vs. って スゲー 勇ましい印象のあるタイトルだけど 裁判って 意味なのね
映画の冒頭 リンチ殺人を禁止する法律が 議会で初めて話し合われたのが約100年前 とのモノローグ。しかし エンドタイトルでは この作品の制作された2021年現在 やはり この法律は施行されていない と結ばれる。近年 あれほど 盛り上がりを見せた BLM ( 黒人の命は重要 ) を経て なお 世の中の状況は何一つ変っていないのだ
にわかに信じられずネットサーフィンしてみると 2018年12月20日のネット記事に ‟ 人種差別によるリンチ殺人を犯罪と規定、米上院で歴史的法案 ( リンチ被害者のための司法手続法 )可決 ” とあるが 結局 この法案も下院で否決された。同記事には ‟ この法案は リンチ ( 私刑 ) による殺人を南北戦争後に起きた 「 人種差別の究極的な表現 」 だと非難し 1882~1968年に米国では少なくとも4742人がリンチで殺され そのほとんどは黒人だったと指摘している。こうしたリンチ殺人では 加害者の95%が国家や地元当局の処罰を免れていた。下院では1920~40年に3回 リンチ殺人を犯罪とする法案が可決されていたが 上院では歴代7人の大統領による働き掛けにもかかわらず可決に至らず ” とある。
BLM 運動の直接の契機は 2020年5月 米ミネソタ州ミネアポリスで 黒人ジョージ・フロイド氏が白人警察官デレク・ショーヴィンに膝で首を圧迫され死亡した 『 ジョージ・フロイド事件 』 とされている ( 実際の発端は 2012年2月に米・フロリダ州で起きた自警団による黒人高校生射殺事件への SNS 上の運動 である )。白人の側も 自分達が行ってきた黒歴史を自覚している。黒人の報復を いつも恐れているのだ。臆病者の警官が銃を持てば 見境なく撃つのは当たり前で こうして状況は 際限なく悪化していく
従って ビリー・ホリデイの歌が 世の中の状況を変えたという意見は あまりにも楽観的で 短絡的なものである。では 「 奇妙な果実 」 は 白人にとって 黒人にとって そして当のビリー・ホリデイにとって 実際には どの様な役割を果たしたのか? そのいきさつこそ 実に映画的な題材だと思うのだが 作品としては その辺りをほとんど描いていない。映画という表現が 多くの人間の思惑の元に制作されるものである以上 こうしたデリケートな題材を 忖度なしに描くのは不可能で むしろエンタテインメントとしては ベストエフォートであったというのが 相応の落としどころではないか
この作品は そもそも イギリス人作家ヨハン・ハリが著した 『 麻薬と人間 100年の物語 』 のビリー・ホリデイの章の映画化という企画からスタートしているが 表面上は 連邦麻薬局を率いたハリー・J・アンスリンガーの偉業を讃えるというテーマにすり替えられ 会議を通過したのではないか という気がする。実際 彼が表彰されるシーンでエンディングを迎えるが それが全くの蛇足であることは言うまでもない
「 奇妙な果実 」は 1930年8月 二人の黒人の死体が吊るされた新聞報道写真を見て 衝撃を受けたニューヨーク市ブロンクス地区のユダヤ人教師エイベル・ミーアポルが書いた一編の詩 「 苦い果実 」 ( Bitter Fruit ) が元になっている。後にミーアポル自身が曲を付け 彼の妻などが歌うようになったが もちろん この楽曲が注目されたのは 1939年 ビリー・ホリデイがカヴァーして以降である。「 奇妙な果実 」 は 100万枚以上を売り上げ 彼女の最大のヒットとなった。ビリーは その身に降りかかる危険よりも 合州国との面倒な折衝よりも 黒人という底辺から抜け出すために この楽曲のもたらす富と名声 ( ビリーは 『 タイム 』 誌に取材され 同誌に初めて写真が掲載された黒人となった ) を選んだのである。これは大きな賭けであり 結果として彼女は勝利したのだ。その意味で 実際の裁判の経緯がどうであれ ザ ユナイテッド ステーツ vs. ビリー・ホリデイ は ビリーの勝ちである。
「 奇妙な果実 」 には リンチに関する直接的な表現はない。ポプラの木に吊るされた黒人の死体が腐敗していく様子を淡々と描写しており 演出も 実際のビリーも この歌を唄う時は 祈りを捧げるように瞼を閉じて たたずむのであり そこからは怒りや主義・主張を感じ取ることは出来ない
ビリー自身 この曲を歌うには ‟ 自分の持てる力 すべてを必要とする ” と語っており この曲をカヴァーしたカサンドラ・ウィルソンも ビリーと同意見だ。 ‟ 問題は 歌うのが難しい ってことではなく 感情を出し切ってしまうこと。生で演奏するときには いつも最後の曲として演奏する。だって その後には 何も出来なくなってしまうから ”
「奇妙な果実 」 は 不都合な事実をなかったことにしようとする白人の欺瞞を無力化し 黒人の痛ましい歴史を反芻する。合州国の黒歴史の存在を 多くの人々に ただ事実として 伝え 残したのだ。いわし亭も初めてこの楽曲に接したときは 相当にショックだったし これを契機に KKK といった合州国の黒歴史を 本格的に調べ始めたのである
この作品は シンプルに ジャンキーで 自堕落で 人間関係をセックスでしか築けない かなりいい加減な女性のお話である。予告編から受けた印象とはずいぶん手触りが違う。歌の才能だけに異常に恵まれた けれども人間的には相当 問題のある女性が 黒人であるがゆえに 優れた歌手であったがゆえに 「 奇妙な果実 」 という作品と向き合わざるを得なかった… そういう作品である
ビリー・ホリデイは 肝硬変 腎不全 禁止されていた飲酒と喫煙 麻薬中毒 のため わずか 44 歳で この世を去った。この作品は ビリー・ホリデイを 人種差別に抗う闘士としてではなく ありのままに 一人の人間として描いたことに 好感が持てる
また 不世出の歌手という側面にも 十分にスポットを当て 歌唱シーンでは 「 奇妙な果実 」 をクライマックスに配置するようなこともせず 彼女の代表曲を網羅的に取り上げている。社会問題を意識した2015年の 「 ライズ アップ 」 が グラミー賞候補となったアンドラ・デイの歌唱シーンは どこを切り取っても圧巻で 音楽映画としても 白眉である
反対に 配給元のギャガは このタイトルから想起される ありとあらゆる惹句を捻り出したなぁ という感じがして この違和感をどうしてくれるんだ って思う
閑話休題
◎ 作中 黒人同士が ニガー ということばでお互いを呼び合っており この単語 黒人の間では相当毛嫌いされている単語 との認識があったので かなり違和感があった
◎ これもネットサーフィンをしていて 見つけた記事だが 「奇妙な果実」に 見事な訳詞が付けられている。ぜひ 参照してほしい
◎ 2021年 第78回ゴールデン グローブ賞 ドラマ部門主演女優賞受賞
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W・スミスが司会にビンタ、妻をからかう発言に激怒 アカデミー賞
3月27日に開催された第94回米アカデミー賞授賞式で 主演男優賞を受賞したウィル・スミスが 女優で妻のジェイダ・ピンケット・スミスをからかう発言をしたコメディアンのクリス・ロックをビンタする騒動があった 当初は台本通りと思われたが 主人公の女優が頭をそり上げた映画 「 G.I.ジェーン 」 になぞらえたジョークだとロックが説明すると スミスは ‟ 妻の名前を口にするな ” と汚い言葉でののしり 会場は一転静まり返った
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小学生のころ ストウ夫人のジュニア版 『 アンクル・トムの小屋 』 を読んで 大きく心を揺さぶられた経験があるだけに 通常 黒人の間で “ アンクル・トム ” は “ 白人に媚を売る黒人 ” “ 卑屈で白人に従順な黒人 ” という軽蔑的な意味で使われることを知って 非常に複雑な思いをした。 クリス・ロックは 1996年 『 ニガズ 対 ブラックピープル 』 というネタで 当たり前の責任を果たすだけで 過剰に誉めてもらいたがる図々しい黒人を ニガ と呼び 彼らは いつも黒人のイメージを貶めるだけの存在であるとして こき下ろしている。ここにおいて ニガ または ニガズ は 明かな蔑称である。大学生の頃に見た 『 ケンタッキー フライド ムービー 』 の “ 危険を求める男 ” という短いエピソードで 黒人が鉄道の操車場のようなところでトランプをして遊んでいるところに パラシュート部隊の様な出立の白人が ズカズカ乗り込んでいって ニガ―!! と怒鳴って逃げると 黒人が一斉に彼を追いかける というのがあって 大笑いさせられると同時に ニガ という言葉のニュアンスを納得させられた。TV でオンエアされた日本語吹替バージョンでは 怖い~!! となっていて 意味不明のものになっていたが… 対して ブラックピープル とは 真面目な市民を指すのだが 彼らこそ 白人にとって 都合のいいアンクル・トムではないのだろうか? 2016年 第88回アカデミー賞授賞式で ロックは ‟ アジア人は数学が得意 ” というステレオタイプを強調した寸劇を披露し ‟ このジョークに怒るなら 携帯電話を使ってツイートすればいい。その携帯もアジア系の子供たちが作っているだろう ” とコメントした。アジア系アカデミー会員が連名で抗議し アカデミーは “ 今後の授賞式では もっとそれぞれの文化に配慮できるよう 全力を尽くします ” と陳謝しているが 今回の件を見る限り それがその場しのぎの形式だけのモノであることがよく分かる。筆者にしてみれば 何が映画芸術科学アカデミーだ という思いがある。あんなものは そもそも財閥の道楽でしかなく 世界中に無数にある映画祭の一つに過ぎないのだ。 筆者は 特段のブルーハーツ ファンではないが 「 トレイン トレイン 」 の冒頭 ♪ 弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く ♪ というフレーズには ひどく感心させられている。正に今 世界中の至る所で見られる閉塞的な状況を これ程 端的に表したフレーズはない。白人からすれば クリス・ロックもウィル・スミスも同類でしかなく この出来事は 所詮 黒人同士のいざこざに過ぎない。ロックはスタンダップ コメディアンとして それなりの地位を築き 何を勘違いしているのか 名誉白人にでもなったつもりなのだろうか? 限りなく白人の上流階級に近づいた気になって 有色人種を貶めるようなネタばかり披露しているし そういうコメディアンと分かっていて アカデミーは プレゼンターに起用している。いずれにしても 白人の側は 面白おかしく 高みの見物 という感じが なんともやりきれない。白人にとって クリス・ロックは アンクル・トム以外の何物でもないのだから。
黒人の司会者が 白人の女優の病気をネタにして 白人の夫にブッとばされた… なら 白人の側からは どんな意見が出たのだろう? と 大真面目に 考えてみる。明かな愚問ではあるが…
Varietyによると ‟ 主催 映画芸術科学アカデミーは 不適切な身体的接触 罵倒または脅迫の行動 そしてアカデミー賞の品位を損なうものとして ウィルに対する懲戒手続きを開始した。アカデミー会員資格の停止や剥奪も検討されている ” とのことだが これは全く矛盾している。アカデミーの挙げた事項の中で スミスにのみ 該当するのは “ 不適切な身体的接触 ” だけであり それ以外の指摘は ロックにも十分当てはまる。この原稿を書いている現在 ( 2022年4月5日 ) スミスは アカデミーから退会する意向を明らかにし アカデミーは この退会届を受理している。ところが ロックへはおとがめなしで 一方的な被害者 ということになっている。アカデミーはロックを起用した責任上 白人にとって都合のいいアンクル・トム を守る必要があり 100% ウィル・スミスが悪い としなければ格好がつかない。映画芸術科学アカデミーは ロックのふるまいを正当化しないと 特大のブーメランをくらうことになるからだ。
この出来事は 日米で大きく評価が分かれているが 筆者はそのどちらにも与するつもりがない。
日本では ウィル・スミス養護派の方が多く 病気をネタにするような言葉の暴力について議論しているが むしろ心情的な部分がスミスの暴力の問題を覆い隠している。当のアメリカ合州国では クリス・ロック養護派の方が多い。アメリカ合州国にはあらゆるダイバーシティが存在するがゆえに 万人に共通のルール ~ この場合 暴力での解決を避ける を厳守することが大前提であり この珍事によって ここ数年来 多くの先人の努力でコツコツ積み上げられてきた黒人の良いイメージは 大きく後退した と深刻に受け止めている。「 黒人は怖い 」 という間違った考え方を植えつけてしまいかねないことが問題であると。あの状況で よく司会進行を続け その場を収めた と ロックのプロ意識を賞賛する意見が多いのだ。
この合州国での議論に関しては 日本のマスコミ コラム等々でも賛同する意見が多く これこそが合州国である! 的な意見が 多い。アホなことを言ってるんじゃない。これでは ひどいダブルスタンダードではないか。極論すれば 「 黒人は怖い 」 のだ。そして 本当の問題は 「 黒人を怖く 」 してきたのは 誰なのか? ということである。「 怖くない黒人 」 がいるとしたら その黒人は相当良いヤツだ。アメリカ合州国が かろうじて国としての体裁が保てているのは その相当良いヤツらの心の豊かさ おおらかさに 白人が図々しくも 間借りしているからである。多くの黒人は アメリカ合州国の黒歴史について 怨念を持っているし それを忘れて似非白人になろうとしているロックの様な黒人こそ 同胞を裏切る忌むべき存在なのだ。日本の論壇は当事者でないからこそ こういう大甘な議論が成立するのである。
むしろ 逆なのだ。ウイル・スミスは 例え友だち ( 二人は友人関係にあったというから 驚きである。つまり ロックは似非白人として アカデミーの権威にすり寄り 友だちを裏切ったのだから その罪は相当に重い ) でも 本当の黒人は 調子に乗ってアンクル・トムを演じるような黒人を制裁する という姿勢をはっきり示したのである。
ここ数年来 合州国では BLM ブラック ライヴズ マター ( 黒人の命は重要 ) という運動が 大盛り上がりだったが これも結局 一過性のブームだった という気がする。何となく やった気になっただけ。結局 状況は何も変っていない。映画 『 ユナイテッドステーツ vs. ビリー・ホリデイ 』 は “ リンチ殺人を禁止する法律は 未だ 議会を通過していない ” という文言で締めくくられる。南北戦争以来 5000 人近い黒人が きちんとした裁判を受けられずに リンチによって殺された にもかかわらず それに加担した白人を断罪する法案が 起案されて以来 100 年が経とうとしているのに 正式に採択されていないのだ。これが アメリカ合州国の正体である。
アメリカ合州国という国は ネイティヴアメリカンの土地で我が物顔に振舞い 行く先々で 男性を殺害し 女性をレイプし ありとあらゆるものを略奪して 彼らを害虫の様に ほぼ全滅させた結果 誕生した。西部劇は それを自慢たらしく英雄譚として描いている。その後 アフリカで平和に暮らしていた黒人を生け捕りにして 誘拐し 輸送の航海の途中でほぼほぼ死亡させ 合州国に連れてきてからは 奴隷として使役し 気分次第でレイプし 気に入らなけば 言いがかりに等しい理由で リンチ殺人してきた。アメリカ合州国は こうした問題について 全く反省していないどころか これは過去の出来事ではなく 現在も連綿と続いていることが 明らかになったのである。
結局 黒人側の反撃を封じるために ダブルスタンダードを正論として振り回しているだけなのだ。この正論というやつ 自由で活発な議論を 完全に封殺する力を持っているから 本当に性質が悪い。問題は 白人は 未だにアンクル・トムを上手く利用しているのであり 富裕層に成り上がった勘違い黒人の中には それに乗っかろうとしているアホな輩が多々いることなのだ。ルールの議論で事足りている と考える連中は 白人かそれに近い勘違い白人 ( 白人ではない ) であり 彼らは自分たちに都合のいいように 問題をすり替え 黒歴史をなかったことにしている。
マンソン ファミリーは “ 白人と黒人の人種間の闘争を煽って 全ての白人を地球上から壊滅させる。砂漠の洞に隠れて難を逃れたファミリーは 復活して黒人を支配下に置き 純粋にマンソンの血を引く子孫たちによって世界を埋め尽くす ” というアホみたいな妄想から シャロン・テート事件を起こした。その事件は断罪されてしかるべきだが 一方で 黒人が白人を壊滅させるというところは 是非 見てみたいなぁ とは思う。 あと スミスはその場で 直ちに逮捕されるくらい ロックを半殺しにすればよかったのに。あんな コズいた程度のビンタでは 失うものが多すぎて 全く割に合わない。そもそも 二人は知人だったんだから 実は スミスには 相当の葛藤があった とも思われる。
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『 ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ 』
1 オール・オブ・ミー
収録曲を見ればわかる通り ビリー・ホリデイ ベスト ともいうべき内容であるが オリジナル楽曲となるアンドラとラファエル・サディークによる「タイグレス・アンド・ツイード」が また良い。サウンドトラック アルバムというよりも アンドラ・デイの代表作にして 2021年の最重要女性ヴォーカル アルバムと見るべき一枚である