2014年10月31日金曜日

カンフー映画の ヴァイタリティにしびれろ! 片腕カンフー 対 空とぶギロチン

かつて、亜細亜映画において著作権の概念はなかった ( 笑 ) 闘神ブルース・リーとの衝撃的な出会い以降、かなりな数のアジア映画を見てきたが、たいていの場合、そのサウンド トラックは全く無関係なところからトンでもないセンスで選曲され、もちろん使用料は一切払われず、実に簡単にパクられる。しかし信じがたいことにそのサウンドは、あたかも最初からその場面のために用意されたかのような見事なハマり具合なのだ。これ、完全な違法行為なのだが、そのローファイでゲリラ的でチープの極みとも言うべきヴァイタリティはもはや尊敬に値する ( 笑 ) 

’76 年の香港映画 ジミー・ウォング主演、タイトルからして怪しさの極致 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 では、何とクラウト ロックの雄 “ Neu!” のセカンドからパクられているのだが、何をどうすればこうした発想にいきつくのか? このブッ飛び方のセンスは、 「 美しく青きドナウ 」 をB.G.M.に宇宙空間を演出したスタンリー・キューブリック級である。
本編でパクられているのは、軽快なサウンドでオープニングタイトルを牽引する 「 Super 」。そして、そのヴァリエイションである 「 Super 16 」 は、ギロチン マスター 封神のテーマとして、彼の登場シーンはもとより、随所で劇的な効果を上げている。 
さらにエンディングでは、初めてドイツ語の曲をアメリカのチャートにランクインさせたクラフトワークの歴史的名盤 『 アウトバーン 』 から「 大彗星 ( 軌道 ) / KOMETENMELODIE 2 」 が、片腕カンフーの勝利を祝うかのように清々しく流れる。

そもそも 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 のスタッフたちはこれらの楽曲をどのようにして発見したのだろう? 
当時の香港は英国領であった関係で、英国は当然、欧州の楽曲が香港映画に流入しやすい環境にあったことは否めない。しかし、今でこそパンク、ニュー ウェイヴへの多大な影響が認められているが、NEU ! のデビュー アルバムは当時、3万枚しか売れなかった とされているし、パクられたセカンド アルバムに至っては制作費が足りず、既発シングルのリミックス ( 「 Neuschnee 」 と 「 Super 」 の再生スピードを変えたり、ノイズをオーヴァー ダブしたり、音を歪ませるといったアイディア ) という苦肉の策でアルバムの残り半分を埋めたのだ。つまり、 ’72 ~ ’73 年当時の NEU! は徹底してマイナーだったわけで、こうした特殊音楽に香港の選曲家がアンテナを張り巡らせていたとは到底思えないのだが…


クエンティン・タランティーノがその映画オタクぶりを遺憾なく発揮して趣味の世界を徹底追求している 『 キル ビル 』 。ここではいわし亭の大のお気に入りゴーゴー夕張の “ ゴーゴー ボール ” の話から始めたい。

ゴーゴー夕張はタランティーノの敬愛する深作欣二監督の事実上の遺作 『 バトル ロワイヤル 』 で鮮烈な印象を残した栗山千明を見初めたタランティーノが、彼女のキャラをそのまま生かして創作した女子高生の殺し屋である。女子高生の殺し屋というだけでもかなりおかしい ( 爆 ) のに使っている武器がまたモノ凄い。鎖のついた刺だらけの鉄球なのだ。これをブンブン振り回して、ブライドことユマ・サーマンに襲いかかるのだが、単に振りまわすだけでなく、かわされた鉄球をさらに蹴っ飛ばしたりして、この対決シーンは惚れ惚れするほどカッコ良く撮れている。ゴーゴー夕張だけで一本、スピンオフを制作して欲しいくらいだ。

この “ ゴーゴー ボール ” の元ネタこそ 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 に登場する暗殺兵器 “ The Flying Guillotine ” である。これはタラちゃん自身インタヴューでオマージュであることを認めている。

監督・製作・主演のジミー・ウォングは、いわばブルース・リー前史、天皇巨星とまで言われた香港・台湾映画界のスーパー スターである。多くの武侠映画を主演しているのだが、実は殺陣のレベルは笑っちゃうほど低い。ブルース・リー出現前の武侠映画は、日本のチャンバラ映画同様、本当に出来るかどうかなんて不問で、俳優はただ武術家を演じていただけだったから、何もこれはジミー・ウォングに限ったコトではないのだが、そもそもジミー・ウォングは蹴ることすら出来ないのだからお話にならない… というわけで英語タイトルは実に的確に “ 片腕ボクサー ” となっている。

ただ、じゃあその殺陣のレベルの低さが映画のつまらなさに直結しているのか? と言えば、そんなことは全然なくて、映画自体はベラボーに面白い! スタジオ ミュージシャンのくせに、その下手さで自己主張しまくったジミー・ペイジの破壊的なギター サウンドが、後にアイディアと創意工夫とプロデュース能力の高さによってレッド ツェッペリンの看板となり、大英帝国ロック史に今も 3 大ギタリストとしてその名をとどめる様に、ジミー・ウォングの 『 片腕カンフー 』 もまた亜細亜アクション映画史の大金字塔なのである。


ゼロ年代の今日、“ 片腕 ” という単語自体、きなり危ない ( 笑 ) のだが、腕のない人が足のない人を背負って闘う身障者のカンフー映画 ( 『 ミラクル カンフー 阿修羅 』  ’80年 ) なんてモノがまかり通った当時、何の問題もなかったのだろう ( ホントかッ  !? ) むしろ、片腕を失った主人公が、艱難辛苦の果てにそのハンディ キャップに打ち勝ち、敵を倒すというストーリーは、何故かバカ受けしちゃったのだ。
問題は、その場のノリで、勢いに任せて主人公を片腕にしちゃった映画がウルトラ大ヒットしたため、ジミー・ウォングはそれ以降ずっと片腕の主人公を演じ続けるハメになったことだ ( 爆笑 )  CGでたいていのことは出来てしまう現在と違って、片腕といえば袖から腕を引き抜いて服の中に入れるしか方法のなかった当時、お腹の前をもっこり膨らませてのジミー・ウォングの芝居は、なんともマヌケでしまらない絵ではあった ( 苦笑 ) 
片腕の剣士を演じてきたジミー・ウォング ( なんと 『 新座頭市 破れ! 唐人剣 』 では、日本が誇る盲目の剣客 勝新・座頭市とも対決している! ) が、カンフー映画のフォーマットの中で 『 片腕ドラゴン 』 に続いて放ったこの 『 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 こそ全片腕シリーズ中の白眉である。

この眉毛…
さて、そのネーミングたるや絶大なるインパクトの “ 空とぶギロチン ” とは、そもそもいかなるものなのか? 
一見、鎖のついた帽子のようなもので、バッッ! キューンという良く分からない効果音とともにブン投げられると、被害者の頭の上にちょこんと乗っかり、その瞬間、間髪を入れずに鋭利な刃モノを仕込んだ輪ッカつきの蛇腹が被害者の顔をベールのように覆う。その状態で鎖を力任せに引っ張ると首がもげる という壮絶無比な暗殺兵器である。実現可能なのか !? という点はどうであれ、映像的には実によく出来ている。この暗殺兵器を縦横無尽に操るギロチン坊主 封神こそがこの作品の真の主役である。

このギロチン坊主、盲目の爺さんなのだが、全く油断のならないジジイで、オープニングからいきなり5メートル ( ! ) もの跳躍を見せ、小屋の屋根を突き破って、登場する。さらに、空とぶギロチンを自在に操って、人間を模した石の頭をもぎ取るという実に不快な大技を披露する。さらに爆薬で先ほどの小屋を火の海にして去って行く。全くもって理解不可能な行動である。第一、“ 空とぶギロチン ” なんかよりもこの爆薬の方がはるかに実際的で、威力があるだろうに…
しかも、盲目であるがゆえ、間違って無関係な片腕の男を殺すこともあるのだが、その点については全く反省しない というとんでもなく迷惑な爺さんなのだ。

この作品は、勝つためには手段を選ばない片腕カンフーが稀代の暗殺兵器 “ 空とぶギロチン ” をセコい裏ワザを連発して、いかに完封するか? を描いただけの作品と断言して良い。本来、主人公は敵役の卑怯な戦法さえも打ち破ってこそヒーローなのだが、片腕カンフーは卑怯卑劣な戦い方を絶賛し、むしろ積極的に参考にする ( ! )。このらしからぬ姿勢には全く共感できないのだが、結果、それが大爆笑につながるところが凄い。

ついに迎えたギロチン坊主との最終決戦
片腕カンフーは斧がバンバン飛び出す仕掛けを至るところに隠した棺桶屋にギロチン坊主をおび出し、圧倒的に有利な状況の中、斧の集中砲火を浴びせて半殺しにする ( ! ) 。そして、もはや青息吐息のギロチン坊主全身全霊を込めたメガトン パンチを叩き込み、棺桶に直行させる  という何とも壮絶なシーンでクライマックスを迎えるのだ。

 片腕カンフー 対 空とぶギロチン 』 
原題 獨臂拳王大破血滴子/One-Armed Boxer vs. The Flying Guillotine

監督・製作:ジミー・ウォング
出演者:ジミー・ウォング、カム・カン、ルン・クン・イー
配給:第一影業/松竹 日本公開:1976年11月27日
上映時間:93 分 製作国:香港

ブルース・リーの神技にテクニックで対抗することをあきらめたジミー・ウォングは、作品の前半で武術大会を開催、当時まだまだ知られていなかった摩訶不思議な武術の異種格闘技戦を延々と描いて物量作戦で圧倒する。この武術大会が “ 
ストリート ファイター ” を始めとするヴァーチャル格闘ゲームに多大な影響を与えているのは、まず間違いない
ギロチン坊主 封神はもとより、腕が二倍に伸びるヨガの達人タラシン、自分でチャルメラを演奏しながら見よう見真似でワイクルーを舞うムエタイのナイマン ( 劇団★新感線のお芝居でドラマとは全く関係なく必ずサンボという役名で登場する河野まさとさん似。彼のやられっぷりはこの荒唐無稽な作品の中でも随一の酷さで、正に涙を誘う ) 等々、主役の片腕カンフーよりもサブキャラのトンデモ インパクトの方が数段上の破壊力を誇っている。

『 NEU! 2 』

 1. Für Immer
 2. Spitzenqualität
 3. Gedenkminute
 4. Lila Engel
 5. Neuschnee 78
 6. Super 16
 7. Neuschnee
 8. Cassetto
 9. Super 78
10. Hallo Excentrico!
11. Super

ノイ!( NEU!) は ’71 年、旧西ドイツでクラフトワークから離脱したクラウス・ディンガー ( ドラムス ) とミヒャエル・ローター ( ギター ) によって結成されたプロジェクトである。乱暴に NEU! ( 新しい ! ) と大書されただけのジャケット デザインもこれがパーマネントなグループを意図したものではないことを物語っている。
ファースト アルバム、セカンド アルバムともハンマー ビートと呼ばれる 8 つ打ちの機械的なバスドラム 独特な浮遊感に満たされており、これらは後にクラウト ロックという言葉が生まれた ’90 年代初頭に頻繁に指摘されるその二大特徴である。ある意味、来るべきクラウト ロックのフォーマットはこのプロジェクトによって用意されていたと言える。
本文で触れたアルバムの溝を埋めるための苦し紛れのリミックスも、今日では非常に有効なテクニックとして認識されており、チープ極まりないジャケット デザインもポップ アートとして再評価される。









2014年10月17日金曜日

後藤まりこと大森靖子~リアルタイムマッシュアップ 天才女子二人のドツキあい

@umeda AKASO 2014.05.29


“ 以前ツイッターで 『 後藤とこんな人が対バンしたらおもしろいと思う組み合わせ、@ かメールで教えて ( 携帯のメールアドレス、載せてるので )  』 ってツイートしたら、皆さんからのお声が一番多かったのが大森靖子さん。なので、大森靖子さんにすぐメールしました ◎ じゃあ、快く承諾して頂けました ◎ お互いの曲をどういった形になるかはわかりませんが、その日だけの形でお届けします。わくわくどきどきして、皆様、おこしくださいませっ、お待ちしています ◎ 


後藤まりこと大森靖子。
現時点、いわし亭最愛の二人が 3 月 23 日、下北沢ガーデンで対決すると知った時は、是非、関西にも来て欲しい と思った。
そして約二か月後、待望のライヴ決定。


灰野敬二が DJ 名義として初音源をリリースした昨年末、OTOTOY が行ったインタヴューの冒頭で、灰野敬二は以下のように話している。
 “ これまでに買い漁ったコレクションを見たとき、「 俺は一生のうち何回これらのアルバムを聞けるんだろう ? 」 と思ったんだよね。一生聴けない曲もあるかもしれないわけで、だったら 2 枚同時にかけてしまおうと。いまはギャラがほとんど CD になっちゃってる状況で、2 枚一気に聴いていかないと追いつかないんだ ( 笑 ) ”

この記事を読んだ夜、後藤まりこと大森靖子のライヴを見たものだから、ある意味、なんちゅうシンクロや と ( 笑 )

厳かに舞台に登場した二人 ( 衣装が素晴らしい チェキ参照 ) は、フロアに向かって上品にお辞儀をすると、おもむろにギターの調子をみるようなアルペジオを奏でる。後藤まりこから、思いっきりの関西イントネーションで “ よろしくおねがいします。後藤まりこと大森靖子です ” と開会宣言。 3 月 23 日、下北沢ガーデンで行われたファースト コンタクトの時と同じく一曲目、後藤まりこは 「 4がつ6日 」 、大森靖子は 「 音楽を捨てよ、そして音楽へ 」 と、それぞれ相手を無視するかのように、自分の曲を歌い始める。
別々の楽曲を同時に鳴らす という手法は、ニュアンスとしてマッシュ アップに近い。マッシュ アップとは、2つ以上の楽曲からヴォーカル トラックや伴奏トラックを取り出し、それらを一曲にリミックスする手法である。従って、彼女たちのトライアルとはややニュアンスが異なるのだが、それにしてもリアルタイムのライヴの中で、前代未聞の過激なトライアルを敢行しようとしているこの二人の度胸に感心させられたのだ。そういえば、このライヴに関する紹介文にはこうあった ―― “ この日のイベントは、後藤まりこと大森靖子が同じ時間に同じステージに立って一緒にライヴをします。対バン形式ではなく本当の意味で共演するライヴ イベントです 

この一曲目では、お互いの間奏部分がお互いの伴奏となり、ところどころ聞こえてくるヴォーカルの歌詞が奇妙に立ち上がってきたり、二つの声色がブレンドされて第三の楽曲が出現したりと、いわし亭自身初めて見るトライアルという点を差し引いても、面白くて面白くて仕方がなかった。もちろん、実際には、演奏している本人たちが一番、楽しんでいるのだろうけれども… 
ところがいわし亭の勝手な盛り上がりとはウラハラに、目の前で起きているトンでもない事態に、ステージの側もフロアの側も意外にもさほど自覚的でないように思えてきた。
お互いがお互いを無視して、突如、始めてしまったような楽曲のマッシュ アップに、フロアは凍りついたようにドン引きで、静観するという印象。居合わせた誰もがそのモノ凄さに気づいていない状況性こそが、一番興味深かったとも言える。


最初に行われた下北沢GARDENのライヴの後、後藤まりこは以下の様にツィートしている。


-------------------------------- 後藤まりこさん  3 月 23 日 

後藤まりこと大森靖子、下北沢ガーデン、ご来場ありがとうございました。
後藤的には、2 人とも武器を持たず素手で殴り合う感じのライブでした。退廃的であり未来永劫つぶしあう感じ、だけど、ハッピーさんでした ◎皆様、ほんと、きてくれて、見守ってくれて、ありがとでした◎




これを読んだ時、一番最初に思い浮かべたのは、2002 年 6 月 23 日 【 PRIDE21 】 で戦われたドン・フライ対高山善廣だった。プロ格闘技に興味のない方のために補足しておくと、この試合、試合開始早々からフライが高山を TKO するまでの 6 分 10 秒の間、お互いがお互いの首ねっこをつかみ、残った手で顔面パンチを打ち続けるというトンでもない試合だった。見るものを震撼させ、背筋に走る冷たいものを感じながらも、信じられないほどに興奮させられた PRIDE の数ある名勝負の中でも屈指の一戦である。


当たり付ツーショット チェキ
何故か 大森さんは 「 Sey YES 」 と
サインしている
-------------------------------- 後藤まりこさん  5 月 29 日 

今日も楽しかった☆ 31 日もよろしくなのー @ oomoriseiko
梅田 AKASO きてくださった方ありがとう、毎回即興なのですが前回より噛み合うようになりあがりました。次回の後藤まりこと大森靖子は 31 日下北沢サウンドクルージング!




そう。
対バンと言っても、多くの場合、ミュージシャンが同じステージ上で共演するケースとは、トリのバンドのライヴが終わって、なんとなく出演者がなだれ込み、余興の様に始まるチャック・ベリーあたりの大ロックンロール大会というゆるいパターンに落ち着きがちだ。
バンド対決だから対バンのはずなのに、いわゆる、直接対決などは、まぁ、ない。
だから、今回の後藤まりこと大森靖子の様に、終始、二人がステージの左右に陣取り、素手で殴り合うように攻防の限りを尽くすというスタイルは極めて異常だし、これまであるようでなかったパフォーマンスだった。そして、いわし亭が見たかった対バンとは、正にこれだった。

後藤まりこは “ 毎回、即興 ” とツイートしているし、大森靖子はインタヴューで、あらかじめセット リストは決めない、その場の雰囲気や気分で次の曲を自由に決める と語っている。この無手勝流を大森靖子が、ここにも持ち込んでいるのは、後藤まりこのツイートに照らしても明らかである。そして、それを可能にしているのは、お互いの楽曲を作者以上に良く理解しあっている という前提であり、それはつまり彼女たちがお互いを認め合っているからに他ならない。実際、それは凄いことなのだ。

その証拠に、下北沢 GARDEN のライヴで大森靖子は、“ スタジオ 4 時間とってたけど、1 時間くらいやったら、二人して < もうコレくらいでいいよねー > < ねー > って練習終わっちゃった。これ、お互いがお互いをダメにする関係だ、って思った ” と発言している ( 笑 )

お互いの持ち歌を二人で分けあいながら歌ったり、一方が歌い一方が演奏と合いの手 ( ほとんど邪魔しているとしか思えないひたすら絶叫 というパターンもある ( 笑 ) ) を添えるといった展開が、ほどよい緊張感を維持しながら、続いていく。曲間はほとんどなく、一方が歌い終るやいなや楽曲のエンドをすぐさま引き継いで、もう一方の歌が始まる。
そして、いやはや、この二人、意外や意外、シンクロ率は 400 % を超えている ( ! ) のではないか とさえ思わせるケミストリーの良さなのだ。

大森靖子という努力型の天才と後藤まりこという破滅型の天才のコラボレーションが実はこれほどの相性の良さを見せつける というのは、いわし亭にとっても正に想定外のことで、その意味で今後もこの状況に慣れないよう注意を払いつつも ( 慣れてしまうと、現時点で醸し出されている手探り感やスリルは、かなり薄まる気がする。その意味で細部まで作りこまない即興というのは丁度いいのかもしれない )、コラボレーションは続けて欲しいと思った。


大森靖子主導で歌われた 「 君と映画 」 のエンディングで

♪ まりこと靖子 二人でライヴ~

と歌詞を変えて唄われたところで、期せずしてフロアから歓声と拍手が起こる。ライヴ開始からノンストップでドツキ合った二人にも笑みがこぼれ、ステージはここで MC へと移行する。
MC の中でも後藤まりこと大森靖子の掛け合いは、上方漫才の様に調子が良い。それは後藤が大阪、大森が愛媛と二人とも関西出身で、関西特有の会話リズムが共有されているという点が大きい。

大森 “ 後藤さんほどヤバくない と思ってますよ。私は ” 
後藤 “ 大森さんのこと相当、ヤバいと思ってる ” 
大森 “ 何でですか ! どこがですか? ” 
後藤 “ マジでヤバいで、自分 ” 
大森 “ やだやだやだ ! ” 

とお互いがお互いを讃え合う ( 笑 ) 

大森 “ ドンキが好きなの ”
後藤 “ ドンキホーテを好きっていう日本語を初めて聞いた ”

こと、ここに至って MC はもはやボヤキ漫才のレベルに突入する。

大森 “ 楽天カード作れますか、ミュージシャンて? ” 
後藤 “ あ~ぁ 落ちた ” 
大森 “ 全然、作れないですけど ” 
後藤 “ 落ちた? ” 
大森 “ 落ちましたよぉ” 
後藤 “ 何か ちゃんと書いたら落ちるよなぁ ” 
大森 “ 正直に収入とか書いたら 落ちますよぉ ” 
後藤 “ ツイッターで落ちたって書いたら 後藤まりこさん 楽天カードに落ちる!! みたいなニュースになってん でも あれ職業欄にスナイパーって書いても 受かるって ” 
大森 “ ミュージシャンって スナイパー以下ですか! ” 
後藤 “ そうやねん ミュージシャンって社会的信用ゼロ” 

もはや、場内、爆笑の連続。

アンコールの拍手が
鳴り止まない。
大森靖子メインで、テクノポップに昇華した 「ミッドナイト清純異性交遊 」 での凄まじい高揚感の内にこの稀代のトライアルも大団円を迎えた。
しかしフロアは納得せず、再度のアンコールを期待して、拍手を続ける。
ライヴハウスからは、終了のアナウンスが流れ始め、やはり無理かなぁ… と思っていると、再度、二人が登場する。ここからは、もはや余興の世界である。

♪ ワイ! ワイ! ドリンキーン!  
後藤まりこが突然コールし、フロアにマイクを向ける。フロアはすかさず “ やぐら茶屋!! ”
“ はぁ~ ” “ どんとこーい! ” ここまでは見事クリア!
靖子さん、この事態に “ なになになに~!? ” と思考停止状態に陥るが、まりこさん全くかまわず、さらに “ あなた 車 売る?” 正しいレスポンスは “ ♪ ハナテン 中古車センタ~ ” なのだが  ( 笑 ) 、残念ながらレスポンスは中途半端で、まりこさん、この結果に “ ちょっと 長かったね ごめん みんな もうちょっとしたら できるようになる ” と自爆フォロー。いわし亭はこの非常事態に、もうメチャクチャ笑い転げた。ところがこの状況に、負けず嫌いの靖子さんがこれまた突然

♪ 愛媛のイヨカン いい予感~  
と、誰も知らない地元愛媛のCMソングを歌い出し、ライヴ ハウスを極限まで凍りつかせた。 “ そうだよね~ ” と照れつつ話す靖子さんの何とも可愛いらしいこと ( 笑 ) 


最後を締めくくるパフォーマンスは、“ 二人で このかみ合ってるか かみ合ってないか 分からない すれすれ加減が
 凄くよく伝わるようなことをしようと思います ” という後藤まりこの発案によりスタート。
要するに、ア カペラでお互いが知っているであろう曲をリレーしながら、歌い合おうというのだ。

♪ あるぅ日 森の中~ 
まずは、童謡 「 森のくまさん 」 を二人が交互にパスしあいながら、掛け合いで歌う。
次に後藤まりこが

♪ とぉ~き~ 山に 日は落ちて~
と、小学校の下校時間にやたらかかっていたドヴォルザークの 『 新世界 』 の第二楽章 ( これは大阪に特有のことなのだろうか? ) に日本語の歌詞を付けた 「 家路 」 を歌うが、これは大森靖子が歌詞がまったく分からないらしく、スマホを出して調べ始める ( 笑 ) 
さらに、大森靖子が

♪ いつまでも 絶えることなく 友達でいよう~
と、 「今日の日はさようなら 」 を歌いだしたのだが、何故か急に二人が

♪ プリッキュ~ア~ プリッキュ~ア~
とアニメの 「 DANZEN! ふたりはプリキュア 」 を豪快に歌い出し、二人とも異様なハイテンションに突入すると、終了まで一気に駆け抜けた。


それにしても、このような奇跡的な瞬間を共有できたのが、たかだか400人程度のファンだけとは、なんたることか と思う。映像は無理としても、せめて録音などしておけなかったのだろうか。いわし亭にしてみれば、ここで過ごした一分一秒が愛おしくて仕方なかった。ともあれ、2014 年、前半のベスト パフォーマンスであると同時に、年間ベストになる可能性も高いトンでもない密度の 90 分間だった。
彼女たちはこの 2 日後、下北沢ガーデンでのさらなるドツキ合いに向かう。

ライヴ終了後、少しだけ後藤さんとお話しが出来、持参した週刊プレイボーイ ( 2 月10 日発売号 ) のグラビアにサインをもらう。後藤さん自身、“ これボク、見てないんや ” とのことで、感慨深げだった。



『 m@u 』 

 1. 4がつ6日
 2. m@u
 3. す☆ぴか
 4. すばらしい世界。
 5. だいろーちゃんとまりこちゃん
 6. 浮かれちゃって、困っちゃって、やんややんややん
 7. ラブロマンス
 8. sound of me ( TV東京系ドラマ 『 たべるダケ 』 エンディングテーマ )
 9. Hey musicさん!
10. 大人の夏休み
11. ふれーみんぐりっぷす
12. 世田谷区桜新町2丁目



→音楽ナタリーによるインタビュー








4月6日 渋谷ソラハウスの昼の部にて収録された映像である。現在、CD未収録の最新曲ということになる。ただ、この曲、このところのライヴでは必ず歌われているところを見ると、お気に入りの一曲のようだ。
一連の事務所との騒動で、個人として活動していくことを決めた後藤まりこである。当面、ソニー ミュージック レーベルズ傘下の DefSTAR Records との契約に拘束されるため、新譜を製作できない状況にあるらしく、この曲が円盤になるには、まだ時間を要しそうだ。


追加情報】 2014/8/20 解禁!

後藤まりこがキングレコード内の EVIL LINE RECORDS に移籍し、2014 年 10 月 29 日に移籍第 1 弾作品となるアルバム 『 こわれた箱にりなっくす 』 ( 全 9 曲予定 ) をリリースする。
EVIL LINE RECORDS は “ ももいろクローバーZ ” “ ドレスコーズ ” らが所属するレーベルで、初回限定盤には DVD が付属する。

さらに 11 月 1 ~ 3 日には、東京・下北沢 SHELTER にて 1 日 2 公演を連続で行うワンマン ライヴ “ お前ら全部りなくすです ” を開催。その後、11 月 7 日からはイベント ツアー “ 後藤まりこと往く、関東近郊りなくすツアー ” に出発する

後藤まりこ ライヴ情報→ http://510mariko.com/live



さらに追加情報】(笑)




『 こわれた箱にりなっくす 』【初回限定盤】

1. 触媒
2. シンデレラタイム
3. 好き、殺したい、愛してる
4. スナメリ
5. れっつきるみ
6. Re:なくす
7. 関東ローム層
8. 正しい夜の過ごし方
9. I / O 







2014年10月3日金曜日

ラヴ ソングが文学にかわる瞬間 ~ JOY DIVISION


0.8秒と衝撃。で
唄とモデル担当の J.M.
地方のロック フェスティバルで “ 0.8秒と衝撃。 ” の元気いっぱいのライヴに参加し、その後、メンバーと話ができた。ヴォーカルの塔山忠臣が JOY DIVISION のファーストアルバム 『 Unknown Pleasures 』 のジャケット デザインのTシャツを着ており、好きなのかな? と興味がわいたのだ。ライヴの後、彼はすぐに帰京してしまったらしく、物販には 唄とモデル担当の J.M.しかいなかったのだが、それでもいろいろお話ができた。
“ ピーター・フックのバンド ( おそらく REVENGE ) と対バンした ” と、あっけらかんと言ってのける J.M.に平成を感じたが、今の J-Pop の立ち位置みたいなものも伺えて、面白かった。対バンの際、ピーター・フックから直々にバンド T シャツをもらったのだが、別のライヴでその T シャツを着ていた塔山は、ライヴの出来が良すぎて興奮のあまり、その T シャツをフロアに投げてしまったらしい。
あ~ッつ!! って感じでした ( 笑 ) と。  

いわし亭が学生だった頃、結局、国内盤が出る気配がまるでなく、梅田の外れにあった輸入盤屋で高価なイギリス盤を買い求めた 『 CLOSER 』。ジャケットはエンボス加工のふわふわした紙で、意外に豪華な仕上がりだった。歌詞カードは付いておらず ( 歌詞は楽曲を構成する 1/4 でしかなく、ただの音であるというイアン・カーティスの意向だったらしい )、まさに音として聞いていた沈みきったヴォーカルを思い出した。


1976 年 6 月 グレーター マンチェスター サルフォードで結成

イアン・カーティス ( Ian Curtis )  ヴォーカル、リリック
バーナード・サムナー ( Bernard Albrecht ) : ギター キーボード/アルブレヒトはナチスに因んだ JOY DIVISION でのメンバー名
ピーター・フック ( Peter Hook ) : ベース
スティーヴン・モリス ( Stephen Morris )  ドラム/ステファンと記載されていることも多い。ここではスティーヴンに統一する

スティフ キトゥンズあるいはワルシャワと名乗っていたデビュー当時の彼らは、いわゆるピストルズ ショックを受けて雨後の筍のように現れたただの演奏の下手なパンク バンドでしかなかった。しかし、THROBBING  GRISTLE のジェネシス・P・オリッジはバンドの黎明期から彼らに注目していた。
また、インダストリアル ミュージックの雄 ジム・フィータスはオーストラリアから渡英直後、彼らのデビューライヴに偶然参加し、歌えば歌うほど異様なまでに落ち込んでゆくイアン・カーティスのヴォーカルを聴いて、一生忘れられない程の印象を持ったという。


1978 年 1月 7インチ デビュー シングル 『 An Ideal For Living 』 を自費プレス  

ファクトリー レコードと契約を結ぶ。
ファクトリー レコードは、洗練されたアート デザインが統一的なレーベル イメージを醸し出して、独自のステータスを確立していた当時、新進のインディペンデント レーベルである。デザインはピーター・サヴィルによるもので、彼はファクトリー レコードの専属デザイナーからそのキャリアをスタートさせたが、手掛けたデザインの全てが印象的で、美的センスの優れたものであった。

JOY DIVISION レーベル プロデューサー マーティン・ハネットが使いこなしたレコーディング システム A.M.S.( Advanced Music Systems ) によってバンド独自の耽美的な音世界を完成させ、ファクトリー レコードの中心的存在となっていく。
同時期のライヴ盤を聴く限り、この世界観はやはりスタジオ盤に特有のものであることが分かるが、それほどにマーティン・ハネットが JOY DIVISION にもたらした音響プロデュースの効果は絶大であった。凍てつくようなシンセサイザーの音色、リズムセクションにエコーを効かせたダブ処理、イアン・カーティスの沈み込むような陰鬱な声質は、他の凡百のバンドから JOY DIVISION を完全に切り離したのだ。
スタイルとして完成された JOY DIVISION の個性はその活動期間こそ短かかったものの、’70年代末期のポストパンクを代表するバンドの一つとして、後のオルタナティヴ ロックに多大な影響を及ぼし、世界各地に彼らのエピゴーネンを出現させることになる。

音響効果をベースにしたプロデュースという点で、マーティン・ハネットのスタジオ ワークは、ロキシー ミュージックの 『 アヴァロン 』 で印象的なエコー処理を施したミックス エンジニアのボブ・クリアマウンテン、ベーシスト 盟友バーナード・エドワーズとのコンビで、シャカシャカと切れの良いリズム ギターを得意とし、マドンナの 『 ライク ア ヴァージン 』、デヴィッド・ボウイ 『 レッツ ダンス 』 を皮切りに ’80年代後半を席巻したナイル・ロジャースと並んで、最大級に評価できる。 


1978 年 6 月 JOY DIVISION を名乗る

各方面で物議をかもした JOY DIVISION ~ ジョイ ディヴィジョンというバンド名はナチス・ドイツの強制収容所内に設けられたユダヤ人女性を性奴隷にする “ 快楽区 ” に由来する。
ポーランド出身のイディッシュ語・ヘブライ語作家イェヒエル=デ・ヌールがカ・ツェトニック 135633 の変名で 1953 年、発表した 『 HOUSE OF DOLLS - ダニエラの日記 』 ( または 『痛ましきダニエラ ― ナチに虐げられたユダヤ娘の死の記録 』 ) ( 蕗沢紀志夫 訳 ) の中からバーナード・サムナーが拾い出した。彼に拠れば、“ ひどく悪趣味だけど… パンクだ ” と感じた、とのことで、言わば若気の至りというやつである。
デ・ヌールの最も有名な作品の一つである本作のモデルは、ホロコーストで亡くなった著者自身の妹であり、その変名は虜囚を意味するイディッシュ語に自身の囚人番号を組み合わせたものである。デ・ヌールは、1961 年 6 月、アドルフ・アイヒマンの裁判に証人として出廷したが、質問に答える前に証言台で失神してしまった。デ・ヌールにとってナチスの記憶を語ることは、それほどに精神的負荷が高かったのだ。

『 Unknown Pleasures

1.Disorder
2.Day of the Lords
3.Candidate
4.Insight
5.New Dawn Fades
6.She’s Lost Control
7.Shadowplay
8.Wilderness
9.Interzone
10.I Remember Nothing







1979 年 6 月発表。
ピーター・サヴィルのアートワークは、パルサー  ( 超新星の爆発後に残った中性子星が放つ、パルス状の可視光線や電波 ) の波形を用いたものであり、ヴェルヴェット アンダーグラウンドやロキシー ミュージックのデビューアルバム、デヴィッド・ボウイ 『 ダイヤモンドの犬 』 といったロック史に残るジャケットと肩を並べても遜色ない。このジャケット デザインこそ、ピーター・サヴィルの作品の中で最も有名なものの一つであり、多くのオマージュ作品を生んだ傑作と言えよう。オリジナルのアナログ ディスクでは、このパルサーの波形はもっと小さく控えめにセンターやや上方に配置されており、ジャケットの台紙にはエンボス加工が施されて、触った際の質感が凄かった。
1979 年の全英アルバム チャートでは最高 71 位、インディー チャートでは第 1 位を獲得しており、『 ローリング ストーン 』 誌が選んだ  「 オールタイム ベスト デビュー アルバム 100 」 において第 20 位。 

低音がこもってしまいよく聞こえない という理由から、高音弦を用いたメロディアスなフレーズを得意にしていたピーター・フックのベースが、アルバムの一曲目から勢いよく飛び出し、非常に良く鳴っている。
この対位法的なベースとギターのアンサンブルは、イアン・カーティスの発案と言うことだが、JOY DIVISION の楽曲作りに関しては、イアン・カーティスのモニター能力が大いに活躍したとピーター・フックは語っている。“ イアンが全てのリフを見付け出したんだ。バンドが即興演奏をやる、するとイアンが演奏を止めて < 今のは良かった。もう一度やってくれ > と言う。そんな練習の中から 「 シーズ ロスト コントロール 」 などの数々の印象的なフレーズが生まれた。彼がいなければ、彼の耳なくしては、僕らはそれを一度演奏したきりで二度とやらなかっただろう。たいていは、それを演奏したことさえ覚えていなかったに違いない… だけど、彼は気付いていたんだ ”
セックス ピストルズのグレン・マトロック、ザ ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルもそうであったが、パンク バンドのベーシストには意外や意外、作曲もできるテクニシャンがいる。一方で、シド・ヴィシャスやクラッシュのポール・シムノンの様にカリズマ性のみで記憶に残るミュージシャンを輩出したパートでもあるのだが…
加えてバーナード・サムナーの奏でるギターの音色、スティーヴン・モリスのリズム マシンを思わせる無機的なドラミング。マーティン・ハネットが施した音響トリートメントが見事に功をしている。
ハネットの音響プロデュースを独占出来たこと、デビューアルバムのジャケット デザインの信じられないオリジナリティ、等々を思う時、JOY DIVISION は単にラッキーなだけのバンドだったのか ? といった素朴な疑問は当然、起こる。
しかし、このデビュー アルバムを体験すれば、そうした疑問を払拭して余りある完成度に驚かされるだろう硬質なドラムの響きで幕を開けるオープニングの 「 Disorder 」 から、ロック的な快感原則にあまりにも忠実な 「 She’s Lost Control 」 「 Shadowplay 」 と、まさに聴くことを止められない脅迫的な 40 数分間が続く。
ところが、当の主役であるピーター・フックとバーナード・サムナーは “ 暗過ぎて、とても楽しめない。こんな暗いアルバム、誰も聴きやしない ” と思っていたというのだから面白い。世界でたった二人だけが、このアルバムを気に入らなかったわけだ。ただ、この暗さはイアン・カーティスの持つ資質に起因するところが大きい。演奏だけを取り出してみると、ちょうどパンクの嵐が沈静化し、ニューウェーヴの萌芽が垣間見られる正にその端境期に現れたバンド ということが良く分かる。
1978 年 1 月、ジョニー・ロットンはセックス ピストルズの空中分解に際して “ ロックは死んだ ” と発言したが、そのマニフェストによって荒涼とした原野に置き去りにされた殉教者たちが、このアルバムに救いを求めたのは当然の帰結だった。


1980 年 5 月 18 日 月曜日 イアン・カーティス 急逝

内省的な歌詞を書きヴォーカルを担当していたイアン・カーティスが、初のアメリカ ツアーに旅立つ前日、栄光の日々を目前にして、わずか 23 歳で急逝。持病の癲癇の悪化や鬱病、大量の投薬による情緒不安定 ( イアンのステージにおける独特なアクションやダンスは明らかにこうした症状の上に成り立っている ) 、イアンと妻のデボラそして彼と交流のあったアニーク・オノレ ( アニック・オノレ との記載もあり )との三角関係、等々が理由とされている。彼の最期の言葉は “ 最初から死んでいればよかったのに。今、この瞬間にも、そう思える。これ以上無理 At this very moment,I wish I were dead.I just can’t cope anymore.
イアン・カーティスは、Q 誌の選ぶ歴史上最も偉大な 100 人のシンガーにおいて第 88 位。

ヴォーカリストを失ったメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決意。ただし、イアンの生前に全員で結んだ “ JOY DIVISION の名前でのバンド活動は、メンバーが一人でも欠けたら行わない ” という約束に基づき、ナチスの掲げた新体制 New Order をその名に冠した。
残されたメンバーの苦闘の歴史は、そのままエレクトロニクス ポップの歴史でもある。

New Order は 1983年、盟友の死を悼んで、彼の自殺した月曜日をテーマに 「 Blue Monday 」 という作品を発表、改めて追悼の意を表した。フロッピー ディスクを模したジャケット、デジタル ビートを強調したダンサブルなエレクトロと無表情なヴォーカルが特徴的なこの作品は、史上最も売れた 12 インチ シングルとされており、流通のスタイルが激変した今日、この記録が破られることはないだろう とも言われている。当時、いわし亭もジム・フィータスの 「 CALAMITY CRUSH 」 とともにヘヴィローテーションした一枚だ。


渋谷陽一がホストを務めた NHK - FM サウンドストリートの国内未発売洋楽リクエストで、一曲目にオンエアされた『 CLOSER 』 のオープニングタイトル 「 Atorcity Exhibition 」  のインパクトは絶大だった。曲名は J.G.バラッドの著作 『 残虐行為展覧会 』 から取られているが、デ・ヌールの著作にも 『 Atorcity ( 愛と虐殺 ) 』 がある。

輸入レコード店に足繁く通うようになった当時のいわし亭は、愛読していた FOOLS MATE の Special Stock part2 ( Vol.15 1981 年 1 月 25 日号 ) で読んだ森田一義氏の JOY DIVISION と BAUHAUS の記事を想起し、『 CLOSER 』 の購入を決めた。森田氏の原稿で印象的だったのは、イアンの自殺からまだ一年も経ていない時期の記事でありながら、イアンの自殺をことさらセンセーショナルに取り上げなかったことである。

“ イアンの死は、非常に個人的なことだ。故に、その原因を我々が知る必要はない。では、我々はそれをどのように理解すればいいのか。それは娯楽と理解すべきだ。人食いという娯楽に、イアンは肉体を提供しただけだ ”
今日、再度原稿を読み返してみても、その指摘の的確さは見事である。


CLOSER

1.Atrocity Exhibition
2.ISOLATION
3.Passover
4.Colony
5.A Means To An End
6.Heart And Soul
7.Twenty Four Hours
8.The Eternal
9.Decades








アルバムのオープニングに配置されたあまりにも印象的な 「 Atorcity Exhibition 」は、『 CLOSER 』 のジャケットに描かれたシーンの B.G.M.のように聞こえる。チェーンソウのような唸りをあげるバーナード・サムナーのギター、呪術を思わせるピーター・フックのベース、ノミを打ち込むように鋭いスティーヴン・モリスのドラム。そして、闇の奥をのぞき見るイアン・カーティスのヴォーカル。さらに、全体を貫くのは、プリミティヴな躍動感に満ちた邪教的な気配である。
ロック バンドとしては実にオーソドックスなカルテットでの演奏にもかかわらず、レーベル メイト(The Durutti Column、Happy Mondays、Orchestral Manoeuvres in the Dark、A Certain Ratio、等々 ) や当時ファクトリー レーベルに並ぶもう一方の雄 4AD ( BAUHAUS、Cocteau Twins、Dead Can Dance、等々 ) といったレーベルのバンドとも、何かが決定的に違っていた。


本作においてもレコーディング システム A.M.S.の効果は絶大で、リズムを強調したダブ由来のサウンド処理は、正にこの後、’80年代を席捲するディスコ ≒ ニューウェーヴの先駆けとも言える音色を獲得している。これはイアンがもたらした圧倒的な闇の世界観とは真逆のサウンド メイキングとも言え、この相反する二つの性格がまるで “ 天国と地獄の結婚 ” のように違和感なく成立しているところに JOY DIVISION の特殊な立ち位置がある。
優れた作詞家を失って、残された三人が再スタートを考えた時、このディスコ ≒ ニューウェーヴ路線を拡大する方向性を選択したのは言わば必然であった。

実際、いわし亭もまずこのダンサブルなサウンドに魅了された。大学時代に大阪ミナミのディスコに行った際もすでに New Order にシフトしてかなりの時間が経っていたにもかかわらず、敢えて JOY DIVISION をリクエストした程だ。歌詞カードがなかった関係で、いわし亭がイアンの詩の世界に触れたのはややあってからだった。その意味では、メンバーがイアンの詩についてあまり気にとめていなかった というのと似たような状況だった とも言える。

バーナード・サムナー : “ 僕らは彼の詞に耳を傾けたことはなかった。それはとても奇妙なことだ… 自分たちの演奏に必死だったんだ。理解しようとしたけど、ついていくだけで精一杯だった ” 
スティーブン・モリス : “ そこにはたしかに多くの感性が宿っていたけど、当時は、彼は自分の仕事をしているってことにすぎなかった。彼は作詞家だった。歌詞にはドラムを叩くことより意義があるのも事実だけど、それも仕事の一環だったんだ ” 
ピーター・フック : “ 結局は、僕は自分の仕事にあまりに没頭していたから、彼が日常は言わなかった何かを必死で僕らに伝えようとしていたことに気付かなかった 

アルバム自体はジャケットのデザインも含めて、イアン・カーティスの急逝より前に完成しており、正に痛恨の遺作となった。“ イアンの自殺を売り物にした ” といった一部のメディアの批判は全くの的外れである。
全英アルバム チャート最高 6 位 。1980 年末にニュー ミュージカル エクスプレス誌の特集で年間最優秀アルバムに選出されている。

「 LOVE WILL TEAR US APART 」

2002 年のニュー ミュージカル エクスプレス誌において、ロック史上最高のシングル曲に選定された JOY DIVISION 最大のヒット である ( 1980 年 5 月 英シングル チャート最高 13 位  

検索してみるとすぐ分かるが、The Swans、THE CURE 、Arcade Fire & U2、David Bowie、等々かなりの数のカヴァー ヴァージョンにヒットする。驚かされるのは、イギー・ポップとバーナード・サムナーのコラボレーションだが、彼らのような大物アーティストですら無視できない何かが、この曲の中には見つかるのだろう。

一聴、すぐさまイアンの自殺と結びつけて解題することは簡単だ。確かにかなり深刻な内容が盛られた問題作ではある。しかし、歌詞はただの音であるというイアンの姿勢から、メンバーでさえ、これを彼の心情吐露とは考えなかったという。

ピーター・フック : “ 「 LOVE WILL TEAR US APART 」 は 3 時間で書き上げた。ある夜、僕らがあのリフを思い付くと、イアンが言ったんだ < 僕にアイディアがあるんだ > って。彼が目の前で歌ってくれた時、僕らはあれがデビーとアニークについてのものだとは思わなかった。ただこう思ったんだ。なんて素晴らしい曲だ。 いいぞ、イアンがまたやってくれた、って 


イアンの極めて私的な心の葛藤をモチーフとしたこの作品は、“ 愛は、またしても僕たちを引き裂く ” という逆説的なリフレインを繰り返すことで、ラヴ ソングが文学にかわる瞬間を奇跡的に捉えている。
つまり、ここで歌われていることは、極めて個人的な私小説のような内容からスタートしているけれども、結果的に多くの人々の感情を揺さぶる普遍性を持っていた ということに他ならない。“ またしても  again ”  という単語には、このことは何時でも、誰にでも、何度でも 起こりうる という哀しい予感が込められている。< 愛 > ゆえに引き裂かれていく家族や恋人、友情や人間関係、社会関係からの隔絶、あるいは諦め、手離されていく野心や様々にわき起こる感情。そうしたものが、象徴的なキーワードによって、綴られている

楽曲はバンドの演奏がどこまでも登りつめていく高揚感の中、コーダを迎える。最後のシングル曲を歌い終えたヴォーカリストの魂を残された三人の JOY DIVISION が天上の高みにまで誘うイメージは、正にレクイエムの様でもある。


When routine bites hard          日常がつらくなり
and ambitions are low           野心も消え失せて
And resentment rides high         怒りが高まっても 
But emotions won't grow          感情がついてこない 
And we're changing our ways,       僕たちはやり方を変え
taking different roads          別の道を歩み始める
Then love, love will tear us apart again 愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again    愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Why is the bedroom so cold        なぜ寝室はこんなに寒いのか
You`ve turned away on your side.     君は背を向けて眠る 
Is my timing that flawed?         僕のせいでひびが入り
Our respect run so dry.          尊敬し合う心も乾くけど
Yet there's still this appeal that    まだ惹かれているから
We've kept through our lives       僕たちは共に暮らしている
But love, love will tear us apart again  けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again    愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く 
You cry out in your sleep         君は眠りの中で叫んでいる
All my failings exposed          僕の失敗をことごとく暴露した
And there's a taste in my mouth      口の中に苦味が残る
As desperation takes hold         自暴自棄に陥ると
Just that something so good just     うまくいっていたことが それ以上機能できなくなる 
can't function no more. 
But love, love will tear us apart again  けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く


2012年、ニュー ミュージカル エクスプレス誌の 『 ソング ストーリーズ 』 シリーズで、インタヴューに答えたピーター・フックは、以下のように語った。
“ ( 「 LOVE WILL TEAR US APART 」 の歌詞が ) あまりに刺々しくて、悪意に満ちていることに衝撃を受けた ” “ これは性急に書かれた曲だったんだよね ” “ 正直言って、この内容に踏み込んで分析してみたのは、自分で歌うようになってからなんだけど ” “ この曲が自分に向けて書かれたものだったら本当に嫌だなあと思うよ ”

 

アートワークは例によってピーター・サヴィル。「 LOVE WILL TEAR US APART 」 のジャケットでは、イタリア ジェノヴァのスタリエノ墓地にある彫刻 ( 写真 ) が使われているが、デザイン自体はイアンが亡くなる前から決まっていたという。

故郷マンチェスター郊外にあるマックルズフィールド セメタリーに埋葬されているイアンの墓石には “ IAN CURTIS ” “ 18-5-80 ” “ LOVE WILL TEAR US APART ” と刻まれている。
この墓碑銘を選んだのは、他ならぬイアンの妻 デボラである。

デボラはイアンのデボラへの愛がイアンに自殺を選択させ、そのことでアニークや JOY DIVISION との関係を断ち、イアンが自分の許にやっと帰ってきたことを実感したのではないだろうか。
あるいは、イアンの自己愛がデボラをも含めたあらゆる関係との決別を意図して、自殺を選ばせた と考えたのかもしれない。しかし、それではあまりにも哀しすぎる。

“ 無理からぬことだが、この歌詞はメディアには、うまく行かなかった恋愛関係についての歌であると解釈された… 
火葬場で、私が墓石に刻むために選んだ語句をロブ・グレットン ( JOY DIVISION のマネージャー ) に伝えた時、彼は茫然としたが、その言葉は変えるところはほとんどなさそうで、私が言いたかったことすべてを要約しているように思われた。
< 愛が私たちを引き裂いていく > という表現は、私たちみんながどのように感じたかをとてもうまく表していた 
( デボラ・カーティス 『 タッチング フロム ア ディスタンス 』  より )

「 AtomosPHERE 」

葬儀の B.G.M.として非常によく使われるロック ナンバーの一つ。ピーター・フックは、ロビー・ウィリアムズの 「 エンジェルス 」  が結婚式で最も頻繁に使用される一曲であることに触れ、“ 本当に俺たちの方こそ 「 エンジェルス 」 を書きたかったなあ って正直、思ったりするよ ” と言うが、同時に 「 アトモスフィア 」 にもプライドを持っており、“ 自分の葬式でも、かけてもらうつもりだ ” と語った。

『 Substance 

1.Warsaw
2.Leaders OF Men
3.Digital
4.Autosuggestion
5.Transmission
6.She’s Lost Control ( 12 Inch Version )
7.Incubation
8.Dead Souls
9.AtmosPHERE
10.Love Will Tear Us Apart
11.No Love Lost
12.Failures
13.Glass
14.From Safety To Where
15.Novelty
16.Komakino
17.These Days

JOY DIVISION はディスコを想定したロングヴァージョンの12インチ シングルを数多くリリースしているが、彼らはオリジナル アルバムにシングルを収録しない方針だった。従って、これらの収められたベスト盤は別の意味で重要なアイテムである。
なお、同タイトルで1987年までの New Order の軌跡をたどったものもある。 






JOY DIVISION に関するブログとしては 愛語 がある。これ以上の分析を施したサイトをいわし亭は寡聞にして知らない。多方面にかつ詳細に、まとめられた素晴らしいサイトであり、この記事のデータはそのほとんどをこのブログとドキュメンタリー映画 『 ジョイ ディヴィジョン 』 、未亡人となったデボラ・カーティスの著した 『 タッチング フロム ア ディスタンス 』 から得ている。感謝と敬意を表したい。


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