2015年9月25日金曜日

21世紀型アイドルの今 初音ミク ☓ 非常階段 → 初音階段 



2013 年から ’14 年にかけて、日本のアイドル界を震撼させた事件は、何と言っても BiS ( ビス ) とキャリア 35 年を数えるキング オブ ノイズ 非常階段の合体、BiS 階段だろう。もはやゼロ年代の日本のアイドルは、歌謡曲のフォーマット限定で活躍するわけではなく、ハードロックあり、ヘヴィメタルあり、パンクありとジャンルの垣根を軽々と飛び越えてしまったが、最後の聖域であったノイズとのコラボレーションを果たしたのが、“ アイドル界の暴走機関車 ” “ 掟破りのアイドル ”  BiS であったのは当然の帰結とも言えよう。

BiS とは、新生アイドル研究会/Brand-new Idol Society の頭文字を並べた名称である。2010 年 11 月、アイドルを研究し、アイドルになろうとする、アイドルになりたい 4 人組としてスタートし、約 3 年半の活動中、何度かのメンバーチェンジを経て、2014 年 7 月 8 日、横浜アリーナでの解散ライヴ 『 BiS なりの武道館 』 にたどりついた時点では 6 人組となっていた。“ 自給自足 ” をスローガンに、振り付けはもちろん、初期にはイベントのブッキングも自分たちで行っていた。
BiS はいわゆる一般的なアイドルとライヴアイドルとのぎりぎりの境界線上微妙にズレ動く抜群のセンスで、業界内にもファン ( ちなみに BiS ではファンを総称して研究員、ライヴを報告会と呼ぶ ) を急増させてきた。そのセンスは、全くの別のジャンルで確立されたメソッドをアイドルという無菌室に持ち込み、多大なるインパクトを生じさせる という方法論を確立する。
例えば、深い森の中を舞台に全裸で走りまわる PV ( 「 My Ixxx 」 ) 。ただし、全裸になっているとはいえ、映像的にはシルエット処理されており、惹句から想起する内容には程遠い。とはいえ、AV  業界としてはごくごく当然の手法をアイドル PV に持ち込むという違和感の対象化、さらに増長化は、想定以上のリアクションを引き出すことに成功した。
また、悪名高い数々の特典会がある。CD 等を大量販売する手法として確立された特典会は、AKB48 が十八番にしている握手会がその代表例だ。この握手会をワルノリも含め、拡大、過激化していったのだが、ハグ会、ケツバット会、ローション握手会、ちゅー会、キス会、KISS 会、ハリセン会、もみもみ会、罵倒され会 等々、結果、凄まじい勢いで増殖した。いちいち説明するのも面倒なので、興味のある人はググってみて欲しい。
アイドルという現象が、つまるところ性の切り売りである以上、商品化という方向性を突き進めば、キレイごとではなく BiS の取った戦略は肯定せざるを得ない。“ 乱立するアイドル戦国時代を勝ち抜いていくためには避けられない方法論であった ” とのコメントには圧倒的な説得力があるし、むしろ清々しい位だ。そして、BiS の楽曲は実は非常にポップでキャッチーな名曲揃いであり、BiS は楽曲を聴かせることさえ出来れば、十分、勝負出来ると確信していたのだ。


BiS階段の雄姿
非常階段の JOJO 広重が BiS にアプローチしたのは、“ もともと BiS のことは研究員さん達が教えてくれたんですよ。というのも、ツイッターで < ももいろクローバー Z と非常階段で、ももクロ階段が出来たらすごい > なんて話が出てたんです ”。ももいろクローバー Zは、すでにヘヴィメタルとのコラボを実現していた ( ’15 年 年頭には何とアメリカンハードロック レジェンド KISS とのコラボシングルを発表。さらに 3 月 3 日 東京ドームのツアーファイナルへの特別参戦も決まっている ) ため、そのような意見がごくごく普通に出たのだろう。そもそも、ももいろクローバー Zのマネージャー 川上アキラはプロレスファンで、その舞台演出・プロモーション戦略には多分にプロレスの影響が見て取れる。“ そうしたら、BiS ファンの何人かが < JOJO さん、だったら BiS もいいですよ > と言ってくれて。それで実際にチェックしたら < あ、ホントだ > と ” とのことだった。
BiS はその戦略として、前出のように違和感を対象化し、ジャンルの垣根を軽々と飛び越え、そのマージナルな領域における絶妙のバランス感覚に加え、パンクに傾倒する破壊衝動をユニット内ですでに飼い慣らしていたこと ( ライヴでは、ファンに向かってスクール水着でダイブ ! するようなパフォーマンスも実践している ) が、稀代のキング オブ ノイズ 非常階段とのコンビネーションの良さを生んだのだ。そして、非常階段は過去からこうしたコラボレーションにおいても抜群の応用力と順応性を見せつけてきたバンドであった。
BiS 階段は解散を間近に控えた 4 月に坂田明、大友良英を交えた JAZZ BiS 階段を敢行するが、このライヴに関するファーストサマーウイカのブログを読むと、女性特有の直観で一気呵成にノイズの本質に肉薄していることが分かり、感心させられる。
本稿の主役は初音階段のため、BiS に関する記述はここまでとするが、この程度の内容では到底、彼女たちの活動には追いつけない。是非、ネットサーフィン、DVD、映画等々で BiS を再体験して欲しいと思う。


初音ミクは三次元立体映像で実現したヴァーチャルリアリティの中に存在する仮想アイドルだ。2014 年 10 月には、米国ロサンゼルス NOKIA Theatre、ニューヨーク Hammerstein Ballroom で総合イベント 『 HATSUNE MIKU EXPO 』 第二弾 ( 第一弾は 5 月にインドネシアのジャカルタで開催 ) が行われ、その熱狂の様子が WOWOW で実況中継されたが、歌い踊るミクにあわせて、ペンライトが降られ、声援が飛び交う様は、現実のトップアイドルのライヴと何ら変わりないものであった。

だが、こうした状況が全く理解できない人々もまたたくさんいて、ヴァーチャルリアリティのアイドルに対して、何故、あれほど熱狂できるのか? といった正に愚問がネットやメディア等、あちらこちらで散見された。そもそも観客の存在が前提となる全ての興行において、そのアイコンには実態がない。舞台の上で演じられる世界はモチロン全て偽物であるが、コンセンサスとして、それはそういうものであるとクリアされている。同様にプロスポーツ選手や TV のパーソナリティは言うに及ばず、ドキュメンタリー映画で描かれる人物ですら、映画のフレームに収まった時点で、架空の存在と化すのである。
アイドルもまた演じられているのは当然のことなのだ。2014 年 6 月 AKB 48 第 6 回選抜総選挙で1 位となり、念願のセンターを獲得した渡辺麻友のインスタグラムのプライベートアカウントが流出し、“ まゆゆブラック化の衝撃 ” 等々、マスコミでかしましく報道されたが、この事件、むしろファンの方がはるかに冷静で “ 昔からまゆゆの < 腐女子ぶり > は有名だった。むしろ好感が持てる ” といった意見すら聞かれたのである。
20 世紀最大のアイコンであるマドンナ ( 考えてみるとこのアーティスト名自体、実態がまるで想像できない名称ではないか! ) が素晴らしいのは、マドンナ=ルイーズ・チコネという女性もアイコンとしてのマドンナのいちファンであり、マドンナがどのようにふるまうと嬉しいのか というファン視点で客観性を担保しながら、セルフプロデュースを完璧にこなしているからだ。マドンナはアーティスト エゴを振り回して、自分のやりたいことを追求したりはしない。そんなことは、ファンの誰も望んでいないからである。
その意味で優れたパフォーマーは、ファンが望んでいる架空のキャラクターを演じているし、演じられたキャラクターと演者としての個人は全く別の存在である。


2014年5月、BiS 階段が発展的に解消したことを受けて、同時多発的に存在した非常階段のコラボユニットの一つ 初音階段が再度、クローズアップされることになる。
初音階段は、ヴォーカロイドとしてサイバー空間上に出現した初音ミクをフィーチュアして、彼女の歌に非常階段がノイズで伴奏を付けるというユニークなアイディアをレコーディングするための架空ユニットであった。アルバムではリーダー JOJO 広重の広範な音楽的素養を裏付けるように、ヴェルヴェットアンダーグラウンドジャックス頭脳警察、JAGATARA、ケイト・ブッシュ、キング クリムゾン、チューリップ、原田知世、『 新世紀エヴァンゲリオン 』 主題歌 等々がカヴァーされており、非常に興味深い内容になっている。
架空ユニットであった初音階段は、その後、シンガー ソングライター 白波多カミンが初音ミクを演じることで、三次元へと実体化し、本当にライヴを行うようになる。そして、ライヴで使われている手法には、まさに JOJO 広重が BiS 階段で実験し、錬成し、完成させたものがそのまま持ち込まれている。

白波多カミンのバイオグラフィーで注目すべきは京都で生まれ育ち、下鴨神社で巫女様を務めていたというキャリアである。
いわし亭は、日本のアイドル始祖は、慶長 8 年 ( 1603 年 )、京都 鴨川の河原で人気を博した “ かぶき踊り ” の創始者、男装の麗人 出雲阿国 ( いずものおくに 元亀3年/1572 年 -没年不詳 ) であると思う。彼女は出雲大社の巫女様で、文禄年間、勧進のため諸国を廻った。京都市東山区 四条大橋東詰には、腰にひょうたんをつけ、右手に扇子、左手で刀をかつぎ、見栄を切るいなせな阿国の像が立っている。
中世ヨーロッパで秘かに流行したサバト ( 魔女や悪魔を崇拝する集会、魔宴、魔女の夜宴 )、アフリカの部族の間で行われる宗教儀礼、等に通底する阿国踊りは、時の為政者によって禁止されるほどに民衆の熱狂を生み出すが、こうした熱病のような状況は現在、毎晩のように繰り返されるオールナイト イヴェントの類 ( ♪ 土曜の夜はフィーヴァーしよう ) と驚くほど似通っている。あるいは、ジャマイカのボブ・マーリー&ザ ウェイラーズやナイジェリアのフェラ・クティ、フランスのマグマ、等々で象徴的に用いられる女性コーラスがもたらす狂騒的な興奮状態、さらにはトランス状態に入り易い女性性を必要不可欠とする巫女という職業、等々、いわし亭がアイドルという現象を読み解くとき、演者としてのあるいはファンとしての女性性に着目するのは当然の帰結なのだ。

キング クリムゾンがその偉大なる歴史をスタートさせた革命的な一曲 「 21 世紀の精神異常者 」 ( レコード制作基準倫理委員会の審査基準の変化によって現在は 「 21世紀のスキッツォイド・マン 」 という表記に改められているが、これ何なんですかね? 英語カタカナ表記にしてるだけで、意味するところは何も変わってないやん… 医療用語としての schizoid は精神分裂病、現在では統合失調症を指す言葉になっている) は技術的に非常な難曲として有名 ( あのゲイリー・ムーアがグレッグ・レイクとバンドを組んだ際、レパートリーとして演奏していたが、ロバート・フィリップと会見した彼は “ 難し過ぎる ” と苦言を呈した という都市伝説がある ( 笑 )  第一期のキング クリムゾンはこの曲をアンコールで必ず演奏していたが、第二期のディシプリン クリムゾンはついに演奏することはなかった ) だが、何よりもまずリスナーの耳をとらえるのは VCS3 シンセサイザーでイコライジング処理された摩訶不思議なヴォーカルである。
渋谷陽一は自著の中で “ ヴォーカルは、言わばそのバンドの顔であり、ミック・ジャガーが歌っていない ザ ローリング ストーンズはもはやストーンズとは呼べない。それほど、バンドの個性を決定づける重要な要因のはずなのに、この曲はヴォーカルそのものを無個性化している ” と述べているが、これはつまりクリムゾンのアイデンティティにとってヴォーカリストの存在はそれほど重要ではなかったということに他ならない。実際、そのことを裏付けるようにデビューアルバム 『 クリムゾン キングの宮殿 』 以降、キング クリムゾンはリーダーのロバート・フィリップだけを残し、目まぐるしいメンバー チェンジを繰り返した。この 「 21世紀の精神異常者 」 も正式に発表されているものだけで 3 人のヴォーカリスト ( グレッグ・レイク、ボズ・バレル、ジョン・ウェットン ) のヴァージョンが存在する。
ゼロ年代に入って登場した神聖かまってちゃんは、ネット ツールを巧みに利用し、自作 PV を YOUTUBE やニコニコ動画へ投稿、ニコニコ生放送や TwitCasting での定期配信、さらにライヴそのものをストリーミング配信する手法を確立した先駆者である。女の子でも男の子でもないという意味を込めて、“ の子 ” と名乗り、作詞作曲の多くを手掛けるバンドの中心人物は、ライヴ中に自分のヴォーカルをシーケンサを使ってリアル タイムの中で反復再生する際に、やはりイコライジング処理を施し、性差が判別できないものへと変形させていた。ミドリ時代の後藤まりこも、同じくそうしたパフォーマンスを得意としていた。

ヴォーカロイドとはそもそもアイデンティティが消滅しており、ユーザ側の都合によってどのようにでもアレンジが可能な、そういう性質のものではなかったか? と今更ながら、思う。全てのユーザーに等しく開示された初音ミクのコンセプトは、個性がないからこそ驚異的な発展と広がりと独自性を得たのだ。個性がないことこそ、個性である というこの言葉遊びのような二律背反は、さらに
2次元と3次元を自由に行き来するための必要十分条件にもなっている。
二次元の世界で誕生した初音ミクは、その後フォログラフ立体画像により三次元化して、アイドルとしてライヴを行い、ついにはあの冨田勲が指揮するオーケストラ ( 冨田勲 『 イーハトーヴ交響曲  ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV 』 ) とさえ共演した。ミクは多くの人々の手を経て、様々なキャラクターを加味されたが、それもまた没個性という前提があったが故である。没個性であったからこそ、ヴァーチャルリアリティ上のあらゆるニーズを満たすことが出来たのだ。


さて、いわし亭がこの三次元の初音ミクを擁した初音階段を初体験したのは、2013 年 5 月 11 日 関西アンダーグラウンドのメッカ 難波ベアーズだった。

白波多カミン扮する初音ミク

初音階段の初代・初音ミク 白波多カミンはれっきとしたシンガー ソングライターであり、レイヤーではなかったから、しっかりヴォーカリストしていた。もちろん、初音ミク仕様に声質も変調させてはいたが、白波多カミンとしてのキャラクターの方が、初音ミクをはるかに上回っていたと言える。結果として、三次元フォログラフ立体画像の初音ミクと非常階段との共演 といった当初のイメージは希薄になってしまった。このライヴでは、むしろ白波多カミン アンド ハー フレンズといった気配のほうが濃厚だった。
アンド ハー フレンズと言えば、2014 年 5 月 19 日に同ベアーズで開催された白波多カミンの 『 くだもの 』 発売記念ワンマン ライヴでは、何とバックをジャズメン様に正装で決めた HIROSHI ( from 奇形児 ) 、FUJIWARA ( ex.サバート・ブレイズ ) 、岡野太 ( from 非常階段 ) 、HAJIMETAL ( from 誰でもエスパー、ex.ミドリ ) が務めるというとんでもなく豪華なメンバーが実現している。

レイヤーにとって初音ミクは、たくさんあるレパートリーの一つに過ぎない。実際、ネット上を検索すれば、可愛らしい初音ミクはモチロン、複雑怪奇な魑魅魍魎系まで実に多種多様な初音ミクにヒットする。その意味では実態のない、誰でもないレイヤーに演じられている初音ミクだからこそ、サイバー空間に存在する初音ミクの代替キャラクターとして、受け手の側にも歩み寄る余地が生まれる。


難波ベアーズに再登場した初音階段のメンバーは、非常階段の JOJO 広重、Nasca car を率いる電子音楽家 中屋浩市、そしてレイヤーの“ るしゃ ” 。二代目・初音ミクをレイヤーに演じさせた JOJO 広重の目論見は見事に正しい。
中屋浩市はテルミンをはじめとするエレクトロ ノイズを担当。テルミンに向かって慎重に手をかざすその姿には一種独特な学者然とした風情が漂う。JOJO 広重はモチロン、ギターである。とは言え、あれはもはやギターではなく、完全に別の音を出す楽器である。一番前で見れたので、確認出来たのだが、あの信じがたい音色のヴァリエイションを実現するデヴァイシズ ( devices : キング クリムゾンのロバート・フィリップが、担当楽器として表記していた言葉 ) が、決して多くはないエフェクターによって実現されているのは何とも意外だった。

ツイッターの通り、階段にへばりつく “ るしゃ ” 
難波ベアーズは地下にある





------------------ るしゃ @LeChatPrince 10月30日

大阪ライブでした。日本でのライブが久しぶりすぎて始まる前かなり緊張して階段にへばりついていましたが、始まればすごく楽しくてわざわざ来てくださった方もたくさんいて暖かい感想もたくさん頂いてほんとうにほんとうにうれしかったありがとう愛 


“ るしゃ ” は当然のように、ライヴ中の声を変調させており、MC 時とは全く違う声でヴォーカルを取っている。また、実際には歌っていないことも多く 、いわゆるリップ シンクも多かった( ? ) ように思う。
初音ミクは基本的な扮装のデフォルトとして、ヘッドフォンを付けているのだが、これで大音響のノイズの中でもメロディ ラインを確認できる とも、ヴォーカル ガイドを聴いている とも思えるが、いずれにしても、そもそも雰囲気アイテムであったヘッドフォンに、明確な装着理由が生まれた という点が面白い。


ここからいきなり、アイドル試論へシフトします !  ( 苦笑 ) 
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アイドルとは生まれてくるものである。つまり、アイドルとは生まれながらにアイドルなのだ。それゆえに、努力や鍛錬の結果、習熟していく他の表現領域とは根本的にそのありようが異なる。音楽的才能が皆無のアイドルによる歌唱やとんでもないダイコン役者のアイドルが出演する映画や舞台があったとしても、そのアイドルが生まれながらのアイドルであれば、そこには必ずファンが存在し、必ず需要が生まれる。そもそもアイドルとは宗教的なニュアンスから派生した言葉であり、現在のような使われ方のルーツは米合州国のエンタテインメント業界にある。日本ではむしろスターという呼称の方が一般的だった。そしてアイドルとファンの関係は、言うまでもなく宗教的である。

それにしても、この “ るしゃ ” が見せるヴォーカロイドとしてのたたずまいやロボットダンスの動きは、猫 ( Le Chat ) と名乗るだけあって、とにかく圧倒的に “ 可愛い ”。アイドルの世界観の中で “ 可愛い ” は最大の正義であって、それこそ何ものにも勝る価値である。この “ るしゃ ” というレイヤーは自らの武器に十分、自覚的であり、得難い存在感を獲得している。
そしてこれが、やっぱりアイドルのイヴェントなのだな と痛感させられるのは、ライヴの後に控えているチェキ会である。JOJO 広重が MC で、“ あと3曲です ” と宣言した際、フロアでは一様に “ え~!! ” という声が挙がったが、それを受けてすかさず “ 本当は、この後のチェキ会の方が楽しみのくせに ” と苦笑交じりにコメントしていたけれども、それもまた全く正しいと納得できるほどに、“ るしゃ ” の可愛さは際だっている。
“ るしゃ ” がレイヤーとして体現しているキャラクターは、日本人の女の子ならではの可愛らしさ( アイドルに限らず日本人の女の子の可愛らしさは世界イチ との定評があるが、いわし亭はその意見に全面的に賛成だ ) と欧米人並みの ボン! キュッ! ボン! というスタイルをあわせ持っていて、正にアニメから抜け出てきたようである。“ るしゃ ” がアニメを三次元化するために払っている努力や犠牲が半端ではないということは、すぐさま理解できるだけに、その役割意識はさすがだとも思う。
そしてこの二次と三次を縦横無尽に行き来する現実感の乏しさこそ、まさに三次元立体フォログラフの中に登場する初音ミクにオーヴァーラップするものだ。

三次元立体フォログラフの初音ミクと中田ヤスタカのプロデュースする perfume やきゃりーぱみゅぱみゅとの間にはもはや境界線がない。ヴォーカロイドが人間に近づこうとし、人間がロボットの動きを模し、最終的にそのどちらでもないマージナルな表現領域が獲得されたわけだが、これはかつて ’60 年代の終わりにアンディ・ウォーホルが稀代のロックバンド ヴェルヴェット アンダーグラウンドを得て画策した音楽 ダンス フィルム 照明、そして聴衆をも巻き込むマルチメディア イベント “ エクスプローディング プラスティック イネヴィタブル~爆発 人工的 必然 ” と言う言葉を想起させる。
いわし亭には、このプラスティック ≒ 人工的 という言葉に彼女たちのイメージがモロに重なるのだ。すべすべした人工的な偽物感覚は perfume やきゃりーぱみゅぱみゅの非人間的な動作やセルロイドのお人形の様な外観に濃厚だが、一方アイドルとしての彼女たちが性的対象として担う肉の部分がこのプラスティックの外観に無理やり押し込まれているという二律背反イメージの奔流は実に興味深い。
例えば、映画 『 日々ロック 』 ( 監督 : 入江悠 ’14 年 ) の二階堂ふみは、この作られたプラステック感覚と生身のアルコール中毒の女子という二面性を実にうまく演じている。

’73 年 1 月、『 平凡パンチ 』 に今となっては伝説とさえ形容されるヌード写真が掲載された。麻田奈美の “ りんごヌード ” である。今日的な意味でのヌードルでありながら、同時にトップアイドルとしても君臨した彼女の存在は空前絶後であり、ポスターにもなったこの “ りんごヌード ” は、’70  年代の男子の部屋には必ず貼られているとまで言われた。一世を風靡した麻田奈美はしかし、今見ると、やはりバスト、ヒップとも相当に豊満な印象を受けるのだ。
あるいは、’75 年 6 月に初代クラリオン ガールに選ばれ、同年の CM 出演によって、爆発的な人気を博したアグネス・ラムも同様、健康的に日焼けした小麦色の肌と豊かなバストは、生身の感覚が強く、実在する女の子のサガをきちんと感じさせてくれる。二次元のアニメの中で躍動し、レイヤーが挑み続けるキャラクターたちは、彼女たちに較べるとバストの豊満さに比べて体幹が痩せ過ぎの印象があり、そのありえない非現実感ゆえに、やはりプラスティックな印象の方が強いのだ。そして、21世紀型アイドルのヴィジュアルは麻田奈美やアグネス・ラムから確実に人工的なものへとシフトしており、そこに挑み続ける彼女たちの試練もまた半端なものではないのである。

また、アイドルには賞味期限がある というのもまた、何とも刹那的で良い。後藤まりこや大森靖子はアイドルとの共演が多いことでも知られるが、彼女たちはそろって、“ 女の子でいられる時間は限られている ” ということを繰り返し、発言している。
大森靖子がドリームズ カム トゥルーの楽曲をカヴァーした 『 私とドリカム ― DREAMS COME TRUE 25th ANNIVERSARY BEST COVERS ― 』に参加した経緯から実現した中村正人との対談では、実に秀逸な会話が引き出されている。
ここで “ ブルーズ ” を “ 刹那 ” と言い換えた二人の言語感覚は見事だ。そして、この会話だけでも凡百のアイドル論を遙かに凌駕する破壊力を備えていると思う。

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大森 : 女の人は、いつか失ってしまうって思ってるからブルーズが若いときに来るんですけど、男の人はあとで来るんです。だから私、おじさんと若い女の子が好きなんですよ
中村 : なるほどね。女の子は若いときに刹那があるんだ
大森 : そうなんですよ。で、男の人はおじさんのほうが刹那があるんです


実はいわし亭もこういうのは、嫌いな方ではない。とりあえず、ロボットみたいなポーズをリクエストして、撮ってもらったチェキ。なんだかうまくいかずに、苦笑気味なのが、可愛らしい。それにしても、いわし亭、デカ過ぎ。いやいや、 “ るしゃ ” が小柄過ぎるのだ ( 苦笑 )


共演の細胞彼女もアイドルらしい元気いっぱいのライヴを展開

------------------ JOJO 広重 @jojo_hiroshige 2014年10月30日

初音階段&細胞彼女終了、多数来場ありがとうございました。大いに盛り上がりました!「千本桜」がいい感じで演奏できてよかった。明日は秋葉原グッドマンです!よろしくお願いします!













2015年9月14日月曜日

いわし亭の日々是好日 2015 年 9 月


 9 月 2 日 ( 水 )

梅田ムジカジャポニカにて、ミチロウさんのライヴに参加。小野一穂さんとのツーマン。

ミチロウさんの凄さについては、いわし亭が今さら何を言ったところではるかに及ばないのは十分承知の上だが、あえて一言だけ述べるなら、ミチロウさんは全てにおいて自分で落とし前をつける。そしてそれこそがミチロウさんにとってのパンクである と言うことだ。

かつて扇町ミュージアムスクエアのあったビルのヨコに池袋の大勝軒の大阪店があるんで、ここで晩御飯。大勝軒は池袋の、いわゆる “ つけ麺 ” 発祥の店で、いつ来ても旨い。出店当初は微妙だったが、最近は味のバラツキも少なくなった。今年の 4 月創業者の山岸さんが死去したニューズはまだ記憶に新しい。

開演までは、まだ時間があったのでライフに飲み物を買いに行く。そういえば、このライフの入り口のところに、玉垣に囲まれ、朱塗りの鳥居と祠を備えた銀杏の巨木が、中州の様になって取り残されている。このいかにもな風情は、おそらく切ろうとした人々が次々と変死したとか、そういう類いの都市伝説の存在を想起させる。時間があれば、調べてみたい。
扇町ミュージアムスクエアは、大阪ガスの事業の一環で ’85 年 ( 昭和 60 年 ) 3 月オープン、以降実に 18 年間にわたり関西のサブカルチャーの拠点として機能し、’03 年 ( 平成 15 年 )  3 月 16 日をもってクローズ。現在は宿泊も可能な研修施設セミナーハウス クロス・ウェーブ梅田が出来ていて、 trf のサムのダンス スタジオなども入っている。

ここは映画の自主上映とか小劇場とか雑貨店、カフェレストラン、ギャラリー等を併設した、とんでもなく面白いスペースだった。二階には “ 劇団★新感線 ” や “ 南河内万歳一座 ” の稽古場、“ ぴあ ” の編集部等があり、界隈のお好み焼き屋とかで古田新太や内藤裕敬など、よく見かけた。道なりに少し行くとJR天満駅に着くが、ここには正道会館総本部があり、アンディ・フグや武蔵が、かつては天六商店街を闊歩していたものだ。
扇町ミュージアムスクエアの隆盛は、いわし亭がサブカルチャーに興味を持ち始めた時期と重なっており、ここで見た “ 劇団★新感線 ”の 『 宇宙防衛軍ヒデマロ 』 や当時、勃興しつつあった数々のインディーズ勢力、音楽や映画 ~ 秋田昌美の Merzbow のライヴ、塚本晋也 『 鉄男 』 植岡喜晴 『 夢で逢いましょう』  林海象 『 夢みるように眠りたい 』 等々の映像作品 ~ がもたらしたインパクトは今も忘れがたい。

そもそも、扇町ミュージアムスクエアに連なる東通商店街が恐ろしく雑多な魅力に富んでいて、関西輸入レコード店の草分け “ LPコーナー ” をはじめとして、とにかく輸入レコード店がたくさん軒を連ねていた。確か “ LPコーナー ” の手前にあった “ Dan ” でスロッビング グリッスルのインダストリアルレコードのオリジナルシングル盤とか FUGS のアナログLPを格安で購入したと思う。壁にはフランスのアングラ ジャズレーベル PYG のアルバムが大量に飾られていた。そういえば、キャバレー ヴォルテールが ’82 年 3 月に大阪で行ったライヴは、この東通商店街のボトムラインではなかったか。
古書専門店 “ 末広書店 ” は、とにかく古い雑誌関係が強く、ここでブルース・リー絡みの ’70年代当時のモノをたくさん見つけた。アングラなカストリ雑誌や映画のパンフレットにも珍しいものが多かった。“ 末広書店 ” は戦後間もなくの開店で 50 年以上続いたが、残念ながら ’12 年 6 月に閉店している。というか、この界隈のレコード店、古書店はそのほとんどがなくなって、呑み屋やヘアサロンや風俗になった。現在は、東京から進出してきた “ まんだらけ ” やAV関連の “ 買取りまっくす ” が気を吐く程度。とても残念だ。


 9 月 13 日 ( 日 )

大阪府立体育館第二競技場で開催された WAVE の興行を見に行く。プロレス、しかも女子プロレスは本当に久しぶり。9 月 20 日で引退する紫雷美央と WWE へディーヴァとして正式参戦が決まった華名の大阪ラストマッチ。今、WAVEはかつて橋本真也が旗揚げした当時の ZERO - ONE 的ないわゆるマット界のフリマ―ケットと化していて、見たい選手がこのリングに集結しつつある印象を受ける。わが最愛の安川惡斗が所属するスターダムが単独で興行が打てるがゆえに独自路線を貫いているのとは対照的で、どちらも応援したい。後で知ったのだが、この興行、あの女子プロレスのレジェンド マッハ文朱が観戦に来ていたらしい。
華名の大阪ラストマッチは、旧姓広田さくらがコスプレ華名に変身して、華名華名対決となり、楽しく華やかなプロレスの持つ奥深さを存分に見せつけた。“さよならトレイン”で実現した、華名と紫雷美央の和解もとても爽やかで感動的なものだった。
メインの紫雷美央 大阪ラストマッチはピンチの連続で、挑戦者チームの暴れっぷりが目立つ一方的なものになったが、最後は熟練のキャリアで乗り切って見せた。館内は無事に引退を迎える紫雷美央を送り出すかのような多幸感にあふれ、久しぶりのプロレス観戦はとても居心地が良かった。

府立体育館の前の“らーめん馬鹿力”に行く。結構、好み。



 9 月に見た映画 ( 満点 ★★★★ )

9/21 『 アントマン 』 ★★★
9/26 『 ピクセル 』  ( 日本語吹き替え版 ) ★★1/2
9/27 『 ピエロがお前を嘲笑う 』 ★★1/2



この項 おわり







2015年9月4日金曜日

ハートが大好きだったシーナは、ヴァレンタインに旅立った ~ 追悼 シーナ

2015 年 2 月 14 日
1978 年の結成当初より中断や解散状態に一度も陥らず、35 年間走り続けたシーナ&ロケッツで、日本の女性ロック ヴォーカリストのスタイルを確立したシーナ ( 本名 鮎川悦子 ) が、子宮頸がんのため、入院先の都内の病院で亡くなった。享年 61 歳。

“ 35 年一緒に ( シナロケを ) やれて、幸せでした。ファンの方にも幸せでした、と伝えてください ”
“ 歌うことが好きで、病気治ったら何したい? って聞かれたら < 歌いたい > って。( 最後にそれが ) かなわんかったから、歌聞きながら…。素晴らしい歌手でした。一緒に 35 年過ごせて、幸せでした。ファンの皆さんから愛されて、とても幸せやったと思います。ハートが大好きだったから、バレンタインが命日に なって… ”

夫、ギタリストの鮎川誠 談 デイリースポーツ 2015年2月14日


めんたいロック ( 実際には、福岡にとどまらず日本 ) を代表するロック黎明期の名バンドであったサンハウス~ ミシシッピー デルタ ブルーズの大御所の名を冠したその命名自体、名は体を表すを地で行くものだ。ヴォーカルの柴山俊之はそのスタイルと作詞能力で抜きん出た存在感を発揮している ~ でシャープで切れのいいギターを聞かせていた鮎川誠は、1971年、高校3年生の夏休みに恒例の家出を終えて京都から帰ってきたシーナと博多のダンスホール “ ヤング・キラー ” で運命の出会いをする。二人は生き方や音楽の好みなど多くの点でヴァイヴス ( ! ) を共有し、すぐさま同棲、事実婚の状態になった。
シーナ & ロケッツがユニークだったのは、ミュージシャン同士が結婚したのではなく、もともとの夫婦がバンドを結成したという点だ。実は、それまでシーナはヴォーカルを担当したことがなく、バンド結成時は完全な素人だった。そもそも、1978年当時、ヴォーカリストとして指標になる女性ロッカーは、すでにパンクの洗礼を浴びた海外 ( 例えば、ブロンディのデボラ・ハリーやパティ・スミス、スージー・スー、ニナ・ハーゲン、スリッツのアリ・アップ、レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとジナ・ バーチ、X-レイ スペックスのポリー・スタイリン といったところか ) でならともかく、日本では OZ を率いていた女帝カルメン・マキくらいしかいなかった。女性ヴォーカルという大きなカテゴリーから俯瞰すると、かろうじてジャズ ヴォーカリストとして独自の美学を貫いていた浅川マキ、ロックやパンクに通底する特異な世界観を持っていたシンガーソングライター達~森田童子、山崎ハコ、中山ラビ、佐井好子、スタンス自体がアウトサイダーそのものであった美輪明宏といった名前が挙げられるだろうか…

ヒット曲ランキングから見てみると、ピンクレディーが 「 UFO 」 の1位を筆頭に実に 4 曲をトップテンに送り込んでおり、以下、堀内孝雄 「 君のひとみは 10000 ボルト 」 キャンディーズ 「 微笑がえし 」 平尾昌晃・畑中葉子 「 カナダからの手紙 」 サーカス 「 Mr. サマータイム 」 矢沢永吉 「 時間よ止まれ 」 中島みゆき 「 わかれうた 」 が続く。さらに印象的なところを挙げると世良公則&ツイスト 「 銃爪 」 山口百恵 「 プレイバック Part 2 」 アリス 「 冬の稲妻 」 沢田研二 「 サムライ 」 等々がチャートに並ぶ。
一方、海外では、かのセックス ピストルズが1月に空中分解、すでにパンク ムーヴメントはその役割を終え、ニュー ウェーヴ・オルタナティヴやレゲエへとバトンを渡しつつあった時期である。

◎ SHEENA & THE ROKKETS
   鮎川誠 & シーナ ロケット→シーナ & ザ ロケッツ→シーナ & ロケッツ

1978 年:鮎川誠 & シーナ ロケットの名義でシングル 「 涙のハイウェイ 」 をリリース、デビューを飾る翌1979年、アルバム 『 真空パック 』 を発表。シングル 「 ユー メイ ドリーム 」 ( 作詞 : 柴山俊之 作曲 : 鮎川誠、細野晴臣 ) が JAL の “ マイ ハート キャンペーン ” の CFに起用され、一躍、脚光を浴びる。国内外を含めて、これまでに通算 35 枚のアルバム 16枚のシングルを発表

1988 年:ニューヨークの CBGB でライヴ デビュー。ジョン・レノン&オノ ヨーコの専属写真家 BOB GRUEN の写真集で “ 日本の最高峰 パンクバンド ” として紹介される。国内・海外の様々なアーティスト 特にウィルコ・ジョンソンとの交流が深い。

代表曲:「 レモンティー 」 「 ユー メイ ドリーム 」 「 ピンナップ ベイビー ブルース 」 「 ハッピーハウス 」 「 レイジー クレイジー ブルース 」 「 ロックの好きなベイビー抱いて 」 「 ビールスカプセル 」 「 I’M FLASH ( ほら吹きイナズマ ) 」 

バンド名:“ シーナ ” という名は、鮎川誠の祖母の名前 “ 鮎川シナ ”、2人が好きなバンド ラモーンズの 「 シーナはパンクロッカー 」 という曲のタイトルに由来する。シーナの本名 “ 悦子 ” から “ ロック + エツコ = ロケッツ ” となり、さらにロケッツだけでは軽いということと、昔風に “ ●● & ロケッツ ” にしたい という鮎川のアイディアによる。綴りを “ ROCKETS ” ではなく “ ROKKETS ” とするのも鮎川流のセンスとのこと。


不明なことに、鮎川誠のライヴはサンハウスの再結成などで、何度か見ていたのだが、いわし亭は肝心のシーナ & ロケッツを見たことがなかった。
今回、シーナの訃報を受けて、東京と福岡で追悼ライヴが開催されたが、2015 年 6 月 9 日 正にロックの日! に名古屋 CLUB ZION でヘイトフル エアヘッド クロージング発足記念 ライヴ ショウと銘打ち、関西圏で、シーナの急逝以降初のライヴが企画された。前座は何とこのブログでもおなじみのキノコホテル当日は入場者全員に主宰者 HATEFULL 謹製 シーナ追悼メモリアル T シャツがプレゼントされた。

16:30

会社を 4 時半に出て、新幹線に乗ると最短で 6 時 41 分に地下鉄 上前津駅に到着する。そのまま 4 番出口を上がると地下に CLUB ZION ( クラブ ザイオン ) のある GION ビルのちょうど前に出る。
CLUB ZION は 150 人も入ればいっぱいになってしまうそれほど大きなライヴハウスではないのだが、GION ビル自体にレコードショップ、アパレルショップ、タトゥースタジオ、カフェ、ミュージックバー、サウンドプロデュース、等が入っていていて、ビル全体でアーティスト サポートを行っているユニークな場所である。

19:00

CLUB ZION に入るとすぐ左手にバーカウンターがあり、そこから続く壁にシーナの写真 ( 右→ ) を引き伸ばした大きなタペストリー ( ? ) がつるされていて、まるで彼女がステージを見守っているかのような風情が醸し出されている。
この日は特別 DJ も待機していて、面白い曲をセレクトするので、“ 次は何がかかるんだろう? ” と待ち時間も苦にならずに過ごせた。もちろん、
ラモーンズの 「 シーナはパンクロッカー 」 も流れていた。

19:30
キノコホテルの面々はいつも通り、ケメ ファービー JKと登場し、インストゥルメンタルの演奏でマリアンヌ支配人の登場を待つ。ステージが狭い分、メンバー全員を一目で視野におさめることが出来るというのは、それはそれでとても効率が良くて助かる。キーボードのある分、キノコホテルのステージ上は煩雑で混乱しており、ステージの狭さも手伝って足の踏み場もない感じだが、支配人はひらりひらりと軽やかに舞い、小道具の鞭を振り回して歌い、時には大股びらきでエレキ ギターをバリバリ弾いて、ノイズを出す。いつも通り、キーボードの上にも乗っかってシナを作る。
今回は OA ( オープニングアクト ) なので、小一時間程度の内容。イギリス公演から帰国して 2 週間くらいだが、最近の実演会をコンパクトにまとめたものになっている。ただ、短時間でもキノコホテルとしてのプロモーションは必要で、メンバー紹介を兼ねた終盤恒例の楽曲も当然、演奏される。
本来、シーナ & ロケッツとキノコホテルでは客層が相容れないことはなはだしいが、
支配人ケメのレジェンドに対するリスペクトはかなりなもので、今回は OA のためだけに名古屋まで来たのではないか。というのも、日程的にこの近辺での実演会が確認できないのだ。特にケメはかなりこの OA を楽しみにしていたことが伺われる。翌日 “ 愛用Tシャツにサインいただきました ” ツイートしている。 

keme @reverbfuzz  610
愛用Tシャツにサインいただきました。
シナロケ最高!涙でました
いつもよりステージに近い関係で、ケメが前に出てギターを弾いてくれると本当に近い。それはそれでかなり嬉しい。いつもステージ最後方にいるファービーも近い。彼女のドラムも恐ろしく上達したと思う。バックコーラスに加えて、最近は曲を間断なく演奏する関係で、司令塔としてのリズムセクションは、ことのほか重要になって来ているのだが、その意味でも、ファービーと JK の連携は素晴らしい。ファービーの場合、キノコホテル自体が歌謡曲ベースでストレートなドラムに徹している分、変拍子などはそもそも必要ないが、JKとリズム セクションを構成している関係上、スピードやテンポ、手数などで、実はかなりなものを要求されている。

何にしても、近いというのはライヴハウスの醍醐味でもあり、その意味では、音や演奏や表情などもダイレクトに伝わる感じが良い。特にケメ ファンのいわし亭は、ステージに対して右側に立つことが多く、いつもほとんど視界に入ってこない JK をしっかり見れたのが良かった。JK の笑顔はまさに天然の笑顔で、演奏が楽しくて仕方がない感じがまるで童女のようである。しかし、音はガリガリと物凄く、それほど激しく演奏している風には見えないのだが、音数が半端なくて、その運指のスピードやいかに! と思われるのである。ギターの様にコードのない関係で、ケメがコードを引きながらリズムギターに徹してバッキングをしている時など、明らかにベースのメロディの方が立っている。

楽曲によって、両サイドの JK とケメがシンクロしながら、体を左右に振ったり、ぴょんと飛びながら体の向きを変える草創期から継承されてきたステージアクションが、今も割愛されることなく披露されているのも嬉しい。この動きとともにキノコホテルのライヴが終わっていく。このエンディングを見る度に、また次も見に来ようという気持ちが起こるのだ。

支配人自身、“ 何のことやらワケが分からんと思われている方もたくさんいらっしゃることでしょう ” と MC で話していた通り、キノコホテル目当てで集まったリスナーは少なかったと思うが、それでも OA として十分に会場を温め、いい仕事をしたと思う。

21:00
キノコホテルが下がって約 20 分後、もう時間的には 21 時が近いが、ついについに
シーナ & ロケッツ登場。

もちろん、シーナが2月に亡くなっているので、ドラム ベース ギターのトリオ編成である。あえて OA にキノコホテルを起用したのは、女性ヴォーカルとして支配人かケメを使う気なのか? とも思ったが、考えたらシーナの代わりは誰も出来ないのであって、そんなことをしたら逆にファンが怒るだろうし、キノコの彼女たちも畏れ多くて辞退するだろう。
“ シーナは三人のここにおる。でも見とるだけやから、みんな助けてな ” と自分の胸を指しながら朴訥に語る鮎川誠という人は、何て素晴らしい人なのだろうと思う。その感覚は正にファンと同じで、決してアーティストぶったり、上から目線でモノを言うことがない。
キノコホテルに引き続き、かなりの至近距離で鮎川誠、その名手のスケールワークをじっくり堪能できたのは、正に至福の時間
だった。この人、思っていたよりもかなり大きな人で、従って手のひらも凄く大きくて、これでガキッ と押さえられたコードはやっぱ説得力満点なのだ。日本人と外人のギタリストの最大の違いは手のひらの大きさだ と熱心に語ってくれた友人のギタリストがいたが、なるほどその通りで、鮎川誠の左手は安定感も群を抜いているのだ。

それにしてもここのところ、名手と呼ばれる人々の演奏を立て続けに目の当たりにしているが、きれいな状態のギターを見たことがない。どのギターも使い込まれてかなりくたびれており、何度も同じところをストロークされたであろうその場所は、塗装も完全に剥げて、ボディの素材そのものがむき出しになっている。角のところどころは欠けたり、剥げたり、埃がたまっていたりで、決して大事に扱われているとは思えない風情なのだが、そのくせ、セカンドギターは結局、トラブル対応用でしかなく、事実上、ほとんど利用されないもので、このくたびれたギターがやはりメインで弾き倒されるのである ( 笑 )  今、目の前での草臥れているけれども実に味のあるストラトキャスターを構える姿こそ鮎川誠その人である。オリジナルのヴィンテージ レスポールも一曲だけ登場させたが、やはり借りて来た感が否めなかった。名匠の作った風格を漂わせる実に美しいギターではあったが、正にワンポイント起用で実際、骨董品の様な扱いを受けている。やはり、メインはあのくたびれたギターなのだ(笑) 

堅実な演奏を聴かせるリズムセクションは見事なまでに黒子に徹していて、二人の名手は素晴らしい演奏を展開しているにもかかわらず、決して前に出ようとはしない。彼らが完全にバックに徹している関係で、かつてシーナが立っていた場所、鮎川誠とベースの奈良敏博の間、ドラムの川嶋一秀の前の大きく開いたスペースが存在感を発揮している。確かにここにシーナはいて、タンバリンを叩いたり、腰を大きく動かしたりして踊っている。
いうまでもなく、シーナ & ロケッツは、日本の紅一点バンドの草分け的存在なので 「 ユー メイ ドリーム 」 の様な代表曲は、鮎川誠が歌うにはキーが全然違うわけだが、フロアのファンが一緒に大合唱してそれを補うと、まるでそこでシーナが熱唱しているかのようにライヴは加速していく。
シーナが旅立ってまだ4カ月しか経っていない。だから、今年いっぱいくらいは、まだこんな手触りのライヴが続くのだろう と思うけれども、それに関してはファンも鮎川誠自身もあれこれ考えるより、その時々の自然な感情に任せて、楽しむのが一番なのではないか という気がする。

若い世代の大人の世の中に対する不平不満の表明として機能したロックにとって、ベテランやオールドネームとどのように折り合いをつけるのか という問題はなかなかに厄介だ。とはいえ、、本稿の鮎川誠をはじめ、ここのところ還暦を迎える~例えば PANTA、遠藤ミチロウ、遠藤賢司、友川カズキ、早川義夫、灰野敬二、JOJO広重、仲井戸麗市、泉谷しげるといったビッグネームがずらり並んだ感じはやはりモノ凄いし、ある種の感慨がある。だからこそ、女性ロッカーのシンボルとして、シーナには君臨し続けて欲しかった。

主催者からプレゼントされた記念Tシャツ
そして、実は還暦とはいえ、昨今、60 歳というのは、昔思っていたほど老人のイメージが付き纏わないものになっている。実は 60 歳とは、潤沢な経験値とまだまだ十分に残っている体力が絶妙のブレンドを施され、今迄、若いロッカーが勢いに任せた単なるエネルギーの無駄遣いで突貫工事のように演奏してきたロックを最小限の力と高いスキルによって再現する というマジックをたくさん見せてもらえるのではないか という淡い期待を抱かせる。実際、例えば、ジェフ・ベックなど、どう聴いても今の演奏の方がスピード アップしている観があるのだ。
あるいは年齢を重ねて、人間が熟成していくことで初めて味わい深い演奏にたどりつくブルースの様な音楽もある。日本のロックもやっとそうした老い ≒ 刹那 つまりはブルーズを体現するミュージシャンを擁するジャンルにたどり着いたのであり、これからの彼らの活躍が楽しみになる。

主宰者から配られたTシャツの出来もなかなかだったが、カラーが白でサイズも M しかなかったので、ライヴ中メンバーが着ていた黒ベースのシーナのTシャツも購入することにした。カウンターでビールを注文して、やっと汗だくの状況から解放されると、大急ぎでライヴハウスの外に出た。驚いたことに物販に鮎川誠その人がいる。思わず握手をしてもらい、最後のアルバムにサインをもらった。それにしても何とも気さくな人で、ファンと一緒にツーショットを撮っていたりもして、その場にいたファン全員が奇妙な興奮状態を共にしたのだった。


※ シーナ&ロケッツの公式サイトには、『 SHEENA FOREVER 』 のリンクがはられ、夫 鮎川誠の言葉はもちろん、葬儀の様子や悼辞などが掲載されている。




『 YOU MAY DREAM ユー メイ ドリーム ― ロックで輝きつづけるシーナの流儀』 
ミュージシャンの赤裸々な告白録としては、かなり興味深い。日本のロックの黎明期に運命的な出会いをした二人のドラマが、著者シーナだけでなく、鮎川誠のワンポイント コメントとしても綴られていて、その対比だけでも面白く読める。
当時、次々と侵攻して来た欧米のポピュラー ミュージックに対し、それを真正面から浴びたリスナーやミュージシャンがどのような態度をとったのか? 黎明期の日本のロックがどのように始まり、またどのように進化していったのか。
当事者だからこそ語れるレアな証言集としても非常に貴重な一冊である。






祝 35 周年! 6年 3 ヶ月ぶりとなる待望のオリジナルアルバム
『ROKKET RIDE 』 ( CD + DVD 限定版 )

 1. ROKKET RIDE
 2. Ride the Lightning
 3. 太陽のバカンス
 4. Baby Love
 5. ROCK FOX
 6. 電撃BOP
 7. Madness City
 8. I’m So Glad
 9. 夢にしか出てこない街
10. 素敵な仲間
11. 風を味方に
12. ロックンロールの夜




< おまけ 名古屋メシ!>

ライヴの後、22時過ぎ、いつもの元祖名古屋名物 台湾ラーメンの中国台湾料理店 “ 味仙 ” に台湾ラーメンを食べに行く。あまりの辛さにまさに口呼吸状態で、それでも一心不乱に食べている様子は、第三者から見れば正にバカ以外の何ものでもなく、とんでもない感じだろう。前回は、昼間の14時ごろに食べたのだが、その時と比べても辛さが増していて、味仙の台湾ラーメンは、深夜に向かう程、辛くなっていく様に感じた。