2022年5月10日火曜日

BLMにまつわる あれこれ:奇妙な果実 ~  『 ザ ユナイテッド ステーツ vs. ビリー・ホリデイ 』を題材に


vs. って スゲー 勇ましい印象のあるタイトルだけど 裁判って 意味なのね


映画の冒頭 リンチ殺人を禁止する法律が 議会で初めて話し合われたのが約100年前 とのモノローグ。しかし エンドタイトルでは この作品の制作された2021年現在 やはり この法律は施行されていない と結ばれる。近年 あれほど 盛り上がりを見せた BLM ( 黒人の命は重要 ) を経て なお 世の中の状況は何一つ変っていないのだ

にわかに信じられずネットサーフィンしてみると 2018年12月20日のネット記事に ‟ 人種差別によるリンチ殺人を犯罪と規定、米上院で歴史的法案 ( リンチ被害者のための司法手続法  )可決 ” とあるが 結局 この法案も下院で否決された。同記事には ‟ この法案は リンチ ( 私刑 ) による殺人を南北戦争後に起きた 「 人種差別の究極的な表現 」 だと非難し 1882~1968年に米国では少なくとも4742人がリンチで殺され そのほとんどは黒人だったと指摘している。こうしたリンチ殺人では 加害者の95%が国家や地元当局の処罰を免れていた。下院では1920~40年に3回 リンチ殺人を犯罪とする法案が可決されていたが 上院では歴代7人の大統領による働き掛けにもかかわらず可決に至らず ” とある。

BLM 運動の直接の契機は 2020年5月 米ミネソタ州ミネアポリスで 黒人ジョージ・フロイド氏が白人警察官デレク・ショーヴィンに膝で首を圧迫され死亡した 『 ジョージ・フロイド事件 』 とされている ( 実際の発端は 2012年2月に米・フロリダ州で起きた自警団による黒人高校生射殺事件への SNS 上の運動 である )。白人の側も 自分達が行ってきた黒歴史を自覚している。黒人の報復を いつも恐れているのだ。臆病者の警官が銃を持てば 見境なく撃つのは当たり前で こうして状況は 際限なく悪化していく

従って ビリー・ホリデイの歌が 世の中の状況を変えたという意見は あまりにも楽観的で 短絡的なものである。では 「 奇妙な果実 」 は 白人にとって 黒人にとって そして当のビリー・ホリデイにとって 実際には どの様な役割を果たしたのか? そのいきさつこそ 実に映画的な題材だと思うのだが 作品としては その辺りをほとんど描いていない。映画という表現が 多くの人間の思惑の元に制作されるものである以上 こうしたデリケートな題材を 忖度なしに描くのは不可能で むしろエンタテインメントとしては ベストエフォートであったというのが 相応の落としどころではないか

この作品は そもそも イギリス人作家ヨハン・ハリが著した 『 麻薬と人間 100年の物語 』 のビリー・ホリデイの章の映画化という企画からスタートしているが 表面上は 連邦麻薬局を率いたハリー・J・アンスリンガーの偉業を讃えるというテーマにすり替えられ 会議を通過したのではないか という気がする。実際 彼が表彰されるシーンでエンディングを迎えるが それが全くの蛇足であることは言うまでもない


「 奇妙な果実 」は  1930年8月 二人の黒人の死体が吊るされた新聞報道写真を見て 衝撃を受けたニューヨーク市ブロンクス地区のユダヤ人教師エイベル・ミーアポルが書いた一編の詩 「 苦い果実 」 ( Bitter Fruit ) が元になっている。後にミーアポル自身が曲を付け 彼の妻などが歌うようになったが もちろん この楽曲が注目されたのは 1939年 ビリー・ホリデイがカヴァーして以降である。「 奇妙な果実 」 は 100万枚以上を売り上げ 彼女の最大のヒットとなった。ビリーは その身に降りかかる危険よりも 合州国との面倒な折衝よりも 黒人という底辺から抜け出すために この楽曲のもたらす富と名声 ( ビリーは 『 タイム 』 誌に取材され 同誌に初めて写真が掲載された黒人となった ) を選んだのである。これは大きな賭けであり 結果として彼女は勝利したのだ。その意味で 実際の裁判の経緯がどうであれ ザ ユナイテッド ステーツ vs. ビリー・ホリデイ は ビリーの勝ちである。

「 奇妙な果実 」 には リンチに関する直接的な表現はない。ポプラの木に吊るされた黒人の死体が腐敗していく様子を淡々と描写しており 演出も 実際のビリーも この歌を唄う時は 祈りを捧げるように瞼を閉じて たたずむのであり そこからは怒りや主義・主張を感じ取ることは出来ない

ビリー自身 この曲を歌うには ‟ 自分の持てる力 すべてを必要とする ” と語っており この曲をカヴァーしたカサンドラ・ウィルソンも ビリーと同意見だ。 ‟ 問題は 歌うのが難しい ってことではなく 感情を出し切ってしまうこと。生で演奏するときには いつも最後の曲として演奏する。だって その後には 何も出来なくなってしまうから ”

「奇妙な果実 」 は 不都合な事実をなかったことにしようとする白人の欺瞞を無力化し 黒人の痛ましい歴史を反芻する。合州国の黒歴史の存在を 多くの人々に ただ事実として 伝え 残したのだ。いわし亭も初めてこの楽曲に接したときは 相当にショックだったし これを契機に KKK といった合州国の黒歴史を 本格的に調べ始めたのである


この作品は シンプルに ジャンキーで 自堕落で 人間関係をセックスでしか築けない かなりいい加減な女性のお話である。予告編から受けた印象とはずいぶん手触りが違う。歌の才能だけに異常に恵まれた けれども人間的には相当 問題のある女性が 黒人であるがゆえに 優れた歌手であったがゆえに 「 奇妙な果実 」 という作品と向き合わざるを得なかった… そういう作品である

ビリー・ホリデイは 肝硬変 腎不全 禁止されていた飲酒と喫煙 麻薬中毒 のため わずか 44 歳で この世を去った。この作品は ビリー・ホリデイを 人種差別に抗う闘士としてではなく ありのままに 一人の人間として描いたことに 好感が持てる

また 不世出の歌手という側面にも 十分にスポットを当て 歌唱シーンでは 「 奇妙な果実 」 をクライマックスに配置するようなこともせず 彼女の代表曲を網羅的に取り上げている。社会問題を意識した2015年の 「 ライズ  アップ 」 が グラミー賞候補となったアンドラ・デイの歌唱シーンは どこを切り取っても圧巻で 音楽映画としても 白眉である

反対に 配給元のギャガは このタイトルから想起される ありとあらゆる惹句を捻り出したなぁ という感じがして この違和感をどうしてくれるんだ って思う


閑話休題

◎ 作中 黒人同士が ニガー ということばでお互いを呼び合っており この単語 黒人の間では相当毛嫌いされている単語 との認識があったので かなり違和感があった

◎ これもネットサーフィンをしていて 見つけた記事だが 「奇妙な果実」に 見事な訳詞が付けられている。ぜひ 参照してほしい

◎ 2021年 第78回ゴールデン グローブ賞 ドラマ部門主演女優賞受賞


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W・スミスが司会にビンタ、妻をからかう発言に激怒 アカデミー賞

3月27日に開催された第94回米アカデミー賞授賞式で 主演男優賞を受賞したウィル・スミスが 女優で妻のジェイダ・ピンケット・スミスをからかう発言をしたコメディアンのクリス・ロックをビンタする騒動があった 当初は台本通りと思われたが 主人公の女優が頭をそり上げた映画 「 G.I.ジェーン 」 になぞらえたジョークだとロックが説明すると スミスは ‟ 妻の名前を口にするな ” と汚い言葉でののしり 会場は一転静まり返った

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小学生のころ ストウ夫人のジュニア版 『 アンクル・トムの小屋 』 を読んで 大きく心を揺さぶられた経験があるだけに 通常 黒人の間で “ アンクル・トム ” は “ 白人に媚を売る黒人 ” “ 卑屈で白人に従順な黒人 ” という軽蔑的な意味で使われることを知って 非常に複雑な思いをした。 クリス・ロックは 1996年 『 ニガズ 対 ブラックピープル 』 というネタで 当たり前の責任を果たすだけで 過剰に誉めてもらいたがる図々しい黒人を ニガ と呼び 彼らは いつも黒人のイメージを貶めるだけの存在であるとして こき下ろしている。ここにおいて ニガ または ニガズ は 明かな蔑称である。大学生の頃に見た 『 ケンタッキー フライド ムービー 』 の “ 危険を求める男 ” という短いエピソードで 黒人が鉄道の操車場のようなところでトランプをして遊んでいるところに パラシュート部隊の様な出立の白人が ズカズカ乗り込んでいって ニガ―!! と怒鳴って逃げると 黒人が一斉に彼を追いかける  というのがあって 大笑いさせられると同時に ニガ という言葉のニュアンスを納得させられた。TV でオンエアされた日本語吹替バージョンでは 怖い~!! となっていて 意味不明のものになっていたが…  対して ブラックピープル とは 真面目な市民を指すのだが 彼らこそ 白人にとって 都合のいいアンクル・トムではないのだろうか? 2016年 第88回アカデミー賞授賞式で ロックは ‟ アジア人は数学が得意 ” というステレオタイプを強調した寸劇を披露し ‟ このジョークに怒るなら 携帯電話を使ってツイートすればいい。その携帯もアジア系の子供たちが作っているだろう ” とコメントした。アジア系アカデミー会員が連名で抗議し アカデミーは “ 今後の授賞式では もっとそれぞれの文化に配慮できるよう 全力を尽くします ” と陳謝しているが 今回の件を見る限り それがその場しのぎの形式だけのモノであることがよく分かる。筆者にしてみれば 何が映画芸術科学アカデミーだ という思いがある。あんなものは そもそも財閥の道楽でしかなく 世界中に無数にある映画祭の一つに過ぎないのだ。  筆者は 特段のブルーハーツ ファンではないが 「 トレイン トレイン 」 の冒頭 ♪ 弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く ♪ というフレーズには ひどく感心させられている。正に今 世界中の至る所で見られる閉塞的な状況を これ程 端的に表したフレーズはない。白人からすれば クリス・ロックもウィル・スミスも同類でしかなく この出来事は 所詮 黒人同士のいざこざに過ぎない。ロックはスタンダップ コメディアンとして それなりの地位を築き 何を勘違いしているのか 名誉白人にでもなったつもりなのだろうか?  限りなく白人の上流階級に近づいた気になって 有色人種を貶めるようなネタばかり披露しているし そういうコメディアンと分かっていて アカデミーは プレゼンターに起用している。いずれにしても 白人の側は 面白おかしく 高みの見物 という感じが なんともやりきれない。白人にとって クリス・ロックは アンクル・トム以外の何物でもないのだから。

黒人の司会者が 白人の女優の病気をネタにして 白人の夫にブッとばされた… なら 白人の側からは どんな意見が出たのだろう? と 大真面目に 考えてみる。明かな愚問ではあるが…

Varietyによると ‟ 主催 映画芸術科学アカデミーは 不適切な身体的接触 罵倒または脅迫の行動 そしてアカデミー賞の品位を損なうものとして ウィルに対する懲戒手続きを開始した。アカデミー会員資格の停止や剥奪も検討されている ” とのことだが これは全く矛盾している。アカデミーの挙げた事項の中で スミスにのみ 該当するのは “ 不適切な身体的接触 ” だけであり それ以外の指摘は ロックにも十分当てはまる。この原稿を書いている現在 ( 2022年4月5日 ) スミスは アカデミーから退会する意向を明らかにし アカデミーは この退会届を受理している。ところが ロックへはおとがめなしで 一方的な被害者 ということになっている。アカデミーはロックを起用した責任上 白人にとって都合のいいアンクル・トム を守る必要があり 100% ウィル・スミスが悪い としなければ格好がつかない。映画芸術科学アカデミーは ロックのふるまいを正当化しないと 特大のブーメランをくらうことになるからだ。

この出来事は 日米で大きく評価が分かれているが 筆者はそのどちらにも与するつもりがない。 日本では ウィル・スミス養護派の方が多く 病気をネタにするような言葉の暴力について議論しているが むしろ心情的な部分がスミスの暴力の問題を覆い隠している。当のアメリカ合州国では クリス・ロック養護派の方が多い。アメリカ合州国にはあらゆるダイバーシティが存在するがゆえに 万人に共通のルール ~ この場合 暴力での解決を避ける を厳守することが大前提であり この珍事によって ここ数年来 多くの先人の努力でコツコツ積み上げられてきた黒人の良いイメージは 大きく後退した と深刻に受け止めている。「 黒人は怖い 」 という間違った考え方を植えつけてしまいかねないことが問題であると。あの状況で よく司会進行を続け その場を収めた と ロックのプロ意識を賞賛する意見が多いのだ。 この合州国での議論に関しては 日本のマスコミ コラム等々でも賛同する意見が多く これこそが合州国である! 的な意見が 多い。アホなことを言ってるんじゃない。これでは ひどいダブルスタンダードではないか。極論すれば 「 黒人は怖い 」 のだ。そして 本当の問題は 「 黒人を怖く 」 してきたのは 誰なのか? ということである。「 怖くない黒人 」 がいるとしたら その黒人は相当良いヤツだ。アメリカ合州国が かろうじて国としての体裁が保てているのは その相当良いヤツらの心の豊かさ おおらかさに 白人が図々しくも 間借りしているからである。多くの黒人は アメリカ合州国の黒歴史について 怨念を持っているし それを忘れて似非白人になろうとしているロックの様な黒人こそ  同胞を裏切る忌むべき存在なのだ。日本の論壇は当事者でないからこそ こういう大甘な議論が成立するのである。 むしろ 逆なのだ。ウイル・スミスは 例え友だち ( 二人は友人関係にあったというから 驚きである。つまり ロックは似非白人として アカデミーの権威にすり寄り 友だちを裏切ったのだから その罪は相当に重い ) でも 本当の黒人は 調子に乗ってアンクル・トムを演じるような黒人を制裁する という姿勢をはっきり示したのである。 ここ数年来 合州国では BLM ブラック ライヴズ マター ( 黒人の命は重要 ) という運動が 大盛り上がりだったが これも結局 一過性のブームだった という気がする。何となく やった気になっただけ。結局 状況は何も変っていない。映画 『 ユナイテッドステーツ vs. ビリー・ホリデイ 』 は “ リンチ殺人を禁止する法律は 未だ 議会を通過していない ” という文言で締めくくられる。南北戦争以来 5000 人近い黒人が きちんとした裁判を受けられずに リンチによって殺された にもかかわらず それに加担した白人を断罪する法案が 起案されて以来 100 年が経とうとしているのに 正式に採択されていないのだ。これが アメリカ合州国の正体である。 アメリカ合州国という国は ネイティヴアメリカンの土地で我が物顔に振舞い 行く先々で 男性を殺害し 女性をレイプし ありとあらゆるものを略奪して 彼らを害虫の様に ほぼ全滅させた結果 誕生した。西部劇は それを自慢たらしく英雄譚として描いている。その後 アフリカで平和に暮らしていた黒人を生け捕りにして 誘拐し 輸送の航海の途中でほぼほぼ死亡させ 合州国に連れてきてからは 奴隷として使役し 気分次第でレイプし 気に入らなけば 言いがかりに等しい理由で リンチ殺人してきた。アメリカ合州国は こうした問題について 全く反省していないどころか これは過去の出来事ではなく 現在も連綿と続いていることが 明らかになったのである。 結局 黒人側の反撃を封じるために ダブルスタンダードを正論として振り回しているだけなのだ。この正論というやつ 自由で活発な議論を 完全に封殺する力を持っているから 本当に性質が悪い。問題は 白人は 未だにアンクル・トムを上手く利用しているのであり 富裕層に成り上がった勘違い黒人の中には それに乗っかろうとしているアホな輩が多々いることなのだ。ルールの議論で事足りている と考える連中は 白人かそれに近い勘違い白人 ( 白人ではない ) であり 彼らは自分たちに都合のいいように 問題をすり替え 黒歴史をなかったことにしている。

マンソン ファミリーは “ 白人と黒人の人種間の闘争を煽って 全ての白人を地球上から壊滅させる。砂漠の洞に隠れて難を逃れたファミリーは 復活して黒人を支配下に置き 純粋にマンソンの血を引く子孫たちによって世界を埋め尽くす ” というアホみたいな妄想から シャロン・テート事件を起こした。その事件は断罪されてしかるべきだが 一方で 黒人が白人を壊滅させるというところは 是非 見てみたいなぁ とは思う。 あと スミスはその場で 直ちに逮捕されるくらい ロックを半殺しにすればよかったのに。あんな コズいた程度のビンタでは 失うものが多すぎて 全く割に合わない。そもそも 二人は知人だったんだから 実は スミスには 相当の葛藤があった とも思われる。


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『 ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ 』

1 オール・オブ・ミー
2 奇妙な果実 3 タイグレス・アンド・ツイード 4 チャーリー・ウィルソンーザ・デビル・アンド・
  アイ・ゴット・アップ・トゥ・ダンス・ア・
  スロー・ダンス( feat. セバスチャン・コール )
5 ソリチュード
6 ブレイク・ユア・フォール
7 アイ・クライド・フォー・ユー 8 エイント・ノーバディーズ・ビジネス 9 ゼム・ゼア・アイズ 10 レディ・シングス・ザ・ブルース 11 ラヴァ―・マン 12 ギミー・ア・ピッグフット・アンド・ア・ボトル・オブ・ビア 13 ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド

収録曲を見ればわかる通り ビリー・ホリデイ ベスト ともいうべき内容であるが オリジナル楽曲となるアンドラとラファエル・サディークによる「タイグレス・アンド・ツイード」が また良い。サウンドトラック アルバムというよりも アンドラ・デイの代表作にして 2021年の最重要女性ヴォーカル アルバムと見るべき一枚である


2021年8月18日水曜日

みのおてならい 『 星を想う朗読会 』 @ 箕面市文化芸能劇場 小ホール 2021 年 8 月 9 日



箕面市文化芸能劇場は、2021年8月1日に杮落としを迎えた超々新しいリッチな場所である。そして今回のような市民グループのイベントとなると、正に最初の催し物になるだろう。高い天井と響きを重視した壁面設計は、この場所が御堂筋線の延伸工事が完了した暁には、北大阪を代表する名物ホールになることが容易に想像できる。初めてこの場所に足を踏み入れた時、“まるで北区のザ・シンフォニーホールだな” と感じたのは決して筆者だけではないだろう。これからこのデコボコした壁面は沢山の潤沢で豊穣な楽器や声の響きを一つ一つ記憶していくのだろう。そして、最高の音響空間として、その空気も気配も一緒に調律されていくのだろう と思うと、ここを再訪問する日が、今から楽しみである。


新交響楽団 ( 現在のNHK交響楽団 ) のチェロ奏者 大津三郎の著述 「 私の生徒 宮沢賢治 ~ 三日間セロを教えた話 」(『音楽之友』 1952年1月号 ) によると、賢治は大正15年の上京の際、大津三郎の自宅でレッスンを受け、「 エスペラントの詩を書きたいので、朗誦伴奏 ( ろうしょうばんそう ) にと思ってオルガンを自習しましたが、どうもオルガンよりセロの方がよいように思いますので… 」 とその理由を語ったという。エスペラントとは、ポーランド生まれのユダヤ人、ザメンホフが1887 年に考案した国際語である。賢治がエスペラント語に興味を持っていたのか と思うと、新しい発見をしたような嬉しい気持ちになる。異なる文化や言語を持つ人々が対等な立場で、共通言語を使って、まずはお互いの違いを理解しあおうという… 正に多様性へのアプローチの為のツール エスペラント語。ザメンホフの思想は、東北から上京した賢治には、何より身近なものであったに違いない。
英語がある意味、世界で最も頻繁に使われているという事実はつまり、英語圏の人間が他の国を侵略した歴史的な事実の多さを物語っている。結果として、国際的な交渉事を行う時、英語圏の人間が圧倒的に有利なことは否めない。それゆえに、筆者は英語を素直に肯定できない。ザメンホフも賢治も同じ気持ちだったと思いたい。エスペラント語は、誰もが、同じ不自由さからスタートする対等さを補償しているのだ。

朗誦伴奏とは 読んで字のごとく、作品の朗読にあわせて音楽を演奏することで、多くの詩や童話を書いた宮沢賢治は、音楽に対しても強い関心を抱いていたらしい。それは東北という土地に特有の方言が持つメロディやイントネーションをとりわけ大切に扱った賢治ならではの感覚である。

賢治の 『 永訣 ( えいけつ ) の朝 』 には “ あめゆじゅ とてちて けんじゃ ”  という、暗号のような不思議な言葉が出てくるが、これは、24歳で亡くなった賢治の妹トシが死の床で兄に頼んだ言葉で、 “ 雨雪( みぞれ混じりの雪 )を取ってきてちょうだい ” という意味だそうだ。福島県生まれのミュージシャン 遠藤ミチロウさんが、自作の曲の中でこの言葉を使っているが、その曲紹介の際、発音された音を聞いて、初めて、この言葉本来の姿に会った と感じた。


チェロは17世紀中はチェンバロなどとともに伴奏楽器として認識されているが、バロック時代の終わりまでは、独奏楽器として多用されていた。重厚な低音による伴奏から、明快なメロディを伴う独奏まで楽器としてはオールマイティで、サウンドのヴァリエ―ション、音色の多彩さは弦楽器の中でも抜きんでている。

朗誦伴奏 を担当された山岸孝教さんは、大阪音楽大学 ザ・カレッジオペラハウス管弦楽団で首席を務められている。その気さくなお人柄からは、想像のつかない多様で、奥深い音色を奏でられ、実は大変な演奏家なのだと、今更ながらに痛感させられる名チェリストである。チェロの響きを生かした特有の重低音が筆者は大好きで、リハーサルの時からすでに気分は高揚していた。

朗読会はその山岸さんの独奏 1939年のミュージカル映画 『 オズの魔法使 』 でジュディ・ガーランドが歌った 「 虹の彼方に 」 から始まった。最初の一音で、場内のざわついて落ち着きのなかった気配が、さらりと変わってしまったのは、流石だった。


続いて川邊暁美さんの朗読で 小川未明 「 月夜と眼鏡 」。川邊さんは NHK神戸放送局のニューズキャスターを経て、2008 年 声と言葉のコミュニケーション力、表現力UP をベースにした人材育成、コンサルティングを行う 「 言の葉OFFICE かのん 」 を設立。*シン・新型肺炎で リアル催事の中止が続く中、いち早くオンライン体験会にシフトした 「 みのおてならい 」 からの要請で、川邊さんがライフワークとして取り組んでいる朗読の体験会をオンライン上で開催、それが今回の 「 星を想う朗読会 」 の重要な伏線となっている。NHKのニューズキャスターという来歴もあって、何とも美しい滑舌、イントネーションを披露され、どのような物語が朗読されているのか? といったことよりも、言葉の持つ音そのものの力こそが、聴いた人をストレートに幸せな気持ちにさせるのだと感じた。


市民朗読家の皆さんの朗読を挟んで、朗誦伴奏 宮沢賢治 「 銀河鉄道の夜 」。

朗誦伴奏とは、実は二重奏 ( デュエット ) であり、演奏が朗読のバックを務める といった単純なものではないんじゃないか? 器楽演奏はもちろん、朗読もまた人の声を奏でる音楽の一形態であり、二つの演奏が時には火花を散らしながら競い合い、時には一方が後ろに下がってサポートに回り、時には全く対等な立ち位置から互いに溶け合い融合して新しい世界観を構築する、そうしたお互いの関係性が目まぐるしく変化するパフォーマンスなのでは? とさえ思った。

洋楽の熱心なリスナーなら、歌われた異国語の歌詞がたとえ理解できなくとも、人の声を楽器の奏でる音と同等に捉えて、聴く事に慣れているだろう。もちろん歌詞の意味は分かった方が良いに決まっているが、音色として聴かれる人の声は楽器の奏でるサウンドと同等の意味を獲得している。


朗誦伴奏の場合、聴感上、耳に優しく、美しい音色としての言葉とそれを奏でる鍛えられた声が必要だ。実は、あまりに気持ちよくて睡魔に襲われた程だったと、白状しておこう。それほどまでに、この朗誦伴奏はデトックス力の高い、日本語で演じられた最高レベルのものだった。

最後は再び、山岸さんの独奏で 宮沢賢治 「 星めぐりの歌 」。歌詞はなかったが、深い余韻を残すチェロの響きは、こうした優しい催し物の最後に相応しい。

朗読された作品は著作から70年を経たパブリックドメインである。この70年という時間の経過が絶妙である。新しい作品ではないが、逆に現代の日本語に馴染まない程、古過ぎない、まことに適度な言葉で書かれたものである。というのも、“ 日本語の乱れ ” であるとか “ 正しい日本語 ” “ 正しい発音 ” といった見方・言い方に、筆者は懐疑的なのだ。

吉田兼好は、徒然草 第22段 で “ 今時の人は 言葉を略し過ぎる ” と少し怒っている。兼好は、今日的に言えばエッセイストであり、文化人でもあるが出家していたので、社会を外側から観察出来ていた ともいえよう。彼が “ 今時 ” つまり鎌倉時代末期 ~ 今から八百年ほど前、日本語が乱れてる という印象を持っていた というのは興味深い。 

“ 近頃の若者は 云々 ” というモノ言いに至っては、古代エジプトで約5000年前、現在のトルコにあった古代ヒッタイト王国や古代中国でも約4000年前にはすでに登場していて、その中では若者言葉への指摘も見られる。言葉は、時代とともに、世代とともに変化するのが当たり前 と考える方が精神衛生上 よろしいようだ。

「 星を想う朗読会 」 で朗読されたのは、まさに、絶妙に古びた、耳に優しく、美しい日本語であり、ここで “ 正しい ” と表記するのはやめよう。


はぁ? うっせぇうっせぇうっせぇわ

あなたが思うより 健康です

一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね


YouTube で1億6千万 回 ( 2020/10/23 公開 7月20日現在 ) 以上の再生を叩きだした 作詞・作曲 syudou 歌唱 Ado「 うっせぇわ 」。ここで歌われる歌詞とメロディの一体感、その必然性と見事な着地。紛う方なき傑作であることは、この再生回数が証明している。しかし、しかしだ。この楽曲、どう聞いても、不快感が先立つのを禁じ得ないのは、なぜなのか? 

いくつかの理由は考えられるが、やはり、使われている言葉への嫌悪感が大きい とは思う。言葉は時代とともに変化する。いつしか社会の中心にいた大人も老けていき、淘汰されて、その役割を次の世代に取って代わられる。変化を嫌う大人の世代からすれば、若者のあり方が受け入れ難い というのは必然であり、過去から現在に至るまで、世界中の至る所で繰り返されてきた実例を先ほど見た。それらを認めた上で、敢えて言うなら、懐かしい、耳に優しく、美しい日本語は、誰にとっても、どの世代にとっても、聞き手の気持ちに寄り添い、心の一番深いところに刺さる力を残しているのだ と。


市民朗読家の方々が披露された作品たち ~ グリム兄弟 「 星の銀貨 」/ 加藤介春「 風 」/竹久夢二 「 風 」 「 風の通路 」/ 志賀直哉 「 小僧の神様 」/ 新美南吉 「ゲタニ バケル 」 / 夢野久作 「 キャラメルと飴玉 」/ 山本周五郎 「 鼓くらべ 」/ 小川未明 「 こがらしの ふく ばん 」 「 野ばら 」/ 中原中也 「 夜汽車の食堂 」/ 高村光太郎 「 智恵子抄 」 より/ 太宰治 「 満願 」 ~。知っているお話、タイトルくらいは知っているお話、作家の名前だけなら知っているお話、ぜんぜん知らないお話。筆者の狭小な知識では、知らないお話の方がもちろん多かったのだが、夫々に発見や気づきが多く、楽しい小品の見本市だった。



個人的には夢野久作の 「 キャラメルと飴玉 」 に驚かされた。あの幻魔怪奇探偵小説 『 ドグラマグラ 』 の作者である久作が、こんなに可愛らしい小品を書いていたなんて と。

懐かしい、耳に優しく、美しい日本語で綴られたお話には、包み込まれるような気配があり、予備知識が何もなくても、心も身体も懐かしい気持ちで満たされて、いつしか心地良い、何とも言えない気持ちになってしまう力があるのだ。


山田耕筰の 「 赤とんぼ 」 を聴く時、あのメロディは山田自身が説明している様に、明治期以前の江戸弁由来であって、関西ではああいう発音はしない。と筆者は長年、思ってきたが、言語アクセントに忠実にメロディを作曲する という山田の発想は、朗読という場でこそ、発揮されるべきスタンスなのではないだろうか 等と つらつら考える。

先ほどの宮沢賢治のエスぺラント語へのこだわりや、東北に特有の言葉の持つメロディやアクセントの妙も、実は彼の作品を朗読する際の大きなポイントになるのではないか? 方言を一人称で使う世代が激減して、標準語だけが残された時、音楽の持つ可能性のかなりな部分が削ぎ落とされてしまうのではないか? という懸念が、筆者にはある。


朗読という行為に意味があるとしたら、それは、懐かしい、耳に優しく、美しい日本語を 方言も含め 音 ( メロディ・イントネーション )として 次の世代に伝えていく 残していく ということなのかもしれない。

自分自身、出来るだけ沢山の美しい言葉を、声に出して、読み上げてみたい。そんな欲求にかられた、お休みの日の午後であった。


2021年8月9日 月曜日 台風一過の昼下がり @箕面市文化芸能劇場




*「シン・新型肺炎」

文中の「シン・新型肺炎」は、造語です。新型肺炎は2020年に出現した新型の感染症であり、2021年になってさらにデルタ株、ラムダ株など感染症が次々と変化しているため、庵野秀明の「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」に倣って命名しました。なお、個人的にコロナビールの愛飲者であるため、コロナという言葉を使うのは出来るだけ避けるようにしています(笑)




2020年9月20日日曜日

第5回 みのおてならい サロンコンサート 『 右手のピアニスト 樋上眞生 ~ Replay / リプレイ 』 @ 箕面市立メイプルホール 小ホール 2020 年 9 月 12 日

昨年の年末辺りから謎の感染症 “ 新型コロナウィルス/ COVID19 ” が世界中に蔓延し始め、2019 年以前の世界にはもう戻れないのだと、人々が気づくまでには、それほどの時間を要しなかった。2020 年の春先には、様々なイベント、コンサート、ライヴが次々と中止・延期になり、それは 4 年に一度の世界的スポーツの祭典オリンピックといえども同様で、人々は密を避けて、自宅に閉じこもり、この災厄が去るのをじっと待つしかなかった。

コンサートを行うには、配信という形が奨励され、人々が生の音を浴びる様に聴く というコンサート本来の姿はとても贅沢なものになった。5 月に予定されていた『 右手のピアニスト 樋上眞生 ~ Replay / リプレイ 』もまた、延期と何度かの慎重な検討の後、やっと開催にこぎつけたが、演奏会場である箕面市立メイプル小ホール本来のキャパシティの三分の一足らずの 30 名の聴衆を招くに止まり、後はネットによる配信という形を取らざるを得なかった。この会場、とても古い建物で、配信の設備が整っておらず、“みのおてならいサロンコンサート”のスタッフは Wi-Fi の設備を持ち込んで、その対応に当たった。

ところが、コンサート開始直前、それまで通常に機能していた設備に不具合が生じてしまい、コンサートの開始が 15 分も順延してしまった。そのタイミングでも実は配信環境は復帰していなかったのだが、これ以上、遅れるわけにはいかない という苦渋の判断で、配信は環境が整い次第、追いかけて行う ということにしたのだ。



市川海老蔵( 十一代目 )似の 二枚目 樋上眞生(ひのうえまお)さんは
、将来を嘱望される新進気鋭のピアニストである。20 代前半から、コンクールへの出場と受賞を重ね、2013 年 29 歳の時には、日本芸術センター年間最優秀ピアニストに選出された。その翌年、満を持して、ロシアの作曲家 セルゲイ・リャプノフに自らの超絶技巧を駆使してチャレンジ、日本人初となるピアノ ソナタの CD を発表する。ところが、やはりこの録音、心身ともに相当な負荷がかかったのか、収録後、左手の人差し指に違和感があり、局所性ジストニアという難病に罹患していることが分かった。

半年が過ぎても左手が快癒に向かわない状況を受けて、樋上さんは一つの決断をする。不自由な左手を使って両手で弾くことよりも、自由な右手を縦横無尽に使い切る方を選択したのである。

世の中には、左手のピアニストが多数存在する。片腕が不自由になるという状況は右でも左でも、ほぼ同じ確率で発生するはずなのだが、右手のピアニストの活躍はこれまで目立ったものではなかった。2019 年 11 月、金沢で開催された < 左手のピアニストの為の公開オーディション > に出演した樋上さんを見た斯界の第一人者にして審査委員長を務める館野泉さんですら “ 右手の演奏をはじめて見た ” という驚きを隠せず、その優れたパフォーマンスに対して優秀賞を送った。

左手のピアニストが次々と輩出されたのは、最初にその偉業に挑戦したロシアのアレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンが右手を故障したピアニストだったから という点がことのほか大きいようだ。その後、結果として、スクリャービン用に作曲されたもの、自身で作曲したもの等、左手用のピアノ曲は 3000 曲以上ある と言われている。その中には、バレエ曲「 ボレロ 」で有名なモーリス・ラヴェルが戦争で右手を喪失したパウル・ヴィトゲンシュタインに依頼され作曲したものもある。ところが、右手用の作品となるとごくわずかなのだ。

片手での演奏は音数の制限を受けるため、右足で操作されるダンパーペダルによる音色のバリエイション( 主たる役割は以下の三つ ① 音を響かせる ② 音を繋げる ③ 倍音を利用する )が非常に重要であり、演奏フォームを見る限り、左手と右足でのスタイルの方が有利であることは否めない。右手のピアニストの活躍を阻んできたのが、この演奏フォームの問題であることは容易に想像がつく。

では、右手を生かすために、左足を鍛えてどうか? という代替案もないではない。しかし、超絶技巧を支えていた右足の動きをこれまで何の訓練も受けてこなかった左足で担うのは、無理ではないにしろ、時間がかかりすぎるだろう。オートマチック車が普及し始めた ’ 80 年代初頭、左足を不用意に使ってしまう事故が多発したことからも分かるように、特に左足を自在に使いこなすには、腕以上に厳しい訓練が必要だ。

右手のピアニストの場合、演奏のために使う身体の部位が右側に偏るため、身体全体が強烈に右側へ持っていかれる。これでは女性ピアニストは到底、演奏できないだろう。実際、初めてお会いした樋上さんの第一印象は、細マッチョ。右手のピアニストは、まず体幹を徹底的に鍛えるところから始めなければならない。若くして、超絶技巧をマスターした高度なスキルが前提でないと、到底、たどり着けない境地である。

従来ある曲を右手用に編曲していくこと、あるいは初めから右手用の作曲をすること。いずれにしても手探りで、ひとつひとつクリアしていかなければならないその気の遠くなるような作業の果てに、現在の樋上さんはいる。もちろん、たくさんの悩み、苦しみ、眠れない夜があっただろう。ところが、実際にお会いした樋上さんは、本当に気さくで明るい、朗らかな方で、そんな過去を微塵も感じさせないのだから驚きだ。この持って生まれた強靭な精神力こそが、右手のピアニストを誕生させた最大の原動力なのかもしれない。



ロサンゼルスを拠点に ’ 60 年代の終焉を駆け抜けた伝説のバンド ドアーズ。若者の暴力衝動や反権力と言った志向を反映して、メンバーが非日常的で乱暴なふるまいを得意とし、ノイジーなだけ演奏や稚拙な歌詞の絶叫で、ロックが芸術的な評価に全く値しないという地位に甘んじていた頃、突然変異のように現れたドアーズは、史上初めて芸術的に論ずるべき、鑑賞に足る音楽としてのロックを創造した。電気楽器がまだ黎明期にあった当持、バンド スタイルと言えばバディ・ホリーが ザ クリケッツで確立したギター 2 本、ベース、ドラムでの編成が支配的であったが、ドアーズは他のバンドとサウンドが似通ってしまうのを嫌い、敢えてベーシストを置かず、キーボードにその役割を担わせた。音の隙間を埋め尽くすのではなく、音数の少なさを逆に個性にしているのだ。

また、ヴォーカリストのジム・モリソンはライヴの最中に “ 生みの苦しみをはらんだ休止 ” と呼んだ演奏の中断を行った。ジムが歌唱の途中で口をつぐんでしまうのだ。自分たちの欲求が中途半端に遮られ、邪魔された聴衆は、フラストレーションを募らせていく。聴衆の我慢が限界に達し、もはや暴動直前にまで高められ、それが崩壊するよりわずかに速く一瞬、ジムの合図でバンドは演奏を再開する。すると、このフラストレーションが一気に解放され、とんでもない高揚感と快感を生み出し、ライヴは怒濤のクライマックスへとなだれこんでゆく。


13 時 30 分 開演予定のコンサート。すでに時計の針は 45 分を過ぎるあたりを指していた。スタッフとして音響ブースにいた筆者も、相当にジリジリしていたのは否めない。

ステージに登場した樋上さんは深々とお辞儀をして、静かに自らのピアノの定位置についた。片手の可動域の関係で椅子の位置は、ピアノに対してやや左寄りになる。この演奏前の何人にも冒しがたい静謐な瞬間。この場に集まった 30 名の聴衆も、“右手のピアニスト”とは一体いかなるものなのか? という好奇の気持ちがあったのは否めないだろう。

第 一 部 一 曲目は ショパン = ゴドフスキー編曲 左手のための『 革命エチュード 』。左手のピアニストの歴史が生み出した名アレンジである。

樋上さんから受ける穏やかな印象からは、想像を絶するスピードと力強さ。一聴すぐさま、今、ステージでとんでもないことが起きている! と誰もが感覚的、直感的に理解するに足るインパクトである。それは、ここまで待たされて、薄ぼんやりとしていた場内の空気が、一気に切り裂かれ、瞬間、ぱっと明るい日差しが差し込んだかのようで、そのカタルシスたるや! このあまりに鮮やかな場面転換は、開演が 15 分も押したことすら僥倖に変えてしまう樋上さんの力業(ちからわざ)の賜物である。まさに、一発、カマしてくれたッ!! のだ。

この曲に特徴的な高音の印象的なフレーズ、右利きのピアニストが右手で弾くこのメロディの強さと説得力は、おそらく左手のピアニストの比ではないだろう。やはり “ 主旋律を弾くのは右手 ” というのは理に適っている と言うほかない。しかし最も驚くべきは、聴感上、片手で演奏されているとは全く思えないことなのだ。

打ち上げの席で樋上さんとお話し出することが出来、確認したのだが、ここに片手用に楽曲を編曲する際の最重要ポイントがある。演奏では片手しか使えない以上、明らかに音数が制限される。従って、楽曲を構成する上で副次的に使われている音は全て整理し、主旋律を最大限に聴きやすくする必要があるのだ。つまり、我々が鼻歌などで音楽を口ずさむ時にやる、あれである。ただし、やみくもに音数を整理するわけではなく、そのレベルは演奏力に比例し、物理的に不可能である場合を除いて、やはり最大限に原曲のスコアは尊重されるのだろう。その意味で、樋上さんの演奏は、人間が片手で可能な音数とスピードにおいて最大限に近いところにある。しかもそれを非常に不安定な右手、右足のフォームで行っているのだ。これはもはや奇跡と言って良い。先だって紹介した館野泉さんの驚きは、まさに右手のピアニストに対する憧憬に他ならない。

右手だけで演奏することの自由さとは、両手で行う奏法における左手の約束事からの解放であろう。同時にそれがもたらす精神的な効果もモチロン大きい様に感じる。樋上さんの場合、不自由な左手からの解放でもあるからだ。不自由になったことで、むしろ自由を得るというのはあまりにも逆説的で、禅における公案のようでもあるが、樋上さんのお話を聞いていると、決して、不自由な左手への負け惜しみでもイソップ寓話にある酸っぱい葡萄のような合理化でもないことが良く分かる。

音楽を奏でる時の気難しい約束事から解放されて、鼻歌でも歌っているような、それこそ自由で楽しさに溢れた演奏が、右手のピアノから次々と紡ぎ出される様子は、音楽の本質的な在り方をも見せつけてくれるのである。

演奏が終了し、細かく振動していたピアノの弦が起こす空気の震えが遠ざかって、ステージを再び静謐が取り囲む瞬間を樋上さんはじっと見ている。そして、立ち上がり、また深々とお辞儀をするのだ。少しだけご挨拶があった。コンサートが開催できたことへのお礼。開演時間が遅れたことへのお詫び。樋上さんのせいではないのに気の毒だな とも思った。そして、何よりこの平常心が凄いではないか。

第 一 部は、左手のピアニストの歴史 とでもいうべき代表曲が並んだ。続く第二部では、正に樋上眞生コンサート『 Replay / リプレイ 』 の真骨頂、右手のピアニストのための楽曲が披瀝される。

同じことを繰り返して申し訳ないが、やはり樋上さんの演奏は、聴感上、片手で演奏されているとはとても思えない。これは既存曲を編曲する際の優れたアイディアはもちろん、とんでもない練習量の結果であることは想像に難くないのだが、驚くべきは樋上さんの音楽を聴く時、そのテクニックに評価の中心を持ってくる人がほとんどいないであろうことなのだ。

表現とテクニックとの関係は、必要にして十分であり、過不足のないことである。やたらと難解でテクニック至上主義の音楽は、もはやサーカスの曲芸と同じで、表現ではなく、難解なスコアをノーミスで弾き切ることへとその目的がズレている。一方で、音楽は音を楽しむことなのだから、下手くそで少しぐらいミスしてもノリが大事 という感覚論もある。しかし、そうした音楽は心から楽しめないし、どうしても興ざめしてしまうところが、見え隠れする。

まず、表現欲求があり、それを実現するために音楽家は、必要にして十分であり過不足のないテクニックを体得する必要がある。樋上さんのテクニックはまさに奇跡としか言いようのないものだが、樋上さん自身、それをアピールするつもりは毛頭ないようだし、そもそも片手で演奏されている事実、そこに至るまでの努力について、聴衆は知る必要がない。ステージで演奏されている音楽の素晴らしさについて、ただただ堪能し、拍手を送ればよいのである。

この表現とテクニックとの理想的なジャストの関係を体現している音楽家は、実は意外に少ない。そしてこれは、今回、右手のピアニスト用として演奏された楽曲の処理についても言える。この編曲の多すぎず、少なすぎないというバランス感覚こそ実は、このジャンルにあって最大限に考慮されるべきポイントで、このジャストな感じもまた同様に、お見事という他ない。

樋上さんを語る時、外せないトピックスとして暗譜能力がある。クラシックの多くの演奏家は楽譜を見ながら演奏する。筆者が見てきたコンサートでも、楽譜をめくる専任者を帯同しているピアニストはたくさんいた。従って暗譜そのものは、必須科目ではないのだが、右手のピアニストである樋上さんの場合、演奏上の必要から、そうせざるを得ないのだろう。必要は発明の母とも言えるが、これもまた、驚異的なことである。

しかも、樋上さんご本人が作曲した作品についても同様とのことで、楽譜は頭の中にあるのだという。筆者の持論である“究極の演奏家は、即興演奏を行った楽曲も含め、同じ楽曲を記憶から何回でも再演できる”という説を裏付けるものだ。これは例えば、将棋の名人戦等で棋士が何手も前の盤面を寸分たがわず再現し、お互いの戦略の良し悪しを議論しあう感想戦の様なものであろう。どの世界にも超一流は存在する。

打ち上げの席で伺ったお話では、ただ、自分の作曲した曲に関しては、少しずつ変化することはありますよ とのこと。しかしこれは、ジャズのシチュエーションであれば優れたアドリブと考えることもできるし、クラシックの世界なら変奏曲というジャンルがある。この変奏曲の可能性は、樋上さんの伸びしろを感じさせるもので、筆者はまだまだこの右手のピアニストを追いかける必要を痛感するし、これからも何度でも驚かされるのだろう。それは嬉しい予感であり、特にジャズを演奏する樋上さんを聴いてみたい と思う。


< 第一部 >

ショパン = ゴドフスキー編曲 / 左手のための『 革命エチュード 』

バッハ = ブラームス編曲 / 左手のためのシャコンヌ

ボルトキエヴィチ / 12の練習曲より第5番『 詩人 』

吉松隆 / アイノラ抒情曲集

< 第二部 >

フォーレ = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 夢のあとに 』

樋上眞生 / 祈り

チャイコフスキー = 樋上眞生編曲 / 右手のための瞑想曲

ラフマニノフ = 樋上眞生編曲 / 右手のためのエレジー

尾上和彦 = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 源氏幻想 』

< アンコール >

カッチーニ = 樋上眞生編曲 / 右手のための『 アヴェマリア 』



※ 今回のコンサートを開催するにあたり樋上さんに取材し、ご来歴を一篇の物語にしてお届けしています。