ラベル クラシック の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル クラシック の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年8月18日水曜日

みのおてならい 『 星を想う朗読会 』 @ 箕面市文化芸能劇場 小ホール 2021 年 8 月 9 日



箕面市文化芸能劇場は、2021年8月1日に杮落としを迎えた超々新しいリッチな場所である。そして今回のような市民グループのイベントとなると、正に最初の催し物になるだろう。高い天井と響きを重視した壁面設計は、この場所が御堂筋線の延伸工事が完了した暁には、北大阪を代表する名物ホールになることが容易に想像できる。初めてこの場所に足を踏み入れた時、“まるで北区のザ・シンフォニーホールだな” と感じたのは決して筆者だけではないだろう。これからこのデコボコした壁面は沢山の潤沢で豊穣な楽器や声の響きを一つ一つ記憶していくのだろう。そして、最高の音響空間として、その空気も気配も一緒に調律されていくのだろう と思うと、ここを再訪問する日が、今から楽しみである。


新交響楽団 ( 現在のNHK交響楽団 ) のチェロ奏者 大津三郎の著述 「 私の生徒 宮沢賢治 ~ 三日間セロを教えた話 」(『音楽之友』 1952年1月号 ) によると、賢治は大正15年の上京の際、大津三郎の自宅でレッスンを受け、「 エスペラントの詩を書きたいので、朗誦伴奏 ( ろうしょうばんそう ) にと思ってオルガンを自習しましたが、どうもオルガンよりセロの方がよいように思いますので… 」 とその理由を語ったという。エスペラントとは、ポーランド生まれのユダヤ人、ザメンホフが1887 年に考案した国際語である。賢治がエスペラント語に興味を持っていたのか と思うと、新しい発見をしたような嬉しい気持ちになる。異なる文化や言語を持つ人々が対等な立場で、共通言語を使って、まずはお互いの違いを理解しあおうという… 正に多様性へのアプローチの為のツール エスペラント語。ザメンホフの思想は、東北から上京した賢治には、何より身近なものであったに違いない。
英語がある意味、世界で最も頻繁に使われているという事実はつまり、英語圏の人間が他の国を侵略した歴史的な事実の多さを物語っている。結果として、国際的な交渉事を行う時、英語圏の人間が圧倒的に有利なことは否めない。それゆえに、筆者は英語を素直に肯定できない。ザメンホフも賢治も同じ気持ちだったと思いたい。エスペラント語は、誰もが、同じ不自由さからスタートする対等さを補償しているのだ。

朗誦伴奏とは 読んで字のごとく、作品の朗読にあわせて音楽を演奏することで、多くの詩や童話を書いた宮沢賢治は、音楽に対しても強い関心を抱いていたらしい。それは東北という土地に特有の方言が持つメロディやイントネーションをとりわけ大切に扱った賢治ならではの感覚である。

賢治の 『 永訣 ( えいけつ ) の朝 』 には “ あめゆじゅ とてちて けんじゃ ”  という、暗号のような不思議な言葉が出てくるが、これは、24歳で亡くなった賢治の妹トシが死の床で兄に頼んだ言葉で、 “ 雨雪( みぞれ混じりの雪 )を取ってきてちょうだい ” という意味だそうだ。福島県生まれのミュージシャン 遠藤ミチロウさんが、自作の曲の中でこの言葉を使っているが、その曲紹介の際、発音された音を聞いて、初めて、この言葉本来の姿に会った と感じた。


チェロは17世紀中はチェンバロなどとともに伴奏楽器として認識されているが、バロック時代の終わりまでは、独奏楽器として多用されていた。重厚な低音による伴奏から、明快なメロディを伴う独奏まで楽器としてはオールマイティで、サウンドのヴァリエ―ション、音色の多彩さは弦楽器の中でも抜きんでている。

朗誦伴奏 を担当された山岸孝教さんは、大阪音楽大学 ザ・カレッジオペラハウス管弦楽団で首席を務められている。その気さくなお人柄からは、想像のつかない多様で、奥深い音色を奏でられ、実は大変な演奏家なのだと、今更ながらに痛感させられる名チェリストである。チェロの響きを生かした特有の重低音が筆者は大好きで、リハーサルの時からすでに気分は高揚していた。

朗読会はその山岸さんの独奏 1939年のミュージカル映画 『 オズの魔法使 』 でジュディ・ガーランドが歌った 「 虹の彼方に 」 から始まった。最初の一音で、場内のざわついて落ち着きのなかった気配が、さらりと変わってしまったのは、流石だった。


続いて川邊暁美さんの朗読で 小川未明 「 月夜と眼鏡 」。川邊さんは NHK神戸放送局のニューズキャスターを経て、2008 年 声と言葉のコミュニケーション力、表現力UP をベースにした人材育成、コンサルティングを行う 「 言の葉OFFICE かのん 」 を設立。*シン・新型肺炎で リアル催事の中止が続く中、いち早くオンライン体験会にシフトした 「 みのおてならい 」 からの要請で、川邊さんがライフワークとして取り組んでいる朗読の体験会をオンライン上で開催、それが今回の 「 星を想う朗読会 」 の重要な伏線となっている。NHKのニューズキャスターという来歴もあって、何とも美しい滑舌、イントネーションを披露され、どのような物語が朗読されているのか? といったことよりも、言葉の持つ音そのものの力こそが、聴いた人をストレートに幸せな気持ちにさせるのだと感じた。


市民朗読家の皆さんの朗読を挟んで、朗誦伴奏 宮沢賢治 「 銀河鉄道の夜 」。

朗誦伴奏とは、実は二重奏 ( デュエット ) であり、演奏が朗読のバックを務める といった単純なものではないんじゃないか? 器楽演奏はもちろん、朗読もまた人の声を奏でる音楽の一形態であり、二つの演奏が時には火花を散らしながら競い合い、時には一方が後ろに下がってサポートに回り、時には全く対等な立ち位置から互いに溶け合い融合して新しい世界観を構築する、そうしたお互いの関係性が目まぐるしく変化するパフォーマンスなのでは? とさえ思った。

洋楽の熱心なリスナーなら、歌われた異国語の歌詞がたとえ理解できなくとも、人の声を楽器の奏でる音と同等に捉えて、聴く事に慣れているだろう。もちろん歌詞の意味は分かった方が良いに決まっているが、音色として聴かれる人の声は楽器の奏でるサウンドと同等の意味を獲得している。


朗誦伴奏の場合、聴感上、耳に優しく、美しい音色としての言葉とそれを奏でる鍛えられた声が必要だ。実は、あまりに気持ちよくて睡魔に襲われた程だったと、白状しておこう。それほどまでに、この朗誦伴奏はデトックス力の高い、日本語で演じられた最高レベルのものだった。

最後は再び、山岸さんの独奏で 宮沢賢治 「 星めぐりの歌 」。歌詞はなかったが、深い余韻を残すチェロの響きは、こうした優しい催し物の最後に相応しい。

朗読された作品は著作から70年を経たパブリックドメインである。この70年という時間の経過が絶妙である。新しい作品ではないが、逆に現代の日本語に馴染まない程、古過ぎない、まことに適度な言葉で書かれたものである。というのも、“ 日本語の乱れ ” であるとか “ 正しい日本語 ” “ 正しい発音 ” といった見方・言い方に、筆者は懐疑的なのだ。

吉田兼好は、徒然草 第22段 で “ 今時の人は 言葉を略し過ぎる ” と少し怒っている。兼好は、今日的に言えばエッセイストであり、文化人でもあるが出家していたので、社会を外側から観察出来ていた ともいえよう。彼が “ 今時 ” つまり鎌倉時代末期 ~ 今から八百年ほど前、日本語が乱れてる という印象を持っていた というのは興味深い。 

“ 近頃の若者は 云々 ” というモノ言いに至っては、古代エジプトで約5000年前、現在のトルコにあった古代ヒッタイト王国や古代中国でも約4000年前にはすでに登場していて、その中では若者言葉への指摘も見られる。言葉は、時代とともに、世代とともに変化するのが当たり前 と考える方が精神衛生上 よろしいようだ。

「 星を想う朗読会 」 で朗読されたのは、まさに、絶妙に古びた、耳に優しく、美しい日本語であり、ここで “ 正しい ” と表記するのはやめよう。


はぁ? うっせぇうっせぇうっせぇわ

あなたが思うより 健康です

一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね


YouTube で1億6千万 回 ( 2020/10/23 公開 7月20日現在 ) 以上の再生を叩きだした 作詞・作曲 syudou 歌唱 Ado「 うっせぇわ 」。ここで歌われる歌詞とメロディの一体感、その必然性と見事な着地。紛う方なき傑作であることは、この再生回数が証明している。しかし、しかしだ。この楽曲、どう聞いても、不快感が先立つのを禁じ得ないのは、なぜなのか? 

いくつかの理由は考えられるが、やはり、使われている言葉への嫌悪感が大きい とは思う。言葉は時代とともに変化する。いつしか社会の中心にいた大人も老けていき、淘汰されて、その役割を次の世代に取って代わられる。変化を嫌う大人の世代からすれば、若者のあり方が受け入れ難い というのは必然であり、過去から現在に至るまで、世界中の至る所で繰り返されてきた実例を先ほど見た。それらを認めた上で、敢えて言うなら、懐かしい、耳に優しく、美しい日本語は、誰にとっても、どの世代にとっても、聞き手の気持ちに寄り添い、心の一番深いところに刺さる力を残しているのだ と。


市民朗読家の方々が披露された作品たち ~ グリム兄弟 「 星の銀貨 」/ 加藤介春「 風 」/竹久夢二 「 風 」 「 風の通路 」/ 志賀直哉 「 小僧の神様 」/ 新美南吉 「ゲタニ バケル 」 / 夢野久作 「 キャラメルと飴玉 」/ 山本周五郎 「 鼓くらべ 」/ 小川未明 「 こがらしの ふく ばん 」 「 野ばら 」/ 中原中也 「 夜汽車の食堂 」/ 高村光太郎 「 智恵子抄 」 より/ 太宰治 「 満願 」 ~。知っているお話、タイトルくらいは知っているお話、作家の名前だけなら知っているお話、ぜんぜん知らないお話。筆者の狭小な知識では、知らないお話の方がもちろん多かったのだが、夫々に発見や気づきが多く、楽しい小品の見本市だった。



個人的には夢野久作の 「 キャラメルと飴玉 」 に驚かされた。あの幻魔怪奇探偵小説 『 ドグラマグラ 』 の作者である久作が、こんなに可愛らしい小品を書いていたなんて と。

懐かしい、耳に優しく、美しい日本語で綴られたお話には、包み込まれるような気配があり、予備知識が何もなくても、心も身体も懐かしい気持ちで満たされて、いつしか心地良い、何とも言えない気持ちになってしまう力があるのだ。


山田耕筰の 「 赤とんぼ 」 を聴く時、あのメロディは山田自身が説明している様に、明治期以前の江戸弁由来であって、関西ではああいう発音はしない。と筆者は長年、思ってきたが、言語アクセントに忠実にメロディを作曲する という山田の発想は、朗読という場でこそ、発揮されるべきスタンスなのではないだろうか 等と つらつら考える。

先ほどの宮沢賢治のエスぺラント語へのこだわりや、東北に特有の言葉の持つメロディやアクセントの妙も、実は彼の作品を朗読する際の大きなポイントになるのではないか? 方言を一人称で使う世代が激減して、標準語だけが残された時、音楽の持つ可能性のかなりな部分が削ぎ落とされてしまうのではないか? という懸念が、筆者にはある。


朗読という行為に意味があるとしたら、それは、懐かしい、耳に優しく、美しい日本語を 方言も含め 音 ( メロディ・イントネーション )として 次の世代に伝えていく 残していく ということなのかもしれない。

自分自身、出来るだけ沢山の美しい言葉を、声に出して、読み上げてみたい。そんな欲求にかられた、お休みの日の午後であった。


2021年8月9日 月曜日 台風一過の昼下がり @箕面市文化芸能劇場




*「シン・新型肺炎」

文中の「シン・新型肺炎」は、造語です。新型肺炎は2020年に出現した新型の感染症であり、2021年になってさらにデルタ株、ラムダ株など感染症が次々と変化しているため、庵野秀明の「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」に倣って命名しました。なお、個人的にコロナビールの愛飲者であるため、コロナという言葉を使うのは出来るだけ避けるようにしています(笑)




2020年9月20日日曜日

第5回 みのおてならい サロンコンサート 『 右手のピアニスト 樋上眞生 ~ Replay / リプレイ 』 @ 箕面市立メイプルホール 小ホール 2020 年 9 月 12 日

昨年の年末辺りから謎の感染症 “ 新型コロナウィルス/ COVID19 ” が世界中に蔓延し始め、2019 年以前の世界にはもう戻れないのだと、人々が気づくまでには、それほどの時間を要しなかった。2020 年の春先には、様々なイベント、コンサート、ライヴが次々と中止・延期になり、それは 4 年に一度の世界的スポーツの祭典オリンピックといえども同様で、人々は密を避けて、自宅に閉じこもり、この災厄が去るのをじっと待つしかなかった。

コンサートを行うには、配信という形が奨励され、人々が生の音を浴びる様に聴く というコンサート本来の姿はとても贅沢なものになった。5 月に予定されていた『 右手のピアニスト 樋上眞生 ~ Replay / リプレイ 』もまた、延期と何度かの慎重な検討の後、やっと開催にこぎつけたが、演奏会場である箕面市立メイプル小ホール本来のキャパシティの三分の一足らずの 30 名の聴衆を招くに止まり、後はネットによる配信という形を取らざるを得なかった。この会場、とても古い建物で、配信の設備が整っておらず、“みのおてならいサロンコンサート”のスタッフは Wi-Fi の設備を持ち込んで、その対応に当たった。

ところが、コンサート開始直前、それまで通常に機能していた設備に不具合が生じてしまい、コンサートの開始が 15 分も順延してしまった。そのタイミングでも実は配信環境は復帰していなかったのだが、これ以上、遅れるわけにはいかない という苦渋の判断で、配信は環境が整い次第、追いかけて行う ということにしたのだ。



市川海老蔵( 十一代目 )似の 二枚目 樋上眞生(ひのうえまお)さんは
、将来を嘱望される新進気鋭のピアニストである。20 代前半から、コンクールへの出場と受賞を重ね、2013 年 29 歳の時には、日本芸術センター年間最優秀ピアニストに選出された。その翌年、満を持して、ロシアの作曲家 セルゲイ・リャプノフに自らの超絶技巧を駆使してチャレンジ、日本人初となるピアノ ソナタの CD を発表する。ところが、やはりこの録音、心身ともに相当な負荷がかかったのか、収録後、左手の人差し指に違和感があり、局所性ジストニアという難病に罹患していることが分かった。

半年が過ぎても左手が快癒に向かわない状況を受けて、樋上さんは一つの決断をする。不自由な左手を使って両手で弾くことよりも、自由な右手を縦横無尽に使い切る方を選択したのである。

世の中には、左手のピアニストが多数存在する。片腕が不自由になるという状況は右でも左でも、ほぼ同じ確率で発生するはずなのだが、右手のピアニストの活躍はこれまで目立ったものではなかった。2019 年 11 月、金沢で開催された < 左手のピアニストの為の公開オーディション > に出演した樋上さんを見た斯界の第一人者にして審査委員長を務める館野泉さんですら “ 右手の演奏をはじめて見た ” という驚きを隠せず、その優れたパフォーマンスに対して優秀賞を送った。

左手のピアニストが次々と輩出されたのは、最初にその偉業に挑戦したロシアのアレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンが右手を故障したピアニストだったから という点がことのほか大きいようだ。その後、結果として、スクリャービン用に作曲されたもの、自身で作曲したもの等、左手用のピアノ曲は 3000 曲以上ある と言われている。その中には、バレエ曲「 ボレロ 」で有名なモーリス・ラヴェルが戦争で右手を喪失したパウル・ヴィトゲンシュタインに依頼され作曲したものもある。ところが、右手用の作品となるとごくわずかなのだ。

片手での演奏は音数の制限を受けるため、右足で操作されるダンパーペダルによる音色のバリエイション( 主たる役割は以下の三つ ① 音を響かせる ② 音を繋げる ③ 倍音を利用する )が非常に重要であり、演奏フォームを見る限り、左手と右足でのスタイルの方が有利であることは否めない。右手のピアニストの活躍を阻んできたのが、この演奏フォームの問題であることは容易に想像がつく。

では、右手を生かすために、左足を鍛えてどうか? という代替案もないではない。しかし、超絶技巧を支えていた右足の動きをこれまで何の訓練も受けてこなかった左足で担うのは、無理ではないにしろ、時間がかかりすぎるだろう。オートマチック車が普及し始めた ’ 80 年代初頭、左足を不用意に使ってしまう事故が多発したことからも分かるように、特に左足を自在に使いこなすには、腕以上に厳しい訓練が必要だ。

右手のピアニストの場合、演奏のために使う身体の部位が右側に偏るため、身体全体が強烈に右側へ持っていかれる。これでは女性ピアニストは到底、演奏できないだろう。実際、初めてお会いした樋上さんの第一印象は、細マッチョ。右手のピアニストは、まず体幹を徹底的に鍛えるところから始めなければならない。若くして、超絶技巧をマスターした高度なスキルが前提でないと、到底、たどり着けない境地である。

従来ある曲を右手用に編曲していくこと、あるいは初めから右手用の作曲をすること。いずれにしても手探りで、ひとつひとつクリアしていかなければならないその気の遠くなるような作業の果てに、現在の樋上さんはいる。もちろん、たくさんの悩み、苦しみ、眠れない夜があっただろう。ところが、実際にお会いした樋上さんは、本当に気さくで明るい、朗らかな方で、そんな過去を微塵も感じさせないのだから驚きだ。この持って生まれた強靭な精神力こそが、右手のピアニストを誕生させた最大の原動力なのかもしれない。



ロサンゼルスを拠点に ’ 60 年代の終焉を駆け抜けた伝説のバンド ドアーズ。若者の暴力衝動や反権力と言った志向を反映して、メンバーが非日常的で乱暴なふるまいを得意とし、ノイジーなだけの演奏や稚拙な歌詞の絶叫で、ロックが芸術的な評価に全く値しないという地位に甘んじていた頃、突然変異のように現れたドアーズは、史上初めて芸術的に論ずるべき、鑑賞に足る音楽としてのロックを創造した。電気楽器がまだ黎明期にあった当持、バンド スタイルと言えばバディ・ホリーが ザ クリケッツで確立したギター 2 本、ベース、ドラムでの編成が支配的であったが、ドアーズは他のバンドとサウンドが似通ってしまうのを嫌い、敢えてベーシストを置かず、キーボードにその役割を担わせた。音の隙間を埋め尽くすのではなく、音数の少なさを逆に個性にしているのだ。

また、ヴォーカリストのジム・モリソンはライヴの最中に “ 生みの苦しみをはらんだ休止 ” と呼んだ演奏の中断を行った。ジムが歌唱の途中で口をつぐんでしまうのだ。自分たちの欲求が中途半端に遮られ、邪魔された聴衆は、フラストレーションを募らせていく。聴衆の我慢が限界に達し、もはや暴動直前にまで高められ、それが崩壊するよりわずかに速く一瞬、ジムの合図でバンドは演奏を再開する。すると、このフラストレーションが一気に解放され、とんでもない高揚感と快感を生み出し、ライヴは怒濤のクライマックスへとなだれこんでゆく。


13 時 30 分 開演予定のコンサート。すでに時計の針は 45 分を過ぎるあたりを指していた。スタッフとして音響ブースにいた筆者も、相当にジリジリしていたのは否めない。

ステージに登場した樋上さんは深々とお辞儀をして、静かに自らのピアノの定位置についた。片手の可動域の関係で椅子の位置は、ピアノに対してやや左寄りになる。この演奏前の何人にも冒しがたい静謐な瞬間。この場に集まった 30 名の聴衆も、“右手のピアニスト”とは一体いかなるものなのか? という好奇の気持ちがあったのは否めないだろう。

第 一 部 一 曲目は ショパン = ゴドフスキー編曲 左手のための『 革命エチュード 』。左手のピアニストの歴史が生み出した名アレンジである。

樋上さんから受ける穏やかな印象からは、想像を絶するスピードと力強さ。一聴すぐさま、今、ステージでとんでもないことが起きている! と誰もが感覚的、直感的に理解するに足るインパクトである。それは、ここまで待たされて、薄ぼんやりとしていた場内の空気が、一気に切り裂かれ、瞬間、ぱっと明るい日差しが差し込んだかのようで、そのカタルシスたるや! このあまりに鮮やかな場面転換は、開演が 15 分も押したことすら僥倖に変えてしまう樋上さんの力業(ちからわざ)の賜物である。まさに、一発、カマしてくれたッ!! のだ。

この曲に特徴的な高音の印象的なフレーズ、右利きのピアニストが右手で弾くこのメロディの強さと説得力は、おそらく左手のピアニストの比ではないだろう。やはり “ 主旋律を弾くのは右手 ” というのは理に適っている と言うほかない。しかし最も驚くべきは、聴感上、片手で演奏されているとは全く思えないことなのだ。

打ち上げの席で樋上さんとお話し出することが出来、確認したのだが、ここに片手用に楽曲を編曲する際の最重要ポイントがある。演奏では片手しか使えない以上、明らかに音数が制限される。従って、楽曲を構成する上で副次的に使われている音は全て整理し、主旋律を最大限に聴きやすくする必要があるのだ。つまり、我々が鼻歌などで音楽を口ずさむ時にやる、あれである。ただし、やみくもに音数を整理するわけではなく、そのレベルは演奏力に比例し、物理的に不可能である場合を除いて、やはり最大限に原曲のスコアは尊重されるのだろう。その意味で、樋上さんの演奏は、人間が片手で可能な音数とスピードにおいて最大限に近いところにある。しかもそれを非常に不安定な右手、右足のフォームで行っているのだ。これはもはや奇跡と言って良い。先だって紹介した館野泉さんの驚きは、まさに右手のピアニストに対する憧憬に他ならない。

右手だけで演奏することの自由さとは、両手で行う奏法における左手の約束事からの解放であろう。同時にそれがもたらす精神的な効果もモチロン大きい様に感じる。樋上さんの場合、不自由な左手からの解放でもあるからだ。不自由になったことで、むしろ自由を得るというのはあまりにも逆説的で、禅における公案のようでもあるが、樋上さんのお話を聞いていると、決して、不自由な左手への負け惜しみでもイソップ寓話にある酸っぱい葡萄のような合理化でもないことが良く分かる。

音楽を奏でる時の気難しい約束事から解放されて、鼻歌でも歌っているような、それこそ自由で楽しさに溢れた演奏が、右手のピアノから次々と紡ぎ出される様子は、音楽の本質的な在り方をも見せつけてくれるのである。

演奏が終了し、細かく振動していたピアノの弦が起こす空気の震えが遠ざかって、ステージを再び静謐が取り囲む瞬間を樋上さんはじっと見ている。そして、立ち上がり、また深々とお辞儀をするのだ。少しだけご挨拶があった。コンサートが開催できたことへのお礼。開演時間が遅れたことへのお詫び。樋上さんのせいではないのに気の毒だな とも思った。そして、何よりこの平常心が凄いではないか。

第 一 部は、左手のピアニストの歴史 とでもいうべき代表曲が並んだ。続く第二部では、正に樋上眞生コンサート『 Replay / リプレイ 』 の真骨頂、右手のピアニストのための楽曲が披瀝される。

同じことを繰り返して申し訳ないが、やはり樋上さんの演奏は、聴感上、片手で演奏されているとはとても思えない。これは既存曲を編曲する際の優れたアイディアはもちろん、とんでもない練習量の結果であることは想像に難くないのだが、驚くべきは樋上さんの音楽を聴く時、そのテクニックに評価の中心を持ってくる人がほとんどいないであろうことなのだ。

表現とテクニックとの関係は、必要にして十分であり、過不足のないことである。やたらと難解でテクニック至上主義の音楽は、もはやサーカスの曲芸と同じで、表現ではなく、難解なスコアをノーミスで弾き切ることへとその目的がズレている。一方で、音楽は音を楽しむことなのだから、下手くそで少しぐらいミスしてもノリが大事 という感覚論もある。しかし、そうした音楽は心から楽しめないし、どうしても興ざめしてしまうところが、見え隠れする。

まず、表現欲求があり、それを実現するために音楽家は、必要にして十分であり過不足のないテクニックを体得する必要がある。樋上さんのテクニックはまさに奇跡としか言いようのないものだが、樋上さん自身、それをアピールするつもりは毛頭ないようだし、そもそも片手で演奏されている事実、そこに至るまでの努力について、聴衆は知る必要がない。ステージで演奏されている音楽の素晴らしさについて、ただただ堪能し、拍手を送ればよいのである。

この表現とテクニックとの理想的なジャストの関係を体現している音楽家は、実は意外に少ない。そしてこれは、今回、右手のピアニスト用として演奏された楽曲の処理についても言える。この編曲の多すぎず、少なすぎないというバランス感覚こそ実は、このジャンルにあって最大限に考慮されるべきポイントで、このジャストな感じもまた同様に、お見事という他ない。

樋上さんを語る時、外せないトピックスとして暗譜能力がある。クラシックの多くの演奏家は楽譜を見ながら演奏する。筆者が見てきたコンサートでも、楽譜をめくる専任者を帯同しているピアニストはたくさんいた。従って暗譜そのものは、必須科目ではないのだが、右手のピアニストである樋上さんの場合、演奏上の必要から、そうせざるを得ないのだろう。必要は発明の母とも言えるが、これもまた、驚異的なことである。

しかも、樋上さんご本人が作曲した作品についても同様とのことで、楽譜は頭の中にあるのだという。筆者の持論である“究極の演奏家は、即興演奏を行った楽曲も含め、同じ楽曲を記憶から何回でも再演できる”という説を裏付けるものだ。これは例えば、将棋の名人戦等で棋士が何手も前の盤面を寸分たがわず再現し、お互いの戦略の良し悪しを議論しあう感想戦の様なものであろう。どの世界にも超一流は存在する。

打ち上げの席で伺ったお話では、ただ、自分の作曲した曲に関しては、少しずつ変化することはありますよ とのこと。しかしこれは、ジャズのシチュエーションであれば優れたアドリブと考えることもできるし、クラシックの世界なら変奏曲というジャンルがある。この変奏曲の可能性は、樋上さんの伸びしろを感じさせるもので、筆者はまだまだこの右手のピアニストを追いかける必要を痛感するし、これからも何度でも驚かされるのだろう。それは嬉しい予感であり、特にジャズを演奏する樋上さんを聴いてみたい と思う。


< 第一部 >

ショパン = ゴドフスキー編曲 / 左手のための『 革命エチュード 』

バッハ = ブラームス編曲 / 左手のためのシャコンヌ

ボルトキエヴィチ / 12の練習曲より第5番『 詩人 』

吉松隆 / アイノラ抒情曲集

< 第二部 >

フォーレ = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 夢のあとに 』

樋上眞生 / 祈り

チャイコフスキー = 樋上眞生編曲 / 右手のための瞑想曲

ラフマニノフ = 樋上眞生編曲 / 右手のためのエレジー

尾上和彦 = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 源氏幻想 』

< アンコール >

カッチーニ = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 アヴェマリア 』



※ 今回のコンサートを開催するにあたり樋上さんに取材し、ご来歴を一篇の物語にしてお届けしています。



2019年7月12日金曜日

第4回 みのおてならい サロンコンサート「島崎陶人/アンドレス・セゴビアに捧ぐ クラシックギター 〜 そらのあなたを聴くしらべ」@箕面市立メイプルホール 2019年6月29日


演奏会の後の軽いお食事会の席で、島崎陶人先生は ご自身がアンドレス・セゴビア師父の演奏を体験した時の印象をたった一音弾いただけで 頭の上をジェット機が飛んで行ったかのように感じるほど 衝撃的な音だった と話された。

それは単に音が大きいだけでなく 音が広がるスピード 音の深み あるいは音色の的確さ 等々 様々な要素が複合的に作用しあった結果だと思われるが それを称して セゴビア奏法というのである。
陶人先生は 50年の試行錯誤の結果として セゴビアの域に達することは不可能である との結論に達した。もはやこれからは 不遜ではあるが セゴビアが目指したと同じ境地 を見ながら修行していくしかない と仰る。

演奏そのものの技術的な高さよりも前に 音 このたった一音の持つ豊饒な響きにこそ セゴビア奏法の ひいては陶人奏法の秘密があるのではないか と思わざるを得ない。
感覚的に それを表するなら 音はいわば空気の粒子の振動であり 波動であり 我々を取り囲む環境である。心地よい振動を持った良い音は 空気の粒子の乱れ( ノイズ )を取り除き 粒子の並びを一定の方向にそろえる。浄化する。まるで 天上に鳴り響く至福の音のように。正に 天に召されたセゴビア師父 そらのあなたを聴くしらべ なのだ。だから 実のところ とても眠たくなってくる( 苦笑 )
水に落ちた小石の波紋が 水面全体にゆったりと広がっていくように たった一つの音が その周りの空気に良い振動を与え 聴衆を取り囲みながら さらには 聴衆の中に入り込み この場所に来るまでにあった 様々な葛藤や感情のもつれ 不快感を取り除き 不具合を正しい方向へと導く。
美輪明宏師父が ご自分のリサイタルで 昨今の音楽はノイジーで 耳からうんこを食べているようなものだ と MC されていたけれども これは正にその対極にある音楽だ。これは ギター演奏会といった類のレベルのものではなく もはや デトックスであり 音楽療法である。優れた音楽の治療的効能は 歴史的にも自明であり あるいはまた 神前に供物の一つとして捧げられて来た。’19 年 6 月 29日の午後 箕面メイプルホールに ギターの音による桃源郷の風景が現出したのだ。

しかし はなはだ逆説的にはなるけれども その音を生み出すのもまた 圧倒的な演奏技術の高さ なのである。先の軽いお食事会の席で 陶人先生は 素晴らしいオペラ歌手の歌声を聴いて大変感動した というお話をされていて この歌手の声は倍音になっているのだろう と思いながら 筆者は聞いていたのだが 実は陶人奏法の重要なポイントはこの 倍音( ハーモニクス )を自由自在に駆使することではないのか との仮説に思い至った。ただ これはあくまでも仮説であり 陶人先生ご本人に確認すれば 全然 違うね~ と一蹴されてしまうのが オチなのだが( 苦笑 ) 音楽を聴いて 触発され あ~でもない こ~でもないと 想像を巡らせるのも また一つの音楽の楽しみ方 としてお許しいただきたい。

倍音の声を持つ最強の歌手は かの美空ひばりであるが 他にも 黒柳徹子 森進一 桑田佳祐 浜崎あゆみ 桜井和寿( ミスター チルドレン ) 吉田美和( ドリームズ カム トゥルー ) 坂井泉水( ZARD )等がいて 確かに印象的で 一度 聴けば忘れられない魅力的な声の持ち主ばかりである。
倍音は 複数の音域が一つの音の中で共存しているため 一度の発声で複数の声色を聴衆に意識させたり 一音でいくつもの感情を伝えることが可能となり それが時にはその歌手自身にカリズマ性を獲得させたりもする。
例えば 話術の巧拙が圧倒的な支持の差を生む政治家や芸人にも この倍音の持ち主は多い。アドルフ・ヒットラーや石原慎太郎 ビッグスリーと言われたタモリ ビートたけし 明石家さんま はモチロン 歴史的なプレゼンを連発したスティーブ・ジョブズもそうである。

このコンサートの数日前に " 新しい奏法 " を発見したため 奏法全体を抜本的に見直す必要が生じた と陶人先生は仰る。それは お食事会の席での 筆者の感想に対するお答えの中で披歴されたのだが 陶人先生のお話を要約するとそれは ギター演奏の基本的なポジションをとった際 多くのギタリスト達とは逆の( つまり かなり不自然な )方向に手首を曲げる というもの( 陶人先生曰く " 手にアゴを乗せた状態で 弦の上に手をもっていく " )で 結果 手首の可動域がおそろしく制限されるのである。これはいわば改悪と言っていい変更なのだが 陶人先生は こうすると 小手先の演奏が出来ず 身体全体で体幹を使って演奏する必要に迫られる と ご説明された。この辺りは古武術を主とした身体技法の研究家 甲野善紀師範と知己を得ていることが大きいのだろう と思われる。
もう一つは 手のひら全体でコードを押さえ 滑らせるように移動するのではなく 指の一本一本で 弾く度 愚直なまでに一音一音 丁寧に押さえていく というものである。このお話を聞いて それは沖縄民謡の中心的な楽器 三線と同じ技法だな と思った。三線は文字通り弦が三本しかないので コードという概念がなく その奏法は 一音一音 丁寧に弦を押さえていくしかない。これに謡いが伴うので 沖縄出身の父親を持ち 高校時代 ギターの名手であった友人がいるのだが その彼でさえ 入門当初は相当 苦労した と聞いた。
例えば タルレガの「 アルハンブラの思い出 」は セゴビア師父はモチロン 陶人先生にとっても最重要のレパートリーで これまでも数えきれない程 演奏してきたために 楽譜を見なくても 勝手に身体が反応して スラスラと演奏できる。しかし そのレベルに達してしまうと 演奏に対する緊張感からは解放されてしまうため それではダメだと陶人先生は仰るのだ。
そしてこれは 結果的に タッピングハーモニクスと呼ばれる奏法になっているのではないか? つまり 従来的な奏法の順序では 弦を押さえてから ピッキングするが それとは逆に 開放弦をピッキングしたあとに コードを押さえる という手順をとっている と考えられる。いずれの方法でも 弦を押さえる行為とピッキングとは ほぼ同時に行われるのだが 陶人先生が発見された新しい奏法の方が 音に倍音を加える効果が得られる。

いずれにせよこれは いったん身に着けた技術を捨てるということであり 陶人先生のような達人が さらなるレベルを目指すために そうした決意をされるのは 驚きでしかない。これこそ " セゴビアが目指したと同じ境地を見ながら修行していく " ということなのだろう。
先ごろ他界した 日本の劇画原作の第一人者 小池一夫氏のゴルフ漫画で 全米ツアーでも活躍できるほどのスキルを体得した主人公が さらに上のレベルを目指すため 右利きで身に着けたスキルを全て放棄し 左利きに転向する という件りがあった。右利きの自分の弱点を克服するために取得したスキルが 左利きに転向することで 結果として一切不要になり よりナチュラルで 無理や無駄を排除したスイングを実現させるのである。
あるいは 演劇では 一つの舞台が完成すると その舞台に別のベクトルを与えて 例えば 悲劇だったものを喜劇として再演する といった手法があると聞く。
映画スターの印象が強いブルース・リーは 実は当時 全米でもトップクラスの格闘技インストラクターであり 映画に出演することは 彼の創造した武術 " ジークンドー " を普及するための一つの手段と考えていたところがある。彼が武術の本質を語った言葉に以下のようなものがある。" 私が格闘技を学ぶ前 私にとってパンチは単なるパンチであり キックは単なるキックだった。けれど 格闘技を学んだ後には パンチはもはやパンチではなく キックはもはやキックではなくなっていた。そして 格闘技とは何かを理解したとき パンチは単なるパンチとなり キックは単なるキックとなった "

" 新しい奏法を発見 " との陶人先生からの電子メールには " 感情が入れられない " という文言もあり 当初 筆者は自動演奏を想起したのだった。ウィキペディアの文言によると "  あたかも 何か別の存在に憑依されて肉体を支配されているかのように 自分の意識とは無関係に動作を行ってしまう現象などを指す " とあり これは武術の秘伝書や名人・達人の逸話等に出てくる究極の心理・身体状態ではある。
しかし 今回 コンサートを拝聴して その理解は 全く間違っていたことを痛感した。 " 感情が入れられない " というのは 正にそのままの意味で 演奏することに精いっぱいで 余裕がない ということであり 陶人先生ほどのスキルをもってしても " 発見した奏法 " は相当に難易度が高い ということなのだ。
それもそのはず タルレガの「 アルハンブラの思い出 」は トレモロ( 単一の高さの音を連続して小刻みに演奏する )という技法を駆使した楽曲なのだ。タッピングハーモニクスでトレモロを スピード感をもって演奏することなど 実際に可能なのだろうか?
事実 リハーサルは 通常の運指で行われたようで その演奏は 本番のそれよりもはるかにスムーズに聞こえていたから なおさら 本番の演奏で醸し出された不思議な緊張感は まるで初心者が演奏しているかのようなたどたどしさもあって 例えようのないスリルを覚えたのである。

電気の力を借りないアコーステック楽器の演奏会では 音の共鳴にかなり神経を使う。陶人先生もステージの上のどこで演奏するか? に関しては かなり慎重に場所の選定を行った。それは リハーサルの時間よりも長かったくらいであった。 

数えきれない反復練習によって薄れた緊張感を取り戻す あるいはセゴビア師父と同じ高みを見る という高邁な精神性は 結果として 演奏全体を素晴らしいレベルへと引き上げた。この " いったん身に着けた技術を捨てる " というアプローチは 筆者が演奏家について長年 考えてきた究極の演奏態度とも言える。

ジャズの即興演奏の基本的な概念は ある楽曲のコード進行を再利用して そこに別のメロディを乗せて演奏することなのだが このコード進行の約束事すら破棄してしまったのがフリージャズである。いずれも 作曲と演奏を同時に行う という点で相当に高いスキルが要求されるジャンルであり また 何の約束事もないフリージャズに至っては  正に音そのものの存在感が 非常に重要なポイントになる。
しかし ジャズは個人プレイヤーの力量に左右されるかなり不安定な音楽とも言え 歴史的な名演奏が多い代わりに その何倍もの失敗作を量産する可能性にも満ちている。筆者はある意味 その出鱈目さが性に合わなくて ジャズの現場には 何度も足を運んでいるが 実は心底面白いと思ったことがあまりない。リスナーとしての筆者は 作曲された部分と即興的に演奏される部分が理想的にブレンドされた音楽を切望しており それは筆者の知る限り ’73年~’75年に存在した キングクリムゾンのライヴの中でのみ 実現されていた。

陶人先生の演奏には いわゆる即興演奏や自動演奏というものはないし そもそもクラシックギターのフォーマットには そのような概念自体ない。しかし ジャズを学んでいるギタリストが 陶人先生の教室を訪れた際 自分たちが実践しているよりもはるかに高度な内容が学ばれている と驚いたそうだ。余談ではあるが 陶人教室の逸話として面白かったのは 陶人先生のレッスンが完全な個別対応ということだ。三人の高校生が教室にきて学んだのだが その指導内容をお互いが共有すると 全く別のことを教わっていて これ 大丈夫なのか? と大慌てで陶人先生の演奏を確認に行くと 確かに三人三様に教わった内容が 陶人先生の演奏の中では何の違和感もなく共存していて 驚くと同時に大いに納得した というのである( 苦笑 )

暗譜され 特別な意識を一切 必要としない程 身体に染みついた演奏の動きを いったんリセットして 新しく獲得した身体感をベースに 探りあうような緊張感の中 演奏する という陶人先生の新しい冒険は ’19 年 6 月 29 日の午後 箕面メイプルホールに集まったわずか100名足らずの聴衆によってのみ 体験され 見( 聴 )届けられたのだ。なんと贅沢なことであろうか。予め作曲された作品を まるで即興演奏に向かうかのように緊張感をもって演奏するための方法が そこには 確かに あった。




2018年8月10日金曜日

第3回 みのおてならい サロンコンサート シューベルト没後190年記念 ~ 弦楽五重奏曲 @箕面市立メイプルホール 8月8日


ベルギー王立モネ歌劇場 第1ソリスト E・ロベレヒト氏をお招きし、室内楽の最高峰ともいわれるシューベルトの遺作『 弦楽五重奏曲 』を聴く特別演奏会

【演奏者】
第 一 ヴァイオリン エリック・ロベレヒト 
第 二 ヴァイオリン 金原ソフィ絢子
ヴィオラ 井迫美貴
第 一 チェロ 南口真耶 
第 二 チェロ 西川彩乃

~~~~~


おつかれさまでした
思いつく ままに書きます

クラシックのコンサートは なんだか堅苦しいものですが 昨日のコンサートは むしろ ライヴ! と呼びたいほどの一体感やリズム感 ( 主催者様 言われるところの グルーヴ感! )に溢れたものとなり シューベルトの「 弦楽五重奏曲 」という稀有な演目は 初めて聴いた方がほとんどか と思うのですが ご来場者全員が 様々な思いを持ち帰られたのではないかと 感じます。それにしてもこのクラスの演奏会で 2000円 って ありえんやろ! 

残念なことは この作品 CDが希少化していることで せっかく興味をもたれたお客様が 簡単に入手できないことです。まぁ ゆうつべには上がっていますのから まずはここからかな




エリック先生のお話にもあったように この作品 作曲者自身が演奏家の実演を聞いていない( ! )という数奇な運命に翻弄されたある種 隠しメニューのような扱いをされてきた経緯があり あるいはシューベルトが歌曲の王と呼ばれたがゆえに 歌曲以外の作品を後の世代が軽視したこと。しかし たった32年でその幕を閉じたシューベルトの生涯で唯一 完全な弦楽5重奏曲であること、その編成もヴィオラではなくチェロを2挺 配するというユニークなものであったこと 等々。しかし何をおいてもまず楽曲そのものが非常にユニークで、不思議( エリック先生談 )であることが 大事 ですね

昨日もお話ししましたが CDを繰り返し聴いて ライヴに備えていた時 あれ? リピート再生してた?? と思う程に 同じメロディが繰り返し現れては消える構成に 現代音楽のミニマルミュージックに通じる萌芽を見ることは可能だと思います。1810-1828年の間に活躍した作曲家の作品が 1960年代以降盛んになった手法を先取りしているのだから これは とんでもないことだと感じます

実は 筆者もクラシックは門外漢で チェンバーオーケストラのスタイルも初見でしたから これ自体 とても興味深いものでした。指揮者がおらず またロックのようなドラムが不在のバンドで 曲の頭の部分をどのように揃えて 演奏し始めるか という問題はかなり深刻で 大昔から付きまとって来ました。こういう時 小さな劇場でじっくり聴く というのは 我が意を得たり って感じで 素晴らしいですね。演奏者それぞれの緊張に満ちた表情や第一ヴァイオリンのエリック先生の一挙手一投足に漏らさず注視する各々の演奏家たちの鋭い目線 スタートが決まった時の安堵の表情とそこから溢れだす えも言われる快感原則に則った滑らかな演奏。小さな劇場ならではの見どころが沢山詰まっていました

また 非常にリズミカルな印象を受けたのは 第二チェロや第一ヴァイオリン等々が タイミングよく弦を爪弾いて リズムを取る場面が 随所に見受けられたからですが これも弦楽器が5挺もあることによる贅沢な副産物と言えます。しかもチェロを挺配していることによる重低音の充実が 素晴らしかった。この辺りの音圧から来る体感的な快感は 部屋で CDを 再生しても決して感得できないものですから これもまた非常に贅沢なライヴであった と言えるでしょう。

それにしても 最近の女性たちのたおやかな美しさというのは これまたけしからんですな(苦笑) 凄い才能があってなおかつアイドルのように可愛らしいのだから これはもう反則ですよね。あれだけの緊張感満載のライヴの後 オフステージで きゃっきゃ! 騒いでいる彼女たちを見ると 本当に隔世の感があります。
今回演奏された「 弦楽五重奏曲 」は 静かな厳かな立ち上がり( 起 )から 気配を残しつつ滑らかに続く( 承 ) ほんの少しだけ緩急があり気配の変わる( 転 ) 少しだけ盛り上がりつつもやはり最初の気配に戻ってじっくり聞かせる( 結 ) へと至る いわば ( 序 )( 破 )( 急 )という展開の作品ではないことで 女性のたおやかな美しさが存分に発揮されるナイスな選曲 とも言えたと思います。もちろん 瞬発力十分の強調や瞬間的な抜き のような鋭利な聴きどころも沢山ありました。けれども 結果的にシューベルトの遺作となった作品だからこそ なおさらそう思えるのかもしれませんが 32歳にしてすでに老成している 枯山水の境地のようなものを感じさせるのです。そして エリック先生のような佇まいのマスターにこそ 第一ヴァイオリンで演奏を聴かせてしてほしい と思いました。
開演前にお一人で準備されているエリック先生には 近づき難い崇高な気配があり 怖い人なのかなぁ という印象でしたが 食事の後 帰られる時のエリック先生の何とも言えない優しい感じは やはり 音楽も人だなぁ と強く感じさせ 正にマスターを体現された方でした。

いずれにしても 筆者にとっては音楽は ジャンルではなくて 好きか嫌いか でしかなく 今回のコンサートもロックのライヴと同じテンションで 拝聴しました。個人的には ベルギーのチェンバーロックグループ UNIVERS ZERO ユニヴェル ゼロやフランスの ART ZOYD アールゾイ のことをご存じないか? といったお話ができたら楽しかったかなぁ… というところですね~




2015年11月27日金曜日

『 時計じかけのオレンジ 』 が見せるデストピアと 「 歓喜の歌 」 の奇妙な親和性


殺人罪で 14 年の実刑判決を受けたアレックスは刑期短縮のため、凶悪な犯罪者を無害な人間に矯正する “ ルドヴィコ療法 ( * ) ” の被験者に志願する。 被験者は、投薬後、まぶたを見開いた状態で椅子に固定され、眼球に目薬を差されながら残虐描写に満ちた映像をひたすら見せられる。投薬によって引き起こされる吐き気や嫌悪感とウルトラヴァイオレンスな映像が条件反射として結びつき、暴力や性行為を生理的に拒絶するよう誘導されるのだ。

第 9 交響曲 「歓喜の歌 」 をバックにした大量殺戮映像が、とてつもないアイロニーとなり、アレックスの五感を通し、映画館の観客をも責めさいなむ。

シンセサイザーで電子処理されたベートーヴェン ( Ludwig van Beethoven 1770 - 1827 )の第九交響曲が随所で効果的に用いられているが、初公開の ’71 年当時、シンセサイザーはまだまだ一般的には認知されておらず、この近未来的サウンドが作品全体に与えたハイテックな感覚は、観客にとっても未体験ゾーンだったはずだ。

“ ルドヴィコ療法 ” の結果、アレックスは敬愛するベートーヴェンを聴くと、吐き気に襲われ、倒れてしまう無害な人間 ≒ 時計じかけのオレンジ となる。

* the Ludovico technique ベートーヴェンのファーストネーム ルートヴィヒのイタリア語読み




これは暴力装置としての権力が生み出すデストピアとその権力に都合よく自由意思を剥奪され機械と化したオレンジ ( 人間 ) の寓話である。
ドラマの前半で生き生きとした生命力そのものの暴力をまき散らすアレックスとその連れ( 作品中では、原作者アントニー・バージェスによって発明されたティーンエージャー達の人工言語 “ ナッドサット語 ” で、ドルーグと呼ばれている ) は、デストピアで唯一、人間らしい存在に見える。ロッシーニの歌劇 「 泥棒かささぎ 」 序曲にのって繰り広げられるビリー・ボーイ一味との乱闘は、まるでハチャメチャな舞踏のようだ。しかしドラマの後半で、このデストピアの住人達はチャンスにさえ恵まれれば、何のためらいなく暴力の側にスイッチできることが露見する。暴力とは人間存在の本質なのだ。徹頭徹尾、暴力讃歌と言っていいほどヴァリエイション溢れる暴力描写の洪水で、執拗に繰り返されるこのテーゼは、キューブリック流のアイロニーに脚色されて、強力な説得力を獲得する。魅力的すぎるアレックスに鑑賞者もまた感情移入し、アレックスの冒険譚に耳を傾け、ついには共感させられてしまう。そして、鑑賞者は我に返った時、とんでもなくバツの悪い思いをするのである。キューブリックは言う。“ この地球上ではもっとも殺すことの好きな動物だった人間は、今でも潜在意識下に暴力への郷愁をもっている。だから映画というジャンルのなかでの殺人は、当然、一つの重要な要素となる ” ( 初公開時のパンフレット “ キューブリックが語る撮影うらばなしと映画論 ” より )
冒頭でアレックス達がいたぶった浮浪者の老人、いまや警察官に就職したドルーグの不良少年達、作家のアレキザンダー氏、保護司のデルトイド氏、あるいはアレックスの両親や同居の間借り人までもが、後半では、時計じかけのオレンジと化したアレックスを血祭りに上げようと待ち構えているのだ。正に地獄めぐりの様相を呈するアレックスの受難劇はしかし、ドラマの最後で “ ルドヴィコ療法 ” から完治することで、キリストさながらの復活劇へと転化する。“ これでめでたく逆もどり! ” そして間髪を入れずエンドタイトル ♪ I’m Happy,Again !


サウンドトラックは ’68 年にバッハ( Johann Sebastian Bach 1685 - 1750 ) の楽曲をシンセサイザーにより多重録音した 『 Switched on Bach 』 を発表し、シンセサイザーの第一人者となったウォルター・カーロス。彼は性同一症障害に悩んでおり、『 時計じかけのオレンジ 』 公開の翌 ’72 年に性転換手術を行い、’79 年にウェンディへと改名する。正に 『 時計じかけのオレンジ 』 を地で行く感じだが、その後、再びキューブリックと組み、 『 シャイニング 』 のオープニングタイトル 「 ロッキー マウンテンズ 」 ( グレゴリオ聖歌 「 怒りの日 」 の編曲 ) を担当した。
このサウンドトラック盤、驚くべきことに現在廃盤になっていて、入手しようと思うと中古盤屋をこまめに回るしかない。アナログディスクから CD への移行が喧伝された’80 年代初頭、最も早い段階でラインナップされたカタログの中に、このサウンドトラック盤があった。価格は脅威の 3800 円。サウンドトラックというユーザを選ぶジャンルにもかかわらず、アナログとデジタルの橋梁として、それほどに象徴的なアルバムだったということである。
収録曲の半分 ( 2・4・7・8・12・14 ) は、他のキューブリック作品同様、既成のクラシック曲。残りの半分が、カーロスとプロデューサー、レイチェル・エルキンドにより “ Switched on ” された近未来クラシックである。

 1. 「 時計じかけのオレンジ 」 タイトルミュージック 
ヘンリー・パーセル( Henry Purcell 1659 - 1695 ) の 「 クイーン・メリー葬送曲 」 をシンセサイザーで編曲した作品。オープニングに葬送曲を配置することによって、この作品の性質が実に明確になる。荘厳なパイプオルガンといった趣きのシンセサイザーの響きはこの近未来の SF 受難劇の幕開けを見事に牽引している。先述の 『 シャイニング 』 のオープニングタイトル同様、天罰の聖歌の調べ 「 怒りの日 」  の旋律が混入している。これは主人公アレックスの前途が多難であることも予告しているのだ。
 “ パーセル作曲の、おごそかにもコミカルな 「 クイーン・メリー葬送曲 」 が響く中、映画は主人公アレックスの不気味なクローズアップで始まる。じっとあけられた両眼、右には付けまつげ。彼はそのドルーグのディム、ジョージー、ピートたちとコロバ・バーのスーパー・ミルクで暴力ムードをかき立てて、ロンドンの街に出る。夜に乗じて彼らは暴力のダイゴ味にひたる ” ( 初公開時のパンフレット “ ニューヨーク・タイムズ紙 ’71 年 12 月 20 日付 ビンセント・キャンビー氏評 ” より ) 

 2. 「 泥棒かささぎ 」 序曲
ジョアキーノ・アントニオ・ロッシーニ( Gioachino Antonio Rossini 1792 - 1868 ) は、芸術性よりも大衆性に重きを置いた “ 才能に長け 人気はあるが 怠け者 ” の作曲家である。それは、すでに作曲した旋律を他の自作にも流用するという現在の著作権概念からは信じがたい行動を頻繁に行った ( 当時の作曲家にはよくあることだったが、ロッシーニほどのスター作家だからこそ、この行動は実に目立つ( 苦笑 )) ことに見て取れる。また、若い頃から料理を食べることも、作ることも大好きで、44歳でオペラ界から引退した後は、料理の創作や高級レストランの経営に余生を費やした。ある意味、芸術家のストイックなイメージとは程遠い人物であったと言える。ロッシーニの作品を重用することで、『時計じかけのオレンジ』という作品もまた、ある種、ふざけた感じのキャラクターを獲得しているように感じられるし、キューブリックは正にそれを狙ったのだろう。

 3. ベートヴィアーナ
ゆったりとしたテンポでさらりと演奏される 「 メアリー女王葬送曲 」 だが、印象は確かにタイトル通りベートーヴェンの楽曲を想起しかねないトリビュート感に満ちた一曲である。一日の冒険を終えたアレックスが、国営団地までの荒涼たる中を帰宅する、ちょっとさみしい感じのシーンに使われている。

 4. 交響曲第 9 番 「 合唱 」 ~第 2 楽章
本作には流石に CD ( コンパクトディスク ) は登場しないが、アレックスが眠りにつく前に鑑賞するベートーヴェンを収録したドイツ グラモフォンのソフトは、’92 年、ソニーが開発した NT-1 と呼ばれるステレオデジタルマイクロカセット 「 スクープマン 」 ( SCOOPMAN ) が実現した切手大の磁気テープを予見している。’95年に制作された TVCM ( ’96 年の広告電通賞テレビ部門家庭用機器部門の入賞作品 ) では、切手のコレクションに紛れた NT テープをピンセットで拾い上げ、再生するとヘッドフォン越しに何と 「 歓喜の歌 」 が流れるという内容だった。

 5. 「 時計じかけのオレンジ 」 ~マーチ
交響曲第 9 番の 「 歓喜の歌 」 を合唱部分も含めて電子処理している。映画の中では、“ ルドヴィコ療法 ” に使用される記録映像でナチスの行進シーンに使われており、正に闊歩するハーケンクロイツのテーマという印象だ。

 6. 「 ウィリアム・テル 」 序曲 ~スイス軍隊の行進
ロッシーニ作。アレックスがレコード ショップでナンパした女子二人と超高速 ( 28分もかけて撮影したシーンをたったの40秒で再生している ) で乱交するシーンに、同じく超高速で演奏されている。

レコードショップのシーンで映像に映りこんだアルバムを英国のデザイナー John Coulthart が、自身のサイトでレポートしている。このシーンは当時、実在した “  チェルシー・ドラッグストア ” ( 現在は “ マクドナルド ” ) でロケされているが、21 世紀にも通用するハイテックな店構えはさすが大英帝国。当然、リアルタイムの新譜やヒットチューンがレイアウトされているが、その中に 『 2001 年宇宙の旅 』 のサウンドトラック盤とピンクフロイド 『 原子心母 』 が分かりやすく 2 回も登場している。『 2001 年宇宙の旅 』 のスターゲートのシーンと 『 おせっかい 』 との関係をキューブリックも公認したのだろうか? ( < 「 エコーズ 」 と 『 2001 年 宇宙の旅 』 のシンクロニシティ>)
また、ナンパされる女の子たちからは HEVEN 17 といった名前が飛び出し、細かい遊びに富んだシーンだ。 Heaven 17 は、’80 年代初頭にイギリスで結成されたシンセポップバンドで 「 Let Me Go 」 「 Temptation 」 等のヒットがある。もちろんその名はこのシーンに由来している。
そういえば、アレックスのドルーグの一人は、ジョージー・ボーイ。

 7. 行進曲 「 威風堂々」 第 1 番
 8. 行進曲 「 威風堂々」 第 4 番
サー・エドワード・ウィリアム・エルガー( Sir Edward William Elgar 1857-1934 ) 作。大英帝国、第二の国歌とされる本作が、国家権力を象徴する内務大臣の刑務所視察シーンに使われている。政府に非難が及ぶや、大慌てでアレックスを元に戻し、ご機嫌でお見舞いに参上したあの滑稽な役人である。彼は妙なカリズマ性のあるアレックスをスカウトでもする気なのだろう。

 9. タイムステップス
電子音によるノイズミュージックの嚆矢の様な前衛的作品。メロディと言うよりはアタックの強い電子音がパキポキ連なっており、これまた “ ルドヴィコ療法 ” に使用されるウルトラヴァイオレンス映像のバックに流れている。なお、ノイズインダストリアルミュージックの雄、スロッビング グリッスルの結成には、’75 年 9 月 3 日まで待たねばならない。

10. 太陽の序曲
時計じかけのオレンジに洗脳されたアレックスのお披露目のオープニングを飾る中東風の呑気な楽曲。テリー・タッカー作。

11. ぼくは灯台守と結婚したい
アレックスの苦悩をどこ吹く風と能天気に響き渡る古臭いセンス満載のポップス。エリカ・エイゲン作。

12. 「 ウィリアム・テル 」 序曲 ~ 夜明け
悲しみに沈むアレックスの心情を写し取るような陰鬱なB.G.M.。前出の 「 スイス軍隊の行進 」 はカーロスのおちゃらけのような超高速演奏に置き換えられていたが、こちらは既存のクラシカルなスコアがそのまま使われている。

13. 自殺スケルツォ
作家アレキザンダー氏の復讐で、大音響のベートーヴェンを無理やり聞かされ、嘔吐と不快感でいっぱいになったアレックスはとうとう身投げする。文化人を装ったアレキザンダー氏の暴力性が一気に露見するシーン。アレックスの悲鳴を聞きながら、作家アレキザンダー氏は凄まじい法悦境にある。このシーンのパトリック・マギーの表情が、実はこの作品中、一番恐ろしい。

14. 交響曲第 9 番 「 合唱 」 ~ 第 4 楽章
フリードリヒ・フォン・シラーの原案をベートーヴェンが引用、書き直した歌詞が、アレックスの復活劇を大いに讃える。第 9 交響曲のクライマックスであり、この合唱をそのまま映像化したようなシーンで、映画はハッピーエンドを迎える。

♪  抱き合おう、万人よ
   この接吻を全世界へ
   兄弟よ 創造主は星空の彼方に住んでいる
   喜びは美しき霊感
   至福の園の娘

15. 雨に歌えば
前半の作家アレキザンダー氏宅のサプライズ訪問でのレイプシーンでアレックスが歌い踊るミュージカルの超名曲。アレックスの復活劇を祝福するかのようにエンド クレジットを牽引する。正に観客に冷や水を浴びせかける悪意に満ちている。

プログレッシヴロック四天王の一角、エマーソン、レイク&パーマーがモーグ シンセサイザーを導入し、ステージ デビューしたのは ’70 年 8 月 29 日 ワイト島で開催された “ 第 3 回ワイト島ポップフェスティバル ” である。これは 『 時計じかけのオレンジ 』 の製作時期に当たる。
また今日、サウンドトラックには欠かせないドルビー ノイズリダクションシステムを使用し、ステレオ録音された史上初めての映画でもある。

----------------------------

英国の作家 アントニー・バージェスの 『 時計じかけのオレンジ 』 ほど、数奇な運命をたどった小説も珍しいのではないか。

バージェスは脳腫瘍で余命 1 年と宣告され、妻に遺産を残すため、小説を書いて出版社に売り込もうと考えた。余命 1 年の間に 5 作と半分の小説が書けた。『 時計じかけのオレンジ 』 はその中の一つである。結局、この余命宣告は誤りで、バージェスは 76 歳まで生き、70 以上の小説を上梓した。
『 時計じかけのオレンジ 』 の中で主人公アレックス一味のサプライズ訪問を受け、妻は死亡、自身は半身不随になった作家アレキザンダー氏こそバージェスその人であり、彼を襲った悲劇でもあった。キューブリックによる映画化を経て、バージェスにとって鬼子となった 『 時計じかけのオレンジ 』 を “ 私は暴力に耐えられない。暴力が憎い。暴力行為を文章にしたら、それはその行為を作り出したということなんだ! 今のわたしはあのクズ本を嫌悪している。あの小説を書いている時に感じた自らの高揚した気分が許せないのだ ” と激烈に語る。

『 時計じかけのオレンジ 』 は、全 21 章で構成されていたが、米国で出版された際、編集者のエリック・スウェンソンはバージェスの意図に反し、最終章である第 21 章を不要として削除した ということになっている。しかしこれは、かなり不自然な逸話ではないか ? 単なる一編集者にそこまでの権限があるのだろうか? 
そして、キューブリックによる映画化も、テリー・サザーン ( 『 博士の異常な愛情 』 をキューブリック、ピーター・ジョージと共同執筆 ) から渡されたものが米国版であったため、米国版に沿って最終章のない形で製作された、ということになっている。
キューブリックは言う。“ 原作をもらったのは 『 2001年 宇宙の旅 』 の撮影中だった。読むひまがなかったので長い間、本棚に眠っていたが、ある晩、ふと目にして読みだしたらおもしろくて椅子からいちども立たずに読みおわってしまった。第一章で、映画になると思い、第二章で興奮し、それから二、三日は本のことで頭がいっぱいになった ” “ どんな監督でも鉛を金にすることはできない。だから私は、本えらびに慎重で、いいかげんな気持で仕事を始めたことは一度もない。その本に惚れこむことことが必須条件だ ” ( 初公開時のパンフレット “ キューブリックが語る撮影うらばなしと映画論 ” より ) 

最終章のない
『 時計じかけのオレンジ 』
( ハヤカワ文庫 )
その後、米国でも第 21 章は復活して、ごく普通に出版されるようになった。日本語翻訳版でも、’80 年発行の単行本、アントニー・バージェス全集第二巻で見ることができたが、現在、全集は絶版。普及していた文庫本はアメリカ版を底本としたものであったが、’08 年になって同作を復刻するにあたり、第 21 章を含む “ 完全版 ” として発売されている。
21 という数字は人間が成人し、最も成熟する歳とされており、3 編 × 7 章 = 21 章という構成にこだわった とバージェスは説明する。また、第 20 章でアレックスが元の悪党に戻っただけで終わるのでは、意味が無い という発言もしている。確かに、見事なほど辻褄の合う説明だがしかし、本当だろうか?

第 21 章の概略は以下の通り。
失脚を恐れた政府によりルドヴィコ療法から回復したアレックスは、新しいドルーグ達とつるんで、再びウルトラ ヴァイオレンスに耽溺するが、そんな生活にどこか倦怠感も覚えていた。ある日、アレックスはかつての仲間ピートとその妻に出会う。アレックスはピートから子供が生まれたことを聞き、自分も 18 歳になったので、そろそろ女でも作って落ち着こうと考え、ウルトラ ヴァイオレンスからの卒業を決意する。
アレックスは小賢しくも、かつて犯した犯罪は全て “ 若気の至り ” である と総括し、それは子供時代には誰でも避けられない道で、自分の子供が暴力の道に進むことも、止めることはできないだろう と、自らの行為を正当化する。

『 女子高生コンクリート詰め殺人事件 』 『 名古屋アベック殺人事件 』 『 光市母子殺害事件 』 …  いずれもネットを検索すれば、かなりの数の記事がヒットするだろうから、詳述は避ける。これら世間を震撼させ、少年法改正に多大な影響を与えた事件が、明確にしていることは、主犯クラスでさえ死刑に出来ず ( あるいは判決までにとんでもない時間を要し ) 、また被害者の救済に関して何らの誠意ある対応を取らない司法の無能さ、あるいは加害者側の不快指数 100 % 越えの無責任さだけである。
例えば、『 名古屋アベック殺人事件 』 に関するルポ ( 「 新潮45 」 編集部編 『 殺戮者は二度わらう ― 放たれし業、跳梁跋扈の 9 事件 』 新潮文庫 ) によると、共犯者の一人は “ 事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う ” “ 娘が同じ目にあったら許さないと思う ” “ 賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというかそれで終わってる ” “ 被害者の墓参り? 行く時間がないので難しいね ” 等々、被害者への懺悔や賠償の意思の全く感じられない自己弁護のみに終始している。この不快指数 100 % 越えの発言、アレックスの総括と実に似通ったニュアンスを持っているとは言えまいか。
いわし亭は “ 若気の至り ” を表現する “ やんちゃ ” と言う言葉が大ッ嫌いなのだが、やや自慢気味に武勇伝として語られる “ 昔は悪かった ” “ やんちゃした ” といった物言いをする連中も、やがて “ やんちゃ ” を卒業し、親としてのうのうと暮らす。そういう連中が一般的で平和的な市民を演じている事実は、例えようもないほど不気味で不快なものだ。しかもそんな事例は実はいたるところに存在する。
バージェスが提示したもう一つの結末もまた、後味の悪さという点ではかなりのレヴェルである とは思う。

キューブリックはこの件に関し、ミシェル・シマン著 『 キューブリック 』 ( ’72 ) の中で “ それ ( 最終章 ) は納得のいかないもので、文体や本の意図とも矛盾している。出版社がバージェスを説き伏せて、バージェスの正しい判断に反して付け足しの章を加えさせたと知っても驚かなかった ” と話している。つまり、バージェスは当初、第 20 章で完結していた 『 時計じかけのオレンジ 』 に何らかの理由で不本意ながら、最終章として第 21 章を追加した ということだ。


最終章を追加して再発された
『 時計じかけのオレンジ
完全版 』 ( ハヤカワepi 文庫 )
いわし亭は地元の書店の戸棚で、この最終章を含む 『 時計じかけのオレンジ 』 を収録したアントニー・バージェス全集第二巻を発見し、立ち読みした覚えがある。立ち読みで済ませられるほど、短かい章だったからだ。そして、結果、相当がっかりした。その本自体希少なものだったから、本来ならそのままレジに持っていったハズだが、そうはしなかったのだ。

いわし亭もキューブリックとまったく同じ印象を持った。この最終章には、一冊の本を書きあげるために費やされる作家の情熱が全く感じられない。つまり、執筆が完結した後で、付け足したことが、素人読者にさえ簡単に見破れるのである。
この最終章が追加されることで、『 時計じかけのオレンジ 』 は単なる不良少年の冒険譚にそのスケールを矮小化されてしまう。それはせっかく、ここまで積み上げてきた努力を灰燼に帰するに等しい。無理やり設定されたハッピーエンド ( ? ) はそれほどまでに作品全体の印象を変えてしまうが、逆にそれをたった一章、数ページで可能にするバージェスの才能もまた、これはこれで凄いと認めざるを得ない。
『 時計じかけのオレンジ 』 の持つ不気味さとは、そしてバージェスが本来意図した主題とは、個人レベルの暴力など所詮、多寡が知れており、一番恐ろしい暴力装置は実は権力であることを得意のブラックユーモアにくるんで暴くことだった。さらに、自由意思のもとに選択される正義と悪の問題、人間を無力化・家畜化するシステムの創出、実に危うい権力の立脚点と滑稽極まる政治家、あるいは単純に暴力をエンタテインメント化する不埒さ といった様々なベクトルを内包しているのである。これらは全て、キューブリック作品がテーマとしてきたものばかりだ。

なお、三上延のライトミステリー小説 『 ビブリア古書堂の事件手帖 』 の第 2 巻 第 1 話では、この最終章のエピソードをモチーフにした短編が書かれている。


『 時計じかけのオレンジ 』 ほど社会問題を誘発し、センセーショナルな話題を提供した作品もまた稀有である。ネットを検索すると、この作品が原因で起こったとされる ( よく吟味すれば、実は濡れ衣的なものばかりだが… ) 事件に多数、ヒットする。

最も有名なケースは、米国人アーサー・ブレマーによるアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの暗殺計画である。ブレマーは “ 『 時計じかけのオレンジ 』 を見てから、ずっとウォレスを殺す事を考えていた ” と日記に書いている。

後に出版されたブレマーの日記にヒントを得て、ポール・シュレイダーは 『 タクシー・ドライバー 』 の脚本を書いた。シュレイダーは、ブレマーと自分があまりにも似ていたこと、その驚きと恐れが脚本を書かせたと言う。『 タクシー・ドライバー 』 は時代を写し取り、マーティン・スコセッシの代表作となったが、負の連鎖はさらに続く。ジョン・ヒンクリーは、ロバート・デニーロが助け出した少女娼婦役のジョディ・フォスターに偏執的な憧れを持ち、ジョディの気を引くために、レーガン大統領暗殺未遂事件を起こすのだ。
それ以外にも、裁判の場で 『 時計じかけのオレンジ 』 を模倣した と言及される暴力事件が頻発した。14 歳の少年の同級生殺害事件、16 歳の少年の浮浪者老人殺害事件、少女レイプ事件、ドルーグ の格好 ( 山高帽とエドワード7世風のファッション、コッドピース ) をした四人の少年による尼僧輪姦事件などである。

キューブリックはインタヴューに対して “ 芸術には暴力がつきものだ。聖書にもホメロスにもシェイクスピアにも暴力は登場する。そして多くの精神科医が、それらは模倣の手本としてではなく、カタルシスとして役に立っていると考えているんだよ。芸術作品が社会に危害を加えたことは一度も無い。逆に社会に対する危害の多くは、自分たちが危険とみなした芸術作品から社会を守ろうとしてきた者達によってなされた。映画・テレビが無垢な善人を犯罪者に変えかねないなんていうのは、あまりにも短絡的な発想である ” と答えていた。

しかし、犯罪の多発が映画の影響であるとの意見は後を絶たず、またキューブリックの家族まで巻き込んだ脅迫状が届くに至って、自身と家族の安全を危惧したキューブリックの要請により ’73 年英国での上映が禁止された。英国で再上映が決定したのは、キューブリックが他界した後の ’99 年になってからである。ここにも深刻な封印問題が存在したのだ。

’92 年、いわし亭は仕事で仏国カンヌを訪れたが、実はこの時こそ、欧州で 『 時計じかけのオレンジ 』 の封印が解かれたタイミングだった。日本では修正版ながらもビデオが存在し、また ’78 年秋には映画館でリヴァイヴァル鑑賞していた経緯もあって、封印という事態への ??? たるや尋常ではなかったが、事実、欧州でも英国に準ずる扱いを受けていたのだ。カンヌのいたるところに、件の天狗の様なマスクをつけたアレックスのポスターが跋扈し、かの地のビジネス パートナーは初めて観賞した感想を “ とてもこわかった ” と語った。


『 時計じかけのオレンジ 』 の最終章問題は実は、こうした社会的騒動に巻き込まれた作家の苦肉の策だったのではないか? という気がする。映像作家であったキューブリックは、上映禁止措置と言う断腸の決断を行ったが、一方の当時者である原作者のバージェスは、当初の意図に反して追加させられた最終章をこれ幸いとクローズアップし、作品に対して先述のような否定的コメントを連発することで、この問題に対処しようとしたのではないか?

最終章のあるバージェスのオリジナル版とそれがないキューブリックの映像作品は、似て非なるものである。むしろ、映画はバージェスの提示したプロットに基づいて、キューブリックが創作したものとさえ言っても良く、映画にしか登場しない演出も多いのだ。これこそ正にバージェスが意図した最終章効果である。


『 時計じかけのオレンジ 』

原題 A Clockwork Orange

監督・製作:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
出演者:マルコム・マクダウェル/パトリック・マギー/マイケル・ベイツ
音楽:ウォルター・カーロス
撮影:ジョン・オルコット
編集:ビル・バトラー
配給:ワーナー・ブラザーズ
日本公開:1972 年 4 月 29 日
上映時間:137 分
製作国:イギリス/アメリカ合州国
製作費:$ 2,200,000



初公開の ’72 年当時、当然のことながら我が国日本で、ヘアヌードは解禁されていなかった。そのため、当該部位を ● で塗りつぶしたヴァージョンが公開された。この ● が冒頭のビリー・ボーイ達によるレイプ シーンでは、何故か当該部位の前後左右の移動に対して微妙に遅れがち ( ! ) だったり、アレックスがレコード ショップでナンパした女の子たちといたす乱交シーンでは、シーン自体がハイスピード撮影されていたこともあって、大量に ウジャウジャ! 出てきて、それがウォルター・カーロスのこれまた超ハイスピードな 「 ウィリアム・テル 」序曲 と絶妙にマッチし、大爆笑だった。ヘアヌードが解禁されていないことを逆手に取って、こういうオモロイことが出来たのも、あの時代ならではのことではある。無修正版が普及した現在では、むしろあのヴァージョンが見てみたいものだ。この ● をフィルムの一コマ一コマに地味~ に書き込んで行ったのは、キューブリックその人だったのだろうか。彼の姿を想像するとかなり笑えるのだが… 

いわし亭が生まれて初めて購入したレコードは 『 燃えよドラゴン 』 のオリジナルサウンドトラック盤だが、LPレコードに架けられていた帯の裏側に当る部分に、『 時計じかけのオレンジ 』 『 オー! ラッキーマン 』 ( 数奇なことにこの作品の主演もマルコム・マクダウェル ) のサントラ広告が入っていた。いわし亭もまた、この三角形のアンモラル感ダダ洩れのイラストを見て、“何だ!? この映画は? ” と畏怖していたのを思い出す。





スタンリー・キューブリック 監督 作品

拳闘試合の日 Day of the Fight (1951年)
空飛ぶ牧師 Flying Padre (1951年)
海の旅人たち The Seafarers (1952年)
恐怖と欲望 Fear and Desire (1953年)
非情の罠 Killer's Kiss (1955年)
現金に体を張れ The Killing (1956年)
突撃 Paths of Glory (1957年)
ロリータ Lolita (1962年)
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb (1964年)
2001年宇宙の旅 2001:A Space Odyssey (1968年)
時計じかけのオレンジ A Clockwork Orange (1971年)
バリー・リンドン Barry Lyndon (1975年)
シャイニング The Shining (1980年)
フルメタル・ジャケット Full Metal Jacket (1987年)
アイズ ワイド シャット Eyes Wide Shut (1999年)
















2014年11月14日金曜日

「 ツァラトゥストラはかく語りき 」 ~ 史上最も贅沢な実験映画 『 2001年 宇宙の旅 』 の冒頭を飾るシネラマ サウンド


1968 年 4 月 6 日に米国で初公開された 『 2001 年 宇宙の旅 』 は、シネラマという非常に高価な上映方式を取っておりながら、徹頭徹尾、監督 スタンリー・キューブリックただ一人に独占された作品である。それをして史上最も贅沢な実験映画、自主制作映画と評された。

作品は、真っ暗な画面が少しずつ明るくなっていくと、実はそれは月であり、月が少しずつ下がるとその向こうに地球が見え、その地球の背後から太陽が昇っていくという大胆な構図で幕を開ける。その圧倒的なパースペクティヴは、70m/m シネラマという上映方式と相まって、恐るべき広がりと奥行きを見せた。

映像の魔術師キューブリックの出現を予感して、この壮大なるオープニングシーンのために作られたのではないか とさえ思わせる完璧なるバランスでリヒャルト・シュトラウスの交響詩 「 ツァラトゥストラはかく語りき 」 ( 1896 ) が轟音を鳴り響かせる。

冒頭の重低音の持続から、堰を切ったようにあふれ出すトランペットの輝かしいファンファーレ、打楽器の勇壮な響きへと繋がるその何物にも代えがたい高揚感が、まさに超人の誕生を祝福するかのように鳴り響くこの交響詩の超弩級の圧倒的音圧。
おそらく 100 年後もなお語り継がれるであろうこの作品が、フリードリヒ・ニーチェの超人思想をフォーマットとしたものであるならば、そのオープニングを飾るに、これほど相応しいサウンドもあるまい という確信めいたものを感じさせるのだ。

映画で実際に使われていた 「 ツァラトゥストラ… 」 は、ヘルベルト・フォン=カラヤンが 1959 年にウィーン フィルハーモニー管弦楽団を指揮したデッカ盤であった。しかし、いわし亭が 1978 年のリヴァイバル公開時に入手したアナログ LP のオリジナル サウンドトラック盤は、 カール・ベーム指揮ベルリン フィルハーモニー管弦楽団の独グラモフォン盤が採用されていた。

デッカレコードのプロデューサー ジョン・カルショーの自伝 『 レコードはまっすぐに あるプロデューサーの回想 』 よると、“ キューブリックはカラヤンの録音を採用した ” と明記されている。また “ デッカがキューブリックに楽曲の使用許可を与えるにあたり、デッカやカラヤンの名前を画面に出さないのを条件にした ” ともあり、これで 『 2001年… 』 のエンドタイトルで、「 ツァラトゥストラ… 」 の演奏者クレジットがなかったのは何故か? という疑問についての説明はつく。サウンドトラックを制作するに当たって、契約・権利関係をクリアに出来なかったための苦肉の策 といううがった見方も出来るだろう。こうした経緯から、発売されたサウンドトラック盤は、実際に映画で流れたカラヤン指揮ではなく、ベーム指揮のものに差し替えられたのである。
そしてこの事実を元に、正しいサウンドトラック盤が出たのは、実にこの作品公開後25年以上が経った1996年のことであった。


アナログ盤のオリジナルサウンドトラックと 『 2001年 』 のイメージそのままのジャケに包まれたカラヤン
指揮ベルリンフィルの独グラモフォン盤アルバム

この逸話に関して、JURASSICさんの R・シュトラウス と 「 2001年宇宙の旅 」 という非常に面白い推論を見つけたので、リンクを貼っておきたい。ご参照ください。


余談であるが、『 2001年… 』 のイメージそのままのジャケットで発売されたカラヤンの独グラモフォン盤は、帯の惹句に “ 全ての楽器の音が聞こえる ” とトンでもないことが記載されていた。

このカラヤンの録音では、冒頭のトランペットが弾けるように奏でられ、その尋常でないインパクトの鋭さに加え、かなりアップ テンポで指揮されている。それがサウンドトラックの演奏とは全く異なる印象を抱かせたため、なおさらベーム版がそれっぽく聴こえたのだ。


『 2001年… 』 には、実はオリジナルのスコアがある。キューブリックの 『 スパルタカス 』 (1960) を担当したアレックス・ノースが作曲したもので、録音も急ピッチで進んでいた。制作の途中で、ノースが過労で倒れるというアクシデントまで生じている。キューブリックがノースに制作を依頼したのが1967年の12月で、ノースは一カ月で作曲、録音までこぎつけたのだから、当然そうなるだろう。完成した 『 2001年… 』 を見ればよく分かるが、台詞を極端なまでに排除し、映像と音楽に雄弁に語らせる というプランをキューブリックから説明されたノースは、作家として非常にやりがいを感じていたらしい。

そもそも MGM の重役会議でのプレゼンテーションの際、キューブリックはサウンドトラックとして既成クラシックの使用を提案したが、これを却下されたという経緯がある。これが、アレックス・ノースの気の毒なエピソードのそもそもの発端なのだが、皮肉なことにこの 『 2001年… 』 以降、クラシックに造詣が深いキューブリックが自作のサウンドトラックにクラシックやポピュラーの既成曲を使う傾向はさらに顕著になっている。



“ なぜ、ベートーヴェンのような大音楽家が書いた素晴らしい楽曲が、すでに存在するにもかかわらず、それに太刀打ちできない曲を書いてくる映画音楽のプロ作曲家に、発注しなければならないのか? ”

映画音楽は一般的には、象徴的なメインタイトルとその変奏曲 ( 楽器編成を変えたものやAメロ・Bメロを無視したサビだけのもの、等々 ) から成り立っている。だから、サウンドトラック盤などを購入すると、同じような楽曲や一部分のような小品ばかりが延々と収録されていて、がっかりさせられることが多い。
また印象に残るテーマは、場面にあわせて都合よくサビの部分が流れるので、逆にきちんと一曲に編曲されているトラックを聴くと、とんでもなく間延びして感じたりもする。近年、映画音楽として最も印象的だったのは 『 パイレーツ オブ カリビアン 』 ( 2003 ) のサウンドトラックではないかと思うのだが、あれにしてもやはりきちんとした一曲に編曲されてしまうと、あの印象的なフレーズが出てくるまでは、かなりじれったく感じる。
スペース オペラの傑作 『 スター ウォーズ 』 ( 1977 ) が、ジョン・ウィリアムズが作曲し、ロンドン交響楽団を指揮したメインテーマをサウンドトラックに採用した時、多くの批評家は 『 2001年… 』 を引き合いに出して説明していたが、監督のジョージ・ルーカス本人は、“ クラシックを使うというアイディアは素晴らしいけれども、既成の録音を転用する方法では、サウンドトラックとしての統一感に欠け、バランスが悪い ” と語った。
ただ、’80年代以降、この傾向は例えば 『 フットルース 』 のような作品が、洋楽チャートを賑わすようなヒットソングをずらりと並べ、そのサウンドトラック盤がミリオンセラー ( 1984年4月30日付~10月15日付=邦楽チャートで初の25週連続TOP10入り。全世界で500万枚を売り上げた ) を記録する といった傾向が強まるにつれ、薄れてきているようにも思われる。ルーカスにしても出世作である 『 アメリカン グラフィティ 』 ( 1973 ) のサウンドトラック盤は、’50年代を代表するアメリカンポップスのオムニバス盤だった。
実際、『 2001年… 』 のサウンドトラック盤は、リヒャルト・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス、アラム・ハチャトゥリアン、ジェルジ・リゲティと非常にヴァラエティに富んだ内容になっており、これだけを単独で聴いたとしても十分興味深い内容になっている。キューブリックのプライヴェートなレコード棚を覗き込むような楽しさに溢れた好オムニバス盤と言えよう。

オリジナルのスコアを発注する際、監督のイメージを作家に伝えるためのサンプラーをテンプ トラック ( temporary music tracks ) と呼ぶが、キューブリックが 1967 年 12 月、ノースに渡したテンプ トラックには、その後、正式採用される楽曲が入っていた。もともと、キューブリックは映像のイメージを補填するため、実験的に様々なクラシックを流しながら撮影していたという。一方、ノースは体調を壊してまで制作にあたったが、その渾身の作品をキューブリックはあっさり不採用にしてしまう。
キューブリックは、MGM の重役会議で却下されていたにもかかわらず、最初からノースに渡したテンプ トラックを最終決定版と考えており、ノースのスコアは使用許諾権がクリアできなかった際の保険だった という説さえある。マジ、ひでえな これ ( 苦笑 ) ノースはこれに納得がいかず、訴訟を起こそうとさえしたというから、気の毒にも程がある…

ノースの名誉のために記載しておくと、彼はマーロン・ブランド主演 『 欲望という名の電車 』 ( 1951 )、マリリンモンロー主演 『 荒馬と女 』 ( 1961 )、エリザベス・テイラー主演 『 ヴァージニア ウルフなんかこわくない 』 ( 1966 ) 等々を手掛けた人気作家であり、アカデミー賞・作曲賞ノミネートの常連でもある。また 『 アンチェインド 』 ( 1955 日本未公開 ) の主題歌 「 アンチェインド メロディ 」 は、後にライチャス ブラザーズがカヴァーし、『 ゴースト/ニューヨークの幻 』 ( 1990 ) の主題歌として、劇中で使用され、大ヒットしている。

ノースが用意したスコアは、ノースを敬愛していたジェリー・ゴールドスミスがナショナル フィルと録音した 「 ALEX NORTH’S 2001 ~ THE LEGENDARY ORIGINAL SCORE 」 として聴くことが出来る。
メインタイトルなどは明らかにテンプ トラックとして示された 「 ツァラトゥストラ… 」 のイメージを彷彿させる。総じて出来は悪くないのだが… ノースのスコアではやはり何かが足りないのだ。
結局これは結果論でしかないが、完成された 『 2001年… 』 を見る限り、キューブリックの判断は正しかったと言わざるを得ない。もちろん、先に体験したサウンドトラックが強烈な印象を刷り込んだことは否めないが、 もはや 『 2001年… 』 の各々のシーンに別のサウンドトラックを想定するすることはかなり困難である。それほどまでに、この作品では映像とサウンドトラックが分かちがたく融合しており、そのセンスこそがこの作品を成立させる鍵でもあった。

例えば、宇宙を表現するのにシンセサイザーと言ったツールの無かった当時、“ 回転するものの美しさを表現した音楽で 「 美しく青きドナウ 」 以上のものはない ” として、華麗に回転する宇宙ステーションと ( 今はなき PanAm 航空会社のマークが燦然と輝く )地球連絡船オリオン号 のドッキング シーンにこれを充てる といった発想は、やはりキューブリック特有のもので、常人には到底思いつかないだろう。
それは、難解さだけが売り物のような印象の現代音楽からリゲティを持ち込み、モノリスのテーマとした辺りにも伺える。この 「 レクイエム 」 という作品は、1965 年 3 月に世界初演された正に当時最先端の “ 現代の音楽 ” で、ラジオでオンエアされた音源しかなかった。こうした作品にまで嗅覚を研ぎ澄ませていたキューブリックのアンテナの広さ、深さには本当に唸らされる。

ちなみに 1960 年代は映像体験が、旅行の代りを果たす時代でもあった。
いわし亭も小学生の頃、TBS 系列局で日曜日の朝、放映されていた 『 兼高かおる世界の旅 』 を毎週、欠かさず見ていたものだ。この作品が何とも前時代的なタイトルを持っているのも、作品自体が SF  映画というよりは、簡易的な宇宙旅行を体験するためのもの という位置づけであったことが良く分かる。そう思うと 『 2001年… 』 がシネラマという上映方式をあえて採用していたのは必然だった。ここで提供された映像体験は、当時の観客にとって今日、ディズニーランドやユニバーサル スタジオ ジャパンのアトラクション以上のものであった。



オリジナル サウンドトラック 『 2001年宇宙の旅 』
1.アトモスフィア
2.ツァラトゥストラはかく語りき
3.レクイエム
4.美しく青きドナウ
5.ルクス エテルナ
6.ガイーヌよりアダージョ
7.木星無限の彼方
8.ツァラトゥストラはかく語りき
9.美しく青きドナウ
~~~~~~~~~~
10.ツァラトゥストラはかく語りき
11.ルクス エテルナ
12.アバンチュール
13. HAL9000の反乱



1996年にTURNERから発表されたオリジナルサウンドトラック。日本ではソニー ミュージック エンタテインメントから再発されているが、これはエクストラトラックを 4 曲追加した完全盤である。
なお、プログレッシヴロックの雄、PINK FLOYDの名作 『 おせっかい 』 の 「 エコーズ 」 ( 24分の大作だけに、アナログ盤ではB面全部で一曲だった ) を、最終章 < 木星 そして無限の宇宙の彼方へ > が始まるタイミングで再生すると楽曲と映像が見事に同期するという発見をした人がいる。興味のある方は、 < 「 エコーズ 」 と 『 2001年 宇宙の旅 』 のシンクロニシティ> というサイトへ飛んでください。


史上最も難解な作品というある意味、不名誉な称号をほしいままにするこの作品、その謎のすべてが解明された。町山智浩氏の 「 映画の見方がわかる本 ― 『 2001年宇宙の旅 』 から 『 未知との遭遇 』 まで 」 ( 映画秘宝 COLLECTION ) にその詳細が述べられているが、この作品をここまで解題した文章をいわし亭はこれまで読んだことがない。



『 2001年 宇宙の旅 』 
原題 2001 : A SPACE ODYSSEY

監督・製作:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック/アーサー・C=クラーク
出演者:キア・デュリア/ゲイリー・ロックウッド/ウィリアム・シルベスター
撮影:ジェフリー・アンスワース/ジョン・オルコット
編集:レイ・ラヴジョイ
配給:メトロ=ゴールドウィン=メイヤー
日本公開:1968年4月11日
上映時間:141 分
製作国:イギリス/アメリカ合州国
製作費:$10,500,000


50年後の2018年 
この作品がついにIMAXで鑑賞できる時が来た! 2018年10月19日から2週間の限定上映なる




スタンリー・キューブリック 監督 作品

拳闘試合の日 Day of the Fight (1951年)
空飛ぶ牧師 Flying Padre (1951年)
海の旅人たち The Seafarers (1952年)
恐怖と欲望 Fear and Desire (1953年)
非情の罠 Killer's Kiss (1955年)
現金に体を張れ The Killing (1956年)
突撃 Paths of Glory (1957年)
スパルタカス Spartacus (1960年)
ロリータ Lolita (1962年)
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb (1964年)
2001年宇宙の旅 2001:A Space Odyssey (1968年)
バリー・リンドン Barry Lyndon (1975年)
シャイニング The Shining (1980年)
フルメタル・ジャケット Full Metal Jacket (1987年)
アイズ ワイド シャット Eyes Wide Shut (1999年)