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2021年8月18日水曜日

みのおてならい 『 星を想う朗読会 』 @ 箕面市文化芸能劇場 小ホール 2021 年 8 月 9 日



箕面市文化芸能劇場は、2021年8月1日に杮落としを迎えた超々新しいリッチな場所である。そして今回のような市民グループのイベントとなると、正に最初の催し物になるだろう。高い天井と響きを重視した壁面設計は、この場所が御堂筋線の延伸工事が完了した暁には、北大阪を代表する名物ホールになることが容易に想像できる。初めてこの場所に足を踏み入れた時、“まるで北区のザ・シンフォニーホールだな” と感じたのは決して筆者だけではないだろう。これからこのデコボコした壁面は沢山の潤沢で豊穣な楽器や声の響きを一つ一つ記憶していくのだろう。そして、最高の音響空間として、その空気も気配も一緒に調律されていくのだろう と思うと、ここを再訪問する日が、今から楽しみである。


新交響楽団 ( 現在のNHK交響楽団 ) のチェロ奏者 大津三郎の著述 「 私の生徒 宮沢賢治 ~ 三日間セロを教えた話 」(『音楽之友』 1952年1月号 ) によると、賢治は大正15年の上京の際、大津三郎の自宅でレッスンを受け、「 エスペラントの詩を書きたいので、朗誦伴奏 ( ろうしょうばんそう ) にと思ってオルガンを自習しましたが、どうもオルガンよりセロの方がよいように思いますので… 」 とその理由を語ったという。エスペラントとは、ポーランド生まれのユダヤ人、ザメンホフが1887 年に考案した国際語である。賢治がエスペラント語に興味を持っていたのか と思うと、新しい発見をしたような嬉しい気持ちになる。異なる文化や言語を持つ人々が対等な立場で、共通言語を使って、まずはお互いの違いを理解しあおうという… 正に多様性へのアプローチの為のツール エスペラント語。ザメンホフの思想は、東北から上京した賢治には、何より身近なものであったに違いない。
英語がある意味、世界で最も頻繁に使われているという事実はつまり、英語圏の人間が他の国を侵略した歴史的な事実の多さを物語っている。結果として、国際的な交渉事を行う時、英語圏の人間が圧倒的に有利なことは否めない。それゆえに、筆者は英語を素直に肯定できない。ザメンホフも賢治も同じ気持ちだったと思いたい。エスペラント語は、誰もが、同じ不自由さからスタートする対等さを補償しているのだ。

朗誦伴奏とは 読んで字のごとく、作品の朗読にあわせて音楽を演奏することで、多くの詩や童話を書いた宮沢賢治は、音楽に対しても強い関心を抱いていたらしい。それは東北という土地に特有の方言が持つメロディやイントネーションをとりわけ大切に扱った賢治ならではの感覚である。

賢治の 『 永訣 ( えいけつ ) の朝 』 には “ あめゆじゅ とてちて けんじゃ ”  という、暗号のような不思議な言葉が出てくるが、これは、24歳で亡くなった賢治の妹トシが死の床で兄に頼んだ言葉で、 “ 雨雪( みぞれ混じりの雪 )を取ってきてちょうだい ” という意味だそうだ。福島県生まれのミュージシャン 遠藤ミチロウさんが、自作の曲の中でこの言葉を使っているが、その曲紹介の際、発音された音を聞いて、初めて、この言葉本来の姿に会った と感じた。


チェロは17世紀中はチェンバロなどとともに伴奏楽器として認識されているが、バロック時代の終わりまでは、独奏楽器として多用されていた。重厚な低音による伴奏から、明快なメロディを伴う独奏まで楽器としてはオールマイティで、サウンドのヴァリエ―ション、音色の多彩さは弦楽器の中でも抜きんでている。

朗誦伴奏 を担当された山岸孝教さんは、大阪音楽大学 ザ・カレッジオペラハウス管弦楽団で首席を務められている。その気さくなお人柄からは、想像のつかない多様で、奥深い音色を奏でられ、実は大変な演奏家なのだと、今更ながらに痛感させられる名チェリストである。チェロの響きを生かした特有の重低音が筆者は大好きで、リハーサルの時からすでに気分は高揚していた。

朗読会はその山岸さんの独奏 1939年のミュージカル映画 『 オズの魔法使 』 でジュディ・ガーランドが歌った 「 虹の彼方に 」 から始まった。最初の一音で、場内のざわついて落ち着きのなかった気配が、さらりと変わってしまったのは、流石だった。


続いて川邊暁美さんの朗読で 小川未明 「 月夜と眼鏡 」。川邊さんは NHK神戸放送局のニューズキャスターを経て、2008 年 声と言葉のコミュニケーション力、表現力UP をベースにした人材育成、コンサルティングを行う 「 言の葉OFFICE かのん 」 を設立。*シン・新型肺炎で リアル催事の中止が続く中、いち早くオンライン体験会にシフトした 「 みのおてならい 」 からの要請で、川邊さんがライフワークとして取り組んでいる朗読の体験会をオンライン上で開催、それが今回の 「 星を想う朗読会 」 の重要な伏線となっている。NHKのニューズキャスターという来歴もあって、何とも美しい滑舌、イントネーションを披露され、どのような物語が朗読されているのか? といったことよりも、言葉の持つ音そのものの力こそが、聴いた人をストレートに幸せな気持ちにさせるのだと感じた。


市民朗読家の皆さんの朗読を挟んで、朗誦伴奏 宮沢賢治 「 銀河鉄道の夜 」。

朗誦伴奏とは、実は二重奏 ( デュエット ) であり、演奏が朗読のバックを務める といった単純なものではないんじゃないか? 器楽演奏はもちろん、朗読もまた人の声を奏でる音楽の一形態であり、二つの演奏が時には火花を散らしながら競い合い、時には一方が後ろに下がってサポートに回り、時には全く対等な立ち位置から互いに溶け合い融合して新しい世界観を構築する、そうしたお互いの関係性が目まぐるしく変化するパフォーマンスなのでは? とさえ思った。

洋楽の熱心なリスナーなら、歌われた異国語の歌詞がたとえ理解できなくとも、人の声を楽器の奏でる音と同等に捉えて、聴く事に慣れているだろう。もちろん歌詞の意味は分かった方が良いに決まっているが、音色として聴かれる人の声は楽器の奏でるサウンドと同等の意味を獲得している。


朗誦伴奏の場合、聴感上、耳に優しく、美しい音色としての言葉とそれを奏でる鍛えられた声が必要だ。実は、あまりに気持ちよくて睡魔に襲われた程だったと、白状しておこう。それほどまでに、この朗誦伴奏はデトックス力の高い、日本語で演じられた最高レベルのものだった。

最後は再び、山岸さんの独奏で 宮沢賢治 「 星めぐりの歌 」。歌詞はなかったが、深い余韻を残すチェロの響きは、こうした優しい催し物の最後に相応しい。

朗読された作品は著作から70年を経たパブリックドメインである。この70年という時間の経過が絶妙である。新しい作品ではないが、逆に現代の日本語に馴染まない程、古過ぎない、まことに適度な言葉で書かれたものである。というのも、“ 日本語の乱れ ” であるとか “ 正しい日本語 ” “ 正しい発音 ” といった見方・言い方に、筆者は懐疑的なのだ。

吉田兼好は、徒然草 第22段 で “ 今時の人は 言葉を略し過ぎる ” と少し怒っている。兼好は、今日的に言えばエッセイストであり、文化人でもあるが出家していたので、社会を外側から観察出来ていた ともいえよう。彼が “ 今時 ” つまり鎌倉時代末期 ~ 今から八百年ほど前、日本語が乱れてる という印象を持っていた というのは興味深い。 

“ 近頃の若者は 云々 ” というモノ言いに至っては、古代エジプトで約5000年前、現在のトルコにあった古代ヒッタイト王国や古代中国でも約4000年前にはすでに登場していて、その中では若者言葉への指摘も見られる。言葉は、時代とともに、世代とともに変化するのが当たり前 と考える方が精神衛生上 よろしいようだ。

「 星を想う朗読会 」 で朗読されたのは、まさに、絶妙に古びた、耳に優しく、美しい日本語であり、ここで “ 正しい ” と表記するのはやめよう。


はぁ? うっせぇうっせぇうっせぇわ

あなたが思うより 健康です

一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね


YouTube で1億6千万 回 ( 2020/10/23 公開 7月20日現在 ) 以上の再生を叩きだした 作詞・作曲 syudou 歌唱 Ado「 うっせぇわ 」。ここで歌われる歌詞とメロディの一体感、その必然性と見事な着地。紛う方なき傑作であることは、この再生回数が証明している。しかし、しかしだ。この楽曲、どう聞いても、不快感が先立つのを禁じ得ないのは、なぜなのか? 

いくつかの理由は考えられるが、やはり、使われている言葉への嫌悪感が大きい とは思う。言葉は時代とともに変化する。いつしか社会の中心にいた大人も老けていき、淘汰されて、その役割を次の世代に取って代わられる。変化を嫌う大人の世代からすれば、若者のあり方が受け入れ難い というのは必然であり、過去から現在に至るまで、世界中の至る所で繰り返されてきた実例を先ほど見た。それらを認めた上で、敢えて言うなら、懐かしい、耳に優しく、美しい日本語は、誰にとっても、どの世代にとっても、聞き手の気持ちに寄り添い、心の一番深いところに刺さる力を残しているのだ と。


市民朗読家の方々が披露された作品たち ~ グリム兄弟 「 星の銀貨 」/ 加藤介春「 風 」/竹久夢二 「 風 」 「 風の通路 」/ 志賀直哉 「 小僧の神様 」/ 新美南吉 「ゲタニ バケル 」 / 夢野久作 「 キャラメルと飴玉 」/ 山本周五郎 「 鼓くらべ 」/ 小川未明 「 こがらしの ふく ばん 」 「 野ばら 」/ 中原中也 「 夜汽車の食堂 」/ 高村光太郎 「 智恵子抄 」 より/ 太宰治 「 満願 」 ~。知っているお話、タイトルくらいは知っているお話、作家の名前だけなら知っているお話、ぜんぜん知らないお話。筆者の狭小な知識では、知らないお話の方がもちろん多かったのだが、夫々に発見や気づきが多く、楽しい小品の見本市だった。



個人的には夢野久作の 「 キャラメルと飴玉 」 に驚かされた。あの幻魔怪奇探偵小説 『 ドグラマグラ 』 の作者である久作が、こんなに可愛らしい小品を書いていたなんて と。

懐かしい、耳に優しく、美しい日本語で綴られたお話には、包み込まれるような気配があり、予備知識が何もなくても、心も身体も懐かしい気持ちで満たされて、いつしか心地良い、何とも言えない気持ちになってしまう力があるのだ。


山田耕筰の 「 赤とんぼ 」 を聴く時、あのメロディは山田自身が説明している様に、明治期以前の江戸弁由来であって、関西ではああいう発音はしない。と筆者は長年、思ってきたが、言語アクセントに忠実にメロディを作曲する という山田の発想は、朗読という場でこそ、発揮されるべきスタンスなのではないだろうか 等と つらつら考える。

先ほどの宮沢賢治のエスぺラント語へのこだわりや、東北に特有の言葉の持つメロディやアクセントの妙も、実は彼の作品を朗読する際の大きなポイントになるのではないか? 方言を一人称で使う世代が激減して、標準語だけが残された時、音楽の持つ可能性のかなりな部分が削ぎ落とされてしまうのではないか? という懸念が、筆者にはある。


朗読という行為に意味があるとしたら、それは、懐かしい、耳に優しく、美しい日本語を 方言も含め 音 ( メロディ・イントネーション )として 次の世代に伝えていく 残していく ということなのかもしれない。

自分自身、出来るだけ沢山の美しい言葉を、声に出して、読み上げてみたい。そんな欲求にかられた、お休みの日の午後であった。


2021年8月9日 月曜日 台風一過の昼下がり @箕面市文化芸能劇場




*「シン・新型肺炎」

文中の「シン・新型肺炎」は、造語です。新型肺炎は2020年に出現した新型の感染症であり、2021年になってさらにデルタ株、ラムダ株など感染症が次々と変化しているため、庵野秀明の「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」に倣って命名しました。なお、個人的にコロナビールの愛飲者であるため、コロナという言葉を使うのは出来るだけ避けるようにしています(笑)




2020年9月20日日曜日

第5回 みのおてならい サロンコンサート 『 右手のピアニスト 樋上眞生 ~ Replay / リプレイ 』 @ 箕面市立メイプルホール 小ホール 2020 年 9 月 12 日

昨年の年末辺りから謎の感染症 “ 新型コロナウィルス/ COVID19 ” が世界中に蔓延し始め、2019 年以前の世界にはもう戻れないのだと、人々が気づくまでには、それほどの時間を要しなかった。2020 年の春先には、様々なイベント、コンサート、ライヴが次々と中止・延期になり、それは 4 年に一度の世界的スポーツの祭典オリンピックといえども同様で、人々は密を避けて、自宅に閉じこもり、この災厄が去るのをじっと待つしかなかった。

コンサートを行うには、配信という形が奨励され、人々が生の音を浴びる様に聴く というコンサート本来の姿はとても贅沢なものになった。5 月に予定されていた『 右手のピアニスト 樋上眞生 ~ Replay / リプレイ 』もまた、延期と何度かの慎重な検討の後、やっと開催にこぎつけたが、演奏会場である箕面市立メイプル小ホール本来のキャパシティの三分の一足らずの 30 名の聴衆を招くに止まり、後はネットによる配信という形を取らざるを得なかった。この会場、とても古い建物で、配信の設備が整っておらず、“みのおてならいサロンコンサート”のスタッフは Wi-Fi の設備を持ち込んで、その対応に当たった。

ところが、コンサート開始直前、それまで通常に機能していた設備に不具合が生じてしまい、コンサートの開始が 15 分も順延してしまった。そのタイミングでも実は配信環境は復帰していなかったのだが、これ以上、遅れるわけにはいかない という苦渋の判断で、配信は環境が整い次第、追いかけて行う ということにしたのだ。



市川海老蔵( 十一代目 )似の 二枚目 樋上眞生(ひのうえまお)さんは
、将来を嘱望される新進気鋭のピアニストである。20 代前半から、コンクールへの出場と受賞を重ね、2013 年 29 歳の時には、日本芸術センター年間最優秀ピアニストに選出された。その翌年、満を持して、ロシアの作曲家 セルゲイ・リャプノフに自らの超絶技巧を駆使してチャレンジ、日本人初となるピアノ ソナタの CD を発表する。ところが、やはりこの録音、心身ともに相当な負荷がかかったのか、収録後、左手の人差し指に違和感があり、局所性ジストニアという難病に罹患していることが分かった。

半年が過ぎても左手が快癒に向かわない状況を受けて、樋上さんは一つの決断をする。不自由な左手を使って両手で弾くことよりも、自由な右手を縦横無尽に使い切る方を選択したのである。

世の中には、左手のピアニストが多数存在する。片腕が不自由になるという状況は右でも左でも、ほぼ同じ確率で発生するはずなのだが、右手のピアニストの活躍はこれまで目立ったものではなかった。2019 年 11 月、金沢で開催された < 左手のピアニストの為の公開オーディション > に出演した樋上さんを見た斯界の第一人者にして審査委員長を務める館野泉さんですら “ 右手の演奏をはじめて見た ” という驚きを隠せず、その優れたパフォーマンスに対して優秀賞を送った。

左手のピアニストが次々と輩出されたのは、最初にその偉業に挑戦したロシアのアレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンが右手を故障したピアニストだったから という点がことのほか大きいようだ。その後、結果として、スクリャービン用に作曲されたもの、自身で作曲したもの等、左手用のピアノ曲は 3000 曲以上ある と言われている。その中には、バレエ曲「 ボレロ 」で有名なモーリス・ラヴェルが戦争で右手を喪失したパウル・ヴィトゲンシュタインに依頼され作曲したものもある。ところが、右手用の作品となるとごくわずかなのだ。

片手での演奏は音数の制限を受けるため、右足で操作されるダンパーペダルによる音色のバリエイション( 主たる役割は以下の三つ ① 音を響かせる ② 音を繋げる ③ 倍音を利用する )が非常に重要であり、演奏フォームを見る限り、左手と右足でのスタイルの方が有利であることは否めない。右手のピアニストの活躍を阻んできたのが、この演奏フォームの問題であることは容易に想像がつく。

では、右手を生かすために、左足を鍛えてどうか? という代替案もないではない。しかし、超絶技巧を支えていた右足の動きをこれまで何の訓練も受けてこなかった左足で担うのは、無理ではないにしろ、時間がかかりすぎるだろう。オートマチック車が普及し始めた ’ 80 年代初頭、左足を不用意に使ってしまう事故が多発したことからも分かるように、特に左足を自在に使いこなすには、腕以上に厳しい訓練が必要だ。

右手のピアニストの場合、演奏のために使う身体の部位が右側に偏るため、身体全体が強烈に右側へ持っていかれる。これでは女性ピアニストは到底、演奏できないだろう。実際、初めてお会いした樋上さんの第一印象は、細マッチョ。右手のピアニストは、まず体幹を徹底的に鍛えるところから始めなければならない。若くして、超絶技巧をマスターした高度なスキルが前提でないと、到底、たどり着けない境地である。

従来ある曲を右手用に編曲していくこと、あるいは初めから右手用の作曲をすること。いずれにしても手探りで、ひとつひとつクリアしていかなければならないその気の遠くなるような作業の果てに、現在の樋上さんはいる。もちろん、たくさんの悩み、苦しみ、眠れない夜があっただろう。ところが、実際にお会いした樋上さんは、本当に気さくで明るい、朗らかな方で、そんな過去を微塵も感じさせないのだから驚きだ。この持って生まれた強靭な精神力こそが、右手のピアニストを誕生させた最大の原動力なのかもしれない。



ロサンゼルスを拠点に ’ 60 年代の終焉を駆け抜けた伝説のバンド ドアーズ。若者の暴力衝動や反権力と言った志向を反映して、メンバーが非日常的で乱暴なふるまいを得意とし、ノイジーなだけの演奏や稚拙な歌詞の絶叫で、ロックが芸術的な評価に全く値しないという地位に甘んじていた頃、突然変異のように現れたドアーズは、史上初めて芸術的に論ずるべき、鑑賞に足る音楽としてのロックを創造した。電気楽器がまだ黎明期にあった当持、バンド スタイルと言えばバディ・ホリーが ザ クリケッツで確立したギター 2 本、ベース、ドラムでの編成が支配的であったが、ドアーズは他のバンドとサウンドが似通ってしまうのを嫌い、敢えてベーシストを置かず、キーボードにその役割を担わせた。音の隙間を埋め尽くすのではなく、音数の少なさを逆に個性にしているのだ。

また、ヴォーカリストのジム・モリソンはライヴの最中に “ 生みの苦しみをはらんだ休止 ” と呼んだ演奏の中断を行った。ジムが歌唱の途中で口をつぐんでしまうのだ。自分たちの欲求が中途半端に遮られ、邪魔された聴衆は、フラストレーションを募らせていく。聴衆の我慢が限界に達し、もはや暴動直前にまで高められ、それが崩壊するよりわずかに速く一瞬、ジムの合図でバンドは演奏を再開する。すると、このフラストレーションが一気に解放され、とんでもない高揚感と快感を生み出し、ライヴは怒濤のクライマックスへとなだれこんでゆく。


13 時 30 分 開演予定のコンサート。すでに時計の針は 45 分を過ぎるあたりを指していた。スタッフとして音響ブースにいた筆者も、相当にジリジリしていたのは否めない。

ステージに登場した樋上さんは深々とお辞儀をして、静かに自らのピアノの定位置についた。片手の可動域の関係で椅子の位置は、ピアノに対してやや左寄りになる。この演奏前の何人にも冒しがたい静謐な瞬間。この場に集まった 30 名の聴衆も、“右手のピアニスト”とは一体いかなるものなのか? という好奇の気持ちがあったのは否めないだろう。

第 一 部 一 曲目は ショパン = ゴドフスキー編曲 左手のための『 革命エチュード 』。左手のピアニストの歴史が生み出した名アレンジである。

樋上さんから受ける穏やかな印象からは、想像を絶するスピードと力強さ。一聴すぐさま、今、ステージでとんでもないことが起きている! と誰もが感覚的、直感的に理解するに足るインパクトである。それは、ここまで待たされて、薄ぼんやりとしていた場内の空気が、一気に切り裂かれ、瞬間、ぱっと明るい日差しが差し込んだかのようで、そのカタルシスたるや! このあまりに鮮やかな場面転換は、開演が 15 分も押したことすら僥倖に変えてしまう樋上さんの力業(ちからわざ)の賜物である。まさに、一発、カマしてくれたッ!! のだ。

この曲に特徴的な高音の印象的なフレーズ、右利きのピアニストが右手で弾くこのメロディの強さと説得力は、おそらく左手のピアニストの比ではないだろう。やはり “ 主旋律を弾くのは右手 ” というのは理に適っている と言うほかない。しかし最も驚くべきは、聴感上、片手で演奏されているとは全く思えないことなのだ。

打ち上げの席で樋上さんとお話し出することが出来、確認したのだが、ここに片手用に楽曲を編曲する際の最重要ポイントがある。演奏では片手しか使えない以上、明らかに音数が制限される。従って、楽曲を構成する上で副次的に使われている音は全て整理し、主旋律を最大限に聴きやすくする必要があるのだ。つまり、我々が鼻歌などで音楽を口ずさむ時にやる、あれである。ただし、やみくもに音数を整理するわけではなく、そのレベルは演奏力に比例し、物理的に不可能である場合を除いて、やはり最大限に原曲のスコアは尊重されるのだろう。その意味で、樋上さんの演奏は、人間が片手で可能な音数とスピードにおいて最大限に近いところにある。しかもそれを非常に不安定な右手、右足のフォームで行っているのだ。これはもはや奇跡と言って良い。先だって紹介した館野泉さんの驚きは、まさに右手のピアニストに対する憧憬に他ならない。

右手だけで演奏することの自由さとは、両手で行う奏法における左手の約束事からの解放であろう。同時にそれがもたらす精神的な効果もモチロン大きい様に感じる。樋上さんの場合、不自由な左手からの解放でもあるからだ。不自由になったことで、むしろ自由を得るというのはあまりにも逆説的で、禅における公案のようでもあるが、樋上さんのお話を聞いていると、決して、不自由な左手への負け惜しみでもイソップ寓話にある酸っぱい葡萄のような合理化でもないことが良く分かる。

音楽を奏でる時の気難しい約束事から解放されて、鼻歌でも歌っているような、それこそ自由で楽しさに溢れた演奏が、右手のピアノから次々と紡ぎ出される様子は、音楽の本質的な在り方をも見せつけてくれるのである。

演奏が終了し、細かく振動していたピアノの弦が起こす空気の震えが遠ざかって、ステージを再び静謐が取り囲む瞬間を樋上さんはじっと見ている。そして、立ち上がり、また深々とお辞儀をするのだ。少しだけご挨拶があった。コンサートが開催できたことへのお礼。開演時間が遅れたことへのお詫び。樋上さんのせいではないのに気の毒だな とも思った。そして、何よりこの平常心が凄いではないか。

第 一 部は、左手のピアニストの歴史 とでもいうべき代表曲が並んだ。続く第二部では、正に樋上眞生コンサート『 Replay / リプレイ 』 の真骨頂、右手のピアニストのための楽曲が披瀝される。

同じことを繰り返して申し訳ないが、やはり樋上さんの演奏は、聴感上、片手で演奏されているとはとても思えない。これは既存曲を編曲する際の優れたアイディアはもちろん、とんでもない練習量の結果であることは想像に難くないのだが、驚くべきは樋上さんの音楽を聴く時、そのテクニックに評価の中心を持ってくる人がほとんどいないであろうことなのだ。

表現とテクニックとの関係は、必要にして十分であり、過不足のないことである。やたらと難解でテクニック至上主義の音楽は、もはやサーカスの曲芸と同じで、表現ではなく、難解なスコアをノーミスで弾き切ることへとその目的がズレている。一方で、音楽は音を楽しむことなのだから、下手くそで少しぐらいミスしてもノリが大事 という感覚論もある。しかし、そうした音楽は心から楽しめないし、どうしても興ざめしてしまうところが、見え隠れする。

まず、表現欲求があり、それを実現するために音楽家は、必要にして十分であり過不足のないテクニックを体得する必要がある。樋上さんのテクニックはまさに奇跡としか言いようのないものだが、樋上さん自身、それをアピールするつもりは毛頭ないようだし、そもそも片手で演奏されている事実、そこに至るまでの努力について、聴衆は知る必要がない。ステージで演奏されている音楽の素晴らしさについて、ただただ堪能し、拍手を送ればよいのである。

この表現とテクニックとの理想的なジャストの関係を体現している音楽家は、実は意外に少ない。そしてこれは、今回、右手のピアニスト用として演奏された楽曲の処理についても言える。この編曲の多すぎず、少なすぎないというバランス感覚こそ実は、このジャンルにあって最大限に考慮されるべきポイントで、このジャストな感じもまた同様に、お見事という他ない。

樋上さんを語る時、外せないトピックスとして暗譜能力がある。クラシックの多くの演奏家は楽譜を見ながら演奏する。筆者が見てきたコンサートでも、楽譜をめくる専任者を帯同しているピアニストはたくさんいた。従って暗譜そのものは、必須科目ではないのだが、右手のピアニストである樋上さんの場合、演奏上の必要から、そうせざるを得ないのだろう。必要は発明の母とも言えるが、これもまた、驚異的なことである。

しかも、樋上さんご本人が作曲した作品についても同様とのことで、楽譜は頭の中にあるのだという。筆者の持論である“究極の演奏家は、即興演奏を行った楽曲も含め、同じ楽曲を記憶から何回でも再演できる”という説を裏付けるものだ。これは例えば、将棋の名人戦等で棋士が何手も前の盤面を寸分たがわず再現し、お互いの戦略の良し悪しを議論しあう感想戦の様なものであろう。どの世界にも超一流は存在する。

打ち上げの席で伺ったお話では、ただ、自分の作曲した曲に関しては、少しずつ変化することはありますよ とのこと。しかしこれは、ジャズのシチュエーションであれば優れたアドリブと考えることもできるし、クラシックの世界なら変奏曲というジャンルがある。この変奏曲の可能性は、樋上さんの伸びしろを感じさせるもので、筆者はまだまだこの右手のピアニストを追いかける必要を痛感するし、これからも何度でも驚かされるのだろう。それは嬉しい予感であり、特にジャズを演奏する樋上さんを聴いてみたい と思う。


< 第一部 >

ショパン = ゴドフスキー編曲 / 左手のための『 革命エチュード 』

バッハ = ブラームス編曲 / 左手のためのシャコンヌ

ボルトキエヴィチ / 12の練習曲より第5番『 詩人 』

吉松隆 / アイノラ抒情曲集

< 第二部 >

フォーレ = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 夢のあとに 』

樋上眞生 / 祈り

チャイコフスキー = 樋上眞生編曲 / 右手のための瞑想曲

ラフマニノフ = 樋上眞生編曲 / 右手のためのエレジー

尾上和彦 = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 源氏幻想 』

< アンコール >

カッチーニ = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 アヴェマリア 』



※ 今回のコンサートを開催するにあたり樋上さんに取材し、ご来歴を一篇の物語にしてお届けしています。



2019年7月12日金曜日

第4回 みのおてならい サロンコンサート「島崎陶人/アンドレス・セゴビアに捧ぐ クラシックギター 〜 そらのあなたを聴くしらべ」@箕面市立メイプルホール 2019年6月29日


演奏会の後の軽いお食事会の席で、島崎陶人先生は ご自身がアンドレス・セゴビア師父の演奏を体験した時の印象をたった一音弾いただけで 頭の上をジェット機が飛んで行ったかのように感じるほど 衝撃的な音だった と話された。

それは単に音が大きいだけでなく 音が広がるスピード 音の深み あるいは音色の的確さ 等々 様々な要素が複合的に作用しあった結果だと思われるが それを称して セゴビア奏法というのである。
陶人先生は 50年の試行錯誤の結果として セゴビアの域に達することは不可能である との結論に達した。もはやこれからは 不遜ではあるが セゴビアが目指したと同じ境地 を見ながら修行していくしかない と仰る。

演奏そのものの技術的な高さよりも前に 音 このたった一音の持つ豊饒な響きにこそ セゴビア奏法の ひいては陶人奏法の秘密があるのではないか と思わざるを得ない。
感覚的に それを表するなら 音はいわば空気の粒子の振動であり 波動であり 我々を取り囲む環境である。心地よい振動を持った良い音は 空気の粒子の乱れ( ノイズ )を取り除き 粒子の並びを一定の方向にそろえる。浄化する。まるで 天上に鳴り響く至福の音のように。正に 天に召されたセゴビア師父 そらのあなたを聴くしらべ なのだ。だから 実のところ とても眠たくなってくる( 苦笑 )
水に落ちた小石の波紋が 水面全体にゆったりと広がっていくように たった一つの音が その周りの空気に良い振動を与え 聴衆を取り囲みながら さらには 聴衆の中に入り込み この場所に来るまでにあった 様々な葛藤や感情のもつれ 不快感を取り除き 不具合を正しい方向へと導く。
美輪明宏師父が ご自分のリサイタルで 昨今の音楽はノイジーで 耳からうんこを食べているようなものだ と MC されていたけれども これは正にその対極にある音楽だ。これは ギター演奏会といった類のレベルのものではなく もはや デトックスであり 音楽療法である。優れた音楽の治療的効能は 歴史的にも自明であり あるいはまた 神前に供物の一つとして捧げられて来た。’19 年 6 月 29日の午後 箕面メイプルホールに ギターの音による桃源郷の風景が現出したのだ。

しかし はなはだ逆説的にはなるけれども その音を生み出すのもまた 圧倒的な演奏技術の高さ なのである。先の軽いお食事会の席で 陶人先生は 素晴らしいオペラ歌手の歌声を聴いて大変感動した というお話をされていて この歌手の声は倍音になっているのだろう と思いながら 筆者は聞いていたのだが 実は陶人奏法の重要なポイントはこの 倍音( ハーモニクス )を自由自在に駆使することではないのか との仮説に思い至った。ただ これはあくまでも仮説であり 陶人先生ご本人に確認すれば 全然 違うね~ と一蹴されてしまうのが オチなのだが( 苦笑 ) 音楽を聴いて 触発され あ~でもない こ~でもないと 想像を巡らせるのも また一つの音楽の楽しみ方 としてお許しいただきたい。

倍音の声を持つ最強の歌手は かの美空ひばりであるが 他にも 黒柳徹子 森進一 桑田佳祐 浜崎あゆみ 桜井和寿( ミスター チルドレン ) 吉田美和( ドリームズ カム トゥルー ) 坂井泉水( ZARD )等がいて 確かに印象的で 一度 聴けば忘れられない魅力的な声の持ち主ばかりである。
倍音は 複数の音域が一つの音の中で共存しているため 一度の発声で複数の声色を聴衆に意識させたり 一音でいくつもの感情を伝えることが可能となり それが時にはその歌手自身にカリズマ性を獲得させたりもする。
例えば 話術の巧拙が圧倒的な支持の差を生む政治家や芸人にも この倍音の持ち主は多い。アドルフ・ヒットラーや石原慎太郎 ビッグスリーと言われたタモリ ビートたけし 明石家さんま はモチロン 歴史的なプレゼンを連発したスティーブ・ジョブズもそうである。

このコンサートの数日前に " 新しい奏法 " を発見したため 奏法全体を抜本的に見直す必要が生じた と陶人先生は仰る。それは お食事会の席での 筆者の感想に対するお答えの中で披歴されたのだが 陶人先生のお話を要約するとそれは ギター演奏の基本的なポジションをとった際 多くのギタリスト達とは逆の( つまり かなり不自然な )方向に手首を曲げる というもの( 陶人先生曰く " 手にアゴを乗せた状態で 弦の上に手をもっていく " )で 結果 手首の可動域がおそろしく制限されるのである。これはいわば改悪と言っていい変更なのだが 陶人先生は こうすると 小手先の演奏が出来ず 身体全体で体幹を使って演奏する必要に迫られる と ご説明された。この辺りは古武術を主とした身体技法の研究家 甲野善紀師範と知己を得ていることが大きいのだろう と思われる。
もう一つは 手のひら全体でコードを押さえ 滑らせるように移動するのではなく 指の一本一本で 弾く度 愚直なまでに一音一音 丁寧に押さえていく というものである。このお話を聞いて それは沖縄民謡の中心的な楽器 三線と同じ技法だな と思った。三線は文字通り弦が三本しかないので コードという概念がなく その奏法は 一音一音 丁寧に弦を押さえていくしかない。これに謡いが伴うので 沖縄出身の父親を持ち 高校時代 ギターの名手であった友人がいるのだが その彼でさえ 入門当初は相当 苦労した と聞いた。
例えば タルレガの「 アルハンブラの思い出 」は セゴビア師父はモチロン 陶人先生にとっても最重要のレパートリーで これまでも数えきれない程 演奏してきたために 楽譜を見なくても 勝手に身体が反応して スラスラと演奏できる。しかし そのレベルに達してしまうと 演奏に対する緊張感からは解放されてしまうため それではダメだと陶人先生は仰るのだ。
そしてこれは 結果的に タッピングハーモニクスと呼ばれる奏法になっているのではないか? つまり 従来的な奏法の順序では 弦を押さえてから ピッキングするが それとは逆に 開放弦をピッキングしたあとに コードを押さえる という手順をとっている と考えられる。いずれの方法でも 弦を押さえる行為とピッキングとは ほぼ同時に行われるのだが 陶人先生が発見された新しい奏法の方が 音に倍音を加える効果が得られる。

いずれにせよこれは いったん身に着けた技術を捨てるということであり 陶人先生のような達人が さらなるレベルを目指すために そうした決意をされるのは 驚きでしかない。これこそ " セゴビアが目指したと同じ境地を見ながら修行していく " ということなのだろう。
先ごろ他界した 日本の劇画原作の第一人者 小池一夫氏のゴルフ漫画で 全米ツアーでも活躍できるほどのスキルを体得した主人公が さらに上のレベルを目指すため 右利きで身に着けたスキルを全て放棄し 左利きに転向する という件りがあった。右利きの自分の弱点を克服するために取得したスキルが 左利きに転向することで 結果として一切不要になり よりナチュラルで 無理や無駄を排除したスイングを実現させるのである。
あるいは 演劇では 一つの舞台が完成すると その舞台に別のベクトルを与えて 例えば 悲劇だったものを喜劇として再演する といった手法があると聞く。
映画スターの印象が強いブルース・リーは 実は当時 全米でもトップクラスの格闘技インストラクターであり 映画に出演することは 彼の創造した武術 " ジークンドー " を普及するための一つの手段と考えていたところがある。彼が武術の本質を語った言葉に以下のようなものがある。" 私が格闘技を学ぶ前 私にとってパンチは単なるパンチであり キックは単なるキックだった。けれど 格闘技を学んだ後には パンチはもはやパンチではなく キックはもはやキックではなくなっていた。そして 格闘技とは何かを理解したとき パンチは単なるパンチとなり キックは単なるキックとなった "

" 新しい奏法を発見 " との陶人先生からの電子メールには " 感情が入れられない " という文言もあり 当初 筆者は自動演奏を想起したのだった。ウィキペディアの文言によると "  あたかも 何か別の存在に憑依されて肉体を支配されているかのように 自分の意識とは無関係に動作を行ってしまう現象などを指す " とあり これは武術の秘伝書や名人・達人の逸話等に出てくる究極の心理・身体状態ではある。
しかし 今回 コンサートを拝聴して その理解は 全く間違っていたことを痛感した。 " 感情が入れられない " というのは 正にそのままの意味で 演奏することに精いっぱいで 余裕がない ということであり 陶人先生ほどのスキルをもってしても " 発見した奏法 " は相当に難易度が高い ということなのだ。
それもそのはず タルレガの「 アルハンブラの思い出 」は トレモロ( 単一の高さの音を連続して小刻みに演奏する )という技法を駆使した楽曲なのだ。タッピングハーモニクスでトレモロを スピード感をもって演奏することなど 実際に可能なのだろうか?
事実 リハーサルは 通常の運指で行われたようで その演奏は 本番のそれよりもはるかにスムーズに聞こえていたから なおさら 本番の演奏で醸し出された不思議な緊張感は まるで初心者が演奏しているかのようなたどたどしさもあって 例えようのないスリルを覚えたのである。

電気の力を借りないアコーステック楽器の演奏会では 音の共鳴にかなり神経を使う。陶人先生もステージの上のどこで演奏するか? に関しては かなり慎重に場所の選定を行った。それは リハーサルの時間よりも長かったくらいであった。 

数えきれない反復練習によって薄れた緊張感を取り戻す あるいはセゴビア師父と同じ高みを見る という高邁な精神性は 結果として 演奏全体を素晴らしいレベルへと引き上げた。この " いったん身に着けた技術を捨てる " というアプローチは 筆者が演奏家について長年 考えてきた究極の演奏態度とも言える。

ジャズの即興演奏の基本的な概念は ある楽曲のコード進行を再利用して そこに別のメロディを乗せて演奏することなのだが このコード進行の約束事すら破棄してしまったのがフリージャズである。いずれも 作曲と演奏を同時に行う という点で相当に高いスキルが要求されるジャンルであり また 何の約束事もないフリージャズに至っては  正に音そのものの存在感が 非常に重要なポイントになる。
しかし ジャズは個人プレイヤーの力量に左右されるかなり不安定な音楽とも言え 歴史的な名演奏が多い代わりに その何倍もの失敗作を量産する可能性にも満ちている。筆者はある意味 その出鱈目さが性に合わなくて ジャズの現場には 何度も足を運んでいるが 実は心底面白いと思ったことがあまりない。リスナーとしての筆者は 作曲された部分と即興的に演奏される部分が理想的にブレンドされた音楽を切望しており それは筆者の知る限り ’73年~’75年に存在した キングクリムゾンのライヴの中でのみ 実現されていた。

陶人先生の演奏には いわゆる即興演奏や自動演奏というものはないし そもそもクラシックギターのフォーマットには そのような概念自体ない。しかし ジャズを学んでいるギタリストが 陶人先生の教室を訪れた際 自分たちが実践しているよりもはるかに高度な内容が学ばれている と驚いたそうだ。余談ではあるが 陶人教室の逸話として面白かったのは 陶人先生のレッスンが完全な個別対応ということだ。三人の高校生が教室にきて学んだのだが その指導内容をお互いが共有すると 全く別のことを教わっていて これ 大丈夫なのか? と大慌てで陶人先生の演奏を確認に行くと 確かに三人三様に教わった内容が 陶人先生の演奏の中では何の違和感もなく共存していて 驚くと同時に大いに納得した というのである( 苦笑 )

暗譜され 特別な意識を一切 必要としない程 身体に染みついた演奏の動きを いったんリセットして 新しく獲得した身体感をベースに 探りあうような緊張感の中 演奏する という陶人先生の新しい冒険は ’19 年 6 月 29 日の午後 箕面メイプルホールに集まったわずか100名足らずの聴衆によってのみ 体験され 見( 聴 )届けられたのだ。なんと贅沢なことであろうか。予め作曲された作品を まるで即興演奏に向かうかのように緊張感をもって演奏するための方法が そこには 確かに あった。




2018年9月14日金曜日

グリーク ジャズ アントワーヌ・カラコスタス トリオ @神戸三宮 洋風居酒屋ポルタマリ 9月6日

『 ワルツ フォー デビイ 』はビル・エヴァンス トリオが ’61 年 6 月 25 日、ニューヨークの名門ライヴハウス ヴィレッジ ヴァンガードで行ったライヴを収録したアルバムで、ジャズという音楽ジャンルが行きついた一つの到達点である。

ただこのライヴハウス、鑑賞の環境としてははなはだ不十分で、この実況録音盤には観客の笑い声、グラスの音、地下鉄の音等々、さまざまなノイズが混じりこんでいる。一説によれば、このライヴ、真面目に聴いている客があまりおらず、トリオの面々、ピアノのビル・エヴァンス、ベースのスコット・ラファロ ドラムのポール・モチアンのメンバーはそれぞれに一層、発奮して( あるいは怒りに任せて ( 笑 ))、プレイし、それが畢生の代表作へと昇華した というのだから何が幸いするか分からない。

さて、三宮のライヴハウスとは縁遠いポルタマリという洋風居酒屋で開催された " アントワーヌ・カラコスタス トリオ " のライヴ。オーナーのSS氏が商売っ気のない方で、ジャズの生演奏をワンドリンク おつまみ付き 予約 2000円 当日 2500円で提供しようとのだから驚かされる。しかし、だからと言ってこのグリーク ジャズ トリオの演奏も格安なのか といえばそれは当然、違う。そもそも、彼らのマネージャーとして付き添っている SORA さんというハーフの超美人がいるのだが、彼女のお母さんが、SS氏の友人というご縁で、今回の演奏会が決まったとのこと。もともとこのライヴで儲けようという気はなかったようだ。ちなみに、演者の取り分はゲスト一人につき 1000円。従って、今回の実質的なギャラは 2万円くらいだろう。



中央:カラコスタス 右:アンダース・ウルリッヒ 左:シモン・ベルニエ


さて、ジャスの演奏らしく内容は 40 分くらいのセットを 2 回( 6 時半と 8 時のスタート )である。

ただ、今回、SS氏のツテで集まったオーディエンスは、実はジャズにそれほど興味があるとはとても思えない面々で、演奏中も別に集中するでもなく、おしゃべりや食事に熱心で、これはまるで かの 『 ワルツ フォー デビー 』 の現場みたいだ といい意味で苦笑いしてしまった。

それにしても、無名と言っていい三人の若者が奏でるジャズの豊饒さ。ヨーロッパにおけるジャズという音楽の裾野の広さに驚かされる。演者やマーケットに関わる人間の多さこそが、そのジャンルの深みや広がり、多様性を担保するわけだが、アフリカの原住民が恥知らずな白人によって三角貿易の末、アメリカで奴隷化された17世紀初頭に端を発するジャズのような古臭い音楽が、そうした多様性をいまだに根強く維持しているというこの現実。多くの音楽が死に体になっている現在、ジャズもまた例外ではないはずなのだが、一方でそうした強い生命力を地下水脈のように維持し続けている事実は感動的ですらある。

インプロヴィゼーション( 即興演奏 )こそジャズの生命線ではあれ、一方でそれはパラサイト( 寄生 )ミュージックと言っていいパクリの連続でもある。というのも、基本的なモチーフを他の音楽のメロディや楽曲から引用し、そのコード進行を使ったり、メロディラインをヴァリエイションしていくことがジャズのメソッド( かのマイルス・デイヴィスですら、その基本動機のメロディに関するアイディアは他のミュージシャンから拝借することが多かったのだ )なのだが、そう思うとギリシャ生まれのアントワーヌ・カラコスタスのピアノから弾き出される正にギリシャの風土から捻り出されたとしかいい様のない、今までどの場所でも聴いたことのないようなメロディライン、その既聴感の一切ない感じというのは特筆される。正にギリシャから現れた突然変異のように奇妙なフレーズの連続なのだ。そしてそれをサポートするリズムセクション( ベースのアンダース・ウルリッヒ、ドラムのシモン・ベルニエ )の単に正確なだけではない、ピアニストをサポートし、演奏にさらに弾みをつけるようにピアニストをノセていく、その変幻自在なセンスは絶妙だ。

用意されたドラムはヤマハのジャズ用とはいえ相当に小振りなセットで、セッティングを手伝いながら、これ マジ大丈夫なのか? と不安になったが、何のことはない。ベルニエのスティック裁きはホール キャパシティに即応した見事なものだった。ベルニエが自身で持参したリベットが打たれたシンバルの響きも独特だった。また、ベースのウルリッヒは当初、アンプでモニターする予定であったが、シールドの不良でノイズが多く、結果的には生音で対応することになった。こうした、ホールの準備不足すら、想定内として次々と解決していく彼らのアジャスト能力は想像以上で、以降の多難そうなジャパン ツアーも問題なくこなせるであろうと思わせた。

楽器を扱うスキルにとどまらず、アジャスト能力をも含めた総合力こそが、演奏家の真の力量なのだ。ポルタマリというレストランの厨房の前、しかも約半分の客はあまり演奏に注意を払っていないベストとは程遠い環境を筆者は、まるで『 ワルツ フォー デビー 』の現場のようだ と評したが、こうした中でも、ハイクオリティなプレイを披露できる彼らの力量は、相当高いと言わざるを得ない。他流試合のような経験を積むことで、彼らの演奏が一層、強靭な精神力を備えていくことは明らかで、逆にベスト コンディションでの彼らの演奏も是非聞いてみたい と願う。

カラコスタスの故郷 ギリシャの民族音楽とジャズをミックスした楽曲は、非常に高いオリジナリティをまき散らしているが、それはカラコスタス自身の出自、血やギリシャという土地・風土の持つ独自性である。そもそもジャズが、アフリカから持ち込まれたブルーズとアメリカのカントリーミュージックとの交雑から生まれた という経緯からみても、ジャズがパラサイトのような性格を有しているのは当然である。ジャスが独自に発達させた様々なメソッドを今度はヨーロッパ由来の全く別のルーツミュージックに対して応用し、交雑させていく。そんなスリリングな実験は机上の空論でなく、カラコスタス トリオの演奏の中で見事に結実している。

黒人由来ではない実験的なジャズを、正に氷山の一角でしかない 30 歳そこそこの若い無名のミュージシャン達が、闊達に演奏しているという事実…… しかもそれが単なる物真似、木に竹を継いだようなギクシャクした音楽ではなく、触れれば切れる様な生き生きと血の通った実に魅力的な本格的ジャズであったことが、筆者を興奮させるのだ。こうした優れたミュージシャンを続々と輩出するヨーロッパ ジャズシーンの得体の知れなさ、その闇の深淵はいかほどのものなのか? 謎は深まるばかりだ。



 


2018年8月10日金曜日

第3回 みのおてならい サロンコンサート シューベルト没後190年記念 ~ 弦楽五重奏曲 @箕面市立メイプルホール 8月8日


ベルギー王立モネ歌劇場 第1ソリスト E・ロベレヒト氏をお招きし、室内楽の最高峰ともいわれるシューベルトの遺作『 弦楽五重奏曲 』を聴く特別演奏会

【演奏者】
第 一 ヴァイオリン エリック・ロベレヒト 
第 二 ヴァイオリン 金原ソフィ絢子
ヴィオラ 井迫美貴
第 一 チェロ 南口真耶 
第 二 チェロ 西川彩乃

~~~~~


おつかれさまでした
思いつく ままに書きます

クラシックのコンサートは なんだか堅苦しいものですが 昨日のコンサートは むしろ ライヴ! と呼びたいほどの一体感やリズム感 ( 主催者様 言われるところの グルーヴ感! )に溢れたものとなり シューベルトの「 弦楽五重奏曲 」という稀有な演目は 初めて聴いた方がほとんどか と思うのですが ご来場者全員が 様々な思いを持ち帰られたのではないかと 感じます。それにしてもこのクラスの演奏会で 2000円 って ありえんやろ! 

残念なことは この作品 CDが希少化していることで せっかく興味をもたれたお客様が 簡単に入手できないことです。まぁ ゆうつべには上がっていますのから まずはここからかな




エリック先生のお話にもあったように この作品 作曲者自身が演奏家の実演を聞いていない( ! )という数奇な運命に翻弄されたある種 隠しメニューのような扱いをされてきた経緯があり あるいはシューベルトが歌曲の王と呼ばれたがゆえに 歌曲以外の作品を後の世代が軽視したこと。しかし たった32年でその幕を閉じたシューベルトの生涯で唯一 完全な弦楽5重奏曲であること、その編成もヴィオラではなくチェロを2挺 配するというユニークなものであったこと 等々。しかし何をおいてもまず楽曲そのものが非常にユニークで、不思議( エリック先生談 )であることが 大事 ですね

昨日もお話ししましたが CDを繰り返し聴いて ライヴに備えていた時 あれ? リピート再生してた?? と思う程に 同じメロディが繰り返し現れては消える構成に 現代音楽のミニマルミュージックに通じる萌芽を見ることは可能だと思います。1810-1828年の間に活躍した作曲家の作品が 1960年代以降盛んになった手法を先取りしているのだから これは とんでもないことだと感じます

実は 筆者もクラシックは門外漢で チェンバーオーケストラのスタイルも初見でしたから これ自体 とても興味深いものでした。指揮者がおらず またロックのようなドラムが不在のバンドで 曲の頭の部分をどのように揃えて 演奏し始めるか という問題はかなり深刻で 大昔から付きまとって来ました。こういう時 小さな劇場でじっくり聴く というのは 我が意を得たり って感じで 素晴らしいですね。演奏者それぞれの緊張に満ちた表情や第一ヴァイオリンのエリック先生の一挙手一投足に漏らさず注視する各々の演奏家たちの鋭い目線 スタートが決まった時の安堵の表情とそこから溢れだす えも言われる快感原則に則った滑らかな演奏。小さな劇場ならではの見どころが沢山詰まっていました

また 非常にリズミカルな印象を受けたのは 第二チェロや第一ヴァイオリン等々が タイミングよく弦を爪弾いて リズムを取る場面が 随所に見受けられたからですが これも弦楽器が5挺もあることによる贅沢な副産物と言えます。しかもチェロを挺配していることによる重低音の充実が 素晴らしかった。この辺りの音圧から来る体感的な快感は 部屋で CDを 再生しても決して感得できないものですから これもまた非常に贅沢なライヴであった と言えるでしょう。

それにしても 最近の女性たちのたおやかな美しさというのは これまたけしからんですな(苦笑) 凄い才能があってなおかつアイドルのように可愛らしいのだから これはもう反則ですよね。あれだけの緊張感満載のライヴの後 オフステージで きゃっきゃ! 騒いでいる彼女たちを見ると 本当に隔世の感があります。
今回演奏された「 弦楽五重奏曲 」は 静かな厳かな立ち上がり( 起 )から 気配を残しつつ滑らかに続く( 承 ) ほんの少しだけ緩急があり気配の変わる( 転 ) 少しだけ盛り上がりつつもやはり最初の気配に戻ってじっくり聞かせる( 結 ) へと至る いわば ( 序 )( 破 )( 急 )という展開の作品ではないことで 女性のたおやかな美しさが存分に発揮されるナイスな選曲 とも言えたと思います。もちろん 瞬発力十分の強調や瞬間的な抜き のような鋭利な聴きどころも沢山ありました。けれども 結果的にシューベルトの遺作となった作品だからこそ なおさらそう思えるのかもしれませんが 32歳にしてすでに老成している 枯山水の境地のようなものを感じさせるのです。そして エリック先生のような佇まいのマスターにこそ 第一ヴァイオリンで演奏を聴かせてしてほしい と思いました。
開演前にお一人で準備されているエリック先生には 近づき難い崇高な気配があり 怖い人なのかなぁ という印象でしたが 食事の後 帰られる時のエリック先生の何とも言えない優しい感じは やはり 音楽も人だなぁ と強く感じさせ 正にマスターを体現された方でした。

いずれにしても 筆者にとっては音楽は ジャンルではなくて 好きか嫌いか でしかなく 今回のコンサートもロックのライヴと同じテンションで 拝聴しました。個人的には ベルギーのチェンバーロックグループ UNIVERS ZERO ユニヴェル ゼロやフランスの ART ZOYD アールゾイ のことをご存じないか? といったお話ができたら楽しかったかなぁ… というところですね~




2016年11月25日金曜日

大森靖子から工藤ちゃんへ


イベント フライヤー
“ その名はスペィド ” と “ リアル 3 区 ” を見るために参加した TEKUMAKUMAYACON VOL.02。特に “ リアル 3 区 ” は関西初上陸と言うことで、“ ぐしゃ人間 ” のギター “ 亀 ” の活動を見守ってきた身としては、それが地下アイドルのイベントであっても不問だったのだ。ところが、このイベントには思わぬ出逢いがあった。正に瓢箪から駒というか、久しぶりにドキドキさせられ、こういうことがあるから集合イベントは侮れない と再認識させられた。出演者が 19 組にも及ぶロングランイベントだったので、とりあえず大森靖子絡みの “ ぱいぱいでか美 ” あたりからでいいか と考えたが、それ以外にも事前のネット検索で目を付けた演者の中に、“ 工藤ちゃん ” がいたのだった。
工藤ちゃんといえば、我々オヤジ世代はストレートに松田優作 『 探偵物語 』 の工藤俊作なのだが、今年で 22 歳の工藤ちゃんがそのことを知っているとも思えず、単純に今迄、その愛らしい容貌から仲間内で工藤ちゃんと呼ばれてきたのだろう と想像する。

帰宅してからネットでもう少し詳しく調べてみると、大森靖子も関係している “ ミス iD ” のファイナリストということで、だったらまぁ可愛いのは当然といえば当然なのだし、ファイナリストという人種は実は世の中には結構いるんだろうけれど、シンガーソングライターのスタンスで活動しているアイドルとなると少ないかもしれない。最近は、大原櫻子の成功事例に乗っかって、業界でもギター女子という仕掛けが粗製乱造されているが、この路線なら最高峰は当然、わが最愛の大森靖子以外、ありえない。
そして驚くべきことに、工藤ちゃんは大森靖子の熱烈なシンパで ( そのことは、4 : 44 と印字された帽子をかぶっていた時点ですぐに分かった ) 、ライヴが進むにつれ、そのレベルが、まじハンパないことを痛感させられた。それまでの演者が全員、カラオケで他人の曲なんかを歌っていたのに対して、弾き語りで登場しただけでもかなり異色なのに、その歌の内容が大森靖子を彷彿させるオリジナルだったら、そらインパクトはモノ凄いに決まっている。
MC も自己嫌悪的に ぐ~っ と深いところまで落ち込んでいく感じもあり、その凄まじい脱力感は確かに不思議ちゃん要素に満ちている。けれども、実際にはフロアの笑いを度々誘っていて、この展開はすでにファンの間では定番的なものに落ち着いているのか? ところが、ひとたび歌い始めると、大森靖子のエピゴーネンに過ぎる という難点はあるにしても歌唱力、歌詞、メロディとも随所に光るモノが見つかるのだ。それは表現者の資質として、大森靖子と同じリアルな匂いを感じる ということである。工藤ちゃんは、“ 劣化コピーだといわれまくっているけれどコピーしているつもりは全くない、ほとんど大森さんしか聞かないから影響はとても受けてるかもしれないけど… 私は他人のことを歌う歌は基本的に作れないしグッとくる言い回しも思いつかない、ただただ自分が気持ちいい歌を気分で作ってるだけだよ~ ”  とツイートしているが、この表現の対象を自分自身に限定していく という手法こそが大森靖子そのものであり、ありきたりのようでいて実は、昨今、あまり見かけないスタイルなのだ。また、劣化コピーでもなんでも、いわし亭にしてみれば、大森靖子と出逢って 4 年、とうとう彼女の継承者が現れた というのはとても嬉しい事実であり、感慨深くもある。そもそも、大森靖子にしても福岡でエイヴェックスにスカウトされ、メジャーデビューするまでの扱いは相当ひどいもので、大森靖子が積極的に報復に出るという経緯はあるにしても、ネット上には彼女のアンチがうようよいて、罵詈雑言、炎上騒ぎなどは日常茶飯事だった。 

 『 Sgt.ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド 』 の内ジャケット。
明らかにストーン状態 にあるザ ビートルズ
通常、表現に向かう場合には、二つの選択肢がある。一つは、“ 作りこまない ” で、生身の人間 ( 自分 ) そのものを “ さらけ出してしまう ” という方法。もう一つは “ アルターエゴ ”、つまり本来の自分とは全く別の人格を作り出し、その人格を演じるという方法。

デヴィッド・スターマン・ボウイ
音楽の世界に限定すると、’60 年代の音楽はジャズにしてもロックにしても演奏家自身が体感したリアルな感覚をそのまま音に置き換えるという作業が中心だった。アスペルゲンガー症候群であったピンクフロイドの初期リーダー シド・バレットや 『 Sgt.ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド 』 の内ジャケットで明らかにストーン状態 ( 目がヤバい! ) にある写真を使ったザ ビートルズ、あるいはサボテンからとれる幻覚剤メスカリンの体験を著したオルダス・ハクスリーの 『 知覚の扉 』 からバンド名を取ったドアーズ、等々、サイケデリックなどと呼称されたサウンドの多くはクスリの服用体験と不可分の関係にあった。一方、’70 年代以降の音楽はよりプロフェッショナルな方向へと舵を切り、例えばデヴィッド・ボウイは、ジギー・スターダスト以降、何度もそのキャラクターを変貌させながら、いくつもの別人格を生きたし、キングクリムゾンの総帥 ロバート・フィリップは音楽を頭脳支配的なものとして科学的に定義し直し、圧倒的な技術志向の上に、宗教や神秘体験を再現した。
“ セックス ・ ドラッグ ・ ロックンロール ” という慣用句は、’60 年代には本来の意味を伴って機能したが、’70 年代以降のそれは本当に自堕落で破壊的な性格や人生がもたらすものではなく、偽物をより本物らしく見せる “ アルターエゴ ” のプロフェッショナルな技術革新によって表現されてきたものだ。ロックが非常に優れた音楽である証左は、こうした流れの中で必ず大きなカウンターあるいは揺れ戻しが起こることである。アルターエゴが進化して何のリアルも感じさせないビジネスエゴと化し、頭でっかちで、大人の楽しむ、退屈でカビが生えたようになっていたロックは、セックスピストルズの出現と同時に第二次ブリティッシュインヴェンションつまりパンクロックの洗礼を受ける。生身の身体観と肉声を取り戻したロックは、セックスピストルズが P.I.L. へと歩みを進める中でオールタナティヴという多様性を獲得し、世界中の民俗音楽やノイズ、ジャズ、現代音楽といった様々な音楽と交配を繰り返して、複雑怪奇な魑魅魍魎へと変貌してくのだが、それはまた別の機会に…

“ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” という感覚は、大森靖子の作品を語る時、ことさら重要な要素になる。例えば、小学校六年生の時の衝撃的過ぎる初体験の話とか、自分の中にいる “ オヤジ ” 的美少女嗜好のこと、銀杏 BOYZ の峯田和伸宛てに執拗に送られた電子メールの話等々、黒歴史と呼んで差支えない壮絶な十代を送っていることが、ネットを検索するといくつも見つかるのだが、これらは全て大森靖子自身の口から語られている。

大森靖子と吉田豪、朝井リョウ

トレンドニュース ( GYAO 2016 年 3 月 23 日 20 時 44 分配信 ) の吉田豪とのインタヴューで

吉田 大森さんの本にはもっと衝撃的なことが書かれてましたよ! 基本、隠しごとのない人だからそりゃあ本もおもしろくなりますよね。

大森 隠しごとはないですね。それ、普通だと思ってたらタヒさんに 「 隠しごとがないのはすごいことだから 」 って言われて、「 そうなんですか! 」 って。でも、見られてマズいものはよくよく考えれば何もないはずなんですよ。べつに裸もなんてことないし

吉田 そういえばニューアルバムの豪華版のブックレットに妊婦ヌードを載せてましたよね

大森 ああ、あんなの何とも思ってない。いちいち隠すの面倒くさいな、ぐらいの

そしてこうした経験が血肉化された大森靖子の歌は、強くまたリアルである。大森靖子の弾き語りが、バンドサウンドを凌駕する瞬間が往々にしてあるのは、彼女の持つ熱量がバンドという虚構を簡単に乗り越えてしまうからだ。2015年3月の名古屋のライヴで、初めてバンドサウンドに圧倒されている大森靖子を目の当たりにして、物凄い違和感だったのだが、実はその時、彼女は妊娠していたのだった。

大森靖子は 『 ROLa ( ローラ ) 』  2014 年 7 月号で 『 ポップでしみる歌詞の世界 』 というテーマで直木賞作家の朝井リョウ ( 大森靖子には優秀な作曲家・作詞家・歌手、3 人分の才能が集まっているとし、「 彼女が小説家でなくてよかった 」 とまで語った ) と対談しているが、ここではそれまでと一転して

大森 身を削ってる奴なんかいるわけないじゃん ( 笑 )

朝井 曲のなりたちに深い生まれた理由を求められたりとかしません ? 浜崎あゆみ、昔の恋人ほんとに亡くしたのかな とか、まんまと思っちゃったりしてね

大森 みんなたぶん、自分のことを書いた、意味のある作品が好きなんだと思うんですけど、私は意味のないものが好きで

とかとか、語っていて、つまりは歌詞の内容と作家の人生を結び付けられても困る というような発言をしている。歌詞の中の主人公はアルターエゴだと言うのだ。この記事には相当がっかりさせられた記憶があるが、先に挙げた吉田豪とのインタヴューは朝井リョウとの対談のさらに後なのだから、始末に困る。結局、大森靖子は “ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” という資質を根本的に持っていて、シンガーソングライターとして進化する中で、それをアルターエゴを介在させて作品へと編集・加工するテクニックを磨いた と一応、結論付ける。
 
リアル3区~手前のギタリストが “ 亀 ”  

大森靖子に特徴的なこの “ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” という感覚は、表現者の資質としては相当、重要 ( 少なくともいわし亭はそう確信している ) だが、工藤ちゃんの歌は、それをいとも簡単にクリアしている。これは凄いことで、例えば、TEKUMAKUMAYACON VOL.02 の他の演者で、この資質が見られたのはわずかに “ リアル 3 区 ” くらいだが、彼女たちはその作品と自らの生活が地続きである という点でリアリティを担保しているに過ぎない。そもそもレベルミュージックであったラップをやる以上、それは必要最低限の手続きなのだ。では、その他の演者のパフォーマンスがアルターエゴを駆使したものなのか というと、所詮は地下アイドルであり、当然のことながら全くもってお話にならない。それをかろうじてクリアしていたのは、“ その名
はスペィド ” “ 大石理乃 ” “ ophelia 20 mg ” あたりだろうか。良く分からないのは “ 大石理乃 ” だが、メジャーとして活動した経験があり、頭のいい人だけに、やはりエロ話などをはさむことで“さらけ出して”いるように見えて、実はかなり計算している。

“ その名はスペィド ” のアリスト・ジゼルの雄姿
工藤ちゃんのリアルがもたらす破壊力は他の演者が気の毒になるくらい圧倒的であり、このインパクトはかつて “ 日本マドンナ ” に感じたものに近い。つまり、これこそがいわし亭にとってのロックであり、パンクである。しかも工藤ちゃんの場合、これにアイドルとしての可愛らしさとトンでもない脱力感が加わる。
“ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” ことは音楽性にとどまらず、実はステージの後半で水着姿になる というパフォーマンスにも直結している。もちろん、これは“ミスiD”ファイナリストという容姿に加え、まだ 20 代前半という強み でもあるのだが、この “ 脱ぐ ” という選択をした時点で、工藤ちゃんは他の演者のさらに先を行っている。ただ、まぁそれはそれとして、可愛い女子の水着姿というのは、単純に嬉しいという点でも、たいへん重要ではある。
“ その名はスペィド ” のアリスト・ジゼルは、基本的に極めて露出度の高いセパレート、あるいはすごい切れ込みの入ったワンピースの水着のような、あるいは身体に張り付いたような白のシースルーのドレスをステージ衣装 ( ? ) に選ぶ。スレンダーな女性なので、胸のボリュームが圧倒的に足りないのが残念だが ( 失礼! )、その衣装はある意味、“ クレイジーホース ” ( フランス・パリにある、世界的に有名な観光ナイトスポットで、数あるパリのナイトクラブの中では老舗の1つ。扱うテーマは女性のヌードショウでありながら芸術性を伴ったストリップショウであり、他のテーマを扱う同類のものとは一線を画している ) のレビューショーを思わせ、完成度の高いステージを作り出す上で、重要な要素の一つになっている。ここまで来ると、もはや完璧なプロのビジネスエロである。


アイドルイベントでは水着姿で歌う “ 工藤ちゃん ” ~ “ 工藤ちゃん ” は、なにげに別嬪さんです

しかし、実際には剥き出しのスキャンティ姿よりも、日常のなにげない風景の中、風でスカートがめくれて見えるスキャンティの方がはるかにエロさを感じさせるように、あるいはそこに見られたくないという羞恥が加わることによるサディズムとマゾヒズムの共犯関係こそがエロの本質ではあるまいか。工藤ちゃんの水着姿は、“ クレイジーホース ” や “ その名はスペィド ” がショーとして見せているもの、あるいは裸体こそが衣装そのものである AV 女優とは真逆であり、だからこそとんでもなくエロい。工藤ちゃんの腰の張りは若さが弾けるようで実に素晴らしいが、かなりスレンダーな女性で、胸のボリュームが圧倒的に足りないのが残念 ( 失礼! ) だが、逆にそこから立ち上る何とも薄幸なイメージに工藤ちゃん特有の不思議ちゃん的風情が加味されることにより、これはもう正に日本語でいうところの “ いやらしい ” という次元に突入していて、いわし亭のドエス心の一番深いところにビンビン、突き刺さる ( 苦笑 ) しかも驚くべきことに、何とこの恰好のままで物販に突入する。アイドルの物販では定番とも言えるチェキ会だが、工藤ちゃんのこのサービス精神満点の対応は、単純にうれしい ( 笑 ) アイドルという記号の本質は、性の切り売りであり、性の商品パッケージ化でしかないワケで、そのことを工藤ちゃんは自分自身を玩具化していくことで、白日の下にさらけ出している。その意味で、工藤ちゃんが自分自身をアイドルではない と繰り返し発言するのも、何となく分かる気がする。


2016 年は 
6 月に sugar ’N’ spice の K ことヴォーカルの Kyao が体調不良でセミリタイア、7 月に後藤まりこが音楽業界からの完全引退、ex 日本マドンナのまりながギターを弾いていた “ ゆゆゆゆゆゆん ” が活動休止、8 月に黒木渚が喉の不調で一定期間の活動休止宣言、10 月には TADZIO が活動休止 … いわし亭にとっては正に断腸の連続だった。

しかし、今夏、工藤ちゃんに出遭えた。残り三分の一は、幸せに過ごせそうだ。


※ 工藤ちゃんはほぼ毎日、都内のどこかであるいは地方遠征でライヴを行っている。詳しくは以下のサイトでご確認を!









2015年9月25日金曜日

21世紀型アイドルの今 初音ミク ☓ 非常階段 → 初音階段 



2013 年から ’14 年にかけて、日本のアイドル界を震撼させた事件は、何と言っても BiS ( ビス ) とキャリア 35 年を数えるキング オブ ノイズ 非常階段の合体、BiS 階段だろう。もはやゼロ年代の日本のアイドルは、歌謡曲のフォーマット限定で活躍するわけではなく、ハードロックあり、ヘヴィメタルあり、パンクありとジャンルの垣根を軽々と飛び越えてしまったが、最後の聖域であったノイズとのコラボレーションを果たしたのが、“ アイドル界の暴走機関車 ” “ 掟破りのアイドル ”  BiS であったのは当然の帰結とも言えよう。

BiS とは、新生アイドル研究会/Brand-new Idol Society の頭文字を並べた名称である。2010 年 11 月、アイドルを研究し、アイドルになろうとする、アイドルになりたい 4 人組としてスタートし、約 3 年半の活動中、何度かのメンバーチェンジを経て、2014 年 7 月 8 日、横浜アリーナでの解散ライヴ 『 BiS なりの武道館 』 にたどりついた時点では 6 人組となっていた。“ 自給自足 ” をスローガンに、振り付けはもちろん、初期にはイベントのブッキングも自分たちで行っていた。
BiS はいわゆる一般的なアイドルとライヴアイドルとのぎりぎりの境界線上を微妙にズレ動く抜群のセンスで、業界内にもファン ( ちなみに BiS ではファンを総称して研究員、ライヴを報告会と呼ぶ ) を急増させてきた。そのセンスは、全くの別のジャンルで確立されたメソッドをアイドルという無菌室に持ち込み、多大なるインパクトを生じさせる という方法論を確立する。
例えば、深い森の中を舞台に全裸で走りまわる PV ( 「 My Ixxx 」 ) 。ただし、全裸になっているとはいえ、映像的にはシルエット処理されており、惹句から想起する内容には程遠い。とはいえ、AV  業界としてはごくごく当然の手法をアイドル PV に持ち込むという違和感の対象化、さらに増長化は、想定以上のリアクションを引き出すことに成功した。
また、悪名高い数々の特典会がある。CD 等を大量販売する手法として確立された特典会は、AKB48 が十八番にしている握手会がその代表例だ。この握手会をワルノリも含め、拡大、過激化していったのだが、ハグ会、ケツバット会、ローション握手会、ちゅー会、キス会、KISS 会、ハリセン会、もみもみ会、罵倒され会 等々、結果、凄まじい勢いで増殖した。いちいち説明するのも面倒なので、興味のある人はググってみて欲しい。
アイドルという現象が、つまるところ性の切り売りである以上、商品化という方向性を突き進めば、キレイごとではなく BiS の取った戦略は肯定せざるを得ない。“ 乱立するアイドル戦国時代を勝ち抜いていくためには避けられない方法論であった ” とのコメントには圧倒的な説得力があるし、むしろ清々しい位だ。そして、BiS の楽曲は実は非常にポップでキャッチーな名曲揃いであり、BiS は楽曲を聴かせることさえ出来れば、十分、勝負出来ると確信していたのだ。


BiS階段の雄姿
非常階段の JOJO 広重が BiS にアプローチしたのは、“ もともと BiS のことは研究員さん達が教えてくれたんですよ。というのも、ツイッターで < ももいろクローバー Z と非常階段で、ももクロ階段が出来たらすごい > なんて話が出てたんです ”。ももいろクローバー Zは、すでにヘヴィメタルとのコラボを実現していた ( ’15 年 年頭には何とアメリカンハードロック レジェンド KISS とのコラボシングルを発表。さらに 3 月 3 日 東京ドームのツアーファイナルへの特別参戦も決まっている ) ため、そのような意見がごくごく普通に出たのだろう。そもそも、ももいろクローバー Zのマネージャー 川上アキラはプロレスファンで、その舞台演出・プロモーション戦略には多分にプロレスの影響が見て取れる。“ そうしたら、BiS ファンの何人かが < JOJO さん、だったら BiS もいいですよ > と言ってくれて。それで実際にチェックしたら < あ、ホントだ > と ” とのことだった。
BiS はその戦略として、前出のように違和感を対象化し、ジャンルの垣根を軽々と飛び越え、そのマージナルな領域における絶妙のバランス感覚に加え、パンクに傾倒する破壊衝動をユニット内ですでに飼い慣らしていたこと ( ライヴでは、ファンに向かってスクール水着でダイブ ! するようなパフォーマンスも実践している ) が、稀代のキング オブ ノイズ 非常階段とのコンビネーションの良さを生んだのだ。そして、非常階段は過去からこうしたコラボレーションにおいても抜群の応用力と順応性を見せつけてきたバンドであった。
BiS 階段は解散を間近に控えた 4 月に坂田明、大友良英を交えた JAZZ BiS 階段を敢行するが、このライヴに関するファーストサマーウイカのブログを読むと、女性特有の直観で一気呵成にノイズの本質に肉薄していることが分かり、感心させられる。
本稿の主役は初音階段のため、BiS に関する記述はここまでとするが、この程度の内容では到底、彼女たちの活動には追いつけない。是非、ネットサーフィン、DVD、映画等々で BiS を再体験して欲しいと思う。


初音ミクは三次元立体映像で実現したヴァーチャルリアリティの中に存在する仮想アイドルだ。2014 年 10 月には、米国ロサンゼルス NOKIA Theatre、ニューヨーク Hammerstein Ballroom で総合イベント 『 HATSUNE MIKU EXPO 』 第二弾 ( 第一弾は 5 月にインドネシアのジャカルタで開催 ) が行われ、その熱狂の様子が WOWOW で実況中継されたが、歌い踊るミクにあわせて、ペンライトが降られ、声援が飛び交う様は、現実のトップアイドルのライヴと何ら変わりないものであった。

だが、こうした状況が全く理解できない人々もまたたくさんいて、ヴァーチャルリアリティのアイドルに対して、何故、あれほど熱狂できるのか? といった正に愚問がネットやメディア等、あちらこちらで散見された。そもそも観客の存在が前提となる全ての興行において、そのアイコンには実態がない。舞台の上で演じられる世界はモチロン全て偽物であるが、コンセンサスとして、それはそういうものであるとクリアされている。同様にプロスポーツ選手や TV のパーソナリティは言うに及ばず、ドキュメンタリー映画で描かれる人物ですら、映画のフレームに収まった時点で、架空の存在と化すのである。
アイドルもまた演じられているのは当然のことなのだ。2014 年 6 月 AKB 48 第 6 回選抜総選挙で1 位となり、念願のセンターを獲得した渡辺麻友のインスタグラムのプライベートアカウントが流出し、“ まゆゆブラック化の衝撃 ” 等々、マスコミでかしましく報道されたが、この事件、むしろファンの方がはるかに冷静で “ 昔からまゆゆの < 腐女子ぶり > は有名だった。むしろ好感が持てる ” といった意見すら聞かれたのである。
20 世紀最大のアイコンであるマドンナ ( 考えてみるとこのアーティスト名自体、実態がまるで想像できない名称ではないか! ) が素晴らしいのは、マドンナ=ルイーズ・チコネという女性もアイコンとしてのマドンナのいちファンであり、マドンナがどのようにふるまうと嬉しいのか というファン視点で客観性を担保しながら、セルフプロデュースを完璧にこなしているからだ。マドンナはアーティスト エゴを振り回して、自分のやりたいことを追求したりはしない。そんなことは、ファンの誰も望んでいないからである。
その意味で優れたパフォーマーは、ファンが望んでいる架空のキャラクターを演じているし、演じられたキャラクターと演者としての個人は全く別の存在である。


2014年5月、BiS 階段が発展的に解消したことを受けて、同時多発的に存在した非常階段のコラボユニットの一つ 初音階段が再度、クローズアップされることになる。
初音階段は、ヴォーカロイドとしてサイバー空間上に出現した初音ミクをフィーチュアして、彼女の歌に非常階段がノイズで伴奏を付けるというユニークなアイディアをレコーディングするための架空ユニットであった。アルバムではリーダー JOJO 広重の広範な音楽的素養を裏付けるように、ヴェルヴェットアンダーグラウンド、ジャックス、頭脳警察、JAGATARA、ケイト・ブッシュ、キング クリムゾン、チューリップ、原田知世、『 新世紀エヴァンゲリオン 』 主題歌 等々がカヴァーされており、非常に興味深い内容になっている。
架空ユニットであった初音階段は、その後、シンガー ソングライター 白波多カミンが初音ミクを演じることで、三次元へと実体化し、本当にライヴを行うようになる。そして、ライヴで使われている手法には、まさに JOJO 広重が BiS 階段で実験し、錬成し、完成させたものがそのまま持ち込まれている。

白波多カミンのバイオグラフィーで注目すべきは京都で生まれ育ち、下鴨神社で巫女様を務めていたというキャリアである。
いわし亭は、日本のアイドル始祖は、慶長 8 年 ( 1603 年 )、京都 鴨川の河原で人気を博した “ かぶき踊り ” の創始者、男装の麗人 出雲阿国 ( いずものおくに 元亀3年/1572 年 -没年不詳 ) であると思う。彼女は出雲大社の巫女様で、文禄年間、勧進のため諸国を廻った。京都市東山区 四条大橋東詰には、腰にひょうたんをつけ、右手に扇子、左手で刀をかつぎ、見栄を切るいなせな阿国の像が立っている。
中世ヨーロッパで秘かに流行したサバト ( 魔女や悪魔を崇拝する集会、魔宴、魔女の夜宴 )、アフリカの部族の間で行われる宗教儀礼、等に通底する阿国踊りは、時の為政者によって禁止されるほどに民衆の熱狂を生み出すが、こうした熱病のような状況は現在、毎晩のように繰り返されるオールナイト イヴェントの類 ( ♪ 土曜の夜はフィーヴァーしよう ) と驚くほど似通っている。あるいは、ジャマイカのボブ・マーリー&ザ ウェイラーズやナイジェリアのフェラ・クティ、フランスのマグマ、等々で象徴的に用いられる女性コーラスがもたらす狂騒的な興奮状態、さらにはトランス状態に入り易い女性性を必要不可欠とする巫女という職業、等々、いわし亭がアイドルという現象を読み解くとき、演者としてのあるいはファンとしての女性性に着目するのは当然の帰結なのだ。

キング クリムゾンがその偉大なる歴史をスタートさせた革命的な一曲 「 21 世紀の精神異常者 」 ( レコード制作基準倫理委員会の審査基準の変化によって現在は 「 21世紀のスキッツォイド・マン 」 という表記に改められているが、これ何なんですかね? 英語カタカナ表記にしてるだけで、意味するところは何も変わってないやん… 医療用語としての schizoid は精神分裂病、現在では統合失調症を指す言葉になっている) は技術的に非常な難曲として有名 ( あのゲイリー・ムーアがグレッグ・レイクとバンドを組んだ際、レパートリーとして演奏していたが、ロバート・フィリップと会見した彼は “ 難し過ぎる ” と苦言を呈した という都市伝説がある ( 笑 )  第一期のキング クリムゾンはこの曲をアンコールで必ず演奏していたが、第二期のディシプリン クリムゾンはついに演奏することはなかった ) だが、何よりもまずリスナーの耳をとらえるのは VCS3 シンセサイザーでイコライジング処理された摩訶不思議なヴォーカルである。
渋谷陽一は自著の中で “ ヴォーカルは、言わばそのバンドの顔であり、ミック・ジャガーが歌っていない ザ ローリング ストーンズはもはやストーンズとは呼べない。それほど、バンドの個性を決定づける重要な要因のはずなのに、この曲はヴォーカルそのものを無個性化している ” と述べているが、これはつまりクリムゾンのアイデンティティにとってヴォーカリストの存在はそれほど重要ではなかったということに他ならない。実際、そのことを裏付けるようにデビューアルバム 『 クリムゾン キングの宮殿 』 以降、キング クリムゾンはリーダーのロバート・フィリップだけを残し、目まぐるしいメンバー チェンジを繰り返した。この 「 21世紀の精神異常者 」 も正式に発表されているものだけで 3 人のヴォーカリスト ( グレッグ・レイク、ボズ・バレル、ジョン・ウェットン ) のヴァージョンが存在する。
ゼロ年代に入って登場した神聖かまってちゃんは、ネット ツールを巧みに利用し、自作 PV を YOUTUBE やニコニコ動画へ投稿、ニコニコ生放送や TwitCasting での定期配信、さらにライヴそのものをストリーミング配信する手法を確立した先駆者である。女の子でも男の子でもないという意味を込めて、“ の子 ” と名乗り、作詞作曲の多くを手掛けるバンドの中心人物は、ライヴ中に自分のヴォーカルをシーケンサを使ってリアル タイムの中で反復再生する際に、やはりイコライジング処理を施し、性差が判別できないものへと変形させていた。ミドリ時代の後藤まりこも、同じくそうしたパフォーマンスを得意としていた。

ヴォーカロイドとはそもそもアイデンティティが消滅しており、ユーザ側の都合によってどのようにでもアレンジが可能な、そういう性質のものではなかったか? と今更ながら、思う。全てのユーザーに等しく開示された初音ミクのコンセプトは、個性がないからこそ驚異的な発展と広がりと独自性を得たのだ。個性がないことこそ、個性である というこの言葉遊びのような二律背反は、さらに
2次元と3次元を自由に行き来するための必要十分条件にもなっている。
二次元の世界で誕生した初音ミクは、その後フォログラフ立体画像により三次元化して、アイドルとしてライヴを行い、ついにはあの冨田勲が指揮するオーケストラ ( 冨田勲 『 イーハトーヴ交響曲  ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV 』 ) とさえ共演した。ミクは多くの人々の手を経て、様々なキャラクターを加味されたが、それもまた没個性という前提があったが故である。没個性であったからこそ、ヴァーチャルリアリティ上のあらゆるニーズを満たすことが出来たのだ。


さて、いわし亭がこの三次元の初音ミクを擁した初音階段を初体験したのは、2013 年 5 月 11 日 関西アンダーグラウンドのメッカ 難波ベアーズだった。

白波多カミン扮する初音ミク

初音階段の初代・初音ミク 白波多カミンはれっきとしたシンガー ソングライターであり、レイヤーではなかったから、しっかりヴォーカリストしていた。もちろん、初音ミク仕様に声質も変調させてはいたが、白波多カミンとしてのキャラクターの方が、初音ミクをはるかに上回っていたと言える。結果として、三次元フォログラフ立体画像の初音ミクと非常階段との共演 といった当初のイメージは希薄になってしまった。このライヴでは、むしろ白波多カミン アンド ハー フレンズといった気配のほうが濃厚だった。
アンド ハー フレンズと言えば、2014 年 5 月 19 日に同ベアーズで開催された白波多カミンの 『 くだもの 』 発売記念ワンマン ライヴでは、何とバックをジャズメン様に正装で決めた HIROSHI ( from 奇形児 ) 、FUJIWARA ( ex.サバート・ブレイズ ) 、岡野太 ( from 非常階段 ) 、HAJIMETAL ( from 誰でもエスパー、ex.ミドリ ) が務めるというとんでもなく豪華なメンバーが実現している。

レイヤーにとって初音ミクは、たくさんあるレパートリーの一つに過ぎない。実際、ネット上を検索すれば、可愛らしい初音ミクはモチロン、複雑怪奇な魑魅魍魎系まで実に多種多様な初音ミクにヒットする。その意味では実態のない、誰でもないレイヤーに演じられている初音ミクだからこそ、サイバー空間に存在する初音ミクの代替キャラクターとして、受け手の側にも歩み寄る余地が生まれる。


難波ベアーズに再登場した初音階段のメンバーは、非常階段の JOJO 広重、Nasca car を率いる電子音楽家 中屋浩市、そしてレイヤーの“ るしゃ ” 。二代目・初音ミクをレイヤーに演じさせた JOJO 広重の目論見は見事に正しい。
中屋浩市はテルミンをはじめとするエレクトロ ノイズを担当。テルミンに向かって慎重に手をかざすその姿には一種独特な学者然とした風情が漂う。JOJO 広重はモチロン、ギターである。とは言え、あれはもはやギターではなく、完全に別の音を出す楽器である。一番前で見れたので、確認出来たのだが、あの信じがたい音色のヴァリエイションを実現するデヴァイシズ ( devices : キング クリムゾンのロバート・フィリップが、担当楽器として表記していた言葉 ) が、決して多くはないエフェクターによって実現されているのは何とも意外だった。

ツイッターの通り、階段にへばりつく “ るしゃ ” 
難波ベアーズは地下にある





------------------ るしゃ @LeChatPrince 10月30日

大阪ライブでした。日本でのライブが久しぶりすぎて始まる前かなり緊張して階段にへばりついていましたが、始まればすごく楽しくてわざわざ来てくださった方もたくさんいて暖かい感想もたくさん頂いてほんとうにほんとうにうれしかったありがとう愛 


“ るしゃ ” は当然のように、ライヴ中の声を変調させており、MC 時とは全く違う声でヴォーカルを取っている。また、実際には歌っていないことも多く 、いわゆるリップ シンクも多かった( ? ) ように思う。
初音ミクは基本的な扮装のデフォルトとして、ヘッドフォンを付けているのだが、これで大音響のノイズの中でもメロディ ラインを確認できる とも、ヴォーカル ガイドを聴いている とも思えるが、いずれにしても、そもそも雰囲気アイテムであったヘッドフォンに、明確な装着理由が生まれた という点が面白い。


ここからいきなり、アイドル試論へシフトします !  ( 苦笑 ) 
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アイドルとは生まれてくるものである。つまり、アイドルとは生まれながらにアイドルなのだ。それゆえに、努力や鍛錬の結果、習熟していく他の表現領域とは根本的にそのありようが異なる。音楽的才能が皆無のアイドルによる歌唱やとんでもないダイコン役者のアイドルが出演する映画や舞台があったとしても、そのアイドルが生まれながらのアイドルであれば、そこには必ずファンが存在し、必ず需要が生まれる。そもそもアイドルとは宗教的なニュアンスから派生した言葉であり、現在のような使われ方のルーツは米合州国のエンタテインメント業界にある。日本ではむしろスターという呼称の方が一般的だった。そしてアイドルとファンの関係は、言うまでもなく宗教的である。

それにしても、この “ るしゃ ” が見せるヴォーカロイドとしてのたたずまいやロボットダンスの動きは、猫 ( Le Chat ) と名乗るだけあって、とにかく圧倒的に “ 可愛い ”。アイドルの世界観の中で “ 可愛い ” は最大の正義であって、それこそ何ものにも勝る価値である。この “ るしゃ ” というレイヤーは自らの武器に十分、自覚的であり、得難い存在感を獲得している。
そしてこれが、やっぱりアイドルのイヴェントなのだな と痛感させられるのは、ライヴの後に控えているチェキ会である。JOJO 広重が MC で、“ あと3曲です ” と宣言した際、フロアでは一様に “ え~!! ” という声が挙がったが、それを受けてすかさず “ 本当は、この後のチェキ会の方が楽しみのくせに ” と苦笑交じりにコメントしていたけれども、それもまた全く正しいと納得できるほどに、“ るしゃ ” の可愛さは際だっている。
“ るしゃ ” がレイヤーとして体現しているキャラクターは、日本人の女の子ならではの可愛らしさ( アイドルに限らず日本人の女の子の可愛らしさは世界イチ との定評があるが、いわし亭はその意見に全面的に賛成だ ) と欧米人並みの ボン! キュッ! ボン! というスタイルをあわせ持っていて、正にアニメから抜け出てきたようである。“ るしゃ ” がアニメを三次元化するために払っている努力や犠牲が半端ではないということは、すぐさま理解できるだけに、その役割意識はさすがだとも思う。
そしてこの二次と三次を縦横無尽に行き来する現実感の乏しさこそ、まさに三次元立体フォログラフの中に登場する初音ミクにオーヴァーラップするものだ。

三次元立体フォログラフの初音ミクと中田ヤスタカのプロデュースする perfume やきゃりーぱみゅぱみゅとの間にはもはや境界線がない。ヴォーカロイドが人間に近づこうとし、人間がロボットの動きを模し、最終的にそのどちらでもないマージナルな表現領域が獲得されたわけだが、これはかつて ’60 年代の終わりにアンディ・ウォーホルが稀代のロックバンド ヴェルヴェット アンダーグラウンドを得て画策した音楽 ダンス フィルム 照明、そして聴衆をも巻き込むマルチメディア イベント “ エクスプローディング プラスティック イネヴィタブル~爆発 人工的 必然 ” と言う言葉を想起させる。
いわし亭には、このプラスティック ≒ 人工的 という言葉に彼女たちのイメージがモロに重なるのだ。すべすべした人工的な偽物感覚は perfume やきゃりーぱみゅぱみゅの非人間的な動作やセルロイドのお人形の様な外観に濃厚だが、一方アイドルとしての彼女たちが性的対象として担う肉の部分がこのプラスティックの外観に無理やり押し込まれているという二律背反イメージの奔流は実に興味深い。
例えば、映画 『 日々ロック 』 ( 監督 : 入江悠 ’14 年 ) の二階堂ふみは、この作られたプラステック感覚と生身のアルコール中毒の女子という二面性を実にうまく演じている。

’73 年 1 月、『 平凡パンチ 』 に今となっては伝説とさえ形容されるヌード写真が掲載された。麻田奈美の “ りんごヌード ” である。今日的な意味でのヌードルでありながら、同時にトップアイドルとしても君臨した彼女の存在は空前絶後であり、ポスターにもなったこの “ りんごヌード ” は、’70  年代の男子の部屋には必ず貼られているとまで言われた。一世を風靡した麻田奈美はしかし、今見ると、やはりバスト、ヒップとも相当に豊満な印象を受けるのだ。
あるいは、’75 年 6 月に初代クラリオン ガールに選ばれ、同年の CM 出演によって、爆発的な人気を博したアグネス・ラムも同様、健康的に日焼けした小麦色の肌と豊かなバストは、生身の感覚が強く、実在する女の子のサガをきちんと感じさせてくれる。二次元のアニメの中で躍動し、レイヤーが挑み続けるキャラクターたちは、彼女たちに較べるとバストの豊満さに比べて体幹が痩せ過ぎの印象があり、そのありえない非現実感ゆえに、やはりプラスティックな印象の方が強いのだ。そして、21世紀型アイドルのヴィジュアルは麻田奈美やアグネス・ラムから確実に人工的なものへとシフトしており、そこに挑み続ける彼女たちの試練もまた半端なものではないのである。

また、アイドルには賞味期限がある というのもまた、何とも刹那的で良い。後藤まりこや大森靖子はアイドルとの共演が多いことでも知られるが、彼女たちはそろって、“ 女の子でいられる時間は限られている ” ということを繰り返し、発言している。
大森靖子がドリームズ カム トゥルーの楽曲をカヴァーした 『 私とドリカム ― DREAMS COME TRUE 25th ANNIVERSARY BEST COVERS ― 』に参加した経緯から実現した中村正人との対談では、実に秀逸な会話が引き出されている。
ここで “ ブルーズ ” を “ 刹那 ” と言い換えた二人の言語感覚は見事だ。そして、この会話だけでも凡百のアイドル論を遙かに凌駕する破壊力を備えていると思う。

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大森 : 女の人は、いつか失ってしまうって思ってるからブルーズが若いときに来るんですけど、男の人はあとで来るんです。だから私、おじさんと若い女の子が好きなんですよ
中村 : なるほどね。女の子は若いときに刹那があるんだ
大森 : そうなんですよ。で、男の人はおじさんのほうが刹那があるんです


実はいわし亭もこういうのは、嫌いな方ではない。とりあえず、ロボットみたいなポーズをリクエストして、撮ってもらったチェキ。なんだかうまくいかずに、苦笑気味なのが、可愛らしい。それにしても、いわし亭、デカ過ぎ。いやいや、 “ るしゃ ” が小柄過ぎるのだ ( 苦笑 )


共演の細胞彼女もアイドルらしい元気いっぱいのライヴを展開

------------------ JOJO 広重 @jojo_hiroshige 2014年10月30日

初音階段&細胞彼女終了、多数来場ありがとうございました。大いに盛り上がりました!「千本桜」がいい感じで演奏できてよかった。明日は秋葉原グッドマンです!よろしくお願いします!













2015年9月4日金曜日

ハートが大好きだったシーナは、ヴァレンタインに旅立った ~ 追悼 シーナ

2015 年 2 月 14 日
1978 年の結成当初より中断や解散状態に一度も陥らず、35 年間走り続けたシーナ&ロケッツで、日本の女性ロック ヴォーカリストのスタイルを確立したシーナ ( 本名 鮎川悦子 ) が、子宮頸がんのため、入院先の都内の病院で亡くなった。享年 61 歳。

“ 35 年一緒に ( シナロケを ) やれて、幸せでした。ファンの方にも幸せでした、と伝えてください ”
“ 歌うことが好きで、病気治ったら何したい? って聞かれたら < 歌いたい > って。( 最後にそれが ) かなわんかったから、歌聞きながら…。素晴らしい歌手でした。一緒に 35 年過ごせて、幸せでした。ファンの皆さんから愛されて、とても幸せやったと思います。ハートが大好きだったから、バレンタインが命日に なって… ”

夫、ギタリストの鮎川誠 談 デイリースポーツ 2015年2月14日


めんたいロック ( 実際には、福岡にとどまらず日本 ) を代表するロック黎明期の名バンドであったサンハウス~ ミシシッピー デルタ ブルーズの大御所の名を冠したその命名自体、名は体を表すを地で行くものだ。ヴォーカルの柴山俊之はそのスタイルと作詞能力で抜きん出た存在感を発揮している ~ でシャープで切れのいいギターを聞かせていた鮎川誠は、1971年、高校3年生の夏休みに恒例の家出を終えて京都から帰ってきたシーナと博多のダンスホール “ ヤング・キラー ” で運命の出会いをする。二人は生き方や音楽の好みなど多くの点でヴァイヴス ( ! ) を共有し、すぐさま同棲、事実婚の状態になった。
シーナ & ロケッツがユニークだったのは、ミュージシャン同士が結婚したのではなく、もともとの夫婦がバンドを結成したという点だ。実は、それまでシーナはヴォーカルを担当したことがなく、バンド結成時は完全な素人だった。そもそも、1978年当時、ヴォーカリストとして指標になる女性ロッカーは、すでにパンクの洗礼を浴びた海外 ( 例えば、ブロンディのデボラ・ハリーやパティ・スミス、スージー・スー、ニナ・ハーゲン、スリッツのアリ・アップ、レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとジナ・ バーチ、X-レイ スペックスのポリー・スタイリン といったところか ) でならともかく、日本では OZ を率いていた女帝カルメン・マキくらいしかいなかった。女性ヴォーカルという大きなカテゴリーから俯瞰すると、かろうじてジャズ ヴォーカリストとして独自の美学を貫いていた浅川マキ、ロックやパンクに通底する特異な世界観を持っていたシンガーソングライター達~森田童子、山崎ハコ、中山ラビ、佐井好子、スタンス自体がアウトサイダーそのものであった美輪明宏といった名前が挙げられるだろうか…

ヒット曲ランキングから見てみると、ピンクレディーが 「 UFO 」 の1位を筆頭に実に 4 曲をトップテンに送り込んでおり、以下、堀内孝雄 「 君のひとみは 10000 ボルト 」 キャンディーズ 「 微笑がえし 」 平尾昌晃・畑中葉子 「 カナダからの手紙 」 サーカス 「 Mr. サマータイム 」 矢沢永吉 「 時間よ止まれ 」 中島みゆき 「 わかれうた 」 が続く。さらに印象的なところを挙げると世良公則&ツイスト 「 銃爪 」 山口百恵 「 プレイバック Part 2 」 アリス 「 冬の稲妻 」 沢田研二 「 サムライ 」 等々がチャートに並ぶ。
一方、海外では、かのセックス ピストルズが1月に空中分解、すでにパンク ムーヴメントはその役割を終え、ニュー ウェーヴ・オルタナティヴやレゲエへとバトンを渡しつつあった時期である。

◎ SHEENA & THE ROKKETS
   鮎川誠 & シーナ ロケット→シーナ & ザ ロケッツ→シーナ & ロケッツ

1978 年:鮎川誠 & シーナ ロケットの名義でシングル 「 涙のハイウェイ 」 をリリース、デビューを飾る。翌1979年、アルバム 『 真空パック 』 を発表。シングル 「 ユー メイ ドリーム 」 ( 作詞 : 柴山俊之 作曲 : 鮎川誠、細野晴臣 ) が JAL の “ マイ ハート キャンペーン ” の CFに起用され、一躍、脚光を浴びる。国内外を含めて、これまでに通算 35 枚のアルバム 16枚のシングルを発表

1988 年:ニューヨークの CBGB でライヴ デビュー。ジョン・レノン&オノ ヨーコの専属写真家 BOB GRUEN の写真集で “ 日本の最高峰 パンクバンド ” として紹介される。国内・海外の様々なアーティスト 特にウィルコ・ジョンソンとの交流が深い。

代表曲:「 レモンティー 」 「 ユー メイ ドリーム 」 「 ピンナップ ベイビー ブルース 」 「 ハッピーハウス 」 「 レイジー クレイジー ブルース 」 「 ロックの好きなベイビー抱いて 」 「 ビールスカプセル 」 「 I’M FLASH ( ほら吹きイナズマ ) 」 

バンド名:“ シーナ ” という名は、鮎川誠の祖母の名前 “ 鮎川シナ ”、2人が好きなバンド ラモーンズの 「 シーナはパンクロッカー 」 という曲のタイトルに由来する。シーナの本名 “ 悦子 ” から “ ロック + エツコ = ロケッツ ” となり、さらにロケッツだけでは軽いということと、昔風に “ ●● & ロケッツ ” にしたい という鮎川のアイディアによる。綴りを “ ROCKETS ” ではなく “ ROKKETS ” とするのも鮎川流のセンスとのこと。


不明なことに、鮎川誠のライヴはサンハウスの再結成などで、何度か見ていたのだが、いわし亭は肝心のシーナ & ロケッツを見たことがなかった。
今回、シーナの訃報を受けて、東京と福岡で追悼ライヴが開催されたが、2015 年 6 月 9 日 正にロックの日! に名古屋 CLUB ZION でヘイトフル エアヘッド クロージング発足記念 ライヴ ショウと銘打ち、関西圏で、シーナの急逝以降初のライヴが企画された。前座は何とこのブログでもおなじみのキノコホテル。当日は入場者全員に主宰者 HATEFULL 謹製 シーナ追悼メモリアル T シャツがプレゼントされた。

16:30

会社を 4 時半に出て、新幹線に乗ると最短で 6 時 41 分に地下鉄 上前津駅に到着する。そのまま 4 番出口を上がると地下に CLUB ZION ( クラブ ザイオン ) のある GION ビルのちょうど前に出る。
CLUB ZION は 150 人も入ればいっぱいになってしまうそれほど大きなライヴハウスではないのだが、GION ビル自体にレコードショップ、アパレルショップ、タトゥースタジオ、カフェ、ミュージックバー、サウンドプロデュース、等が入っていていて、ビル全体でアーティスト サポートを行っているユニークな場所である。

19:00

CLUB ZION に入るとすぐ左手にバーカウンターがあり、そこから続く壁にシーナの写真 ( 右→ ) を引き伸ばした大きなタペストリー ( ? ) がつるされていて、まるで彼女がステージを見守っているかのような風情が醸し出されている。
この日は特別 DJ も待機していて、面白い曲をセレクトするので、“ 次は何がかかるんだろう? ” と待ち時間も苦にならずに過ごせた。もちろん、
ラモーンズの 「 シーナはパンクロッカー 」 も流れていた。

19:30
キノコホテルの面々はいつも通り、ケメ ファービー JKと登場し、インストゥルメンタルの演奏でマリアンヌ支配人の登場を待つ。ステージが狭い分、メンバー全員を一目で視野におさめることが出来るというのは、それはそれでとても効率が良くて助かる。キーボードのある分、キノコホテルのステージ上は煩雑で混乱しており、ステージの狭さも手伝って足の踏み場もない感じだが、支配人はひらりひらりと軽やかに舞い、小道具の鞭を振り回して歌い、時には大股びらきでエレキ ギターをバリバリ弾いて、ノイズを出す。いつも通り、キーボードの上にも乗っかってシナを作る。
今回は OA ( オープニングアクト ) なので、小一時間程度の内容。イギリス公演から帰国して 2 週間くらいだが、最近の実演会をコンパクトにまとめたものになっている。ただ、短時間でもキノコホテルとしてのプロモーションは必要で、メンバー紹介を兼ねた終盤恒例の楽曲も当然、演奏される。
本来、シーナ & ロケッツとキノコホテルでは客層が相容れないことはなはだしいが、
支配人やケメのレジェンドに対するリスペクトはかなりなもので、今回は OA のためだけに名古屋まで来たのではないか。というのも、日程的にこの近辺での実演会が確認できないのだ。特にケメはかなりこの OA を楽しみにしていたことが伺われる。翌日 “ 愛用Tシャツにサインいただきました ” とツイートしている。 

keme ‏@reverbfuzz  6月10日
愛用Tシャツにサインいただきました。
シナロケ最高!涙でました
いつもよりステージに近い関係で、ケメが前に出てギターを弾いてくれると本当に近い。それはそれでかなり嬉しい。いつもステージ最後方にいるファービーも近い。彼女のドラムも恐ろしく上達したと思う。バックコーラスに加えて、最近は曲を間断なく演奏する関係で、司令塔としてのリズムセクションは、ことのほか重要になって来ているのだが、その意味でも、ファービーと JK の連携は素晴らしい。ファービーの場合、キノコホテル自体が歌謡曲ベースでストレートなドラムに徹している分、変拍子などはそもそも必要ないが、JKとリズム セクションを構成している関係上、スピードやテンポ、手数などで、実はかなりなものを要求されている。

何にしても、近いというのはライヴハウスの醍醐味でもあり、その意味では、音や演奏や表情などもダイレクトに伝わる感じが良い。特にケメ ファンのいわし亭は、ステージに対して右側に立つことが多く、いつもほとんど視界に入ってこない JK をしっかり見れたのが良かった。JK の笑顔はまさに天然の笑顔で、演奏が楽しくて仕方がない感じがまるで童女のようである。しかし、音はガリガリと物凄く、それほど激しく演奏している風には見えないのだが、音数が半端なくて、その運指のスピードやいかに! と思われるのである。ギターの様にコードのない関係で、ケメがコードを引きながらリズムギターに徹してバッキングをしている時など、明らかにベースのメロディの方が立っている。

楽曲によって、両サイドの JK とケメがシンクロしながら、体を左右に振ったり、ぴょんと飛びながら体の向きを変える草創期から継承されてきたステージアクションが、今も割愛されることなく披露されているのも嬉しい。この動きとともにキノコホテルのライヴが終わっていく。このエンディングを見る度に、また次も見に来ようという気持ちが起こるのだ。

支配人自身、“ 何のことやらワケが分からんと思われている方もたくさんいらっしゃることでしょう ” と MC で話していた通り、キノコホテル目当てで集まったリスナーは少なかったと思うが、それでも OA として十分に会場を温め、いい仕事をしたと思う。

21:00
キノコホテルが下がって約 20 分後、もう時間的には 21 時が近いが、ついについに
シーナ & ロケッツ登場。

もちろん、シーナが2月に亡くなっているので、ドラム ベース ギターのトリオ編成である。あえて OA にキノコホテルを起用したのは、女性ヴォーカルとして支配人かケメを使う気なのか? とも思ったが、考えたらシーナの代わりは誰も出来ないのであって、そんなことをしたら逆にファンが怒るだろうし、キノコの彼女たちも畏れ多くて辞退するだろう。
“ シーナは三人のここにおる。でも見とるだけやから、みんな助けてな ” と自分の胸を指しながら朴訥に語る鮎川誠という人は、何て素晴らしい人なのだろうと思う。その感覚は正にファンと同じで、決してアーティストぶったり、上から目線でモノを言うことがない。
キノコホテルに引き続き、かなりの至近距離で鮎川誠、その名手のスケールワークをじっくり堪能できたのは、正に至福の時間
だった。この人、思っていたよりもかなり大きな人で、従って手のひらも凄く大きくて、これでガキッ と押さえられたコードはやっぱ説得力満点なのだ。日本人と外人のギタリストの最大の違いは手のひらの大きさだ と熱心に語ってくれた友人のギタリストがいたが、なるほどその通りで、鮎川誠の左手は安定感も群を抜いているのだ。

それにしてもここのところ、名手と呼ばれる人々の演奏を立て続けに目の当たりにしているが、きれいな状態のギターを見たことがない。どのギターも使い込まれてかなりくたびれており、何度も同じところをストロークされたであろうその場所は、塗装も完全に剥げて、ボディの素材そのものがむき出しになっている。角のところどころは欠けたり、剥げたり、埃がたまっていたりで、決して大事に扱われているとは思えない風情なのだが、そのくせ、セカンドギターは結局、トラブル対応用でしかなく、事実上、ほとんど利用されないもので、このくたびれたギターがやはりメインで弾き倒されるのである ( 笑 )  今、目の前での草臥れているけれども実に味のあるストラトキャスターを構える姿こそ鮎川誠その人である。オリジナルのヴィンテージ レスポールも一曲だけ登場させたが、やはり借りて来た感が否めなかった。名匠の作った風格を漂わせる実に美しいギターではあったが、正にワンポイント起用で実際、骨董品の様な扱いを受けている。やはり、メインはあのくたびれたギターなのだ(笑) 

堅実な演奏を聴かせるリズムセクションは見事なまでに黒子に徹していて、二人の名手は素晴らしい演奏を展開しているにもかかわらず、決して前に出ようとはしない。彼らが完全にバックに徹している関係で、かつてシーナが立っていた場所、鮎川誠とベースの奈良敏博の間、ドラムの川嶋一秀の前の大きく開いたスペースが存在感を発揮している。確かにここにシーナはいて、タンバリンを叩いたり、腰を大きく動かしたりして踊っている。
いうまでもなく、シーナ & ロケッツは、日本の紅一点バンドの草分け的存在なので 「 ユー メイ ドリーム 」 の様な代表曲は、鮎川誠が歌うにはキーが全然違うわけだが、フロアのファンが一緒に大合唱してそれを補うと、まるでそこでシーナが熱唱しているかのようにライヴは加速していく。
シーナが旅立ってまだ4カ月しか経っていない。だから、今年いっぱいくらいは、まだこんな手触りのライヴが続くのだろう と思うけれども、それに関してはファンも鮎川誠自身もあれこれ考えるより、その時々の自然な感情に任せて、楽しむのが一番なのではないか という気がする。

若い世代の大人の世の中に対する不平不満の表明として機能したロックにとって、ベテランやオールドネームとどのように折り合いをつけるのか という問題はなかなかに厄介だ。とはいえ、、本稿の鮎川誠をはじめ、ここのところ還暦を迎える~例えば PANTA、遠藤ミチロウ、遠藤賢司、友川カズキ、早川義夫、灰野敬二、JOJO広重、仲井戸麗市、泉谷しげるといったビッグネームがずらり並んだ感じはやはりモノ凄いし、ある種の感慨がある。だからこそ、女性ロッカーのシンボルとして、シーナには君臨し続けて欲しかった。

主催者からプレゼントされた記念Tシャツ
そして、実は還暦とはいえ、昨今、60 歳というのは、昔思っていたほど老人のイメージが付き纏わないものになっている。実は 60 歳とは、潤沢な経験値とまだまだ十分に残っている体力が絶妙のブレンドを施され、今迄、若いロッカーが勢いに任せた単なるエネルギーの無駄遣いで突貫工事のように演奏してきたロックを最小限の力と高いスキルによって再現する というマジックをたくさん見せてもらえるのではないか という淡い期待を抱かせる。実際、例えば、ジェフ・ベックなど、どう聴いても今の演奏の方がスピード アップしている観があるのだ。
あるいは年齢を重ねて、人間が熟成していくことで初めて味わい深い演奏にたどりつくブルースの様な音楽もある。日本のロックもやっとそうした老い ≒ 刹那 つまりはブルーズを体現するミュージシャンを擁するジャンルにたどり着いたのであり、これからの彼らの活躍が楽しみになる。

主宰者から配られたTシャツの出来もなかなかだったが、カラーが白でサイズも M しかなかったので、ライヴ中メンバーが着ていた黒ベースのシーナのTシャツも購入することにした。カウンターでビールを注文して、やっと汗だくの状況から解放されると、大急ぎでライヴハウスの外に出た。驚いたことに物販に鮎川誠その人がいる。思わず握手をしてもらい、最後のアルバムにサインをもらった。それにしても何とも気さくな人で、ファンと一緒にツーショットを撮っていたりもして、その場にいたファン全員が奇妙な興奮状態を共にしたのだった。


※ シーナ&ロケッツの公式サイトには、『 SHEENA FOREVER 』 のリンクがはられ、夫 鮎川誠の言葉はもちろん、葬儀の様子や悼辞などが掲載されている。




『 YOU MAY DREAM ユー メイ ドリーム ― ロックで輝きつづけるシーナの流儀』 
ミュージシャンの赤裸々な告白録としては、かなり興味深い。日本のロックの黎明期に運命的な出会いをした二人のドラマが、著者シーナだけでなく、鮎川誠のワンポイント コメントとしても綴られていて、その対比だけでも面白く読める。
当時、次々と侵攻して来た欧米のポピュラー ミュージックに対し、それを真正面から浴びたリスナーやミュージシャンがどのような態度をとったのか? 黎明期の日本のロックがどのように始まり、またどのように進化していったのか。
当事者だからこそ語れるレアな証言集としても非常に貴重な一冊である。






祝 35 周年! 6年 3 ヶ月ぶりとなる待望のオリジナルアルバム
『ROKKET RIDE 』 ( CD + DVD 限定版 )

 1. ROKKET RIDE
 2. Ride the Lightning
 3. 太陽のバカンス
 4. Baby Love
 5. ROCK FOX
 6. 電撃BOP
 7. Madness City
 8. I’m So Glad
 9. 夢にしか出てこない街
10. 素敵な仲間
11. 風を味方に
12. ロックンロールの夜




< おまけ 名古屋メシ!>

ライヴの後、22時過ぎ、いつもの元祖名古屋名物 台湾ラーメンの中国台湾料理店 “ 味仙 ” に台湾ラーメンを食べに行く。あまりの辛さにまさに口呼吸状態で、それでも一心不乱に食べている様子は、第三者から見れば正にバカ以外の何ものでもなく、とんでもない感じだろう。前回は、昼間の14時ごろに食べたのだが、その時と比べても辛さが増していて、味仙の台湾ラーメンは、深夜に向かう程、辛くなっていく様に感じた。