’76 年の香港映画 ジミー・ウォング主演、タイトルからして怪しさの極致 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 では、何とクラウト ロックの雄 “ Neu!” のセカンドからパクられているのだが、何をどうすればこうした発想にいきつくのか? このブッ飛び方のセンスは、 「 美しく青きドナウ 」 をB.G.M.に宇宙空間を演出したスタンリー・キューブリック級である。
本編でパクられているのは、軽快なサウンドでオープニングタイトルを牽引する 「 Super 」。そして、そのヴァリエイションである 「 Super 16 」 は、ギロチン マスター 封神のテーマとして、彼の登場シーンはもとより、随所で劇的な効果を上げている。
さらにエンディングでは、初めてドイツ語の曲をアメリカのチャートにランクインさせたクラフトワークの歴史的名盤 『 アウトバーン 』 から「 大彗星 ( 軌道 ) / KOMETENMELODIE 2 」 が、片腕カンフーの勝利を祝うかのように清々しく流れる。
そもそも 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 のスタッフたちはこれらの楽曲をどのようにして発見したのだろう?
当時の香港は英国領であった関係で、英国は当然、欧州の楽曲が香港映画に流入しやすい環境にあったことは否めない。しかし、今でこそパンク、ニュー ウェイヴへの多大な影響が認められているが、NEU ! のデビュー アルバムは当時、3万枚しか売れなかった とされているし、パクられたセカンド アルバムに至っては制作費が足りず、既発シングルのリミックス ( 「 Neuschnee 」 と 「 Super 」 の再生スピードを変えたり、ノイズをオーヴァー ダブしたり、音を歪ませるといったアイディア ) という苦肉の策でアルバムの残り半分を埋めたのだ。つまり、 ’72 ~ ’73 年当時の NEU! は徹底してマイナーだったわけで、こうした特殊音楽に香港の選曲家がアンテナを張り巡らせていたとは到底思えないのだが…
クエンティン・タランティーノがその映画オタクぶりを遺憾なく発揮して趣味の世界を徹底追求している 『 キル ビル 』 。ここではいわし亭の大のお気に入りゴーゴー夕張の “ ゴーゴー ボール ” の話から始めたい。
ゴーゴー夕張はタランティーノの敬愛する深作欣二監督の事実上の遺作 『 バトル ロワイヤル 』 で鮮烈な印象を残した栗山千明を見初めたタランティーノが、彼女のキャラをそのまま生かして創作した女子高生の殺し屋である。女子高生の殺し屋というだけでもかなりおかしい ( 爆 ) のに使っている武器がまたモノ凄い。鎖のついた刺だらけの鉄球なのだ。これをブンブン振り回して、ブライドことユマ・サーマンに襲いかかるのだが、単に振りまわすだけでなく、かわされた鉄球をさらに蹴っ飛ばしたりして、この対決シーンは惚れ惚れするほどカッコ良く撮れている。ゴーゴー夕張だけで一本、スピンオフを制作して欲しいくらいだ。
この “ ゴーゴー ボール ” の元ネタこそ 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 に登場する暗殺兵器 “ The Flying Guillotine ” である。これはタラちゃん自身、インタヴューでオマージュであることを認めている。
監督・製作・主演のジミー・ウォングは、いわばブルース・リー前史、天皇巨星とまで言われた香港・台湾映画界のスーパー スターである。多くの武侠映画を主演しているのだが、実は殺陣のレベルは笑っちゃうほど低い。ブルース・リー出現前の武侠映画は、日本のチャンバラ映画同様、本当に出来るかどうかなんて不問で、俳優はただ武術家を演じていただけだったから、何もこれはジミー・ウォングに限ったコトではないのだが、そもそもジミー・ウォングは蹴ることすら出来ないのだからお話にならない… というわけで英語タイトルは実に的確に “ 片腕ボクサー ” となっている。
ただ、じゃあその殺陣のレベルの低さが映画のつまらなさに直結しているのか? と言えば、そんなことは全然なくて、映画自体はベラボーに面白い! スタジオ ミュージシャンのくせに、その下手さで自己主張しまくったジミー・ペイジの破壊的なギター サウンドが、後にアイディアと創意工夫とプロデュース能力の高さによってレッド ツェッペリンの看板となり、大英帝国ロック史に今も 3 大ギタリストとしてその名をとどめる様に、ジミー・ウォングの 『 片腕カンフー 』 もまた亜細亜アクション映画史の大金字塔なのである。
問題は、その場のノリで、勢いに任せて主人公を片腕にしちゃった映画がウルトラ大ヒットしたため、ジミー・ウォングはそれ以降ずっと片腕の主人公を演じ続けるハメになったことだ ( 爆笑 ) CGでたいていのことは出来てしまう現在と違って、片腕といえば袖から腕を引き抜いて服の中に入れるしか方法のなかった当時、お腹の前をもっこり膨らませてのジミー・ウォングの芝居は、なんともマヌケでしまらない絵ではあった ( 苦笑 )
片腕の剣士を演じてきたジミー・ウォング ( なんと 『 新座頭市 破れ! 唐人剣 』 では、日本が誇る盲目の剣客 勝新・座頭市とも対決している! ) が、カンフー映画のフォーマットの中で 『 片腕ドラゴン 』 に続いて放ったこの 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 こそ全片腕シリーズ中の白眉である。
さて、そのネーミングたるや絶大なるインパクトの “ 空とぶギロチン ” とは、そもそもいかなるものなのか?
一見、鎖のついた帽子のようなもので、バッッ! キューンという良く分からない効果音とともにブン投げられると、被害者の頭の上にちょこんと乗っかり、その瞬間、間髪を入れずに鋭利な刃モノを仕込んだ輪ッカつきの蛇腹が被害者の顔をベールのように覆う。その状態で鎖を力任せに引っ張ると首がもげる という壮絶無比な暗殺兵器である。実現可能なのか !? という点はどうであれ、映像的には実によく出来ている。この暗殺兵器を縦横無尽に操るギロチン坊主 封神こそがこの作品の真の主役である。
このギロチン坊主、盲目の爺さんなのだが、全く油断のならないジジイで、オープニングからいきなり5メートル ( ! ) もの跳躍を見せ、小屋の屋根を突き破って、登場する。さらに、空とぶギロチンを自在に操って、人間を模した石の頭をもぎ取るという実に不快な大技を披露する。さらに爆薬で先ほどの小屋を火の海にして去って行く。全くもって理解不可能な行動である。第一、“ 空とぶギロチン ” なんかよりもこの爆薬の方がはるかに実際的で、威力があるだろうに…
しかも、盲目であるがゆえ、間違って無関係な片腕の男を殺すこともあるのだが、その点については全く反省しない というとんでもなく迷惑な爺さんなのだ。
この作品は、勝つためには手段を選ばない片腕カンフーが、稀代の暗殺兵器 “ 空とぶギロチン ” をセコい裏ワザを連発して、いかに完封するか? を描いただけの作品と断言して良い。本来、主人公は敵役の卑怯な戦法さえも打ち破ってこそヒーローなのだが、片腕カンフーは卑怯卑劣な戦い方を絶賛し、むしろ積極的に参考にする ( ! )。このらしからぬ姿勢には全く共感できないのだが、結果、それが大爆笑につながるところが凄い。
片腕の剣士を演じてきたジミー・ウォング ( なんと 『 新座頭市 破れ! 唐人剣 』 では、日本が誇る盲目の剣客 勝新・座頭市とも対決している! ) が、カンフー映画のフォーマットの中で 『 片腕ドラゴン 』 に続いて放ったこの 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 こそ全片腕シリーズ中の白眉である。
この眉毛… |
一見、鎖のついた帽子のようなもので、バッッ! キューンという良く分からない効果音とともにブン投げられると、被害者の頭の上にちょこんと乗っかり、その瞬間、間髪を入れずに鋭利な刃モノを仕込んだ輪ッカつきの蛇腹が被害者の顔をベールのように覆う。その状態で鎖を力任せに引っ張ると首がもげる という壮絶無比な暗殺兵器である。実現可能なのか !? という点はどうであれ、映像的には実によく出来ている。この暗殺兵器を縦横無尽に操るギロチン坊主 封神こそがこの作品の真の主役である。
このギロチン坊主、盲目の爺さんなのだが、全く油断のならないジジイで、オープニングからいきなり5メートル ( ! ) もの跳躍を見せ、小屋の屋根を突き破って、登場する。さらに、空とぶギロチンを自在に操って、人間を模した石の頭をもぎ取るという実に不快な大技を披露する。さらに爆薬で先ほどの小屋を火の海にして去って行く。全くもって理解不可能な行動である。第一、“ 空とぶギロチン ” なんかよりもこの爆薬の方がはるかに実際的で、威力があるだろうに…
しかも、盲目であるがゆえ、間違って無関係な片腕の男を殺すこともあるのだが、その点については全く反省しない というとんでもなく迷惑な爺さんなのだ。
この作品は、勝つためには手段を選ばない片腕カンフーが、稀代の暗殺兵器 “ 空とぶギロチン ” をセコい裏ワザを連発して、いかに完封するか? を描いただけの作品と断言して良い。本来、主人公は敵役の卑怯な戦法さえも打ち破ってこそヒーローなのだが、片腕カンフーは卑怯卑劣な戦い方を絶賛し、むしろ積極的に参考にする ( ! )。このらしからぬ姿勢には全く共感できないのだが、結果、それが大爆笑につながるところが凄い。
ついに迎えたギロチン坊主との最終決戦。
片腕カンフーは斧がバンバン飛び出す仕掛けを至るところに隠した棺桶屋にギロチン坊主をおび出し、圧倒的に有利な状況の中、斧の集中砲火を浴びせて半殺しにする ( ! ) 。そして、もはや青息吐息のギロチン坊主に全身全霊を込めたメガトン パンチを叩き込み、棺桶に直行させる という何とも壮絶なシーンでクライマックスを迎えるのだ。
原題 獨臂拳王大破血滴子/One-Armed Boxer vs. The Flying Guillotine
監督・製作:ジミー・ウォング
出演者:ジミー・ウォング、カム・カン、ルン・クン・イー
配給:第一影業/松竹 日本公開:1976年11月27日
上映時間:93 分 製作国:香港
ブルース・リーの神技にテクニックで対抗することをあきらめたジミー・ウォングは、作品の前半で武術大会を開催、当時まだまだ知られていなかった摩訶不思議な武術の異種格闘技戦を延々と描いて物量作戦で圧倒する。この武術大会が “ ストリート ファイター ” を始めとするヴァーチャル格闘ゲームに多大な影響を与えているのは、まず間違いない。
ギロチン坊主 封神はもとより、腕が二倍に伸びるヨガの達人タラシン、自分でチャルメラを演奏しながら見よう見真似でワイクルーを舞うムエタイのナイマン ( 劇団★新感線のお芝居でドラマとは全く関係なく必ずサンボという役名で登場する河野まさとさん似。彼のやられっぷりはこの荒唐無稽な作品の中でも随一の酷さで、正に涙を誘う ) 等々、主役の片腕カンフーよりもサブキャラのトンデモ インパクトの方が数段上の破壊力を誇っている。
1. Für Immer
2. Spitzenqualität
3. Gedenkminute
4. Lila Engel
5. Neuschnee 78
6. Super 16
7. Neuschnee
8. Cassetto
9. Super 78
10. Hallo Excentrico!
11. Super
ファースト アルバム、セカンド アルバムともハンマー ビートと呼ばれる 8 つ打ちの機械的なバスドラム と独特な浮遊感に満たされており、これらは後にクラウト ロックという言葉が生まれた ’90 年代初頭に頻繁に指摘されるその二大特徴である。ある意味、来るべきクラウト ロックのフォーマットはこのプロジェクトによって用意されていたと言える。
本文で触れたアルバムの溝を埋めるための苦し紛れのリミックスも、今日では非常に有効なテクニックとして認識されており、チープ極まりないジャケット デザインもポップ アートとして再評価される。
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