう

トム・モレロ
ぼくをルー・リードとヴェルヴェット アンダーグラウンドに紹介してくれたのは、ジェーンズ アディクションのカヴァーだった。孤高の独特な才能だった。ルー・リード R.I.P.、そしてありがとう

ポール・エプワース
R.I.P. ルー・リード。たいした遺産を残したね。音楽のすべてとあなたが触発した人たちの音楽を含めてありがとう






『 NEW YORK 』

  01. ロミオ ハド ジュリエット
  02. ハロウィーン パレード
  03. ダーティ ブルヴァード
  04. エンドレス サイクル
  05. ゼア イズ ノー タイム
  06. ラスト グレイト アメリカン ホエール
  07. グレイト アドヴェンチャーのはじまり
  08. バスいっぱいの運命
  09. シック オブ ユー
  10. ホールド オン
  11. グッド イーヴニング ミスター ワルトハイム
  12. 二月にクリスマス
  13. ストローマン
  14. ダイム ストア ミステリー




ギター2本 ベース ドラム というシンプルな編成に立ち戻りながら、恐るべき求心力でリスナーをとらえて離さないルー・リード面目躍如の一枚。









2013年12月11日水曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ ついにやって来た一人ビートルズ。ポール・マッカートニーの 『 OUT THERE JAPAN TOUR 2013』 レポート!


第16回目 テーマ:ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう 第三回 コンサート編


フランシーヌ千里です。
2013 年も 1ヵ月足らずとなってまいりました。クリスマスとお正月が近くなってわくわくしますね!

さて、音楽放談はビートルズの第 3 回目。ポール・マッカートニーの 『 アウト ゼア ジャパン ツアー 』 レポートです。
そもそも “ 今年、ポールが来るよねぇ。だったらビートルズについて放談しよう ” ということで始まったビートルズ シリーズ。いわし亭部長は、当初、大阪と東京の 2 ヵ所での参戦予定でしたが、結果的には大阪のみの参加となりました。しかし、その興奮ぶりからもポール、そしてビートルズがいかに素晴らしいのか ということが分かりました。
3回にわたり、ビートルズの凄さについて触れてきましたが、そうした偉大なアーティストと同時代に生きているというのは、素晴らしいことですよね。

では、ポール・マッカートニーのステージの感想をお聞きください!







11月 11日 ( 月 ) 京セラドーム大阪
11月 12日 ( 火 ) 京セラドーム大阪
11月 15日 ( 金 ) 福岡ヤフオク! ドーム
11月 18日 ( 月 ) 東京ドーム
11月 19日 ( 火 ) 東京ドーム
11月 21日 ( 木 ) 東京ドーム


12日がエディ・ジョブスンのデビュー 40周年記念特別公演に当っており、すでにチケットを抑えていたため、東京ドームに行くかな とも考えていたのだが、うまい具合に追加公演が発表され、11日に参加できた。
11 日は 『 アウト ゼアー ジャパン ツアー 』 初日となったが、ポーランド、イタリア、オーストラリア、カナダ、アメリカと続くツアーの一環としての日本上陸なのだから、逆に調子はいいのではないか という気がした。むしろ、年齢的なことを考えると長期滞在する程に、内容は悪くなるのでは とさえ思った。実際、ポールはインタヴューで “ ステージにいる時でさえ、一瞬、今自分がどこにいて何をしているのか、分からなくなる時がある そして、我に返って しっかりしろポール! と自分を叱咤激励する ” と答えているくらいなのだ。

では、この 『 アウト ゼアー ジャパン ツアー 2013』 初日。
どうだったのか?


ひとことで言って、これこそ “ 神憑り ” と言う以外ない未曽有のパフォーマンスであった。
近頃では、“神” という言葉も安易に多用されるので、“ 神憑り ” という言葉にどの程度の説得力があるのか? はなはだ心許ないが、71 歳のお爺さんが 2 時間半以上にわたって、ハイクオリティで、休みなく楽器を弾き、歌い続けるという事態は、正に音楽のミューズがポールの後ろで見守っている ということでもない限り、実現不可能ではないのか と感じた。

そしてこれは “ ドント トラスト オーヴァー 30 ” とガナリ続けて来た半世紀以上に及ぶロックの歴史が、初めて遭遇した異常事態である。ついにロックは老名優を擁するジャンルへと羽化したのだ。これこそ、ロックがある意味、新しい地平へ突き抜けたことを知らしめた決定的瞬間だったのではなかろうか。長年、ロックにこだわってきたいわし亭としても、この瞬間に立ち会えたことを光栄に思う。

大阪京セラドームのキャパシティは 3万6千人、福岡ドームは 3万人、東京ドームは 5万人なのだが、これがことごとくソールド アウトしている。1966 年に行われたビートルズ、最初で最後の武道館コンサートの観客動員数は、3 日間計 5 回の全公演をあわせても約 5 万人( 2万 5千人という説もある)だったのだから、今回のコンサートが如何に大きなスケールのものかが分かるだろう。

その存在感だけで、超巨大観衆を抑え込んだのは、何と 71 歳のお爺さんなのだ。

ポールは正に最高峰の “ 生きた音楽の世界遺産 ” そのものなのだ。ビートルズがデビューして早 50 年である。ポールの中に、全てのポピュラー音楽の歴史が詰まっていて、ひとり人間ジューク ボックスと化したポールは、捨て曲なしの大大ヒット曲を連発して、ファン一人一人の記憶を呼び覚ます。
ポール自身も、かつて出会いそして別れた人々との邂逅を交えて、ステージを進める。
究極の近親憎悪の関係にあったジョン ( 「 Here Today 」 )、死別した最愛の妻 リンダ( 「 Maybe I‘m Amazed 」 )、大切な仲間だったジョージ ( 「 Something 」 )、今を生きる現在の妻 ナンシー ( 「 My Valentine 」 ) といった彼を取り巻いて来た、今、彼を取り巻いている人々への純粋な感謝の念で、歌を紡いでいく。


 

楽曲のキャラクター毎に複数のプロデューサー起用が功を奏した久々の傑作。
ゼロ年代的なサウンド作りとポール節が競演するこれは、正に “ NEW ” と呼
ぶに相応しい ’60年代とゼロ年代の幸福なバトンタッチである。
ポール・マッカートニー 『 NEW 』

 1. セイヴ アス
 2. アリゲイター
 3. オン マイ ウェイ トゥ ワーク
 4. クイーニー アイ
 5. アーリー デイズ
 6. NEW
 7. アプリシエイト
 8. エヴリバディ アウト ゼアー
 9. ホザンナ
10. アイ キャン ベット
11. ルッキング アット ハー
12. ロード
13. ターンド アウト
 (ボーナス トラック)
14. ゲット ミー アウト オブ ヒア 
(ボーナス トラック)
15. ストラグル 
(日本盤ボーナス トラック)





71 歳という年齢は決してマイナス要因だけではない。このツアーのテーマは “ バック トゥ ザ ビートルズ ” なのだが、ある種のこだわりを捨てて、ファンのためにビートルズの曲を演奏する気になれる年齢に達したというのは、何よりである。
実際、ビートルズが解散して以降、かなりの期間、元メンバーに対するインタヴューでは、ビートルズの話題は禁忌事項だったのだ。

コンサートでは実に 39 曲もの演奏が披露されたが、うちビートルズが 25 曲 ( 64% )、ウイングスが 7 曲 ( 18% )、ソロから 7 曲 ( 18% 新譜 『 NEW 』 から 4 曲 ) で、ビートルズ時代の楽曲が圧倒的に多い。また、新譜の 『 NEW 』 もやはりゼロ年代のビートルズのニュアンスが強かったから、コンサート全体がなにやらビートルズ一色だったのだ。
しかし、よく考えてみるとビートルズの楽曲は、現在、故マイケル・ジャクソンに著作権があり、歌えば歌うほど実は持ち出しが多くなるのだ ( 笑 ) 入場料や観客動員数の規模から見ても、これはかなりの金額になるだろう。これもある意味、ポールのファン サービスなのだから恐れ入る。
ポールはもはや、やりたいから、好きだからコンサートを行っているのだろう。今、ポールを突き動かしている原動力は、ポールに関わった沢山の人々に対する感謝の気持ちなのだ。

ビートルズがコンサートをやめてしまったのは、凝った音作りへのこだわりから、スタジオワークに専念する時間が欲しい という希望が膨らんだためなのだが、結果的にそれらの楽曲は技術的制限からコンサートでは再現できなくなった。むしろ逆に、作品を制作するに当ってコンサートで演奏出来る という制約は取り除きたかったのだろう。
しかし、現在の音響テクノロジーの進化がこのコンサートを想定していない楽曲の数々を、ライヴで鳴らせてしまっている という事実は大きい。やはり長生きはするもので、『 リボルバー 』 ( ’66 年 ) 以降の楽曲がライヴで聴けるというのは、ある意味、ファン冥利に尽きる。

今回、演奏された楽曲の内、コンサートの幕開けとなる重要な1曲目の 「 EIGHT DAYS A WEEK 」 ( ’65 )、他 「 All Together Now 」 ( ’69 ) 「 Lovely Rita 」 ( ’67 ) 「 BEING FOR The BENEFIT OF MR.KITE! 」 ( ’67 ) の 4 曲はビートルズの現役時代も解散後もビートルズのメンバーによってコンサート、等で演奏されたことは一度もなかったレアなものである。
単純に ’66 年以降に発表されたビートルズの楽曲を演奏順に挙げてみると、「 The Long and Winding Road 」 ( ’70 ) 「 Blackbird 」 ( ’68 ) 「 Lady Madonna 」 ( ’68 ) 「 All Together Now 」 ( ’69) 「 Lovely Rita 」 ( ’67 ) 「 Eleanor Rigby 」 ( ’66 ) 「 Being For The BENEFIT OF Mr.Kite 」 ( ’67 ) 「 Something 」 ( ’69 ) 「 Ob-La-Di, Ob-La-Da 」 ( ’68 ) 「 Back in the U.S.S.R. 」 ( ’68 ) 「 Let It Be 」 ( ’70 ) 「 Hey Jude 」 ( ’68 ) 「 Get Back 」 ( ’69 ) 「 Helter Skelter 」 ( ’68 ) 「 Golden Slumbers ~ Carry That Weight ~ The End 」 ( ’69 ) となる。

一説にはポールのギャラは2億円とも言われるが、ハリウッド映画スターのギャラから考えればまだ安い位だろう。
リスク ヘッジという意味でも、ただ単にやって来て、歌って、帰りました というわけにはいかないだろうから、セキュリティ面での万全も期せば ( 何かあればそれこそ世界中から非難轟轟の事態である。ましてや、ジョン・レノンの事件のこともある )、想定外のコストが相当かかってくるのは想像に難くないし、ましてや、あの年齢である。不遜な話ではあるが、ステージ上でライヴ中に、そのまま死んでしまうこと自体、ありえないことではない。

3時間弱にも及んだ長いステージの間、全く水を飲まなかったことから、影武者起用疑惑が出ている。欧米のミュージシャンはテレビ出演の際など、歌わないのが当たり前で、口パクはお手の物だし、ポール クラスの大物ともなれば、本人以上に本物そっくりに歌える影武者など何人もいるだろう。それに、ミキサーのヴォリュームを下げてしまえば、演奏している音だって、差し替えられる。口パクに関して言えば、ジャニーズ系のアイドルたちのそれはもはや常識であるが、筋金入りのジャニーズ ファンである家内によれば、テレビのレポート番組などで放送されたポールの姿からは、全部が全部そうではなさそう と感じた とのことだ。

しかし、“ だからどうした ” という気もするのだ。極端な話、演奏する真似でいいし、歌う真似でもいいし、それでもポールはポールなのだ。そこにいるのは紛れもなくポールその人なのだから、それだけで十分ではないか と思う。

アンコール前のラスト 「 Hey Jude 」 は予想通り、会場が一体化しての大合唱となった。まさにこの瞬間、ポールは 71 歳のお爺さんではなく、現役パリパリのミュージシャンだと感じた。
“ 男の子だけ ” “ 女の子だけ ” とカタコトの日本語で話しながら、力こぶを作る仕草をしたり、しなを作って見せたり、その姿が何とも、微笑ましい。この人、本当に色気があるのだ。驚かされた。
二回に及ぶアンコール、その本当の最後の演目は 『アビイ ロード 』 を締めくくる3曲だった。
この長いライヴはある意味、ポールの歴史そのものであり、50年以上に及ぶ壮大なロック&ポピュラー絵巻でもあったのだ。この物語の大団円が、ビートルズの放った最後の輝きである 『 アビイ ロード 』 の幕を引く楽曲へとシンクロしていく演出の見事さ。
ビートルズが終わり、’60 年代が終わり、“ 夢は終わった ” とさえ言われたけれども、ロックもポピュラーもビートルズの遺産を継承し、見事にバトンを引き継いで、現在に至っている。これほどのエンディングがあるだろうか。
唸った。
酔った。
震えが来た。


このステージが余りにも素晴らしかったので、マジでもう一回、見たいと思った。しかし、ソールド アウトしたチケットのプレミア度は半端ではなく、最終日の 21日、東京ドームのチケットを手に入れるのは不可能だった。この事実は、楽観はできないものの、日本の景気は回復したのではないか とさえ思わせるものだった(笑)

21日の日本公演最終日に関する情報を探して、ネット サーフィンをしていると以下のような記事があった。
~ 入場時、スタッフの方から赤いサイリウム入りのビニール袋を渡され、同封の紙には < このサイリウムを使ってポールに “ おつかれさま ”  と “ ありがとう ” の気持ちを込めてサプライズをしよう > と書かれてありました ~
主催者ですら、ポールのファンであり、単純なビジネスとしてこの一大イヴェントに関わったのではない ということがよく分かる泣かせるエピソードだと思う。



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ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう
     第一回 記録編
     第二回 記憶編