2018年9月14日金曜日

グリーク ジャズ アントワーヌ・カラコスタス トリオ @神戸三宮 洋風居酒屋ポルタマリ 9月6日

『 ワルツ フォー デビイ 』はビル・エヴァンス トリオが ’61 年 6 月 25 日、ニューヨークの名門ライヴハウス ヴィレッジ ヴァンガードで行ったライヴを収録したアルバムで、ジャズという音楽ジャンルが行きついた一つの到達点である。

ただこのライヴハウス、鑑賞の環境としてははなはだ不十分で、この実況録音盤には観客の笑い声、グラスの音、地下鉄の音等々、さまざまなノイズが混じりこんでいる。一説によれば、このライヴ、真面目に聴いている客があまりおらず、トリオの面々、ピアノのビル・エヴァンス、ベースのスコット・ラファロ ドラムのポール・モチアンのメンバーはそれぞれに一層、発奮して( あるいは怒りに任せて ( 笑 ))、プレイし、それが畢生の代表作へと昇華した というのだから何が幸いするか分からない。

さて、三宮のライヴハウスとは縁遠いポルタマリという洋風居酒屋で開催された " アントワーヌ・カラコスタス トリオ " のライヴ。オーナーのSS氏が商売っ気のない方で、ジャズの生演奏をワンドリンク おつまみ付き 予約 2000円 当日 2500円で提供しようとのだから驚かされる。しかし、だからと言ってこのグリーク ジャズ トリオの演奏も格安なのか といえばそれは当然、違う。そもそも、彼らのマネージャーとして付き添っている SORA さんというハーフの超美人がいるのだが、彼女のお母さんが、SS氏の友人というご縁で、今回の演奏会が決まったとのこと。もともとこのライヴで儲けようという気はなかったようだ。ちなみに、演者の取り分はゲスト一人につき 1000円。従って、今回の実質的なギャラは 2万円くらいだろう。



中央:カラコスタス 右:アンダース・ウルリッヒ 左:シモン・ベルニエ


さて、ジャスの演奏らしく内容は 40 分くらいのセットを 2 回( 6 時半と 8 時のスタート )である。

ただ、今回、SS氏のツテで集まったオーディエンスは、実はジャズにそれほど興味があるとはとても思えない面々で、演奏中も別に集中するでもなく、おしゃべりや食事に熱心で、これはまるで かの 『 ワルツ フォー デビー 』 の現場みたいだ といい意味で苦笑いしてしまった。

それにしても、無名と言っていい三人の若者が奏でるジャズの豊饒さ。ヨーロッパにおけるジャズという音楽の裾野の広さに驚かされる。演者やマーケットに関わる人間の多さこそが、そのジャンルの深みや広がり、多様性を担保するわけだが、アフリカの原住民が恥知らずな白人によって三角貿易の末、アメリカで奴隷化された17世紀初頭に端を発するジャズのような古臭い音楽が、そうした多様性をいまだに根強く維持しているというこの現実。多くの音楽が死に体になっている現在、ジャズもまた例外ではないはずなのだが、一方でそうした強い生命力を地下水脈のように維持し続けている事実は感動的ですらある。

インプロヴィゼーション( 即興演奏 )こそジャズの生命線ではあれ、一方でそれはパラサイト( 寄生 )ミュージックと言っていいパクリの連続でもある。というのも、基本的なモチーフを他の音楽のメロディや楽曲から引用し、そのコード進行を使ったり、メロディラインをヴァリエイションしていくことがジャズのメソッド( かのマイルス・デイヴィスですら、その基本動機のメロディに関するアイディアは他のミュージシャンから拝借することが多かったのだ )なのだが、そう思うとギリシャ生まれのアントワーヌ・カラコスタスのピアノから弾き出される正にギリシャの風土から捻り出されたとしかいい様のない、今までどの場所でも聴いたことのないようなメロディライン、その既聴感の一切ない感じというのは特筆される。正にギリシャから現れた突然変異のように奇妙なフレーズの連続なのだ。そしてそれをサポートするリズムセクション( ベースのアンダース・ウルリッヒ、ドラムのシモン・ベルニエ )の単に正確なだけではない、ピアニストをサポートし、演奏にさらに弾みをつけるようにピアニストをノセていく、その変幻自在なセンスは絶妙だ。

用意されたドラムはヤマハのジャズ用とはいえ相当に小振りなセットで、セッティングを手伝いながら、これ マジ大丈夫なのか? と不安になったが、何のことはない。ベルニエのスティック裁きはホール キャパシティに即応した見事なものだった。ベルニエが自身で持参したリベットが打たれたシンバルの響きも独特だった。また、ベースのウルリッヒは当初、アンプでモニターする予定であったが、シールドの不良でノイズが多く、結果的には生音で対応することになった。こうした、ホールの準備不足すら、想定内として次々と解決していく彼らのアジャスト能力は想像以上で、以降の多難そうなジャパン ツアーも問題なくこなせるであろうと思わせた。

楽器を扱うスキルにとどまらず、アジャスト能力をも含めた総合力こそが、演奏家の真の力量なのだ。ポルタマリというレストランの厨房の前、しかも約半分の客はあまり演奏に注意を払っていないベストとは程遠い環境を筆者は、まるで『 ワルツ フォー デビー 』の現場のようだ と評したが、こうした中でも、ハイクオリティなプレイを披露できる彼らの力量は、相当高いと言わざるを得ない。他流試合のような経験を積むことで、彼らの演奏が一層、強靭な精神力を備えていくことは明らかで、逆にベスト コンディションでの彼らの演奏も是非聞いてみたい と願う。

カラコスタスの故郷 ギリシャの民族音楽とジャズをミックスした楽曲は、非常に高いオリジナリティをまき散らしているが、それはカラコスタス自身の出自、血やギリシャという土地・風土の持つ独自性である。そもそもジャズが、アフリカから持ち込まれたブルーズとアメリカのカントリーミュージックとの交雑から生まれた という経緯からみても、ジャズがパラサイトのような性格を有しているのは当然である。ジャスが独自に発達させた様々なメソッドを今度はヨーロッパ由来の全く別のルーツミュージックに対して応用し、交雑させていく。そんなスリリングな実験は机上の空論でなく、カラコスタス トリオの演奏の中で見事に結実している。

黒人由来ではない実験的なジャズを、正に氷山の一角でしかない 30 歳そこそこの若い無名のミュージシャン達が、闊達に演奏しているという事実…… しかもそれが単なる物真似、木に竹を継いだようなギクシャクした音楽ではなく、触れれば切れる様な生き生きと血の通った実に魅力的な本格的ジャズであったことが、筆者を興奮させるのだ。こうした優れたミュージシャンを続々と輩出するヨーロッパ ジャズシーンの得体の知れなさ、その闇の深淵はいかほどのものなのか? 謎は深まるばかりだ。



 


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