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2014年2月25日火曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ いわし亭の私的ロック概論 ( 1 ) 演奏しないミュージシャン 唄わないヴォーカリスト

第17回目 テーマ:いわし亭の私的ロック概論 ( 1 ) 演奏しないミュージシャン 唄わないヴォーカリスト


ご無沙汰しております。フランシーヌ千里です。

みなさんお元気ですか?

私はめずらしく、今年に入って2回の風邪をひいてしまいました。
でも正直、春らんまんの明るい日の光がちょっと居心地が悪くて、凍えてしまうような寒い冬が実は好きだったりします。

さて、久しぶりの音楽放談、今回のテーマは “ ロック ” です。
いわし亭部長と話をしていると、いつも “ 芸術に対する魂の有り様 ” というところに話が行きます。

いわし亭部長いわく “ 人が音楽に求めるものには、二つあるのではないか? ”
一つ目は “ 連帯 ・ 癒し ”
そうして、もう一つは “ 人が自己の中に持っている < 違和感 > とか < 分かり合えない感 > の客体化 ” 。

私は決して音楽に詳しいほうではないんですが、これはすごくよく共感します。
どちらかと言えば、私が求めるのは後者であって、自分の疎外感とか反撥というようなものを、音楽とともに、何かにぶつけているような気がします。

ロックに関わる人は、“ 楽しいから音楽をしている ” のではなく “ しないと、死ぬから音楽をする ” そういう感じがします。そして聞いている方も、何か生命の根底からくる叫びみたいなものを共有している感じがします。

そんな私たちが、また様々なパンチのあるエピソードを語り、それらをもたらすものは一体、何か? と言った会話の果てに “ ロック ” という言葉が出てきました。

とても範囲の広い話題なので、今回はあくまで “ いわし亭の 『 私的ロック概論 』 ” です。





“ 演奏しないこと ” “ 歌わないこと ” それすら音楽として認めるのは、極論、ロックと現代音楽くらいではないだろうか? そんな禁じ手すらも一つの表現として機能する、それもまたロックの世界。これはもう一つの ’70年代伝説のお話。


“ 演奏しないことも音楽のうち ” を最初に実践したのは、現代音楽のジョン・ケージであろう。ケージは 1952 年に 「 4 分 33 秒 」 ( よんぷんさんじゅうさんびょう ) という曲 ( ? ) を発表したが、全 3 楽章からなるこの作品の楽譜はすべて “ 休み ” と記譜されている。無音も音楽である と認識することは、数学でいう 0 の発見にも匹敵するおそるべき発想の逆転だと感じるのは、いわし亭だけであろうか。
同年 8月に行われた米ニューヨーク州ウッド ストックでの初演では、第 1 楽章を 33 秒、第 2 楽章を 2 分 40 秒、第 3 楽章を 1 分 20 秒とし、その合計時間 4 分 33 秒がこの曲の通称となった。4 分 33 秒 = 273 秒と関係づけ、“ 絶対零度 ( -273 ℃ ) = 無 ” という解釈もあるが、これはケージ自身の言葉ではない。
いわし亭は、音楽は空気の振動によって伝播するものである以上、空気が存在すれば既に音楽なのだと考えている。完全な無音状態が自然界に存在しない以上、環境それ自体がすでに音楽なのだということである。

世界で一番大きな音を出すバンドとして正に喧伝されたグランド ファンク レイルロードは、日本のロック元年とも言うべき 1971 年夏に、史上初となる後楽園球場 ( 後の東京ドーム ) でライヴを行った。あのビートルズでさえ日本武道館だったのに、だ。
当時のチラシを見ると、雨天決行と勇ましい文字が躍るが、何と当日、本当に天候が最悪に荒れた。このグランド ファンク レイルロードのライヴは “ 嵐の後楽園 ” として日本ロック史の伝説として語り継がれている。悪天候と言う自然の演出と一時は中止になるのではないか という不安からくる暴動まがいの精神的高揚がもたらした効果は絶大だった。演奏時間は 1 時間少々と短いものだったが、居合わせた多くの聴衆は生まれて初めてロックの洗礼を受けたと感じたのか、誰一人、不満漏らす者はいなかったという。
ところが、この伝説には裏話がある。グランド ファンク レイルロード側が落雷による感電を恐れ、この演奏は全てテープだったというのだ。いわし亭は残念ながら、このライヴを生で体験することはできず、音楽誌で知っただけだったが、批判的な記事はついぞ見たことがない。あの興奮は本物だった という意見がほとんどで、演奏がテープであったという噂は、参加者にとってどうでもいいことだったのだ。

1973 - 4 年頃のキング クリムゾンは、いわし亭にとって最も重要なバンドだが、彼らはライヴ活動のかなりの部分をインプロヴィーゼーションに費やしていた。『 暗黒の世界 』 に収録されている 「 トリオ 」 は、そうしたいわゆる即興演奏なのだが、その名の通り本来カルテットであったキング クリムゾンがトリオで演奏している。演奏開始直後、最初の音を聞いたドラムのビル・ブルーフォードはすぐさまスティックを置き、沈黙を守ったのである。「 トリオ 」 は静謐の中に永遠の安寧が表現されており、ブルーフォードのこの判断についてクレジットには “ Admirable Restraint ( 賞賛に値する抑制 ) ” とある。

2014 年の 2 月にセックス ピストルズのオリジナル メンバーであるグレン・マトロックが神戸にやって来た。彼のプレイしたロックはレジェンドに相応しい豊饒で潤沢なものだった。グレンがピストルズの代表曲である 「 アナーキー イン ザ U.K.」 「 ゴッド セイヴ ザ クイーン 」 「 プリティ ヴェイカント 」 を作詞・作曲したことは、バンドというよりもロック史そのものに貢献した ( これらの楽曲が収められたデビュー アルバム 『 勝手にしやがれ!! 』 は、『 ローリング ストーン 』 誌が選んだ 「 オールタイム ベスト アルバム 500 」 において 41 位。 「 オールタイム ベスト デビュー アルバム 100 」 において 7 位 ) と言っていいほどの大偉業なのだが、しかしそれでもピストルズというと、誰もが “ 腐れジョニー ” と “ 極悪人シド ” を想起する。
バンド マネージャー マルコム・マクラーレンは、“ バンドとしては、演奏ができるよりは出来ない方がよいのだ ” という訳の分からない確信の元、唯一演奏の出来たマトロックをクビにして、演奏能力ゼロの “ 極悪人シド ” を加入させた。
ロックは地味な才能よりも、派手なオーラを優先して出来上がっている。このロック史上最大の功労者の一人が、客寄せパンダでしかなかったチンピラに取って代わられたわけで、歴史とは必然ではなく結局、偶然の連続なのだ と痛感させられる。


楽器を演奏しない という一方で、口パクの問題もある。 perfume の様に、口パクをリップ シンクと呼び、新しいパフォーマンス スタイルとして確立したアーティストもいる。では、口パクとは、そもそも何のため なのだろうか?

口パクは洋楽の世界では、当然のこととして認識されている。海外では、アーティストの生演奏は特別なものとして尊重されており、それは実際にコンサートやライヴに行って有償で聴くべきである という観点から、テレビなどでの口パクはミュージシャン側の権利として認められているのだ。
ところが、T.Rex のように、レコード音源を使うのではなく、テレビ用に前もって別テイクを録音してまで、口パクを貫くケースもあり、ファンにとってはテレビ音源が逆にレアで、要注意だったりもする。

perfume の素晴らしさについては、別稿を設けてお話したいくらいなので、ここでは軽く触れるにとどめるが、彼女たちのドーム ライヴは、一度は体験することをお勧めする。
ここで展開される音響・映像体験は、斯界の超一流アーティストのプライドの激突と言ってもよく、perfume もまたそうしたアーティストの一人なのだ。CG の完成度、映像をリアルタイムで連続再生するテクノロジー、エレベータやクレーンまで持ち込んだ大掛かりなセット、凄まじい低音の破壊力 ( この低音は、いわし亭がかつてライヴで体験したどの低音よりもモノ凄かった と断言できる ) 、perfume の素晴らしいダンスと歌唱 ( 当然ながら、歌うこともある ) 。これらが混然一体となって、目くるめく現代の桃源郷が現出するのである。

ジャニーズの各チームやソロ、AKB 48 グループ、モーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクト、少女時代や KARA といった K-POP 勢も含め、激しいダンスが売り物のパフォーマンス グループに “ 完全な生歌 ” を期待するのは現実的には難しい。
一方で、ももいろクローバーZ のように激しいダンスをベースにしながら、同時に歌うことにこだわるグループもいる。同時に成立しないほどの激しいパフォーマンスと歌や演奏は、逆にそれはそれで大変に価値のあることではないか とも考えられる。


ここまで “ 演奏しない ” “ 歌わない ” という禁じ手の数々を紹介してきたが、この禁じ手すらも表現の一つとして立派に機能する ~ それがロックの世界であるが、とすると perfume やきゃりーぱみゅぱみゅ、ジャニーズや AKB 48、モーニング娘。もロックなのだろうか? 

ここで “ ロック ” というジャンルについて、述べたい。

最後に紹介した perfume やきゃりーぱみゅぱみゅ、ジャニーズや AKB 48、モーニング娘。は、もちろんロックではない。そもそも、歌わないことは彼らにとって、決してマイナス ポイントではない。表現というわけではなく、激しいダンス パフォーマンスと引き換えに、ヴォーカルがおろそかになるのは、やむを得ない事情である。

では、何をもってロックとするか。
キング クリムゾンのリーダーであったロバート・フィリップは、おそらく現存するギタリストの中で最もギターを扱うことに長けた演奏者 ( 残念ながら 2011 年に引退宣言 ) の一人である。フィリップほどのテクニシャンでも、ライヴでは集中するため椅子に腰かけて演奏している。そうした知的で繊細で慎重な演奏者であるフィリップが、ジャズやクラシックの世界に活躍の場を求めず、一見知性とは真逆のイメージがあるロックにあえて留まる理由は何なのだろうか? フィリップ自身は “ ロックとは最も鍛えるに足るフォームである ” と説明している。

つまり、ロックとはあらゆる方法論を許容する音楽表現なのだ。従って、ロックにおいては表面的な音楽スタイルは何でも良い。あのセックス ピストルズがそうであったように、演奏のレベルも大した問題ではない。
答えは、アーティストの、リスナーの、ロックに対するスタンスにある。唯一必要なことは、ロックと関わっていくことで生ずる全ての問題を引き受けるだけの “ 覚悟 ” や “ 精神性の高さ ” だ。
ロックは、人とは異なる自分自身の中の違和感を対象化していくことで、その音楽性を育んで来た。’60 - ’70 年代はロックに限らず、音楽を演奏することは多くの場合、違和感の表明だった。だからこそ、嗅覚の鋭い人間にとって、音楽とドロップ アウトは一対に論じられたのだ。
ところが、’70 - ’80 年代と時間が進むにつれ、人間は均質であること、中庸であることを求められるようになり、社会は人間を歯車化すべく無個性な人間の大量生産を目指した。ロック的なものがどんどん薄まり、あるいは面倒くさがられ、排除されていく過程には、こうした世の中の動きが密接に関わっている。だからこそ、ロックなる精神が溢れていた ’70 年代までの音楽は、そのジャンルが何であれ、ロック的な香りを確実に放っている。

敢えて言えば、デビュー当時から情念を感じさせるヴォーカルでロック ファンからも人気の高かった中森明菜や違和感を対象化して毎回、奇跡的なステージを見せる大森靖子、精神の荒れ地に凛と立ち続ける黒木渚 ( 2014年からはソロとして活動を再開した彼女への期待は大きい )、この人こそ真の意味での天才だといわし亭が確信する後藤まりこ。
彼女たちのいる場所はもしかしたら、一般的な認識で言うロックではないのかもしれない。中森明菜など、スタートは 1982 年にデビューしたたくさんのアイドルの中の一人に過ぎなかったのだから… しかし、いわし亭はもがき苦しみながらも紡がれる彼女たちの音楽の中にロックを見てしまう。

そして、いわし亭が全肯定する美輪明宏。反体制と弱者への愛、高い覚悟のもとに発せられる名言の数々、その特異なポジショニングも含めて美輪明宏ほど、ロックを体現しているアーティストは他にいない。



セックス ピストルズ 『 勝手にしやがれ!! 』


1. さらばベルリンの陽
2. ボディーズ
3. 分かってたまるか
4. ライアー
5. ゴッド セイヴ ザ クイーン
6. 怒りの日
7. セブンティーン
8. アナーキー イン ザ U.K.
9. サブミッション
10. プリティ ヴェイカント
11. ニューヨーク
12. 拝啓EMI殿












起業当初のヴァージン レコードは、あのオカルト映画の金字塔 『 エクソシスト 』( ’73 ) に使用されたマイク・オールドフィールドの『チューブラー ベルズ』、イギリスのカンタベリー系を代表するジャズ ロックグループ ヘンリー・カウなど実験的でアート指向の強い作品を量産していた。当然のことながら ( 笑 ) ヴァージン レコードは経営難で、この会社がヴァージン アトランティック航空まで擁する多国籍企業へとのし上がったのは、一にも二にも、セックス ピストルズの大ヒットのおかげである。

ここではいわし亭が所有している、記念すべき日本デビュー アナログ盤の写真を掲載したい。日本で最初にセックス ピストルズのアルバムをリリースしたのは、なんと美空ひばりのカタログを独占する日本コロムビア。演歌のイメージが濃厚な同社は純国産のメーカーで、外資系ではなかったため、洋楽を扱おうとすると新興のヴァージン レコードあたりと契約するしかなかった という事情がある。日本コロムビアは、’70年代にファウスト、タンジェリン ドリームのようなプログレッシヴ ロックのアルバムを次々とリリースしており、そのムチャ振り具合は今日的に見ても十分驚嘆に値する。
それはさておき、セックス ピストルズのリリースに関われたというのは、会社にとっても関係者にとっても、思わぬ拾い物であったろう。

注目すべきはレコードの帯を飾る惹句である。この稀代のパンク バンドをまるでエイリアンか何かの様に勘違いしていて、書体なども含め、演歌メインの会社の洋楽部の戸惑いが伺える。ロックがまだ原初的な暴力衝動などを色濃く残していて、それを大人たちがどう扱っていいものか苦悩していた古き良き(?)時代の葛藤がここに再現されている。
まだ、パンクという言葉もなく、ロックと分類されている ( 帯の左下 ) ところも、時代を感じさせて興味深い。









2013年12月11日水曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ ついにやって来た一人ビートルズ。ポール・マッカートニーの 『 OUT THERE JAPAN TOUR 2013』 レポート!


第16回目 テーマ:ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう 第三回 コンサート編


フランシーヌ千里です。
2013 年も 1ヵ月足らずとなってまいりました。クリスマスとお正月が近くなってわくわくしますね!

さて、音楽放談はビートルズの第 3 回目。ポール・マッカートニーの 『 アウト ゼア ジャパン ツアー 』 レポートです。
そもそも “ 今年、ポールが来るよねぇ。だったらビートルズについて放談しよう ” ということで始まったビートルズ シリーズ。いわし亭部長は、当初、大阪と東京の 2 ヵ所での参戦予定でしたが、結果的には大阪のみの参加となりました。しかし、その興奮ぶりからもポール、そしてビートルズがいかに素晴らしいのか ということが分かりました。
3回にわたり、ビートルズの凄さについて触れてきましたが、そうした偉大なアーティストと同時代に生きているというのは、素晴らしいことですよね。

では、ポール・マッカートニーのステージの感想をお聞きください!







11月 11日 ( 月 ) 京セラドーム大阪
11月 12日 ( 火 ) 京セラドーム大阪
11月 15日 ( 金 ) 福岡ヤフオク! ドーム
11月 18日 ( 月 ) 東京ドーム
11月 19日 ( 火 ) 東京ドーム
11月 21日 ( 木 ) 東京ドーム


12日がエディ・ジョブスンのデビュー 40周年記念特別公演に当っており、すでにチケットを抑えていたため、東京ドームに行くかな とも考えていたのだが、うまい具合に追加公演が発表され、11日に参加できた。
11 日は 『 アウト ゼアー ジャパン ツアー 』 初日となったが、ポーランド、イタリア、オーストラリア、カナダ、アメリカと続くツアーの一環としての日本上陸なのだから、逆に調子はいいのではないか という気がした。むしろ、年齢的なことを考えると長期滞在する程に、内容は悪くなるのでは とさえ思った。実際、ポールはインタヴューで “ ステージにいる時でさえ、一瞬、今自分がどこにいて何をしているのか、分からなくなる時がある そして、我に返って しっかりしろポール! と自分を叱咤激励する ” と答えているくらいなのだ。

では、この 『 アウト ゼアー ジャパン ツアー 2013』 初日。
どうだったのか?


ひとことで言って、これこそ “ 神憑り ” と言う以外ない未曽有のパフォーマンスであった。
近頃では、“神” という言葉も安易に多用されるので、“ 神憑り ” という言葉にどの程度の説得力があるのか? はなはだ心許ないが、71 歳のお爺さんが 2 時間半以上にわたって、ハイクオリティで、休みなく楽器を弾き、歌い続けるという事態は、正に音楽のミューズがポールの後ろで見守っている ということでもない限り、実現不可能ではないのか と感じた。

そしてこれは “ ドント トラスト オーヴァー 30 ” とガナリ続けて来た半世紀以上に及ぶロックの歴史が、初めて遭遇した異常事態である。ついにロックは老名優を擁するジャンルへと羽化したのだ。これこそ、ロックがある意味、新しい地平へ突き抜けたことを知らしめた決定的瞬間だったのではなかろうか。長年、ロックにこだわってきたいわし亭としても、この瞬間に立ち会えたことを光栄に思う。

大阪京セラドームのキャパシティは 3万6千人、福岡ドームは 3万人、東京ドームは 5万人なのだが、これがことごとくソールド アウトしている。1966 年に行われたビートルズ、最初で最後の武道館コンサートの観客動員数は、3 日間計 5 回の全公演をあわせても約 5 万人( 2万 5千人という説もある)だったのだから、今回のコンサートが如何に大きなスケールのものかが分かるだろう。

その存在感だけで、超巨大観衆を抑え込んだのは、何と 71 歳のお爺さんなのだ。

ポールは正に最高峰の “ 生きた音楽の世界遺産 ” そのものなのだ。ビートルズがデビューして早 50 年である。ポールの中に、全てのポピュラー音楽の歴史が詰まっていて、ひとり人間ジューク ボックスと化したポールは、捨て曲なしの大大ヒット曲を連発して、ファン一人一人の記憶を呼び覚ます。
ポール自身も、かつて出会いそして別れた人々との邂逅を交えて、ステージを進める。
究極の近親憎悪の関係にあったジョン ( 「 Here Today 」 )、死別した最愛の妻 リンダ( 「 Maybe I‘m Amazed 」 )、大切な仲間だったジョージ ( 「 Something 」 )、今を生きる現在の妻 ナンシー ( 「 My Valentine 」 ) といった彼を取り巻いて来た、今、彼を取り巻いている人々への純粋な感謝の念で、歌を紡いでいく。


 

楽曲のキャラクター毎に複数のプロデューサー起用が功を奏した久々の傑作。
ゼロ年代的なサウンド作りとポール節が競演するこれは、正に “ NEW ” と呼
ぶに相応しい ’60年代とゼロ年代の幸福なバトンタッチである。
ポール・マッカートニー 『 NEW 』

 1. セイヴ アス
 2. アリゲイター
 3. オン マイ ウェイ トゥ ワーク
 4. クイーニー アイ
 5. アーリー デイズ
 6. NEW
 7. アプリシエイト
 8. エヴリバディ アウト ゼアー
 9. ホザンナ
10. アイ キャン ベット
11. ルッキング アット ハー
12. ロード
13. ターンド アウト
 (ボーナス トラック)
14. ゲット ミー アウト オブ ヒア 
(ボーナス トラック)
15. ストラグル 
(日本盤ボーナス トラック)





71 歳という年齢は決してマイナス要因だけではない。このツアーのテーマは “ バック トゥ ザ ビートルズ ” なのだが、ある種のこだわりを捨てて、ファンのためにビートルズの曲を演奏する気になれる年齢に達したというのは、何よりである。
実際、ビートルズが解散して以降、かなりの期間、元メンバーに対するインタヴューでは、ビートルズの話題は禁忌事項だったのだ。

コンサートでは実に 39 曲もの演奏が披露されたが、うちビートルズが 25 曲 ( 64% )、ウイングスが 7 曲 ( 18% )、ソロから 7 曲 ( 18% 新譜 『 NEW 』 から 4 曲 ) で、ビートルズ時代の楽曲が圧倒的に多い。また、新譜の 『 NEW 』 もやはりゼロ年代のビートルズのニュアンスが強かったから、コンサート全体がなにやらビートルズ一色だったのだ。
しかし、よく考えてみるとビートルズの楽曲は、現在、故マイケル・ジャクソンに著作権があり、歌えば歌うほど実は持ち出しが多くなるのだ ( 笑 ) 入場料や観客動員数の規模から見ても、これはかなりの金額になるだろう。これもある意味、ポールのファン サービスなのだから恐れ入る。
ポールはもはや、やりたいから、好きだからコンサートを行っているのだろう。今、ポールを突き動かしている原動力は、ポールに関わった沢山の人々に対する感謝の気持ちなのだ。

ビートルズがコンサートをやめてしまったのは、凝った音作りへのこだわりから、スタジオワークに専念する時間が欲しい という希望が膨らんだためなのだが、結果的にそれらの楽曲は技術的制限からコンサートでは再現できなくなった。むしろ逆に、作品を制作するに当ってコンサートで演奏出来る という制約は取り除きたかったのだろう。
しかし、現在の音響テクノロジーの進化がこのコンサートを想定していない楽曲の数々を、ライヴで鳴らせてしまっている という事実は大きい。やはり長生きはするもので、『 リボルバー 』 ( ’66 年 ) 以降の楽曲がライヴで聴けるというのは、ある意味、ファン冥利に尽きる。

今回、演奏された楽曲の内、コンサートの幕開けとなる重要な1曲目の 「 EIGHT DAYS A WEEK 」 ( ’65 )、他 「 All Together Now 」 ( ’69 ) 「 Lovely Rita 」 ( ’67 ) 「 BEING FOR The BENEFIT OF MR.KITE! 」 ( ’67 ) の 4 曲はビートルズの現役時代も解散後もビートルズのメンバーによってコンサート、等で演奏されたことは一度もなかったレアなものである。
単純に ’66 年以降に発表されたビートルズの楽曲を演奏順に挙げてみると、「 The Long and Winding Road 」 ( ’70 ) 「 Blackbird 」 ( ’68 ) 「 Lady Madonna 」 ( ’68 ) 「 All Together Now 」 ( ’69) 「 Lovely Rita 」 ( ’67 ) 「 Eleanor Rigby 」 ( ’66 ) 「 Being For The BENEFIT OF Mr.Kite 」 ( ’67 ) 「 Something 」 ( ’69 ) 「 Ob-La-Di, Ob-La-Da 」 ( ’68 ) 「 Back in the U.S.S.R. 」 ( ’68 ) 「 Let It Be 」 ( ’70 ) 「 Hey Jude 」 ( ’68 ) 「 Get Back 」 ( ’69 ) 「 Helter Skelter 」 ( ’68 ) 「 Golden Slumbers ~ Carry That Weight ~ The End 」 ( ’69 ) となる。

一説にはポールのギャラは2億円とも言われるが、ハリウッド映画スターのギャラから考えればまだ安い位だろう。
リスク ヘッジという意味でも、ただ単にやって来て、歌って、帰りました というわけにはいかないだろうから、セキュリティ面での万全も期せば ( 何かあればそれこそ世界中から非難轟轟の事態である。ましてや、ジョン・レノンの事件のこともある )、想定外のコストが相当かかってくるのは想像に難くないし、ましてや、あの年齢である。不遜な話ではあるが、ステージ上でライヴ中に、そのまま死んでしまうこと自体、ありえないことではない。

3時間弱にも及んだ長いステージの間、全く水を飲まなかったことから、影武者起用疑惑が出ている。欧米のミュージシャンはテレビ出演の際など、歌わないのが当たり前で、口パクはお手の物だし、ポール クラスの大物ともなれば、本人以上に本物そっくりに歌える影武者など何人もいるだろう。それに、ミキサーのヴォリュームを下げてしまえば、演奏している音だって、差し替えられる。口パクに関して言えば、ジャニーズ系のアイドルたちのそれはもはや常識であるが、筋金入りのジャニーズ ファンである家内によれば、テレビのレポート番組などで放送されたポールの姿からは、全部が全部そうではなさそう と感じた とのことだ。

しかし、“ だからどうした ” という気もするのだ。極端な話、演奏する真似でいいし、歌う真似でもいいし、それでもポールはポールなのだ。そこにいるのは紛れもなくポールその人なのだから、それだけで十分ではないか と思う。

アンコール前のラスト 「 Hey Jude 」 は予想通り、会場が一体化しての大合唱となった。まさにこの瞬間、ポールは 71 歳のお爺さんではなく、現役パリパリのミュージシャンだと感じた。
“ 男の子だけ ” “ 女の子だけ ” とカタコトの日本語で話しながら、力こぶを作る仕草をしたり、しなを作って見せたり、その姿が何とも、微笑ましい。この人、本当に色気があるのだ。驚かされた。
二回に及ぶアンコール、その本当の最後の演目は 『アビイ ロード 』 を締めくくる3曲だった。
この長いライヴはある意味、ポールの歴史そのものであり、50年以上に及ぶ壮大なロック&ポピュラー絵巻でもあったのだ。この物語の大団円が、ビートルズの放った最後の輝きである 『 アビイ ロード 』 の幕を引く楽曲へとシンクロしていく演出の見事さ。
ビートルズが終わり、’60 年代が終わり、“ 夢は終わった ” とさえ言われたけれども、ロックもポピュラーもビートルズの遺産を継承し、見事にバトンを引き継いで、現在に至っている。これほどのエンディングがあるだろうか。
唸った。
酔った。
震えが来た。


このステージが余りにも素晴らしかったので、マジでもう一回、見たいと思った。しかし、ソールド アウトしたチケットのプレミア度は半端ではなく、最終日の 21日、東京ドームのチケットを手に入れるのは不可能だった。この事実は、楽観はできないものの、日本の景気は回復したのではないか とさえ思わせるものだった(笑)

21日の日本公演最終日に関する情報を探して、ネット サーフィンをしていると以下のような記事があった。
~ 入場時、スタッフの方から赤いサイリウム入りのビニール袋を渡され、同封の紙には < このサイリウムを使ってポールに “ おつかれさま ”  と “ ありがとう ” の気持ちを込めてサプライズをしよう > と書かれてありました ~
主催者ですら、ポールのファンであり、単純なビジネスとしてこの一大イヴェントに関わったのではない ということがよく分かる泣かせるエピソードだと思う。



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ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう
     第一回 記録編
     第二回 記憶編





2013年10月29日火曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ ビートルズ 個人史の中の史上最強バンドの記憶


第15回目 テーマ:ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう 第二回 記憶編


フランシーヌ千里です。
前回の録音の時には、まだ暑い盛りでしたが、すっかりと秋も深まってまいりました。ポールの来日する日も、少しずつ近づいてきました。

ビートルズが、いかにすごい存在なのか?

いわし亭部長の語りにより、少しくらいは分かるように ( ? ) なりました。
しかし、彼らは最初からその偉大さを本当に理解されていたのでしょうか?
前回はビートルズを 「 記録 」 の観点から、今回は 「 記憶 」 を切り口に、いわし亭部長に語ってもらいました。

ちなみに、先日、音楽家の友人に “ ビートルズってどう思う ? ” と聴いたら、 “ 何も足さなくていい、何も引かなくていい ( つまり完璧 ) ” という、答えが返ってきました。

やはり… ある程度、音楽に造詣が深くないとビートルズの凄さって、実感できないのでしょうか。
いわし亭部長は、どうだったのでしょうか?







  

表紙の惹句が時代を感じさせる 『 FOCUS 』。
今となっては記事の内容に事実誤認が目立つが、さすがに読ませる名調子ではある。


今はなき 『 FOCUS 』 ( 新潮社 ) 1985年4月5日号にビートルズのショッキングな写真が掲載された。それは、1966年3月25日、豪州の写真家ロバート・ウィテカーのアイデアで撮影された肉屋に扮したビートルズで、『 イエスタデイ アンド トゥデイ 』 のジャケットに最初に使われていた写真のBポジである。 このアルバムは米キャピトル レコードが、オリジナルのイギリス盤とは別に独自編集したベスト盤 ( 『 ヘルプ ! 』 『 ラバー ソウル 』 『 リボルバー 』 の各アルバムの収録曲の一部に、シングルとして発表された 「 恋を抱きしめよう 」 「 デイ トリッパー 」 の2曲を加えたもの ) で、このアルバムについて、米国のプレスから質問されたジョージ・ハリスンは、“ 我々は、『 イエスタディ アンド トゥデイ 』 というアルバムはリリースしていない ” と含みのある表現で応えている。また、ジョン・レノンは一連の騒動でコメントを求められ、“ ベトナム ( 戦争 ) も同様に問題にされるべきだ ” と発言している。

この 『 イエスタデイ アンド トゥデイ 』 に関する逸話については、ファンの間ではすでに常識で、いわし亭の友人のコアなファンも “ あれ、ただのベスト盤やん。なんで今頃? ”  と疑問を呈していたが、いわゆる音楽ファン向けでない一般誌が、こうした話題を提供する ということ自体にニューズ ヴァリューがあったのだ。それに実際、このページを開くとやはり ギョッ! とさせられる。

この話題を受けて、当時、新宿にあった老舗の廃盤専門店 えとせとらレコードが “ WANTED!” と題して “ このアルバムを高価買取する ” という記事を雑誌に掲載した経緯もあり、非常にレアだと思われていたこのアルバムが、神田の中古盤屋の壁を軒並み飾る という事態にまで発展した。テレビ番組でも取り上げられたが、その時の時価が何と26万円。中味は簡単に入手できる2000円のアルバムなのだから、これは純粋にジャケットに支払われた金額ということになる。
ま、’80年代以降、マイケル・ジャクソンがビートルズの楽曲の版権を競売 ( なんと相手はポール・マッカートニーとオノ・ヨーコ ) で落札して以降、こうした各国のオリジナル編集版は姿を消しており、その意味で簡単に というのはやや語弊があるかもしれないが…


ビートルズに関する多くの人々の印象は、“ 優等生 ” 的というものではないかと思う。ところが、デビュー当時の記事に当ると、若者を悪の道に先導するとんでもないチンピラ のようなニュアンスのものが大多数だし、今日的にはベートーヴェンをも凌ぐ とさえ評価されているソングライターとしてのレノン-マッカートニーの才能もただの騒音で片付けられているのだから、驚かされる。

“ 音楽に造詣が深くないとビートルズの凄さは、実感できないのか? ” という疑問がフランシーヌ千里から提示されているが、全く逆で、そうした専門的な知識はビートルズを理解する上で、むしろ邪魔になっている印象すらある。古い資料に当ってもらえば一目瞭然なのだが、斯界で第一人者のように言われていた音楽家や藝術家、批評家の類ほど、その発言にビートルズを貶めようとする悪意が感じられる。
それは実際には、世代論として不必要に大きな視点から語られたビートルズ ファンの女の子たちへの的外れな批判であったりするのだが、彼女たちの思いが正しかったことは、すでに歴史が証明している。多くの場合、こうした新しい変革に最も素早く、敏感に反応するのは、ティーンエイジャーの女の子たちで、彼女たちは語るべき言葉を持っていないだけなのだが、小賢しい評論者はそこをイヤらしく衝いてくるのだ。
こうした評価が、“ 優等生 ” 的なもの ( これも認識間違い ) へと変化し、デタラメな意見を述べていた人々がいかにも、 “ 最初から分っていました ” 的な発言に転向し出したのは何時頃からなのか? このことは、正確に検証しておく必要がある。
それにしても、このフォト セッションが実行されたのは1966年3月25日。つまり、彼らがビートルズとして最初で最後の来日を果たすわずか3カ月前のことなのだ。あのエド・サリヴァン ショーに出演し、視聴率 72% という驚異的な数字を弾き出して、正に世界制覇を成し遂げた翌々年のことである。


商品企画に携わっている人間が終始、向き合うべき問題は “ 陳腐化 ” だと思う。どんなに優れた商品も時の流れとともに、古びて誰も見向きもしなくなってしまう。例えば、’70年代末期に出現したインベーダーゲーム。テレビゲームというカテゴリーの中で、郷愁を交えて語られることはあっても、今日あれをまじめにプレイするゲーマーはいないだろう。現在のテレビゲームはもはや3Dや体感系にまで進化しているのだから。

ところが、奏法に関するテクニックの向上、楽器そのものの進化、またはアナログからデジタル、モノラルからステレオといった録音や音質に関する技術革新と音楽それ自体の質とは、全く関係ない。素晴らしい音楽とは、ただただ生得的に音楽の才能に秀でた人間によってのみ生み出されるもの という実にシンプルな事実に回帰するだけのことなのだ。でなければ、今から200年以上も前の作曲家である、モーツァルトなど当の昔に忘れられているはずである。
そして一握りのアーティストによって感得された天上の音楽は、陳腐化という時間の制約から解放されている。これは藝術という領域に特有の、そして最も優れた性質である。しかし、このレベルに達している音楽は、残念ながらほとんどない。
すなわち、ビートルズは陳腐化しない高みに達した非常に稀有なサンプルと言えるだろう。いわし亭は個人的にはビートルズよりもキング クリムゾンの方がはるかに好きなのだが、そのキング クリムゾンにしても米国のチャートで1位を獲得したことはない。ビートルズは米国のチャートで20曲のベストワンを持ちながら “ 取り扱いを拒否する ” といった小売業者やマスコミから抗議の電話が殺到するようなアーティスト写真をさらりと撮影してしまう。大衆性と前衛性が何の違和感もなく、ビートルズの中では融合している。これがビートルズを陳腐化させない多様性であり、ビートルズが未だ越えられない高い壁であり続ける理由なのだと思う。


ビートルズの影響を正直に吐露するミュージシャンの多くは、十代の多感な時期にビートルズと出会っているが、それはおそらく ’70年代の後半から ’80年代にかけてのことではないかと思う。
例えば、2011年 『 ローリング ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト 』 において第51位に選出されているジョニー・マー。ザ スミスを結成した彼は、ジョージ・ハリスンからの影響を隠さないが、1963年生まれであり、“ ジョージが分かった ” と思ったのは15歳の頃だというから、’70年代後半。元ニルヴァーナのドラマーで、現在はフー ファイターズのヴォーカル、ギターのデイヴ・グロールは1969年生まれで、リンゴ・スターにぞっこんの彼が、初めてビートルズの 『 赤盤 』 ( THE BEATLES 1962 - 1966 ) と 『 青盤 』 ( THE BEATLES 1967 - 1970 ) を聴いたのは7歳の時、1975年、ということになる。
オアシスのギャラガー兄弟は、弟のリアムが1972年、兄のノエルが1967年生まれで、兄のノエルはジョン・レノンが暗殺された時、まだ13歳だったが、あの事件によってそれまで気になっていたジョンに一気に急接近したという。
いずれも、ビートルズは解散して数年たっており、おそらく、ビートルズを聴く前にはリアルタイムで、当時流行していたロックやポップスを聴いているはずなのだ。しかし、それでも、彼らはビートルズから影響を受けたという。
こうした当代随一のミュージシャンたちがリアルタイムではなく、解散したバンドから影響を受けたと口をそろえる事実。ビートルズは古びることなく、以前、高い壁として存在し、ほとんどのバンドはそれを乗り越えられずにいる。
実際、その壁に最も苦労させられたのは、当のビートルズのメンバーであったというのも皮肉な話である。『 苺畑の午前5時 』 でビートルズ愛を包み隠さず披瀝している作家 松村雄策は、リンゴ・スターとのインタビューで、うっかりビートルズのことを聞いてしまい、30分の約束を15分にされてしまった ( 笑 ) という。あとで廊下ですれちがっても、目もあわせてくれなかったらしい。元ビートルズにとってもビートルズの話題は禁忌事項だったのだ。 


ビートルズの多様性がその陳腐化を防いでいるという事実は、発表されたオリジナル アルバムを追いかけてみると、より明確になる。
ビートルズに影響を受けている と言う時、いつの? と問うことは殊の外、重要である。実はビートルズは 『 ザ ビートルズ ( ホワイトアルバム )  』 以降、いつ解散してもおかしくない状態が続いたが、発表されたアルバムはその時点で解散していれば、それが最高傑作となりうるものばかりであり、デビュー アルバム以降、そのクオリティがダウンしたことがない。
これは驚異的なことだが、それを実現させていたのが、実は4人の一流アーティストの化学反応がもたらした多様性だったのだ。たった7年弱という短い活動期間の中で、これほどその音楽性を変化させたバンドは極めて稀なのではないか と思う。





ジョンが所有していたと言われている “ ブッチャー カヴァー ”。
ジョンとポール、リンゴのサインが入っており、裏にはジョンの落書きが書かれている。左が差し替えられたジャケットで、
区別するために “ トランク カヴァー ” と呼ばれている。



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ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう
     第一回 記録編
     第二回 記憶編
     第三回 ポール・マッカートニー “ OUT THERE JAPAN TOUR ” レポート







2013年9月20日金曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ ビートルズ 記録に見る史上最強バンドの証明


第14回目 テーマ: ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう 第一回 記録編


フランシーヌ千里です。
今回あまりにも大きすぎるテーマに、無謀にも切り込んでいきます。そしてシリーズとなります。今回は、その第一回目。

ビートルズ! 

私の記憶にある限り、ビートルズをはじめて聴いたのは映画 『 悪霊島 』 の 「 Let it be 」 でした。
テレビで流れる映画の予告編が恐ろしくて、その後も ♪ Let it be ~ と聴くと震えていました。大人になって、ビートルズの存在を知るまで、嫌だったものです。

そんな私ですが、大人になったらなったで、ビートルズ = アイドルっぽい~ と ( ビートルズで英語を楽しく学ぼうとする健全なクラスメイトを尻目に ) 食わず嫌いだったのが、いわし亭部長の話を聴いて “ ふーん、そうだったのか! ビートルズ ” と思うようになりました。

ビートルズは、とんでもない人たちだったのですね。
ビートルズとは、いったい何者だったのか?

今回はいわし亭部長の膨大な知識から、ビートルズの音楽性とデータから見た彼らの卓越性について語ってもらいました。
あまりにもファンが多すぎて、扱うことはタブーとまで思えましたが、敢えて挑みます。
今回の放談のために、いわし亭部長は改めてビートルズ関連の書物やデータを精査し、いわし亭部長的にも新しい発見があったそうですよ! 

どうぞお聞きください。








1. バック イン ザ U.S.S.R.
2. ディア プルーデンス
3. グラス オニオン
4. オブ ラ ディ、オブ ラダ
5. ワイルド ハニー パイ
6. コンティニューイング ストーリー オブ バンガロウ ビル
7. ホワイル マイ ギター ジェントリー ウィープス
8. ハッピネス イズ ア ウォーム ガン
9. マーサ マイ ディア
10. アイム ソー タイアード
11. ブラックバード
12. ピッギーズ
13. ロッキー ラックーン
14. ドント パス ミー バイ
15. ホワイ ドント ウィ ドゥ イット イン ザ ロード
16. アイ ウィル
17. ジュリア


1. バースデイ
2. ヤー ブルース
3. マザー ネイチャーズ サン
4. エヴリボディーズ ゴット サムシング トゥ ハイド エクセプト ミー アンド マイ モンキー
5. セクシー セディ
6. ヘルター スケルター
7. ロング ロング ロング
8. レボリューション 1
9. ハニー パイ
10. サボイ トラッフル
11. クライ ベイビー クライ
12. レボリューション 9
13. グッド ナイト


『 The BEATLES 』 というまるでデビュー作のようなタイトルの 2枚組。ローリングストーン誌が 2005年に最新版として刊行した “ オールタイム ベストアルバム 500 ” においても、やはり不動の1位を冠された 『 サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド 』 に続く  ’68年の作品である。 『 サージェント… 』 のようにトータルなコンセプト等々を一切設けず、4人のメンバーがそれぞれ自由に、興味の赴くまま制作を進めた。因みに先の “ ベストアルバム 500 ” で本アルバムは 10位に選出されており、現在、米国では最も売れた 2枚組アルバムとされている。
何事においても過剰さが売り物であった ’60年代の終わりに、リチャード・ハミルトンのデザインは何とモノトーンの真っ白なジャケット。ルックスから、“ ホワイト アルバム ” と別称されることが多いが、このゼロ年代にも通用するようなデザイン センスを採用しただけでも、ビートルズが如何に、時代の最先端を突っ走っていたか が分かるというものである。
アナログ時代にはタイトル 『 The BEATLES 』 をエンボス加工し、シリアル ナンバーがプリントされていた。つまり、世界一シンプルなジャケットにも関わらず、世界に一つしかないジャケットとも言えるのだ。ポール・マッカートニーは、ジョン・レノンがシリアル ナンバー “ A1 ” を所有していたと述べている。例えば、オークションでは、シリアル ナンバーが二桁台で、130万円以上のプレミアがついているのだから凄い ( 下記参照 )。

『 リボルバー 』 あたりから目立ち始めた ’60年代後半を席巻したサイケデリック テイストが後退し、バンド サウンドを活かしたシンプルなアレンジへの回帰は、初期のビートルズ テイストを好んだファンには歓迎された。
その一方で 8トラック レコーダーの導入により、4人が同時に演奏する必要がなくなったため、各々が楽器を持ち替えたり、多重録音されたソロ作品まで含まれていることもこのアルバムの特徴になっている。
数年前まで “ ホワイト アルバム ” は、まとまりを欠いている散漫な作品という評価が一般的であった。ヘヴィ ユーザーになって初めてチャレンジすべきアルバムであると紹介された記事もたくさんあったし、実際、推薦盤として選ばれることは稀だったようにも思う。また 2枚組という大作にもかかわらず、きちんとした作品解説を読んだ記憶も薄い。いわし亭はライターの苦悩がひしひしと伝わってくる原稿をよく目にしたものだが、今日的に見るならば、このヴァラエティに富んだ作風はやはり魅力だと思う。

ビートルズを一言で語ると “ 多様性 ” ということではなかろうか。そしてその “ 多様性 ” は、ビートルズの活躍したフィールドがロックであったからこそ開花し、現代の全ての音楽的要素を包括していると評されるこの “ ホワイト アルバム ” において最大限に発揮されている。これが他のジャンルの他のミュージシャンであれば、こうはいかなかっただろう。ロック以外の音楽ジャンルでは、革命的とされる創意工夫や掟破りも、ロックにおいては日常茶飯事であり、ごくごく当たり前と見なされるのも面白い現象である。

アルバムどころかビートルズ全史で俯瞰しても屈指の名曲 「 ホワイル マイ ギター ジェントリー ウィープス 」 は、ジョージの作品である。ゲストとしてエリック・クラプトンのような大物が参加するのはやはり珍しく、演奏も緊張感あふれる引き締まったものになっている。この共演で、クラプトンはポールのベースを高く評価したという。
ポールの作品としては、ヘヴィ メタルと呼んでも差し支えない 「 ヘルター スケルター 」 ( マンソン ファミリーが起こした事件との関係が取りざたされたこともある。最後にリンゴが “ 指にマメができちまった! ” と叫んでいる ) やスカビートを取り入れて軽快な 「オブ ラ ディ、オブ ラ ダ」 が印象深い。
ジョンは最も多い13曲を提供している。そのどれもがジョンらしい個性に溢れた作品ではあるが、難解な印象も受ける。特に 「 レボリューション 9 」 はジョンとヨーコによる前衛作品で、’68年にヨーコと制作した問題以外の何ものでもない 『 「 未完成 」 作品第一番 ~ トゥー ヴァージンズ 』 の系譜上にある。この時期、ジョン・レノンはオノ・ヨーコに接近することで、後々露わとなる “ 狂気の天才 ” へのステップとした。

レコーディング中、リンゴが非公式にビートルズを脱退するという騒動が起こったが、ビートルズのバンドとしての求心力が低下し始めるのも、このアルバムを制作した頃からである。



2013年8月11日 ( http://blog.kouchu.info/2013/08/TheBeatles-A0000001.html )
番号 「 A0000001 」 が刻印されたアルバム 「 The BEATLES 」 が340万円で落札される

ビートルズのアルバム 『 The BEATLES 』 の LPのジャケットには通し番号が刻印されていることで有名ですが、このたび 「 A0000001 」 が刻印されたものが Heritage Auctions に出品され、 35,000米ドル ( 約340万円 ) で落札されました。
昨年同オークションで 「 A0000023 」 の同アルバムが 13,750米ドルで落札されていました。今回はその 2倍以上の金額になっています。 
 「 A0000001 」 は当然ビートルズのメンバーが持っているだろうと思いきや、プロモーション用に 「 A0000001 」 が複数刻印されたと出品者は主張しています。今回の出品物は Capitol Record のクラシック部門のトップがかつて所有していたものとのことです。


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ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう
     第一回 記録編
     第二回 記憶編










2013年8月2日金曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ 34年ぶりのデイヴ × ヴァン ヘイレン ついに日本上陸


第13回目 テーマ: ヴァン ヘイレン ~ アメリカンロックのリヴィングレジェンドついに来たる

フランシーヌ千里です。
毎日きびしい暑さが続きますが、みなさま、いかがお過ごしですか?
こんな時こそ! ハードロックを聴き、暑さも、何もかも! 吹き飛ばしてやるぞ! という気持ちです。

さて、いわし亭部長が音楽に目覚めた ’60年、’70年代あたりの音楽の話をする際に、楽器の “ 奏法 ” についてよく話が及びます。今の音楽に大きな影響を与えている “ 奏法 ” は、だいたい ’80年代までに出揃ったとのこと。
世の中にこんなにたくさん音楽があふれている中で、この30年は新しいものが出ていないというのは、私にとって驚きでした。

その中でも “ ライトハンド奏法 ” については、ヴァン ヘイレンのギタリストの影響で、当時のギター愛好者がこぞってまねをした というエピソードを聞き、その影響力のあり方、広がり方などを面白いなあと思っていました。そして何より、当時エドワード・ヴァン=ヘイレンがギターを奏でる様子をいわし亭部長の話からありありとイメージするのでした。


そんな折、出張先の東京でふと目にした “ ヴァン ヘイレン 来日! ” の看板。
タイムリー! ということで、いわし亭部長が参加した久々の大阪ライヴの様子とともに、ライトハンド奏法について聞きました。今回、“ ライトハンド奏法 ” のルーツを改めて調べる中で、その広がり方において、私たちにとって意外な事実がわかりました。

どうぞお聞きください!






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ヴァン ヘイレン 『 1984 』

1. 1984
2. ジャンプ
3. パナマ
4. トップ ジミー
5. ドロップ デッド レッグス
6. ホット フォー ティーチャー
7. ウェイト
8. ガール ゴーン バッド
9. ハウス オブ ペイン








イギリスの作家ジョージ・オーウェルが ’49年に刊行した 『 1984 』 は、全体主義に支配された近未来社会を描いたディストピア小説である。その影響力は広範で、作品発表の当初から、多くの予見的・自覚的な人々によって “ 1984 ”  年という記号は、シンボリックに語られてきた。
例えば、デヴィッド・ボウイは、この作品のミュージカル化を企画し ( 残念ながら頓挫したが ) 、その成果を “ 1984 ” 年の 10 年も前の ’74年 7枚目のアルバム 『 ダイアモンドの犬 』 の中で結実した。
そして、とうとうやって来た 1984 年。その1月に多くのリスナーを呆れさせるタイミングで、ヴァン ヘイレンはそのものズバリ 『 1984 』 と命名した作品をリリースする。この 『 1984 』 により、ヴァン ヘイレンはノー天気なアメリカン バカ ロックの帝王として名実ともに超大物アーティストの仲間入りをする。
このアルバムは、マイケル・ジャクソンの 『 スリラー 』 の長期政権に阻まれ残念ながら、全米最高第2位にとどまったが、シングル カットされた 「 ジャンプ 」 は5週間連続第1位を記録し、ヴァン ヘイレン最大のヒット曲となった。この 「 ジャンプ 」 は、投身自殺の見物人が “ さっさと 飛べ! ” と怒鳴っていた鬼畜なありさまから着想を得て作られたという何ともバチ当りな一曲 ( 笑 ) 
いわし亭は、当時のバンドの勢いをそのまま持ちこんだかのような、ストレートで何の小細工もない、全くカネのかかっていない PV も大好きだった。被写体が魅力的ならば、ステージングを撮影するだけでノー問題! といったお手本のようなこの PV 。エドワードをはじめメンバー全員の笑顔がすこぶるチャーミングで、当時、テレビ朝日の深夜番組で小林克也が VJ を務めた 『 ベスト ヒット USA 』 を熱心に見ては、録画したものである。

ちなみに 「 ジャンプ 」 は、ネオ アコースティック サウンドの中核をなすグループ “ アズテック カメラ ” がカヴァーしており、これまた秀逸な出来です。




2013年6月18日火曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談~キノコホテル『淫力魔女の生贄 』ツアー


第12回目 テーマ: 『淫力魔女の生贄 』ツアー~キノコホテル ライヴ レポート


フランシーヌ千里です。

行ってまいりましたよ! 神戸ライヴ!! 5月24日に神戸 “ 太陽と虎 ” で行われたキノコホテルの “ 実演会 ” ( キノコホテルのライヴを彼女たちはこう呼んでます ) に行ってまいりました。あぁ、楽しかった… そして感動。

関西での“実演会”を通して、いわし亭部長と放談しています。
 “実演会”の間、そしてあれからいろいろと考えていたことを、今回は私をメインでしゃべらせていただいています。

マリアンヌ東雲さんのエンターテイナーぶりに始まり、今回のツアー 『 淫力魔女の生贄 』 というテーマについて や、男性であるいわし亭部長と女性であるフランシーヌのステージに対する感じ方の違いなど…

今回は新たにメンバーに加わったジュリエッタ霧島さんの演奏を含めたキノコホテルのサウンドについてもいわし亭部長に分析を行ってもらいました。

ライヴハウスの写真も入っているので見て & 聴いてくださいね!






マリアンヌ東雲さんはフロアを凝視してくれるのですが、何だか私は、見つめられているような気持ちになってどきどきしてしまいました。
仕事帰りに急いで駆けつけたので、お化粧直しもままならぬままの参加だったのですが、こんなに見られるならば (!?) ちゃんとお化粧直ししておくんだったぁ と… それもあとの祭り! 

ともかくも、まさにマリアンヌ支配人と一体となれたすばらしい “ 実演会 ” でした。


キノコファンさん、よろしければコメントもいただければうれしいです。


● 5月24日の “ 実演会 ” の前にライヴハウスで流れていたドアーズの記事についてはこちら

● いわし亭の 連載 『 キノコノトリコ~キノコホテル物語 』 はこちら

● 昨年10月の “ 実演会 ” に関する放談 『 キノコホテル体験記 』 はこちら




『 マリアンヌの逆襲』  

1. エレキでスイム
 ( 作曲 : ブラボー小松 )

2. ノイジー・ベイビー
 ( 作詞 ・ 作曲 : クニ河内 )

3. 今夜はとってもいけない娘
 ( 作詞 : 山川啓介 作曲 : いずみたく )

4. かえせ! 太陽を
 ( 作詞 : 坂野義光 作曲 : 眞鍋理一郎 )

5. すべて売り物
 ( 作詞 : Phew 作曲 : aunt sally )

6. 悪魔巣取金愚
 ( 作詞 ・ 作曲 : 橋 照幸 )





実演会で、初めて 「 かえせ! 太陽を 」 を聴いたのは2011年の7月だった。
これはイギリスのカルト雑誌 『 ビザール 』 がオールタイム異常映画に選出した国際的なカルト作品 『 ゴジラ対ヘドラ 』 の劇中挿入歌である。本作では ’71年当時の風俗を反映して、主題歌を唄う麻里圭子のボディ スーツにはサイケデリックなペイントが施され、いたずらに危機感をあおる彼女のアナーキーなヴォーカルが、三回も披露される。
そして、このミニアルバムのタイトルも間違いなく、この曲の収録と同時に決まったのだろう。“ ゴジラ ” の第二作は大坂城を舞台にアンギラスとの激闘を描いた 『 ゴジラの逆襲 』 である。

歌詞の素晴らしさもさることながら、この曲をあの福島原発事故のわずか4か月後に実演会で披露したマリアンヌ支配人には、ある種の思いがあったのではないかと、容易に察せられる。
そもそも、“ ゴジラ ” 程、核の脅威をテーマにした作品はなかったのだ。


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JUNGLE ★ LIFE (VOL.185 2013 年 5月 1日)


―― 逆に今作で一番知られているとしたら、映画 『 ゴジラ対ヘドラ 』 の主題歌にもなった 「 かえせ! 太陽を 」 でしょうか?
マリアンヌ 私はこの映画がすごく好きで、DVDも持っていて何回も観ているんです。印象的な曲だし、いつかカバーしたいとは思っていました。でもいかんせんメッセージ性の強い曲なので、キノコホテルとしてやるのはちょっと違う。ところがとうとうああいう事故 ( 福島原発事故 ) が起きて… 今こそ、この曲の出番だと思ったわけです

―― 東日本大震災に伴う福島原発での事故が、契機になっている
マリアンヌ 一昨年の 3.11 をキッカケに、実演会で演奏するようになりました。ヘドラは公害がモチーフになっているんですけど、そもそもゴジラ自体が放射能とは切っても切れない存在ですから

―― 公開当時に観た多くの子どもが、トラウマになったということでも知られる映画なんですよね
マリアンヌ そういうところも良いと思うんですよ。昔の娯楽作品はトラウマを生むほど強烈でありながらも、どこかにユーモアがあったり、ちゃんとメッセージがあったりしたでしょう。今そういったものを作らせると、ただ単に悪趣味で不健康なだけだったり、やたら説教臭い駄作にしかならないんじゃないかしら。人から注目を集めるためだけの、グロくて病的なものが一瞬注目を浴びてすぐに忘れ去られて行く。そんな今の風潮に、私は馴染めないでいます。キノコホテルも同じで要所要所に毒がある感じが良くて、毒 100 % だとただのゲテモノですし、つまらないんです。様々なスパイスを何処にどう振りかけて行くかが面白い。料理のようなものですね。私はしないけど ( 笑 ) 

―― この曲も歌っている内容はきついはずなのに、すごくキャッチーに聞こえるのが面白かったです
マリアンヌ 「 水銀 コバルト カドミウム 鉛 硫酸 オキシダン… 」 よく考えますよね ( 笑 )  この絶妙なはまりぶり。それをわざと誇張するような歌い方にしたりとか、色々と工夫に工夫を重ねました。この曲が一番、歌入れに苦労しました。まずどういうスタンスで臨もうか、というところから出発したので

―― 原曲ともまた違った、かわいらしい歌声に聞こえました
マリアンヌ ( 原曲の ) 麻里圭子さんみたいな “ お姉さん ” っぽい感じでサラっと歌おうかとも思ったんですが。ステージでは、もはやパンクのようなアプローチで攻める事もあります。お客さんと一緒に拳を上げて思いっきり叫んだりとかね。その光景はなかなか面白いんですが、視覚のない録音物で同じことをするとシラケてしまうのね。だからそれとは路線を全然違うものにしようとした結果、大人なのか子どもなのか誰が歌っているのかもよくわからない仕上がりになりました。ボーカルのエフェクトは色々試してテープエコーを採用しています。昔のアニメの曲みたいなものをちょっと狙ってみたの


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【第2回】 現在に至るめまぐるしいメンバー チェンジ(2013/2/1 改訂)

【第3回】 キノコ再生~最強メンバー 集結

【外伝】エマニュエル小湊 秘書~キノコホテル退職直前実演会
     2012年12月6日 サロン・ド・キノコ~四次元の美学・名古屋編 クラブクアトロ にて

【第4回】 リズムセクション 電気ベース担当:エマニュエル小湊 & ドラムス担当:ファビエンヌ猪苗代

【特報】新従業員 ジュリエッタ霧島 颯爽登場!(1)(2)(3)(4)
   2013年2月9日 サロン・ド・キノコ~河原町炎上・第一夜 京都磔磔 
   2013年2月16日 FUZZ! presents キノコホテル実演会 高松swagg
   2013年5月24日 サロン・ド・キノコ~淫力魔女の生贄・神戸編 太陽と虎
   2013年5月25日 サロン・ド・キノコ~淫力魔女の生贄・大阪梅田編 Shangri-La
   2013年8月19日 サロン・ド・キノコ  神戸 太陽と虎

【緊急レポート】その時なにが起こったの? 風雲急! マリアンヌ支配人、倒れる

【 緊急レポート 】 「 ノイジー・ベイビー 」 カヴァー騒動顛末記 ~ 歌は誰のものなのか?

【 第5回 】 電気ギター担当:イザベル=ケメ鴨川







2013年5月24日金曜日

いわし亭部長の Net Radio Station ~イタリアン プログレフェスティヴァル マウロ・パガーニ/アレア レポート


第11回目 テーマ: 『 イタリアン プログレッシブロック フェスティヴァル Ⅲ 最終楽章 』

フランシーヌ千里です。このブログでは、音楽ばかのいわし亭部長のリアルでレア? な音楽ライフをお伝えしています。
今回は、ゴールデンウィークに川崎のクラブ チッタで開催された 『 イタリアン プログレッシブロック フェスティヴァル Ⅲ 最終楽章 』 について聞きました。
『 イタリアン プログレッシブロック フェスティヴァル 』! イタリアン? プログレフェス? どんな音楽が演奏されるのか? 聴いている人たちはどんな人たちなのか? 興味津々でした。
いわし亭部長の話を聞いて、行きたくてもそう易々とは行けない、入場料も高価な大人のためのフェス。愛好家も集まって、3日間開催される中、連続で参加されている方もいらっしゃったようです。
そんな大人のためのフェスは、みなさん椅子に座って落ち着いて ( プログレなのでクラッシック的な要素もあり、音をじっくりと楽しむ方も多い ) 聴いておられたとのこと!!
これまで3年連続で開催されたそうですが、1回目にはなんとあの “ オザンナ ” も来日していたそうですよ。
今回、期待たっぷりにいわし亭部長が乗り込んだ一大イヴェントの報告をどうぞ!





マウロ・パガーニ ( Mauro Pagani ) と
プレミアータ フォルネリア マルコーニ ( Premiata Forneria Marconi )

“ マルコーニおばさんのおいしいパン屋 ” という意味。
’73年の世界進出時、頭文字を取って PFM と略称されたが、プログレ ファンの間では、これをフルネームで言えなければモグリとされた ( 笑 )

’70年結成。 ’72年、ELP のイタリア公演のオープニングアクトを務めて、グレッグ・レイクに注目され、ピート・シンフィールドのプロデュースの元、英語詞主体のアルバム 『 幻の映像 』 を制作し、ELP が主催するマンティコア レーベルから全世界に発信された。日本でも国際デビュー直後から注目され、’75年11月の初来日で計4回も公演を行っている。

’76年の 『 チョコレート キングス 』 を機にマウロ・パガーニ ( ヴァイオリン、フルート、ヴォーカル ) が脱退、その後もグループの改編が続いたが、現在もオリジナル メンバーのフランツ・ディ・チョッチョ ( ドラム、ヴォーカル )、フランコ・ムッシーダ ( ギター、ヴォーカル )、ヤン・パトリック・ジヴァス ( ベース ) の3人が在籍し、数度の休止を挟みつつも、音楽活動を続けている。プログレッシヴロック フェスティヴァルでは、当然のことながらパート Ⅰ で来日している。

PFM との衝撃的な出会いはユーロロックのステレオタイプとして、ユーロロック ≒ シンフォニックロック ≒ PFM として、決定的な影響力を持った。しかし、フェスティヴァルのパート Ⅰ で来日した PFM には、すでにマウロ・パガーニというスタープレーヤーがおらず、画竜点睛を欠いていた。
日本のプログレ ファンにとって思い入れの対象は、国際デビュー盤 『 幻の映像 』 におけるマウロ・パガーニの流麗なヴァイオリンとフルートの響きであり、マウロ・パガーニの再来日はファンの見果てぬ夢であったのだ。実はイタリアン プログレッシヴロック フェスティヴァルが企画されるより前に、マウロ・パガーニの来日は二度も試みられたが、諸般の事情で流れ、今回が三度目の正直だった。

現在、マウロ・パガーニは地中海音楽に半生を捧げている。最初のソロアルバムとして ’78年に発表された 『 地中海の伝説 』 は今なお、地中海音楽を愛する者にとっての最重要アルバムである。
技術的な高さを無意味に誇示するわけではなく、歌心を大切にした牧歌的なテイストを併せ持ちながらしかし、艶やかなヴァイオリンの音色をフィーチャして、弾くべきところはきっちり弾いてみせる高度なテクニックに裏付けられた、これだけでご飯三杯はいける大傑作なのだ。
『 地中海の伝説 』 には、この夜、共演したAREAのメンバーをまじえたジャズ ロック風の楽曲も収録されており、案の定、最後のアンコールではパガーニとアレアの夢の競演も実現した。

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アレア ( AREA )

ラテン語で “ Ardorem repono in anima ” の略で “ 魂に情熱を注ぐ ” という意味。
イタリアのプログレッシヴロック グループの中では、特にフリー ジャズ色の強いバンドではあるが、非常に広範な音楽性を持ち、ヴォーカルのデメトリオ・ストラトス全盛時には、ヨーロッパ最強とも言われた。

PFM の圧倒的な影響でイタリアンロックには、ジャズをベースにしたバンドは珍しい印象があるが実は、オザンナもニュートロルスもジャス テイストの素晴らしいアルバムを発表しており、また、今回招聘されたマクソフォーネ、前回招聘されたアルティ エ メスティエリなど、地中海音楽やクラシック、ジャズを融合させたバンドも意外に多い。
デメトリオ・ストラトス ( ヴォーカル )、ジュリオ・カピオッツォ ( ドラム )、パトリツィオ・ファリセッリ ( キーボード ) を中心に ’72年に結成。“ International Popular Group ” という自称通り、イタリアだけにとらわれない無国籍性の高い作品を凄まじいテクニックを駆使して、量産している。

強い政治性や批評性が喧伝されるが、ヴァレリー・ソラナス ( アンディ・ウォーホルを暗殺しようとしたことで有名なフェミニスト ) やヴィオレット・ノジエール ( フランスの監督 クロード・シャブロルが ’78年に映画化した実在の女性犯罪者 ) などを題材にしたり、アンドレ・ブルトン ( シュールレアリスト。ノジエールに霊感を得たとされる ) やジャック・ラカン ( フランスの構造主義、ポスト構造主義思想に影響力を持った精神分析家 ) の名前が歌詞に散見されるなど、自由自在に題材を選び、音楽表現の限界に挑み続けた。

’79年 ストラトスが白血病により死去した後も活動を継続したが、’00年、カピオッツォの急逝により、残念ながらいったん解散する。

イタリアのプログレッシヴロック グループの多くは、時とともにその音楽性をコマーシャルな方向へと修整していったが、アレアはストラトスを失ってなお、独特のアヴァンギャルドな音楽性を保っていた。
今回、来日したオリジナル メンバーはキーボードのファリセッリだけであるが、それでもバンドはやはりアレア以外の何ものでもなく、その硬派なイメージを損なうことなく、見事なステージを見せてくれた。

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良い! 
もはやオリジナル メンバーは還暦を迎えるロートルのはずなのに、演奏はすこぶる良い! 

パートⅠ 今を去ること、2年前 2011年11月 秋の陣 ― 夢のまた夢  
パートⅡ 2012年4月 春の陣 ― ロマンの誕生 

そして今回ついに、マウロ・パガーニを招聘できたということで、この素晴らしい企画も最後となった。
残念ながらイタリアン プログレッシヴ ロックにおいて、いわし亭が最もインパクトを受けたオザンナは、何とこのパートⅠ 開催時に招聘されており、その意味では痛恨で、企画者のクラブチッタはこれで最後と言わず、今後も可能性のある限り、続けて欲しいと思う。

イタリアには シンガー ソング ライター ≒ カンタトゥーレという魅力的なジャンルが確立され、歌心やメロディを大切にする歴史と伝統がある。プログレッシヴロックと言うと、どうしても難解でテクニカルな点ばかりが強調されるが、イタリアのプログレにはカンタトゥーレの精神がしっかり息づいており、言葉が理解できなくても、そのテイストだけで十分に楽しめるのだ。

しかもこの日は、マウロ・パガーニの牧歌的な第一部に、アレアの硬派でアヴァンギャルドな第二部、さらにアンコールでの奇跡の合体とファンにとっては、見果てぬ夢の実現された記念すべき一夜となった。
実際、過去3回にわたるこのフェスティヴァルは、本国、イタリアでもおそらく実現しないであろう豪華共演の連続であり、日本のプログレ熱が世界的に見ても未だ、いかに高いかを立証したものとも言える。




地中海の伝説 

1. ヨーロッパの曙

2. アルジエント
3. 哀しみのヴァイオリン
4. 馨しき街
5. 木々は歌う ( パートⅠ )
6. コロン
7. 海の調べ
8. 木々は歌う ( パートⅡ )

クラック! 

1. 白い象
2. オデッサのリンゴ
3. 巨大都市
4. のたうつ怒り
5. 栄光と革命
6. インプロージョン
7. アレア5